島ハン(TRY!改題)

第一話 インナーの男

*****

モンスター。

 これから語られる物語の世界において、人々は野生の生物を畏怖と尊敬をこめてこのように呼んでいる。起源は、どこか遠い、世界の果てに住む人々の言語であるとも、古い伝説に現れる用語であるとも言われているが、元が何であれ、強く恐ろしいもの、人智を越えるものを表す言葉として伝わっている。

 モンスターには、大型の昆虫といってよいものから、人間に飼い馴らされ使役されているもの、山のように巨大なもの、そして、自然の脅威の具現者として恐れられているものまで様々な種類がある。

 人がモンスターに求めるものは二つ、労働力と素材である。モンスターたちから得られる素材には爪や皮、骨や体毛などがあり、その用途は、日常生活で用いる衣服、武器、建材から医薬品に至るまで多岐に渡る。モンスターなくしては人々の暮らしは成り立たない。人々の中には野に分け入り、火山や雪山に登り、砂漠を進み、海に潜りしながらモンスターを狩ることを生業とする者たちがいる。それは強きものに挑み、命をかけて己の力を試すことでもある。
 
 彼らは、狩る者、ハンターと呼ばれている。


*****



  海は、上機嫌だった。

 前日までの悪天候が嘘のように、空は晴れ上がっていた。眩しい日差しはきらきらと波に照り返り、さわやかな風が水面を渡っていく。空にはまだいくつかの雲が残っているが、昨日のような暗い色のものではなく、鮮やかな白が空の青さを引き立てている。海も空の色を映し、ところどころ泡立つ白い波頭が見える。

 穏やかな海。平和な海。しかし何事も起こっていないように見えるその下では、草食、肉食とりまぜたさまざまなモンスターたちが、喰うか喰われるかの戦いを日々繰り広げている。今も海中を中型の水棲獣、ルドロスの群れがねぐらに向かっているが、そのうちの一頭は細身の鳥竜種ジャギィを咥えている。陸棲のジャギィも肉食だが、海岸で獲物を追っているうち思わぬ反撃にあい、海に落ちたものか。陸上の捕食者も海中では単なる獲物と言うわけだ。ともあれ、ルドロスが陸棲のジャギィを咥えている、これは陸地が近いという意味だ。


 帆に風を受け、その力を使って進む船にとってこれ以上は望めないというこの朝、波を裂いて、一隻の貨客船が滑るように海面を進んでいる。船の行く手にはやがて、小さな島が見えてくるはずだ。

 甲板ではその島にある村に赴任する新人のハンターが、海風に髪をなびかせながら、来るべきモンスターたちとの戦いに思いをはせていた……わけではない。

「うげぇぇぷ」

 こみあげるえづきに耐えながら、彼の頭の中には今、硬い陸地のことしかなかった。内陸の村育ちの彼にとっては初めての船旅。ゆらゆらとして安定しない足元、時化のなごりで時たま大きく上下する甲板で、そのたびに胃袋がひっくり返るような不快感に必死で耐えている。顔は真っ青だ。彼の苦悩もいま少しで終えるのだが、彼自身には後どれほどの間、この苦悩が続くのか冷静に計算する余裕もない。

 「…んぐっ」

 口元を押さえ船縁へと走り寄る。手すりから身を乗り出しても、もう吐き出すべきものも残っていなかった。



 南海の諸島地域、その中に他とは離れてぽつんと浮かんでいる島があり、人々から『孤島』と呼ばれている。緑豊かなその島には小さな村があった。

 その村に住んでいる人々は、農業と漁業、それと森や海の産物を交易船が運ぶ物品と交換することで、暮らしを立てている。小さいながらも豊かな村である。

 その村の名は『モガの村』という。


 村長の息子で、高齢の父親に代わって村の雑事を仕切っている青年は、一週間ぶりの定期船が入港してきたとき、港で騒いでいる群衆の中にいた。ついさっき中規模の地震が島を襲ったのだ。

 この島には、最近地震が頻発している。漁船の水揚げで港に集まっていた人たちは、地震の被害について相談しようとしていたところだった。そこに定期の貨客船が到着したのだ。離島のこととて、毎回乗降する人数もたかが知れている。大抵見知った顔ばかりだ。青年はその中に一人、見知らぬ人物を見つけた。

 茶色や緑、灰色など、自然の色を使った簡素で動きやすい服を着た村人達をすり抜けるように、こちらに向かって歩いてくる。まだ少年の面影が残る若い男だ。気分が悪いのか青い顔をして、足元もおぼつかない。

「やあ、あんたが今度来たハンターかい」

「はい、うぐっ、ハンと申します」

「船酔いか、大丈夫かい」

「大丈夫です」

 言いながらその場にしゃがみこんでしまう。

 島で暮らしていると、船酔いは他人事である。自分はなったことはないが、船が着いたときに他人がなっているのはよく見かける。青年は気にせず傍らの腰掛に座っている、白髪の髷(まげ)を後頭部に結った人物を示して言った。

「親父だ、この村の村長をしてる」

「よろしくお願いします」

 ハンはふらふらしながらも立ち上がると礼儀正しくお辞儀をした。

「おお、よう来なさった。この村は今、頻発する地震に困っておる。その地震にはモンスターがからんでおるのではないかと、わしらは考えとるのだ」

 村長は白いあごひげをしごきながら話をする。

「その原因をお前さんに明かしてもらい、場合によっては原因となるモンスターの討伐を頼みたい、というわけで、ギルドに派遣を要請したのだ」

「はい」

「頼むぞ。倅も力を貸すと言っておる」

 村長の息子は改めて自己紹介をする。

「俺はシーガルだ。親父は見てのとおり高齢なんでな、村の資源の管理とか、雑用はほとんど俺がやってる。困った事や必要なものがあったら言ってくれ」

 近くで改めて見ると、体調のせいだけでなく本当におとなしそうな、地味な男だ。体格もそれほどがっしりしているわけでもない。強大なモンスターたちと渡り合うという職業から想像していた屈強な人物とはまったく違う。だが、右の眉から頬にかけて走る二本をはじめ、顔や体のあちこちに走る傷跡が、この人物が戦いの中に身をおいてきたことは辛うじて物語っている。

 内陸、雪深い山奥のポッケ村というところの訓練所を出たばかりと聞いている。訓練所は実戦重視で、骨折や、縫合が必要なケガも日常茶飯事、時として死者も出るという。この青年も過酷な訓練をくぐり抜けてきたのだろう、立ち回りが下手なだけかもしれないが。

(……まてよ、なんでそんな体の傷まで見せてるんだ、こいつ)

 シーガルはあることに気がついた。

「違っていたら失礼。しかし、その格好はインナーじゃないのか」

 ハンの格好は下半身が腿の中ほどまでの下穿き、上半身が袖のない短い肌着といったものだ。シーガルは気を遣って言ったが、どう見ても下着としかいえない。足元も裸足だ。

「そうです」

「服は、どうしたんだ」

「流されました」

「はあ? 流された? どうしてまた?」

「甲板でした」

 話が要領を得ない。シーガルはやりにくさを感じながらも話を続けた。

「甲板が、どうしたって?」

「高波が来たのです」

「甲板で高波にのまれかけたのか。一体を何やってたんだ?」

「寝ていました」

 この男、自分からどんどん話をしてくるわけではないが、無愛想というわけでもなく、聞いたことには真面目に答えている。シーガルは、単に口下手なのだろうと思いながら話を進めた。

「なんでそんなところで?」

「金がありませんでした」

「お前さんハンターだろ、ここに来るための旅費はギルドが出してくれたんじゃないのか?」

「無くなりました」

「なに、スリにでもあったのか?」

「いいえ」

「いったい何があったんだ?」 



*****

「おい、にいちゃん」

 話は二日前にさかのぼる。このあたりでは一番の都会ロックラックの外れにある港で、海を見ていたハンに一人の船乗りが声をかけてきた。

「船を待ってるんだろ、到着が遅れてるみたいだな。出港は夜になるだろうよ。暇つぶしにちょいと遊ばないか。骨投げの面子が足りなくてな」

 『骨投げ』とは小ぶりの竜骨を使った遊びの一種である。子供もやるが、大人たちは金を賭けてやることが普通だ。

「どうだ?」

「はい」

「よし、こっちだ」

 ハンがつれて行かれたのは船の積荷を置いておく倉庫の一角だった。埃っぽい空気の中、大小さまざまな大きさの箱や籠があちこちに積まれている。倉庫の薄暗い隅には、筵(むしろ)が敷かれ、既に数人の男たちが座り込んで場に骨を投げていた。服装や年齢、言葉遣いから判断するに、港で働いている荷役や船員達のようだ。

「どうすればいいのですか」

「なんだ、やったことないのか? 簡単だ、竜骨を十個、あの「場」に投げる、落ちたときの散らばり具合で『役』をつくるのさ。ほら、今のヤツ、重なった骨が二組出来ただろう、あれは『キノコ狩り』っていう役だな。大したことない手だが」

「わかりません」

「なに、珍しい形になれば点が高いと思っとけばいいのさ」

「そうですか」

 そして、ハンの投げ番がまわってきた。

 手渡された骨を軽く両手の中でかるく動かしてから、ハンは投げ上げるように場に骨を放った。

「古龍殺し!」

「すげえ、初めて見た」

 ハンの投げた骨は十本すべてが組み合わさった形で一箇所に落下してきた。普通に投げていたのではとてもできない形だ。

「いきなり千点だと、何者だ、あいつ」

「五万ゼニーにはなるな」

 周りの男たちが色めき立つ。

 そして、二週目。

 再びまわってきた自分の番に、ハンはまた骨を放った。

「!! 回りヤマツカミ!!」

 今度は十本が重なりながら円を描くような形を作った。

 ざわめきがさらに大きくなる。しかし、

「あーあ、気の毒にな」

「運の悪いヤツだなあ」

「今じゃなきゃよかったのにな」

 今度の男たちの反応は同情と憐憫であった。

「?」

 状況が理解できていないハンに、さっきとは別の男が説明してくれた。

 『古龍殺し』も『回りヤマツカミ』もめったに出ない役だ。実はこの「骨投げ」には、このように特に稀な役を続けて出すと、逆に大幅にマイナスの点になってしまうという決まりがある。骨に細工をして珍しい形を作るイカサマを牽制するために始まったといわれている特殊なルールである。自然な骨を普通に投げていればそんなに珍しい手が連続するはずがない、という理屈だ。ヘタに先の役で大きく勝ってしまっていたのが裏目に出た。独特の複雑な計算の結果、ハンの負けは所持金すべてを失ってしまうほどになった。

「悪いな、兄ちゃん。あんた、七万ゼニーの負けだ」

「そうですか」

 説明を聞き、懐から札入れを出して数える。

「六万七千ゼニーしかありません」

 賭場で今日の胴元役をしている男は、苦笑いをして周りの男達に言った。

「なんか気の毒だな、まけてやろうぜ」

 男達も同意したが、それでもハンの負け自体をなしにしてやろうという者はいなかった。賭け事は自己責任、誘われただけだとしても、参加を同意した時点で賭け金を払う義務が生じる。そこを甘やかす気はさらさらないようだ。

「運が悪かったな。あんな役が続けて出るなんてそうそうあるもんじゃねえ」

 最初に誘った船乗りが慰めの言葉をかけた。

「運ではありません」

「狙って出したとでもいうのか」

「珍しい形になればいいという話でした」

「おいおい、ふかすなよ」

 立ち上がり港へと戻るハンの後から船乗りはついてきた。



 港へと歩きながら、ハンに話しかける。

「誘っちまって、悪かったな。骨投げは子供でもやる遊びだ。さっきのは船乗り仲間のお遊びで、たちの悪いイカサマ賭博なんかじゃない。普段は小銭がちょっと動くくらいでな。まさかお前さんがあんな役を出すとは思ってなかったんで詳しく説明しなかったんだ。ずいぶんと骨をうまく投げてたな」

「慣れています」

「なんだ、あんた細工師か何かか? 船を待ってたんだろ、どこに行くところなんだ?」

「モガ村です」

「孤島にある村だな。それじゃ、船賃がなくなっちまったんじゃないのか?」

「なくなりました」

 話の内容のわりに淡々とした声である。船乗りの男は不思議に思った。たった今、持ち金の全てを失い、目的地にたどり着くことも怪しくなってきたのに、なぜこいつはこんなに動じないのだろう。

「そこなんだが、お前さん、さっき大金をすったばかりなのに平気そうだな。普通ははこう、もっとがっかりするとか、怒るとか、しそうなもんだが」

「困っています」

「そうは見えん。変なヤツだな。それでどうする?」

「船賃は作ります」

「どうやって?」

「狩りをします」

 街の中心地へ行けばハンターズギルド、狩りを生業としている者たちの組織の支部がある。ギルドに所属しているハンターなら、行けば何か仕事がもらえるということだろう。船乗りは合点がいった。ハンターには金に頓着しない者も多い。一日狩場に出れば、狩猟や採取で日銭が稼げるし、自分が食べるくらいのものはすぐ手に入る。また、危険が多い職業だけに、いつ死ぬかわからないのに小金を貯めこんでも仕方がない。畢竟(ひっきょう)、金にはこだわらなくなるわけだ。

「あんた、ハンターだったのか。でもそれじゃ、今日の船には乗れないぞ。到着が遅れるだろう。実は俺も元はモガ村の出なんだ。最近あっちでおかしなことが続いて、ハンターの派遣を要請してるって話だったな。それがお前さんか」

 男は少し考えてから言った。

「よし、俺が船長に話をつけてやるよ。誘った侘びだ。客としては無理かもしれんが、どっか隙間に乗せてくれるくらいはできるだろう」

「ありがとうございます」

「俺の故郷のために働いてもらうんだしな。村を頼むぞ」

 船乗りはハンの背中をドン、と叩いた。



***** 

 と、こういう次第である。船乗りの口利きで船に乗れることになり、到着までの食料などもおごってもらったのはいいが、運の悪いことに昨夜は海が荒れ、高波で荷物も流されてしまったと言うわけだ。寝るために脱いで傍らに置いておいた服もである。が、ハンの説明では細かいところまでは伝わらない。

 シーガルに分かったのは、やったこともないくせに誘われるまま賭け事に引っ張り込まれ、所持金をすり、お情けで乗せてもらった船の甲板で服や荷物までも流されたということだけだった。

 ハンターとしてどうこう言う前に、どうもこいつは世間知らずなお人よしみたいだな。シーガルはこの青年のことが心配になってきた。こんな頼りないやつに村のハンターが務まるのか。とはいえ、来てしまったものはしょうがない。しばらく様子を見ることにしよう。

「……それは、気の毒だったな」

「かっはっは、お前さん、運が悪かったのう」

 横で聞いていた村長は笑い出した。

「だが気にするでないぞ。見てのとおりこの村ではわしらを含め皆下着とあまり変わらぬ格好だ。誰もお前さんのことなぞ気にせんわい。服なぞ落ち着いてからでよい」

 確かに村長自身、下穿きと肩に羽織った薄い長衣の他は首飾りや腕輪などの装飾品しか身につけていない。若干たるんだ腹も丸出した。シーガルも頷いて言う。

「それより、村のことを話させてくれ、今さっきも地震があってな、いろんなものが壊れちまってばたばたしている。まずは村が落ち着かないと、狩りをしてもらうわけにはいかないんだ。悪いが、まずは片付けの手伝いをしてくれないか? お前さんに頼みたい仕事についてはおいおい話す」

 こうして、新人ハンター、ハンのモガの村での生活は、下着姿での地震の後片付けから始まった。





第二話 はじめてのおつかい


 海は、目覚めた。

 モガの村の心臓ともいうべき広場では、日が昇ったばかりだというのに、もう大勢の人間がにぎやかに動き回っていた。雑貨屋は在庫の数を確認しているし、港の女主人は夜明けに漁から帰ってきた船の水揚げを検分中である。他にも前日あった地震の後片付けの続きをする者、走り回る子供たち、じっとしている者などいない。   

 その喧騒の中で、唯一のんびりと座っている者がいる。村長だ。白髪を頭頂部近くで小さな髷に結った初老の男で、下半身は下穿きだけ、上半身は素肌の上に肩から長衣を羽織っている。首や腕には素朴な天然の材料使った素朴な装身具が見え隠れしていた。キセルをふかしながら、一見隠居した老人がひなたぼっこでもしているように座っているが、目は細かく村人達の動きを見つめている。そして時折、前を通りかかる者に声をかけている。

「こらこら、濡れた桟橋でそんなに走るでない、転んでしまうぞ」

「昨夜の漁の水揚げはどのくらいだ?」

「風車の修理はどうなった? 部品が足りない? せがれに話しておこう」
 
「おっはようございまあす、村長さん」

 あいさつの若々しい声に村長が振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。襟元に赤いリボンを結んだ袖の黒い白のブラウスに赤いスカート、赤いベレー帽。ブラウスの襟や袖にはさらに細かいかざりや模様がついた、凝った作りだ。水色やくすんだ緑、灰色といった中間色が多い村人の簡素な服装とは違う、この村では都会的ともいえる装い。一目で少女が他の村人とは異なる職業についていることがわかる。村にできて間もないハンターズギルドの職員、自称看板娘のカウカだ。

 もともとこの村の出身であったが、勉強好きで、全校生徒がたった十数人に教師が一人という村の初等学校を終えた後、家を離れて街の学校に行っていた。半年前に卒業した時には、村には帰らずギルドに就職したという話が伝わってきた。そして、先ごろ村がハンターの派遣を要請すると、急ごしらえに開設された、カウンターだけの小さな支所を預かることを自ら志願し、戻ってきたばかりだ。

「おお、おはよう」

 村長が答えると、看板娘は興奮した様子で聞いてきた。

「昨日ついにハンターさんが来たんですよね。どんな感じですか?」

「おや、まだ会っておらなかったのか?」

「地震があったので早めにウチに帰ってたんですよ。 家具が倒れちゃったんで片付けてました」

「おお、そりゃ大変だったな。そうだな、おまえさんも聞いておるだろうが、まだ若い、十九歳だそうだ。せがれが昨日少し話したんだが、ここだけの話、少々頼りなさそうな男だぞ」

「やったー」

 少女は右手で握りこぶしを作り、小さくふっている。

「なんだ、それは?」

「いやあ、ババコンガみたいな筋肉バカだったらシャレが理解できないでしょうし、クシャルダオラみたいな人だと冗談言ったら怒り出しそうじゃないですか。お仕事は楽しくないといけません。でもそんな頼りない感じの人ならいろいろ冗談口もたたけるってもんですよ」

「なんで例えがみなモンスターなんだ、人間なのに……。だが、本当に頼りないヤツだったら、村を救ってなんざもらえんぞ。なにしろ、あのラギアクルスと戦ってもらわんといかんのだからな」

 『海竜』ラギアクルスは巨大で獰猛な海棲モンスターである。今回村がハンターの派遣をギルドに要請したのは、最近頻繁に起きる地震が、この海域で目撃されるこの海竜に何か関係があるのではないかと考えられているからだ。尾の一撃で小型漁船を沈めることのできるこのモンスターには、生半可なハンターでは太刀打ちできないだろう。

「あ、そうか。それは困りますねえ。じゃあ、人間としては頼りなくてハンターとしては有能な人がいいですね」

 村長は苦笑いしながら言った。

「そんなヤツ、おるかい」

 そんな話をしていると噂のハンター、ハンが広場にやって来た。あいかわらずのインナー姿。前日村長は気にしないようにと言っていたが、インナーとは文字通り内側に着るもの。下穿きと短い肌着の組み合わせで、部屋着としても用いられているが、着て外を歩くようなものではない。そんな格好でうろうろしているハンは広場でもかなり目立っている。だが、本人はそのことを自覚しているのかいないのか、普通に歩いている。村長を見つけると近づいてきた。

「おはようございます」

 村長のほうも服装については何もいわずに返事を返す。

「おはようさん、ハンター殿。昨夜は良く眠れたかな?」

「あまり眠れませんでした」

「ははあ、寝ておっても地面が揺れておるような感じがずっと残っておったのだろう。ふわあ、ふわあっとな」

「そのとおりです」

「長い船旅の後は皆そうなる。とはいえ一時的なものだ。今夜は大丈夫だろう」

 村長はそう言った後、改めて自己紹介をし、村の自慢から始まって、その現状、ハンターに求めていることなどを再度詳しく話した。 

 ラギアクルスの出現と被害、頻発する地震、それが海底を震源としているようであること。そしてその原因究明と解決のためにハンターを呼んだこと。

「カッハハハハ!もう三十年若ければ、このわし自ら正々堂々挑んでやったところなのだが。まあ、わしも同じ生き物ということだ。生き物はトシをとるし、トシには勝てぬ。大洋の雄と命を賭けて語り合う楽しみは現役ハンターに譲るとしよう」

 この言葉に、ハンは質問してきた。

「ハンターだったのですか?」

 この下腹のたるんだ温厚そうな白髪の老人も、若いころは野山を駆け回り、モンスターを狩っていたのだろうか。
実は、この村に来たばかりのハンはもちろんだが、この老人の過去については村人もよくは知らないのである。モガの村は新しく、住民も他所から移ってきた者ばかりである。そして、この男は村ができたときから数十年間ずっと村長をしている。それまではハンターだった、いや、ギルドナイトだった、と噂だけはいろいろある。なかには海賊だったというものまであった。だが、詳しい話は家族でさえも聞いたことがないという。

 村長はハンの質問には答えず、微笑んだだけで話を変えた。

「とりあえず、昨日会ったわしのせがれ、シーガルに会ってやってもらえぬか。これからの詳しい段取りはあやつとお前さんで決めてくれ」

 息子は広場のどこかにいるはずだと言う。

「わかりました」

 頷き、背を向けかけたハンに、

「っと、忘れるところであった。約束の手付金だ。少ないがこれで身支度を整えられい」

 と封筒を渡す。

「千五百ゼニーあるはずだ、確認してくれ。どう使おうとお前さんの自由だがな、広場のはずれの階段を上がると、森にでる桟橋の近くに武具屋がある。あそこなら見てくれもインナーよりましな装備があるぞ。高級品は無理だが、手ごろなものなら一式買えるだろう」

 にやりと笑う。が、ハンは、この一言にも特に表情を変えることもなく頷くと、

「ありがとうございます」

 金を受け取り、歩き出す。

 昨日会った村長の息子、さて、どこにいるのだろう。二、三歩進んだところですぐそばに立ってこちらを見ている少女に気がついた。

 ギルドの制服を着た少女は、はじけるような笑顔を浮かべながら近づいてくる。

「ようこそ、モガの村へ! あなたが噂のハンターさんですよね。これから、私、仲介人カウカがハンターズギルドとのやり取りを担当することになります。どうぞよろしくおねがいします!」

 言いながら、大きな目でハンを頭のてっぺんからつま先まで、好奇心丸出しの遠慮無い視線で眺め回した。

「うわあ、ホンットーに頼りない感じですねえ。服インナーだし」

 新人ハンターは唐突に現れたこの人物の、これまた唐突な発言にも、普通にあいさつを返した。 

「よろしくお願いします」

「むっ、そうきますか。なんだか反応が思ってたのと違いますね。冗談の通じないヒトですか。うーん、そうなるとどこで笑いをとるか……。っと、それだけじゃダメなんだった。ハンターさん、お名前は?」

「ハンと申します」

「ハンさん、腕のほうはどんなもんですか?」
 
 この少女、初対面の相手でもまったく臆することなく、ズバズバ聞いてくる。
 
「普通です」

「訓練所での成績は?」

「〈良〉でした」

「そりゃ〈普通〉ですね。そうですか。う〜ん、ちょっぴり心配ですね。が、仕事はこなしてもらわないといけないです。というわけで」

 急に真面目な顔になる。

「ハンターさんが来たらすぐ仕事を始めてもらえるよう、私は、依頼を回してくださいって、前もって本部にお願いしておいたんです。なのに」

 ここで、なぜか急にひときわ大きな声になり、

「音沙汰ナシ、ですね!」

 それからなぜかまた普通の声に戻り、

「てなわけで、しばらくは開店休業状態。その間、まずは村と、あと森にも慣れてください。まあそのうち依頼も来ると思いますので、その時はバリバリ働けるようにしておいてくださいね」

「はい」

「それじゃ」
 
 真面目なんだか、不真面目なんだかよくわからない娘がくるりと向きを変え、歩き出すとハンもまた逆の方向に歩き出した。



「どうだね、お前さんの見立てでは」

 カウカが戻ってくると、村長は尋ねた。

「いやあ、見た目は聞いてたまんま、ですね。ハンターってのはガッチリした体つきの人が多いんですが、ハンさんの場合一応筋肉はあるみたいだけどそれほどでもないし。それに顔も、わりと大きな傷跡があるのに印象が薄いってどうなんでしょう。話し方も真面目そうだけどなんか覇気がないというか……」

「うんむ。外見はな。ハンターとしてどうなのかはまだわからん。とりあえずさっきの金をどうするか見ることにしよう」

「なんでですか?」

「金の使い方を見れば、人となりが多少なりとわかるもんだ。ハンターの場合、気が強いとか、短気な者なら、金が入れば、まず今よりいい武器を買う。こういうハンターのモンスターとの戦いは短期決戦型、いちかばちかで一気にカタをつけようとする」

「ふんふん」

「逆に、慎重派だったり、あまり力に自信がない者はいい防具を買う。最初から長期戦を想定するわけだ。相手に隙を作らせながら、じっくりと時間をかけて戦うためには力尽きないことが何より重要だからな」

「でも、ハンさん、今インナーだけだし。とりあえず身につけるほうを買うんじゃないですかねえ。村長さんもそう言ってたじゃないですか」

「ハンター連中には見てくれなど一切構わぬ者も多い。防具の中には奇天烈な外見のものもあるが、いいスキルが付くとか、防御力が非常に高いとか、狩りが有利に進むのであればためらわず身につける。武器優先派なら極端な話、裸もいとわぬだろう」

 『スキル』とは武器や防具に付属する付加価値である。設計上の利点により動きやすく、モンスターの攻撃を避けやすいとか、軽量化により体に負担がかからないので疲れにくいとかいう実用的なものから、内側にお守りの文言が書き付けてあっていざというときに相手の攻撃が致命傷にならない、かも知れない、などという気休め程度のものまで様々だ。

「ああ、そういえば、街にあるギルドのカウンターでも、隣が歩けないほど大きな帽子とか、頭が三つあるのかと思うくらい肩がいかってるのとか、木像みたいなのとか、いろいろ見ましたよ」

「それにだ、荷物が流されたのだから、武器も無いではないか。今日は狩りの予定はないが、武器を先に買うかもしれん」

「そう考えると確かに何を買うかで、どんなハンターなのかなんとなく予想がつきますね。……でも、村長さん、ハンター心理にやけに詳しいじゃないですか。もしかして、噂されてるように昔ハンターだったとか」

「ふっふっふっ、長く生きておるからな。いろいろ知っておるだけだ」

「あやしいなあ。まあ、どんな人だとしても、ラギアクルスの討伐はしてもらわないと。私も全力でお手伝いしますよ」

「頼んだぞ」

「じゃあ、さっそく仕事を始めますか」

 カウンターに入るカウカ。

 このギルド支所はカウンターが一つと奥に少々の空間があるだけ、そのカウンターも直接外に面しているのでまるで屋台のようだ。そんなちっぽけな場所でも、この仲介役の少女はいそいそと床を掃いたり、カウンターを拭いて、その上に馬鹿でかい資料をドスンと載せたりしている。そして資料の頁を繰ったり、なにか書き付けたりしながら鼻歌を歌っている。生まれ育った村でギルド職員として働けることが嬉しくてたまらないようだ。



*****

 ハンが村長のところに戻ってきた。

「森に行きます」

「森?」

「シーガルさんがいます」

「なんだ、資源採集でもしておるのか」

「ベースキャンプを見に行ったそうです」

「キャンプとな?」

「必要なのです」

「ああ、ギルドのハンターが狩りをするにはキャンプが必要、そんな話であったな。そのキャンプ予定地の被害を見に行ったのか」

「そのようです」

「そうか、ではお前さんも行ってみてくれ。ああ、そうそう、これを」

 小さな、金属でできた飾りのようなものをハンに渡す。

「さっき会っただろう、ギルドのカウカからだ。森に出ることがあるようなら、耳につけて行ってくれ、だそうだ」

「耳飾りですか?」

「いや、装飾品ではない。なんでもギルドが新しく開発したものだそうな」

「そうですか」

 素直に左耳につける。

「じゃあ、頼んだぞ」

「はい」

 そこまでしゃべったところで、村長は改めてハンの全身を見る。ハンの服はまだインナーのままだった。

「ところで、なぜ服を買っておらん?」

「買いました」

「なに、どっこも変わっておらんじゃないか」

「これです」

 ハンは村長に向けて両手をひらひらさせた。ぱっと見では気付かなかったが、その両手に皮の手袋をはめている。

「……レザーグラブというやつだな。なぜだ?」

「手は大切です」

「ううむ、そうではなくて……他は買わんかったのか」

「買いました」

「うん? 何を買ったのだ?」

「回復薬と虫あみとピッケルを買いました」 

「雑貨屋にも行ったのか。なにかね、お前さんは武具屋で手袋だけ買って、それから雑貨屋で道具を買ったのかね」

「逆です」

「先に雑貨屋で買い物をしたのか。それで装備品はそろえられなかったと言うことか」 

「そうです」

「いきなりそんな買わんでもいいだろう」

「森に入るなら、準備がいると言われました」

「そりゃお姉さんにうまく乗せられたな」

 村の雑貨屋は通称『お姉さん』と呼ばれる若い女性が切り盛りしている。おしゃべりで気さくだが、商売のことも忘れない。 苦笑いしながら村長がハンの手元を見ると、片手に砥石を持っている。

「うん、それも買ったのか?」

「貰いました」

 この青年はどうも、断片的な話し方しかできないようだ。情報を想像し、補ってやる。

「雑貨屋でかね?」

「子供です」

「ほお、お前さんを気に入ったのかの。どの子だ?」

「わかりません」

「名乗らなかったのか」

「はい」

「訊いてやればよかったろうに」

「今度聞きます」

「そうだな、誰だったとしても、また会うだろう。村の子らはみなよい子だ、仲良くしてやってくれ」

「はい」

 ハンは頷いて、それからこう言った。

「研ぎます」

「ああ、森はそれからか、気をつけてな」

 言い終わってから、村長は考えた。

(研ぐ? 何をだ?)

 見ていると、まっすぐ村を出る桟橋には向かわず、ハンは昨夜から自分の住まいとなった小さな家に入り、程なくして出てきた。村長はその姿を見て気がついた。
 
「あやつ、武器を持っておる」

 ハンの腰には飾り気のない、片手剣と呼ばれる、ナイフより大きく、剣より短い武器があった。右手には、同じく何の装飾もない小ぶりの丸い盾を持っている。村長は昨日息子から聞いた話を思い出していた。

(荷物はほとんど流されたと聞いたが、武器は残っていたとみえる。それとも、咄嗟に武器だけを守ったのか)

 本当のところはどうなのだろう。村長にはわからなかったが、全体的にはみすぼらしいと言ってもいいその片手剣の柄には握りやすくするためかきっちりと布が巻かれ、金属の部分は、朝日を受けて輝いていた。

「よく、使い込まれておるようだ」

 村長は独りごとを言った。

「道具、それも一案か」

 ハンにとって、モガの森は始めての場所だ。慣れた狩場と違って、どこに何があるかまだわからない。どんな生き物がいるのかも。 

 そして自然の中では、いつ何が起こるかわからない。怪我をしてから薬草を探し回るより、最初から回復薬を持っておいたほうがいい。さらに、虫あみやピッケルを持っていれば、いい場所が見つかったときにすぐ採集や採掘ができる。狩りでは目当てのモンスターを追う以外には周りに目もくれないハンターも多いが、ちょっとした合間に採集や採掘をしておくと、武器や防具、道具の素材など、意外なところで役に立つこともある。もちろん売ってもいい。『ちりも積もれば』で、いつの間にか小金がたまる。何か欲しい武器や装備ができたとき、金が足りなくて慌てることもない。 

「なかなか、面白い」

 口に出して言ってから、村長は考え直した。

(深読みしすぎか。シーガルも言っておったように、お人よしなだけで何も考えてないのかも知れんしな) 

「村長さん、ちょっと来てください」

 あごを掻きながら、まだ考えていた老人に、カウカがカウンターの中から声をかけた。 

 

*****

 村から出る桟橋を渡り、坂道を登ったところに門があった。ここから外が、モガの森だ。

 簡単な木製の扉を開け、その先に作られた、村にモンスターが進入するのを防ぐための大きな落とし扉の下をくぐってハンが歩き出したところで、急に耳元で声がした。

「うんむ」

「ほあっ!」

 これまで、常に飄々としていたハンだが、さすがにこれには驚いたようで間の抜けた声を出す。しかしその後、とっさに前転をして体を低くすると、腰の片手剣を抜いて身構えた。声の主を探して、あたりをきょろきょろ見回している。 

 近くには誰もいない。

「わしだ、村長だ。わしの声が聞こえておるかの?」

「???」

「驚いておるな。さっき渡したものだ。わしも初めて使う」

 咄嗟に左耳に手をやるハン。

「わしは今、ギルドのカウンターにおる。それを使うと、離れたところにいる相手の声を聞くことができるのだ。こちらからはそっちの様子を見ることもできておるぞ。便利だのう」

 ハンも徐々に状況が理解できてきたようだ。

「聞いていません」

「おお、そっちの声も聞こえるな。カウカがびっくりさせた方が面白いと言ってな。今も横で大笑いしておる」

「……」

「とりあえず、まっすぐ行ってくれ、そこを抜けたらまたキャンプへの道を教えよう。では一旦切るぞ」



*****

 所変わって、こちらは村のギルドカウンター。

 村長とカウカ、それに一人のアイルーが、狭い隙間にしゃがみこんで、潮風に当たらないよう、カウンターの裏側に置かれた箱型の機械を見ている。ネコに似た外見の小柄な種族、アイルー族のルサはハンの世話係を務めている。身の回りの世話の他に、小屋の外にある風車の整備をする技術屋でもある。実はギルドから派遣されたれっきとした職員なのだ。

「うまく動いてよかったですニャ。緊張しましたニャ」

「ルサさん、お疲れ様です。発信は後でまたお願いすると思いますが、ちょっと休んでください。受信はルサさんがそこにいるだけでできますから」

「しかし、こりゃあまた、すごいもんだの。ハンも驚いておったようだが、実際わしもびっくりしておる。一体どういう仕組みになっておるのかね?」

「くっくっ。久しぶりに大笑いさせてもらいました。ハンさんびっくりして、変な声出してましたね」

 カウカはまだ笑っていたが、息を整えて説明を始めた。

「実はですね、これは一般の人にはほとんど知られていないんですけど、ギルドには通信員っていう役職があって、これ、アイルー族しかなれないんです」

「ほう、なぜだね」

「何でかと言うとですね、アイルーさんたちには色々不思議な力があるんですが、その一つが感覚共有というか、考えたことや、見聞きしたことをそのまま念波動に載せて他のアイルーさんに伝えることができるっていうものなんです。そうですよね、ルサさん」

「そうなんですニャ。その能力をギルドでは通信に利用しているというわけなんですニャ」

「うんむ、そうなのか」

「たとえば、ここに地方のギルド支所があるとします。で、こっちが本部とすると」

 カウカは床に指で簡単な図を描きながら説明する。

「その間の街道の、数里ごとに通信駅が設けられていて、通信員のアイルーさんたちが駐在しているんです。で、急ぎの連絡があるときはこれらの駅を経由して伝えられるわけです」

 図を描き終えると、顔を上げてさらに続ける。
 
「他には、ハンターさんが狩りに行く時ですけど、必ず『見守りアイルー』がついて行ってるんです」

「見守り、なんじゃそれは?」

「ハンターさんの邪魔にならないようにつかず離れずついていって、ハンターさんが大怪我をしたときにネコタクの救急車を呼んだり、狩りを中断することになったらギルドに連絡したりしてくれるんです。あと、密猟とかのズルをしないかも見ています。こっちは危険も伴いますから、通信員の中でも特に身体能力も優れた方しかなれないらしいです」

「見張りというわけか」

「見守りです。で、今まではアイルーさん同士しかこの通信ができなかったんですけど、最近、生ける伝説とまで呼ばれる重要無形文化財竜職人ルー氏の卓越した技術によって、このアイルー通信を受信できる機械が開発されまして」

「聞くからに只者ではないようだのう、その職人」

「ええ、百年に一人の逸材だそうですよ。で、その受信機なんですが、本当はまだ実用段階ではないんです。でも」

 カウカはここで誇らしげに声を高め、

「なんと、今回このモガの村で試験的に運用されることになったんです。カウンター用は音声と画像が受信できるスグレモノなんですよ。とはいえ見てのとおりこっちはかさばるし重いから持ち歩きはできません。ハンさんに渡した耳装着型は音声のみの受信機です。これも優秀な私が本部へ働きかけを行った賜物ですね」

 言い終わるとわざわざ立ち上がって腰に手を当てると胸を張る。

「……誰のおかげかはしらんが、それでこうしてハンターの狩場での動きを見たり、助言を与えたりすることができるわけか。ということは、あっちにもアイルーがおるのかね。その、見張りだか見守りだかが」

「今日はクエストじゃないから、見守りじゃありませんけど、森に通信の中継地を作っている通信アイルーさんに、一人行ってもらったんです」

「そうか、結構大掛かりなものだな」

「あ、そろそろまた道を教えないと」

「発信もいつでもできますニャ」
 
 ハンが今立っている場所からは、湾を見下ろすことができた。丘の端は切り立った崖になっており、陽光降り注ぐ高台と、未だ残る朝もやを通して遥か下の海岸線とが曲線を描いて大洋へと口を開けている。湾内の海は波もなく、穏やかだ。崖の途中に巣があるのだろう、海鳥が数羽、足元から風に乗って海へと飛んでいく。繊細で雄大、森と海の自然の豊かさは先ほど村長が自慢していたとおりだ。しばらくその景色を眺めた後、ハンは踏み固められた小道を先へと進んだ。

 丘を下る道の先に、川が流れるまばらな草原があった。山からの流れが岩壁を伝わってちょっとした滝となり、滝つぼの小さな淵から先は、浅い緩やかな流れが広がって草地を横切っている。中洲では、先が分かれ独特の形をした一本角を持つ、灰色に黒のまだら模様の大型の草食獣が四頭、草を食んでいた。

「うんむ」

 一瞬びくっとなるハン。だが、今回はすぐに通信だと気付いたようだ。

「今見えているのはアプトノスという草食竜だ」

「知っています」

「内陸にもおるかね。おまえさん、武器を持っておるな。ちょうどいい、そいつを狩って生肉を手に入れ、息子へ届けてやって欲しい。朝食もまだなのでな、そろそろ腹が減っておる頃だろう」

「わかりました」

 言うが早いか、群れへと向かう。体の力を抜いた、軽い走り方。警戒心の強い草食モンスターたちが接近に気付いているのに全く騒がないのは、別の草食動物が来た、くらいにしか思っていないからだろう。全く殺意が感じられない。

「うーん、なんか狩りの緊張感ってものがないですね」

「まあまあ、見てみようではないか」

 ハンはそのままのんびりした調子で浅瀬を渡り、中洲に踏み込む。一番近くにいたのは他よりも小さな幼体だった。簡単に倒せる、手ごろな獲物だ。しかし、ハンはその横をするりと抜け、先にいた二周りほど大きな個体に走り寄り、腰から片手剣を抜いた。

 空気が一瞬で変わった。

 一刀めで前脚を薙ぐ。

 周りの草食竜たちは急に落ち着かなくなり、逃げ出し始めた。

 筋を斬られて膝を折ったモンスターの首の位置が低くなる。ハンは上体を半回転させるようにねじって右腕を振りかぶり、戻す勢いで下がってきた頭部の眉間に盾の縁を叩きつけた。アプトノスの目が虚ろになると、今度は左手の片手剣で首に斬りつける。

 首には頚骨があり、鋭利な刃物でも簡単に斬れるものではない。しかし、骨と骨の境目を見極め、鋭い切れ味の刃物で要所を的確に斬れば、一刀で首を落とすこともできる。太刀や大剣と違って刃渡りの短い片手剣では、さすがに斬り落とすまではいかなかったが、大型の獣の首は半分ほども大きく裂け、噴水のように血が噴き出した。噴出する血の勢いで傷口がさらに大きく開く。浅瀬を流れる水は朱に染まった。

 その後徐々に血の噴出量が少なくなると、モンスターは体を横にし、どうと倒れこんだ。しばらく体を痙攣させた後、動かなくなる。

 完全に死んだことを見届けてから、ハンは小型のナイフに持ち替え、皮を剥ぎ、肉を切り始める。

「よし、なかなかの腕前だ。わしの若いころをみておるようだわい!」

「なかなかじゃないですニャ。かなりの腕ですニャ」

「村長さんの若いころなんてどうでもいいですよ」

 村長は二人の言葉を聞き流し、ハンに届くようアイルーに向かって話しかけた。

「ハンに送ってくれ」

「はいニャ」

 アイルーが耳を向ける。

「生肉を手に入れたら、せがれのところに届けるのを忘れんでくれ。頼んだぞ」

 カウカはだれに聞くともなく呟いた。

「なんであれで〈良〉だったんだろう?」

 倒れたアプトノスの死体から肉を採っていると、別の一頭がハンに向かって体当たりを仕掛けてきた。アプトノスは一般的に温和な性質だが、群れが攻撃を受けたときの反応は個体によって差がある。急いで逃げ出すもの、子を守ろうとするもの、まれにだが、中には反撃をしてくるものもいる。これもそんな一頭らしい。とはいえ、鋭い牙も強い爪も持たない草食竜が助走もなしで体当たりや頭突きをしてきたとしても、たいした攻撃力はない。ハンターならたとえ攻撃を仕掛けられても、さらにそいつを狩るくらいは朝飯前だ。村長、カウカ、ルサ、カウンター内にいた全員がハンはこの新たな獲物も難なく狩るものと信じて疑わなかった。

 ところが、ハンは手を止めると、くるりと背を向けると走って逃げ始めたのだ。

 草食の竜アプトノスから逃げるハンター。三人はそんなハンターなど初めて見た。

 場の空気もまた、さっきまでの凄惨な雰囲気から打って変わって、間の抜けたものになった。

「うわあ、めちゃめちゃ走ってますね」

「何をしておる! 肉はどうするのだ?」

 村長はこの予想外の光景に興奮して叫ぶ。

「これは、やっぱり〈良〉ですか? いやむしろ〈可〉でもいいのでは?」

 村長の慌てふためきようを尻目に、看板娘はまた呟いた。
 

 草食竜は相手が逃げ出したのを見て少しの間追うようなそぶりを見せたが、ハンとの距離が広がると、向きを変え、逃げていった群れの後を追った。

「採れました」

 落ち着いたハンの声が受信機から聞こえてくる。村長は我に帰った。

「そ、そうか、ならいいが……。ああ、そこを右に入ったところがキャンプだ」

 一瞬興奮したことを恥じてか、後半はことさら平坦な声で言った。

「子どもを狩らないなんて、ハンさんって優しいんですね。いい人ですね」

 カウカは受信機に写るハンの姿を見ながら言った。もちろんこれは通信ではなく、その場にいる者たちに向けての発言だ。

「まあ、今回は、な」

 村長は苦笑いをしながら返した。

「どういうことですニャ?」

「野生生物の親子がいた場合、どちらかを狩らねばならぬとしたら、親と子、どちらを狩るかね?」

「子どもを殺すのは可哀想じゃないですか。親を狩りますよ」

「アタイもそう思いますニャ」

「しかし、厳しい自然の中、守ってくれる親がいなくなって子が生き延びられる可能性はあるかな? 残された子は飢えて死ぬか、他のモンスターに食われるか、いずれにしても遅かれ早かれ、死んでしまう。短絡的な感傷は自然界では通用しない。親を狩るくらいなら子か、いっそ両方を狩るのがハンターだ」

「じゃあ、ハンさんはハンターとして失格ということになるんですか?」

「そうとも言えん。アプトノスは群れで生活しておる。母子だけでいるのと違い、親が死んでも群れが守ってくれるだろう。」

「じゃあ、どうなんですニャ?」

「まあ、そこまで考えておったとしたらだが、今回のあれはいいのではないかということだ」

「あと、なんで逃げたんでしょう?」

「わしが思うにはだな……」

「ちがいますニャ、アタイの考えでは……」

 狭いカウンターの後ろで受信機の映像を見ながら、ハンの狩りに対してそれぞれが自分の感想をああでもない、こうでもないと話し続けた。



*****

 ベースキャンプ。

 ギルドから依頼を受けたハンターが最初に向かう場所。モンスターが来ない安全な場所に作られ、休憩用のベッドや狩りで使う支給品の入った箱、それと物品を納める依頼で使う納品用の箱が設置されているのが普通だ。だが、今のこの場所はとてもキャンプと呼べるようなものではなかった。

 小船が係留された小さな船着場の脇、波に削られた巨大な岩が天然の屋根となったその場所には、布、材木、箱などが散乱していた。散らかった資材や物資を前に、一人の男が立っていた。頭頂部に小さな髷(まげ)を結った、背の高い、がっしりした体。村長の息子のシーガルだ。

「うーん、まいったな」

 カウカから、ハンターが狩りをするにはベースキャンプが必要だと言われ、村人が釣りや採集で得た品の運搬に使っていたこの船着場の横をキャンプ地として確保したのは良かったが、昨日の地震で半分ほど組んであった休憩所が崩れてしまったのだ。

 柱は倒れ、天幕も地面に落ちている。工具を入れておいた箱も倒れた柱に当たったのか、ひっくり返って中身が散乱していた。

「さて、どっから手をつけたものか」

 シーガルは腕を組み、考えこんでいる。

「シーガルさん」

 振り返ると、昨日村に着いた新人のハンターが、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。

「おお、ハン。お前さんか。よく来てくれた。早速森の見回りか?」

「ちがいます」

「じゃあなんだ?」

「探しにきました」

「俺を? そりゃわざわざすまなかったな。だが、ちょうどよかった、これを見てくれ」

「壊れています」

「ああ、ハンターが狩りをするためには必要だと聞いてな、作ってたんだが、ここモガの森も最近頻発する地震であちこち被害を受けている……ま、そんなわけでここもご覧の通りってわけさ。ひどいもんだぜ。まずこいつを修理しないとな。ところで」

「はい?」

「何か食べるもの持ってないか? 朝飯もまだなもんでな、もう腹が減って腹が減って」

「持ってきました」

ハンは腰につけたもの入れから布に包んだ肉を出す。それを見るとシーガルは嬉しそうな声を上げた。

「おお、うまそうだな! それを俺にくれるのか?」

「頼まれました」

「こいつはありがたい! こんがり焼いておいしくいただくとしよう。俺はこいつを食ってから帰るが、お前さんも一緒にどうだ? 腹は減ってないか?」

 早速、散らばった残骸の中から折れた木材を拾いながらシーガルが訊いてくる。焚き火をしてそこで肉を焼くつもりらしい。

「減っていません」

「そうか、じゃあ待たせるのもなんだから先に帰っておいてくれ、キャンプの修理は村で落ち合って相談することにしよう」

「はい」

「それじゃあ、よろしく頼んだぜ」



*****

 村に帰ってきたハンを、村長はギルドカウンター前に置かれた腰掛に座って出迎えた。

「ご苦労だった。少しだが、これはお礼だ」

 金を渡す。

「ありがとうございます」

「キャンプはどんな様子だ?」

「壊れていました」

「そうか、修理が大変そうだな。まあ、そっちはせがれが何とかするだろう。ところで、カウカがお前さんを優しいと言っておったぞ」

「なぜですか?」

「アプトノスの子を狩らなかっただろう」

「たくさん取れるからです」

「肉がか? そんなにいらなかったではないか」

「自分の分も採りました」

「ほお? 抜けめないな」

 村長はさらに続けた。

「攻撃を仕掛けてきたもう一頭も狩らなかったではないか」

「防具がそろっていません」

「危険を避けただけだと言うのか。余分な殺生を避けたのではないのか?」

 村長は混乱してきた。

 自分達はあの後いろいろと討論し、ハンの行動はすべて優しさから出たものだという結論に達していた。それなのに、こいつは一つ一つに別な理由をつけている。

「それに、あのアプトノスの倒し方、何度も攻撃をせずに失血死するのを待ったのは、苦痛をできるだけ少なくするためであろう?」

「血抜きのためです」

 動物を殺して、その肉をそのまますぐ食べると加熱しても血なまぐさい。家畜の場合は首を斬って殺した後、逆さに吊るして血を抜いてから肉を処理する。狩りの現場では吊るすことができないので、できるだけ血を抜くために動脈を斬ったと言っているのだ。

 いちいち筋が通っている。本当に自分達の勘違いなのか? そのとき村長はもう一つ、見ていたときに気付いたことを思い出した。

「では、その前に盾で殴ったのは? 殺すだけならあれは必要なかった。見ていたが、お前さんはかなりの腕だ。あれなら、すぐ首を斬ることもできたはずだぞ。意識を朦朧とさせて少しでも苦痛を感じさせないようにさせたかったのではないのかな?」

 それを聞くとハンは首をかしげてしばらく考え、答えた。

「そうなのかも知れません」

「なんじゃ、自覚しておらんかったのか?」

「考えたことはありません」

「アプトノスはおとなしいモンスターだ。一方的に乱暴を振るうのは後味が悪かろうな」

「そうです」

 頷くハン。それから急に顔を上げて言った。
 
「帰ってきました」

 村長がもう少し突っ込んで話をしようと口を開いたときだった。振り向くと、息子がこちらに向かって歩いてくるところだった。

「相談をします」

「そ、そうか。それではな」

「失礼します」

 ハンはそう言うと、背を向けて歩き去った。

 (単に優しさのあるハンターなのだと思っただけだったが、何かもっと奥が深そうだの。面白いハンターがやって来たもんだわい。あやつが凶暴なモンスターを相手にしたときはどう戦うのか、早く見てみたいものだ)

 老人の目が『村長』から、何か別のものに変わった。年老いた男は、何かを思い出すように、海に目をやった。
 




第三話 ハートに火をつけて

 ―――――ここモガの村は二重通貨となっている。

 今から数十年前、現村長他数人が優良な漁場であるこの辺りでの漁の拠点として、この島に港や資材置き場を作った。

 その後、島が気候もよく、資源も豊富なことから、家を建て、妻子を呼び寄せて移り住む者が出始めた。それに伴い商売をする者、道具や武具の職人、農業技術者などがあるいは自発的に、あるいは請われて家族とともに移住してきた。

 そうして発展してきたのがこの村だといわれている。

 初期の頃はまだ定期の船便もなく、住民達は村の産物を街で売るために一旦集め、まとめて自分達の船で輸送していた。これらを街で現金に変えた後、村での生活に必要な物資を購入し、持ち帰って配分していたという。そこから自然発生的に、村の産物・資源を一括管理する協同組合が生まれた。この組織内で資源と物資の交換の効率化のために使われ始めたものが、現在ある村の専用通貨『(資源)ポイント』の起源らしい。

 現在では、商人や職人など、直接外部と取引をする者を中心に国の通貨である『ゼニー』も流通してきており、現在村ではこの二種類の通貨が混在している。大まかには農産物関係や漁業関係といった、村の中で生産され、消費されるものには『ポイント』が、島の外から商品や材料を仕入れている雑貨屋や武具屋では『ゼニー』が使われている。飲食店のように両方使えるところもある。しかし、このあり方は煩雑なため、今後長く続くものかどうかは懸念される。多くの辺境の村での前例のように、いずれこの地域通貨も中央の公式通貨である『ゼニー』に統一されてしまう日が来るのだろうか。 ――――――

    (『辺境の暮らしと文化 第五巻 南方諸島地域』 キヤ・ゼロン著 王立図書館蔵書 より)



1.

 村長の息子、シーガルはそろそろ『ポイント』をやめ、村の資源関係の通貨も『ゼニー』に統一したほうがいいのではないかと考えている。以前にも父親との雑談でそれとなく触れてみたのだが、村長は愛着ある『ポイント』を廃止するなどとは考えてもいないようだ。多分他の古老達も同じ考えだろう。

 村の発展のためには変化も必要だが、創設者達の意思は尊重したい。外部から来た人間には煩雑なこの二重通貨も、村人達は慣れているせいか、現在特に不満の声もない。シーガルも頭の中とは裏腹に、村の定例会議にもまだ、通貨の問題はかけられないでいる。

 村のことは『ポイント』で決済する。今はまだ、これが決まりだ。

 頻発する地震と近海で起こる海竜の被害、この二つの問題を解決するため、村はハンターの要請を決めた。来るべきハンターの使用に供するため、村では狩りの拠点となるベースキャンプの準備を進めていたのだが、これが先日の地震で壊れてしまった。

 ベースキャンプを修理するのにも『ポイント』が必要になる。ギルドから派遣された新人ハンターのハンは赴任初日にあった地震の後片付けに続いて、キャンプ修理のために奔走しなければならない羽目になった。なかなか正規の狩りができるようにならないが、本人は何も表に出さず、後片付けなどの雑用を、村人に請われるまま、黙々とこなしている。



2.

「ここにもいねえな。この辺はよくうろうろしているのを見るんだが、こんなときに限っていねえもんだな」

 今日、ハンは村人と一緒に森に狩りに来ている。島内を、獲物を求めて歩き回っているが、まだ目当てのモンスターには出会えていない。

「やっぱり、あそこだろうなあ」

「『ジャギィの棲み処(すみか)』か。そうだな、あそこなら沢山いるだろう」

 通常ハンターは、ギルドからの依頼を受け、自分ひとり、または他のハンターと組んで一緒に狩りをする。獲物は一部を狩ったハンターが得、残りはギルドのものになる。しかし、今回はギルドの依頼によるものではない。村の、村による、村のための狩りである。獲物の一部をハンターへの報酬とするところは同じだが、残りはハンター用ベースキャンプの修理と村の共有財産にあてられる。

 モガの村では、国が行う自然環境の調査に協力している。この地域には独自の生態系があり、国の調査は始まってまだ間もない。村は時に採集した標本や、珍しい生物の目撃情報を、中央の研究機関に送っている。その手段や見返りとしてある程度森での自由な狩りや採取が認められているのである。



*****


「今日は、ちょいと狩りをして欲しいんだが」

 朝、やって来たハンに対し、シーガルはそう切り出した。村の資源庫。シーガルは一日の大半をここで過ごすことが多い。この青年は年老いた父親に代わり、この資源庫の管理をはじめ色々な村の雑事を取り仕切っているのだ。ハンも村に到着して以来、シーガルの指示に従って働いている。

 ハンは今日、インナー姿ではない。要所要所を皮革で補強した、身軽な上下を着ている。ちょっとした狩りや採集なら十分な装備だ。数日前の『おつかい』で村長から貰った礼金で、やっと服が買えたようである。

「行きます」

 何をどこで狩るのかも言わないうちに、返事が返ってきた。

「おお、頼もしいな。だが、忘れてないだろうな。この村ではまだ、ギルドからの正式な依頼をこなしてもらえる状態じゃない。普段お前さんがやっているのとはだいぶ違う形になると思うが、やるかね?」

「やります」

 淡々とした外見からは何を考えているのかわからない。が、シーガルは再びの即答に、なんとなくこの男は喜んでいるのかもしれないと感じた。
 
 そして、説明する。壊れてしまったキャンプは修理しなければいけない。必要な物資の調達や修理に際して働いてもらう村人に払う謝礼として『ポイント』が必要だ。『ポイント』を手に入れるためには資源を手に入れなければならない。資源は色々あるが、狩りで得られるものが高価値で効率がいい。

「……」

 ハンは説明をおとなしく聞いてはいるが、何も言わない。時々靴を見ている。

「……まあ、こんなことはどうでもいいか」

 シーガルは状況の説明は早めに切り上げることにした。

「ジャギィは知っているか?」

「聞いたことはあります」

「前に街から来た観光客が言っていたが、内陸にはギアノスとかイーオスとかっていうのがいるそうだな。そいつらにちょっと似ているらしいぞ。立って二足歩行をする細身の肉食竜だ。走るのが速い。跳躍力もかなりある。大きさは直立すると人間よりちょっと大きいくらいだな。どっちかって言うと小型の部類に入るんだろう。」

 ハンはやはり黙っているが、今度は一つ一つ頷きながら聞いている。

「一頭一頭はそれほど強いわけでもないんだが、厄介なことに、いつも数頭で群れになってる。囲まれると危険だ。ただ、こいつらは火が苦手なんでな、俺たちが森に入るときは、松明(たいまつ)を持ち歩くようにしてる。それで追い払うんだ。」

「外見にはどんな特徴がありますか?」

 今度は自分から質問してきた。

「そうだな、全体は桃色、背中なんかは紫がかってるところもある。尻尾は先細りで長い。顔は細長くて、頭の横にギザギザの、なんだろうあれは、耳だと思うが、ひらひらしたものがついてる。こんな感じだ」

 シーガルは両手を頭の横につけ、動かして見せた。

「あと、メスは体が少し大きくて、色が地味だ、灰色がかった焦げ茶色と言うか。耳も大きいことは大きいが、細長くて垂れている。こっちはジャギノスと呼ばれてる」

「やや小型。走るのが速い。群れで行動する。耳が大きい。火が苦手」

 ハンは独り言のようにシーガルから聞いたことを繰り返す。それから、

「準備をしてきます」

といって一旦家に帰った。



3.

「この先が、ジャギィの棲み処だ」

 先頭を歩くシーガルが立ち止まり、細い道の先を指し示す。すぐ後ろにハン。ここまでの道のりで、シーガルはハンに森を案内してきた。砥石が拾える岩場、虫がたくさんいる草地、キノコが生えている木陰。地元民だけが知っている便利な場所をあちこち教えながら来たのである。少し離れて村人達が荷車を引きながら歩いてくる。

「準備はいいか?」

「はい」

 一行は薄暗い谷に入っていく。



 その谷間は周囲の山に光を遮られ、昼でも薄暗い。日当たりが悪いせいで、ほとんど植物も生えていない。あちこちに大きな岩が転がっており、空気はひんやりとしている。モンスターの食べかすだろうか、ところどころに骨や、半分干からびた生き物の残骸がある。風があまり通らないため、こもった空気の中には腐臭が染み付いていた。

 そこでは、何頭ものジャギィ、ジャギノスが歩き回ったり、寝そべったりしている。奥に見える洞穴からも出入りしている個体がいる。中には持ち帰った獲物を巡って小競り合いをしているものもいる。

「いきなり突っ込むなよ。群れに囲まれるとやっかいだ。こっちに近づいてくるやつがいたら、そいつから狩るといい。」

 シーガルが指示を出す。

 ハンたちは、大岩の陰に隠れて様子を伺っていた。荷車は目立つので、へたにモンスターを刺激しないよう、ここに来る手前で置いてきている。

「狩った個体はその場では剥ぎ取りせず、荷車で持ち帰るからな。倒したら運搬は俺たちがやる。運搬中に襲われそうになったら松明で追い払うが、ヤバそうになったら援護してくれ。慣れない獲物だろうが、できるか、ハン?」

 ハンはモンスターの群れをじっと見つめている。シーガルの言葉にも返事をしない。

「ハンターさん? ハンさん!」

 一緒にいた村人の一人、おとなしそうな中年の猟師オトが見かねてハンの肩を叩き、声をかけた。
 
「はい?」

 振り返る。

「シーガルの話、聞いてるのかね? 大丈夫か?」

 ハンは目を覚ましたばかりの子供のような顔をした。

「すみません、聞いていませんでした」

「ダメじゃねえか。ちゃんと協力してくんねえと」

 また別の村人、大きくがっしりした体つきの猟師ガイカンが苛立ちを含んだ声で言う。

「あんたがしっかりしてなきゃ、うまくいくものも行かなくなっちまうんだからな」

「すみません」
 
「まあまあ。ハン、もう一度言うから、今度はちゃんと聞いてくれよ」

「はい」

 シーガルは再度ハンに段取りを説明した。


 待っていると、一行が隠れていた岩のそばに一頭近づいて来た。

「来たぞ、今だ!」

 今回は草食竜を倒したときとは動きが違った。ハンは一瞬で跳び出して行き、不意をついて盾で頭を殴った後、片手剣を振るう。モンスターは突然の攻撃に怯んだが、すぐに反撃をしてきた。牙をむいて突っ込んできたと思うと、急に跳びさがり、変則的な動きを繰り返す。初めての獲物で、やはり勝手が違うせいか、ハンの動きは先日アプトノスを狩った時のように滑らかではなく、どことなくぎこちない。間合いがうまく掴めなくて空振りをすることもある。しかし、徐々に慣れて攻撃が的確に相手を捉えるようになると、そこからは早かった。
 
 ギャウウウルッ

 とどめの一刀を受けたジャギィが倒れて動かなくなった。

「それっ」

 村人達が岩陰から出て、死体に駆け寄った。三人で担ぎ、谷間から運び出そうとする。
その姿を見つけ、数頭のジャギィが駆け寄ってきた。

 今度は人間達が、モンスターから獲物とみなされたのだ。

 小型とはいえ、尾の先まで入れると人の倍近い長さである。三人がかりでも簡単には運べない。モンスターの接近に気は急くが、走ることもできない。もたもたしているうちに、さらにジャギィの数が増えてきた。


「こらっ!」

 一人の女性が手に松明をもって村人たちとモンスターの群れとの間に割って入った。この女性、キビトは初日にハンが地震の後片付けを手伝った家の者で、ガイカンの女房である。それ以来、村の広場で会うたびに何かと声をかけてくれる。鉄火な性格の多い海辺の人間には珍しく、言葉や振る舞いが上品な温厚そうな女性だ。しかし、今はいつもと違う。

「モンスターどもめ! こっちに来るんじゃないよっ!」
 
 普段とはうって変わった激しい口調で叫びながら、松明を大きく振り回す。

 舞う炎を見て、ジャギィたちは怯んだが、遠巻きにしながらも近づく機会をうかがっている。

  アウッ!
  オウッ!

 近づけないままに威嚇の声を上げる。

「あっち行け! えいっ、えい!」

 一般の人間にとって肉食モンスターはやはり恐ろしいものだ。強気にふるまっていても内心には恐怖があるのだろう。キビトの頬は紅潮し、声が裏返っている。しかし、逃げるわけには行かない。恐怖を振り払うように、松明を振り続ける。

 火を恐れるジャギィたちは、それ以上近づけなかった。松明を突きつけられ、あきらめて背を向け、逃げ出すものもいる。

「よし、大丈夫だ」

 シーガルが言ったときだった。

「きゃあっ」

 悲鳴が響き渡った。キビトの周りに胴の部分だけで一抱えほどもある巨大な甲虫が四、五匹飛び回っている。

「ブナハブラ!」

 この虫というには大きすぎる虫は、ジャギィとは逆に炎をめがけて飛んでくる習性がある。そして、興奮した虫はそこにいる者に向かって尻から酸の混じった体液を噴射してきたり、同じく尻にある針で刺してきたりすることもある。この針で刺されると、体がしびれてしばらく動けなくなってしまう。それ自体は命にかかわることではないが、肉食モンスターの群れに囲まれている状態ではどうなるか、想像するだけでも恐ろしい。

 キビトは松明を手に持ったまま、その場にしゃがみこんだ。ガイカンは運んでいたジャギィの死体から手を離し、キビトをかばおうとする。腰から漁師たちがいつも持っている小刀を抜いて振り回すが、空中で止まったり、急に上昇したりする虫の動きに振り回され、短い小刀ではなかなか当たらない。

「やばいぞ」

「火を消せ」

「しかし、ジャギィが」

 皆が混乱していると、ハンが駆け戻ってきた。片手剣を振り、虫たちを落としていく。

「ふう、助かった」

 落ち着いたと思うまもなく、さらに多くの甲虫があちらからもこちらからも飛んでくるのが見えた。

「きりがないぞ」

「仕方ない、一旦退こう」

 ジャギィの死体をあきらめると、一行は慌てて谷間から逃げ出した。



4.
 
 谷間を出、さらに走って小川の流れる草地に来たところでハンたちは立ち止まった。それぞれ川の水で喉を潤したり、草の上に腰を下ろし、息を整えたりする。キビトはブナハブラの酸液が腕にかかっていた。顔をしかめながら、川の水で洗い流している。液がかかったところは赤く腫れていた。オトが近くから薬草を摘んで来て、よく揉んでから腕に当ててやる。その薬草ごと腕を押さえながら、キビトは言った。

「ふう、やっぱり『棲み処』は危険ね」

「ああ。ジャギィだけなら松明で追い払えるが、火を使うとブナハブラが来る、今日はまた、特に多いようだ、困ったな。今日はあきらめて別のヤツでも狩るかね」

 これはオトだ。座り込んでいたガイカンは立ち上がり、ハンの前に来た。日に焼けた、岩のような体躯の大男がしかめ面をして立っている光景はかなり威圧感がある。

「ハンターさんよ、狩りはお前の領分だろう? 何かいい方法はねえのかよ?」

 ハンは返事をしない。

「お手上げか? このあたりの生き物のことは良く知らねえんだろう? だからよそ者のハンターなんか呼んだって無駄だって言ったんだ」

「よせよ、今ここでハンさんにからんでもしょうがなかろう」

 オトがとりなしてくれるが、ガイカンは止めない。

「この島のことは、俺たちがいちばん良く知ってんだ。いつもは魚が相手だが、モンスターを狩ることだってあるんだからな。ラギアクルスだかなんだか知らねえが、俺たちが力を合わせりゃ追い払えるはずなんだ。それをわざわざ金を払ってよそ者に頼むなんて……」

 ガイカンはもともとよそ者に対しての警戒心が強い上に、漁師としての誇りがハンターを認めたくないのだろう。自然を相手に命のやり取りをしているのは何もハンターだけではない。海の男たちも、一旦漁に出れば船底の板一枚を隔てた下は地獄とまで言われている。海のモンスターともやりあうこともある。修羅場をかいくぐってきた強さを持っている。それなのに、今回は自分達では手に負えないと判断され、よそからハンターが呼ばれた。村の決定とはいえ納得がいかない。

 ガイカンは座ったままのハンの前を行ったりきたりしながら、ここぞとばかり不満をぶつけてくる。しかし、それでもハンはまだ、地面を見つめたまま、じっと黙っている。

「おい、何とか言ったらどうなんだ?」

 業を煮やしてガイカンは声を荒げた。

「松明に使う油を、持って来ていますか?」

 ハンは急に顔を上げると、全くかみ合っていない返事を返した。
 
 乾いた木の棒に火をつけても松明としては使えない。持って歩いているうちに風で簡単に火が消えてしまうからだ。松明には、油をしみこませた布を先に巻きつけ、そこに火をつけたものを使う。これなら簡単には消えない。村では水生獣の脂肪からとった油を使っていた。
 
「油? あるこたぁあるが?」

 ガイカンは逆に質問されたことに意表をつかれ、鼻白む。

「あるだけ譲ってください」

「何をするんだ?」
 
「ジャギィを狩ります」

「どうやって?」

「火をつけます」

「火をつけんのは当たり前だろう。松明用の油なんだから。その火でどうやって狩るかって訊いてんだ!」

 ただでさえイラついていたガイカンは、このやり取りに完全に頭にきたようだ。このハンターは、まともに話ができないのか。今にもハンの胸倉に掴みかかりそうな勢いだ。

「落ち着け、ガイカン」

 割って入ったのはシーガルだった。
  
 口下手なハンと短気なガイカン。お互いに相手を良く知らないうちはうまく意思疎通ができなくても無理はない。下手をすればケンカだ。もっとも手を出すのはもっぱらガイカンのほうだろう。シーガルには、ハンが乱暴をするとは思えなかった。少なくとも、人間相手には。

「そうよ。ハンさんには、何か考えがあるんじゃないかしら。なんといっても狩りの専門家なんだし。ここは一つ、油を渡して後は任せましょう」

 キビトも助け舟を出す。

「任せる? こいつに何がで――」

「黙って、ガイカン」
 
 キビトの言葉に、ガイカンは冷水を浴びせられたかのように黙り込んだ。普段は強気なこの男、実は女房にはめっぽう弱い。一方キビトは、先ほどのジャギィとのやり取りでも見せたように、決してただ上品だけのおとなしい女房などではないようだ。家庭で主導権を握っているのは、むしろこの女性のほうではないだろうか。
 
 ガイカンがおとなしくなったので、それ以上不満を言う者はいなくなった。村人達はそれぞれが持っていた油の瓶(びん)をハンに渡す。

「……ハンさん、怒らないでくれな。気は短いが、ガイカンも根はいい奴なんだ」
 
 オトは油を渡しながら、小声で言う。ハンはきょとんとした顔で答えた。
 
「何をですか?」

「ガイカンがさっきお前さんにからんでただろう」

「そんなことがあったのですか?」

 本気で驚いている。オトは言葉に詰まった。あれだけ大声でまくし立てていたガイカンの言葉を、この男は聞いていなかったのか。

 瓶を皆から受け取ると、その場に置き、ハンは立ち上がった。
 
「少し待っていてください」

 言い置いて、どこかに言ってしまった。



*****

「あいつは何をするつもりなんだ? 本当に考えなんかあると思うのか?」

 ガイカンはまだ、納得できない様子だ。シーガルが答える。

「わからん。だが今は任せてみよう。失敗したらそれから考えればいいだろう」
 
「失敗だと、失敗なんかしたら村から追い払ってやる」

 周りに聞こえるような声ではっきりと言い放つ。シーガルはこの言葉には取り合わず。提案した。

「元は資源調達に来たんだ。ハンが戻るまで、ぶらぶらしててもしょうがない。この辺りで何か採っておこうじゃないか」

 促されて、他の者たちは散らばって蜂蜜や薬草などを採集し始めた。ガイカンもまだぶつぶつ言いながらも、倒木をひっくり返してキノコを探し始める。



*****

 その後、かなり長い間経ってからハンは戻ってきた。そして、座り込むとなにやらごそごそし始める。

 また時間が経った。

 とうとうハンは立ち上がった。その手には縄のようなものを持っている。

「行きましょう」

 村人達は顔を見合わせた。
 
「こんだけ待たせといて、侘びもなしか」

 これもガイカンだ。それでも皆と一緒に、どんどん歩いていくハンに遅れないよう後を追った。



5.

 一行は、ジャギィの棲み処である谷間に戻ってきた。日は既に西に傾き、谷間を囲む山の切れ間から、一日の最後の光が微かに差し込んでいた。すぐに暗くなってくることだろう。全員で岩陰に身を隠す。ハンは持ってきたものを一旦地面に置いた。

「ここで待っていてください」

 そう言うと、ジャギィの群れの方に向かって歩いていった。

 モンスターたちはすぐにハンに気付き、次々と寄ってきた。ハンは戦うでもなく、襲い来る牙や爪を避けながら逃げ回っている。時に立ち止まり身を低くすることもあるが、ジャギィの攻撃に当たることはなかった。

 二分、三分、四分。攻撃を受けることなく逃げ続けていられるのは卓越した体術の賜物であろう。が、自分も傷を負うことはないが、相手にも全く攻撃することもしない。さんざん逃げ回った挙句、一旦別の方角に逃げ、モンスターたちをまいた後、遠回りをして岩陰にもどってきた。

「ガイカンさん」

 呼ばれた男は、無言で顔を上げると、ハンと目を合わせた。その目はまだ厳しい。

「あの岩の横、地面が白くなっているところが見えますか?」

「ああ、見えるが? それがどうしたんだ?」

「合図をしたらあそこにこれから置くものに松明を投げつけて、火を点けてください」

「何で俺に頼む?」

「ガイカンさんは勇敢な方です」

 目をそらさずにそう言ってから、付け足す。

「キビトさんを虫から守りました」

「う、……まあ、女房だからな。 ああ、でも確かに臆病ではないぞ。俺は」

 なぜか恥ずかしそうに顔を背けたガイカンをそのままに、ハンはシーガルに向き直った。

「シーガルさん」

「おう?」

「あそこの少し地面が盛り上がっているところ、シーガルさんは、あそこに火をつけてください」

「わかった。だが、俺は別に勇敢じゃあないぞ」

 シーガルはハンの反応をうかがうように見た。

「責任感があります」

「…・・・ぶっ」

 にらめっこのようにお互い見つめあった一瞬の間の後、シーガルは吹き出した。

「そうきたか、じゃあ、がんばらないとな」

 ハンは真顔で頷く。

「あー、俺はたしかにそんなに勇敢でも、責任感が強いほうでもないが」

 聞いていたオトが話に入ってきた。

「足は速いほうなんだがね」

「あら、それなら私だってうちの人より早く走れるんですよ、ハンさん。」

 キビトも加わる。

「お二人もいい人です」

 言った後、ハンは黙り込み真剣に悩み始めた。二人をないがしろにしたと責められたと思ったのだろう。こんなところで延々悩まれたのではかなわない。慌ててオトが取り消す。

「いや、冗談だ。俺はものを投げるのは苦手だから、遠慮したほうがよかろう」

 キビトは悩んでいるハンの姿がおかしかったのか、くすくす笑いながら言う。

「私もさっきので、まだ腕がひりひりしているから、やめておきますよ」

「じゃあ、決まりだな。俺とガイカンが行こう」

 シーガルの言葉にハンはやっと顔を上げ。次の指示を出す。

「火を点けたら急いでここに戻って隠れて下さい」

 そういって今度は縄を持って出て行った。

 さっきと同じように、逃げ回っているように見えたが、今度は持っていった縄を繰り出しながら移動しているようだ。
 
 見守る村人達にも、だんだんとハンの狙いがわかってきた。

 縄をすべて出し終えた。全体で大きな円を描くように置かれており、先ほど二人に指示をした場所から別の二本が両端に繋がっている。ハンは中央で立ち止まった。腰につけたもの入れの中から生肉を取り出し、足元に置く。肉の匂いを嗅ぎつけたジャギィ達は、興奮した様子で集まってきた。

 その中心にいるハンは、武器を構えてもいない。オトが心配そうに言った。

「うまくいくかな」

 ごく自然な様子で、立っている。それを見ながらガイカンが言う。

「いかなきゃ、やられっちまうんだろうよ」

 モンスター達の牙が、爪が、地面の生肉と、その前に立つハンに迫ってくる。シーガルは落ち着いていた。

「あいつなら、大丈夫だ」

 ジャギィたちがハンを囲み、跳びかかろうと身構えた。キビトは両手をあわせて見守っている。

 ハンが手を挙げ叫んだ。

「点けてください!」

「おうっ!」

 男たちは跳び出すと、ハンに指定された場所に松明を投げつけ、急いで岩陰に駆け戻った。

ぶしゅうううう。パン!パパン!

 鈍い音に続き、乾いた破裂音がした。一瞬空き地一面がまぶしい光に包まれ、その後火の海になった。

 いや、そう見えただけで、実際はハンが地面に設置した縄が燃えているのだった。最初に出たとき、ハンはジャギィたちからただ逃げ回っていたのではなかった。持って来ていた干した火薬草の粉と、爆薬を少しずつまとめたかんしゃく玉程度の爆弾を地面にばら撒いておいた。そしてそれらの一部には、シーガルに教わっていた場所で捕まえてきた光蟲、死ぬときに閃光を発する虫、これを入れてあった。縄につけた炎が燃え広がるとき、引火して爆発と閃光が同時に起こるようにしておいたのだ。一つ一つの爆発は小さなものだったが、連鎖で火は一瞬にして燃え拡がった。

 縄はハンが立っているところを中心に大きな円を描いて配置されており、その中心に集まっていたジャギィたちは突然の音と光、そして炎に驚いて動けずにいる。炎自体は実はそれほど激しくはないのだが、おびえた目には地獄の業火のように見えるのか、跳び越えて逃げることができない。

 一方、円の外側にいた群れの残りは、これも驚き、我を忘れたが、こちらは遮るものはない。皆あっという間に谷間から逃げ出して行ってしまった。

 中央で体を低くしていたハンはすぐに立ち上がると炎の円の端により、中心に向けて何かを投げ上げた。

ザッ…バサッ。

 円の中にいたジャギィたちが網に絡め採られ、もがいていた。

 大型モンスターに使う落とし穴用の網。ブナハブラや、内陸ではランゴスタ等、大型の虫を捕食するこれも大型の蜘蛛の巣の丈夫な糸をさらに植物の繊維で補強したものである。燃やした縄は元々持って来ていたその網の古い、よく乾燥したものをほぐし、一本の縄にして油を染み込ませたものだ。それから別の網をジャギィ達の上に投げたのである。

 これらすべてが、ほんの数秒程度の間に起こっていた。

 身動きできずにいるジャギィたちを、ハンは一頭ずつ仕留めていった。炎が広い範囲で燃えているので、寄って来るブナハブラたちも自然と分散していて、中央にいるハンには近づいてこない。その火も、燃え移るものがない荒地なので、そのままにしておくだけで徐々に消えていく。



6.

「――四、五、全部で六頭だ」

 逃げたジャギィたちもしばらくは戻ってこないだろう。荷車を持ってきて、全員で荷台に積み上げているところだ。

「一台じゃ載せきれないわね」

「仕方ない、載せられるだけ載せて、あとは解体して持っていこう」

「いやあ、こんなに獲れるとは、嬉しいねえ」

山に囲まれ、切り取られた空には月が昇っていた。ジャギィを追い払う必要が ないので、松明も点けない。あたりにブナハブラが数匹飛び回っているが、特にこちらに向かってくるものはいない。

 シーガルとオト、キビトが荷車を押したり引いたりして歩きだした。その後ろに、載りきらなかったモンスターから採った骨や皮を入れた背嚢(はいのう)を担いだガイカンとハンが続く。

「あー、その、なんだ。さっきは悪かった。いろいろひどいこと言っちまって」

 わざとゆっくり歩き、十分に距離をとってから皆に聞こえないように小声でガイカンが言った。

「すみません」

「?」

「聞いていなかったのです」

「聞いてなかったって、俺の言ってたことをか?」

「夢中になっていました」

「ジャギィを狩る方法を考えるのに夢中だったっつうわけか」

「悪い癖です」

 ガイカンは横を歩くハンを改めて見た。まだ若い、二十歳にもなっていないだろう。こうして歩いていると、額から右眉と頬に走る傷跡を除けばどこにでもいそうなおとなしい青年に見える。しかし、肉食モンスターの群れに一人で突っ込んでいき、罠をかけ、しとめたその知恵と技はやはりハンターのものなのだ。狩りに対する集中力は並々ならぬものがある。

「・・・・・・ハンターのこたあ良く知らねえが、あんたは優秀なんだろうな」

「普通です」

 口元に笑みを浮かべかけていたガイカンが、ふとあることに気づき、指摘した。

「服がボロボロだぞ」

 背中や尻など、伏せたとき外側になっていた場所のあちこちに焼け焦げた穴が開いていた。あらかじめ縄を置く場所を決め、爆薬や火薬はその外側に来るように撒いておいたが、ジャギィたちの動きであちこちに散ったのだろう。近くでも火が燃えたに違いない。本人は平気そうにしているが、内側の肌に少しやけどもしているようだ。大きな穴もあり、この装備はもう服として役に立ちそうにない。言われて初めてハンは立ち止まって自分の姿を見、ため息をついて言った。
 
「やっと買ったのに」

「また、インナーに逆戻りだな」

 ガイカンは声を上げて笑い、ハンを慰めた。

「まあ、今日の狩りで報酬がでるから。それでまた買やあいいだろ」

 村へもどる門が見えてきた。



7.

 村の広場。夜でも釣りや漁は行われるため、この広場はいつでも活気がある。まだ時間もそう遅くない。子供も走り回っている。いつもの腰掛に村長が座っていた。不機嫌だ。

「なぜわしに黙って、ハンに狩りをさせたのだ?」

 前に立つ息子にまくし立てる。

「いやあ、ギルドの依頼を受けたわけじゃないし、キャンプ修理のための資源集めで、そんなたいしたことじゃないと思ってたんだ。まあ、結果的にはちょっと大変だったけどなあ」

「先に一言いわんか」

「なんでそんなに怒ってるんだ? ははあ、ハンが狩りをするところが見たかったのか」

「い、いや、わしは村長としてハンの腕を知る必要があるからな」

「一緒に行きたかったんだな。オヤジ、最近は腰が痛いとか言ってたのに」

「ハンが来てから直った」

 シーガルは苦笑いをした。

「見るだけならアレがあるじゃないか、ギルドの、あの『アイルー通信機』だったか」

 村長はキセルにたばこを詰め始めた。下を向いたままぶつぶつ言う。

「カウカに頼んだんだが、断られた。この間のは試験運転で、今後はギルドを通した正式な狩りでしか通信機は使えないとな。ギルドもけち臭いこと言いおって」

「狩りは見世物じゃないぞ」

「若いハンターの活躍をみれば、わしも若さが蘇るのだ。で、どうだった?」

 シーガルは森であったことを話した。

「あいつ、最初の印象とは違うな。腕の立つハンターだと思う。というか腕も立つんだろうが、頭の回るハンター、といったほうがいいか。面白いハンターなのは間違いないだろう」

「そうか、うむう、この目でその狩りぶりを見たかったのう」

「やれやれ。もうすぐキャンプが直るから。そうすればハンもギルドの依頼で狩りに出るようになるさ。オヤジもそのときには見せてもらえるように、今からカウカに頼んでおけばいい」

「おお、いつ頃だ。もちろん頼んでおかないとな」

 老人は子供のようにはしゃいだ声で言った。

 海は、静かだ。

 今はまだ。





第四話 魚になるまで泳げ

1.

 海は、落ち着かない。

 天気はよく、朝日を受けて輝く波も穏やか。海鳥は空中をすべるように飛び、魚を狙って水に飛び込む。海はまだ、目覚め前のまどろみに浸っていたい。

 しかし、その平和を乱すものが、今ここ、島の海岸にいるのだった。

 「……っぱはあっ」

 水中から浮かび上がった人影に、陸から声がかかる。

 「できたかー? ダメだなー、もっとこう、手と足の動きがあってないと、底まで行き着けないヨ。あと、潜る前に息もっと大きく吸って」

 「……はあっ。すみませ、はあっ。……」

 話だけ聞いていると、潜水の達人が子供にでも教えているような口ぶりだが、実際は教えているほうが子供、聞いているほうが大人である。この村の子供たちは歩くより早く泳ぎを覚えるとまで言われているが、指導をしているのはどうやらこの少年のようだ。腰に手を当てて仁王立ちした子供の前に、海から上がってきた大人が土下座するような姿勢で這いつくばる。

 「はい、立ってー。もう一回。これが拾えるまで上がってきちゃダメだからナ。いいかー?」

 浜辺に少年の声が響く。しごかれている大人は、この村に赴任してきたばかりのハンターである。彼はなぜ今ここで、こんなことをしているのだろう? 



2.

 数日前、早朝。
 
「やめようよ、兄ちゃん」

 小さな島には珍しく、真水が豊富なここ『孤島』には幾つもの川が流れている。モガの村にも裏山から川が流れ落ちてくる場所があり、そこに村の共同農場が作られている。流れの一部は農作物を育てるための用水路に導かれているが、山肌をそのまま滝となって流れ落ちているところもある。

 小さなその滝の裏側は狭い洞窟になっており、中にはい古い祠がある。祠の奥には祭壇があり、人のような形をした小ぶりの石像が祀られていた。田舎の路傍などにありそうな、自然神を象(かたど)った素朴な石像とも見えるが、その頭部には、大きめの麦藁帽子に丸眼鏡のレンズ部分をつけたような不思議なものをかぶっている。この祠も石像も、誰が、いつ、何のために作ったのかは伝わっていない。

 今、その祠の中に二人の子供がいる。村の漁師の息子達、ワズーとシイン、十歳と九歳だ。兄のワズーは台座の上に鎮座する石像に手を伸ばそうとしている。石像の頭に乗っかっている『帽子』が外れるのかどうか試そうというのだ。

「見つかったら、怒られるよ」

「大丈夫、壊すわけじゃないんだからナ。それよりかオマエ、人に言うなヨ」

「言わないよ」

 由来は不明とはいえ、祠と石像は村では大切にされている。この農場の長も毎日掃除をし、供え物と洞窟内のかがり火を絶やさないようにしている。さらに、腕白で有名なワズーには直接「この祠にはイタズラをしないように」と言い聞かせているくらいである。しかし、禁止されると余計いじりたくなるのが子供というもの、ワズーは農場長に隙あれば祠に忍び込み、中をじっくり調べようとする。今までにも何度か見つかって叱られているのだが、この少年はそのことでかえって闘志を燃やしているかのように、あきもせずちょっかいを出しているのである。

「農場長があんなに大切にしてるくらいだからナ、絶対なんかいいモノにちがいないゼ」

 そう信じているようだ。そして今まさに、体を伸ばして石像に手をかけようとした時、

「こりゃっ!」

 農場長である。先の尖った、大きな耳が特徴の竜人族の老人だ。この種族には若いころはすらりとして、背も高い者が多いのだが、なぜか年をとるにつれての縮み方が、他の種族より著しい傾向がある。この老人も、この農場で働いている別の種族、ネコに似た外見で、ヒト族の子供くらいの大きさのアイルー族と変わりない背丈だ。いつも農場にいて、アイルーたちの働きを微笑みながら見守り、肥料やりや除草、作物につく害虫の駆除など技術指導をしている。もっとも、先日の地震で臆病なアイルーたちは怖がってどこかに逃げてしまっていた。昨日やっと一人だけが戻ってきたところだ。

「またお前かいの」

「ヤバイ、逃げろ」

 子供たちは慌てて逃げ出そうとするが、狭い祠の入り口に農場長が立っているので、出られない。あせった弟のシインが、入り口近くの濡れた石の床で滑り、転んでしまった。

「おお、いかん。大丈夫かの?」

 農場長が弟に駆け寄った隙に、ワズーは飛び出して逃げて行ってしまった。

「あ、待たんか! ワズー!」

 シインを助け起こしながら呼ぶが、もう姿はない。

「やれやれ、困ったヤツじゃのーう」

「農場長さん、ごめんなさい、もうしませんから許してください」

「お前さんが謝ることはないぞ。どうせワズーが言い出したんじゃろう?」

 シインは何も言えず、黙ってうつむく。

「よいよい。わしもあいつが本当はいい子じゃとわかっとるよ。でもな、」

 そこで、老人は珍しく厳しい顔をした。

「この祠、それと石像にはイタズラをされてはいかんのじゃよ」

 いつもニコニコしている農場長の真剣な顔をみて、シインは怖いような気持ちになった。その表情で、子供がおびえたことに気がついたのだろう、老人は頭をふり、いつものような優しい声で言った。

「膝を擦りむいとるのーう。おいで、薬草をつけてやろう。採れたての苺もやろうかいの」

「ほんと? ありがとう!」

 老人と子供は連れ立って滝の下をくぐった。外に出たところで、苺という言葉が聞こえていたのか、どこからともなくワズーが戻ってくる。悪びれない態度に農場長も今回はイタズラを未然に阻止したことでよしとし、もう叱ることはせずに二人を連れ、朝の日差しの中を農場の管理小屋へ向かった。



3.

 村の広場には、ハンターズギルド支所や村の資源倉庫、そしてハンターの宿舎である一間だけの小さな家などの施設が建っている。広場は入り江に没した遺跡の上に土台を浮かべ、広い面積で海上に木の床を敷いたいわば人工的な土地である。それ自体が大きな桟橋ともいえるが、そこからさらに何本かの桟橋が海中に突き出している。

 その桟橋の一本に、村に最近配属された新人のハンター、ハンの姿があった。年は十九歳。いかにもハンターらしい、動きやすさと身体防御を程よく兼ね備えた身軽な服、その顔は右の眉から頬にかけて走る二本の傷跡の他にはこれといった特徴はなく地味だ。突先に立ち、煌く波を見つめている。と、やおらしゃがみこみ、真下の海面を覗き込んだ。そのままずっといつまでも動かずに海を覗き込み続けている。


「よおっ、ハンター!」

 急に声がして、ドンと背中を押された。声の主はワズーである。農場でもらった苺を桟橋で食べようとやってきたところにハンの姿があったので、後ろからおどかしたのだ。それほど強くは押していない。しかし、なぜかハンはそのままドボンと海中に没してしまった。

「なんだあ、あんなんで落ちちゃった。弱っちいナ」

 もぐもぐと苺を食べながら、海中を覗き込む。一緒にいた弟のシインが心配そうに言った。

「兄ちゃん、ハンターさん上がってこないよ」

「え、やばいじゃン」

 シインは助けを求めて桟橋から広場の中心部に走っていった。

「だれか来てー! ハンターさんが海に落ちちゃったー!」



 
 桟橋に引き上げられたハンはしばらくぐったりしていた。周りを取り囲んだ人々が心配そうに見守る。ワズーに押される前、ハンはかなり長いあいだ同じ姿勢でしゃがんでいたので脚が痺れていた。そこにきて急に海に落ち、動かそうとしたので、足が攣って溺れかけたというわけだ。

「大丈夫か?」

 村長の息子で、高齢の父親に代わってこの村の雑事を取り仕切る青年、シーガルが声をかけた。

「大丈夫、です」

「ワズー、ハンさんに謝れ」

 こう言ったのはワズーとシインの父、漁師のオトだ。荒っぽい人間が多いこの島の漁師の中では温和な部類に入る。二年前に女房を病気で亡くしてから、男手一つで二人の子供を育てている。ワズーは鼻の横を掻きながら謝った。

「悪かったナ」

「ちゃんと謝らないか! ハンさん、すまなかった。どうもこいつは落ち着きがなくて」

 息子を叱りつけるオトをシーガルがなだめる。

「まあまあ、ワズーにしちゃちゃんと謝ったほうだよな。大事に至らなくてよかったよ。しかしハン、桟橋なんかで何をしてたんだ?」

 ハンが着任した日、島を地震が襲い、ハンター用に準備中だったベースキャンプが壊れてしまった。ギルドからの狩りの依頼も到着が遅れている。到着以来ハンは朝一番にシーガルがいる資源倉庫に顔を出し、村人の依頼で雑用をしたり、キャンプ修理の手伝いをしたりしている毎日だ。それが、今朝に限って何もせず桟橋でぶらぶらしていたというのだ。一体何をしていたのだろう。

「考えていました」

「ほう?」

 シーガルとオトは顔を見合わせ、軽く頷きあった。この村に来てまだ数日にしかならないが、何度か一緒に行動するうち、ハンが何かに没頭すると周りが見えなくなり、音も聞こえなくなるということを何度か見てきた。この男なら、考え事をしていれば子供に小突かれただけで海に落ちても不思議はない。

「そりゃあ、悪いときにこいつがおどかしちまったもんだな。すまなかった、ハンさん」

 オトが、「こいつ」というところでワズーの頭を押さえつけながら言った。

「痛い、痛い。離してくれヨ、父ちゃん」

 ワズーは手の下で暴れる。そのやり取りも全く気にせず、ハンはその場にいる全員、シーガル、オト、ワズー、シインに向かって突然質問を放った。

「どうすれば、泳げるようになりますか?」


 その場にいた全員が一瞬耳を疑った。ハンはハンターである。しかも海竜から村を守るために派遣されてきたのだ。そのハンターが泳げないというのは、料理人が鍋の使い方を知らないと言っているようなものだろう。

「ハンターさんってば、冗談へただなあ」

 シインがそういって笑いだした。しかし、ハンの顔は真剣そのものである。シーガルとオトはこの男の情緒教養度が冗談を言えるほど高くないことを知っている。オトはシインの口を手でふさぎ、改めて聞きなおした。

「ハンさん、お前さん、泳げないのかい?」

「わかりません」

「わからないって、どういうことだね?」

「泳いだことがないのです」

 ハンが卒業した訓練所があるポッケ村は北方にあり、一年中雪深い寒冷地である。村自体は地形のおかげか寒風から守られ、比較的寒さは穏やかではあるが、一歩村から出れば、背丈よりも高く雪が積もり、身も凍るような風が吹きすさぶという日が一年の大半を占める。ごく短い夏はあるが、他の地域と比べれば気温も低く、川や湖で泳ごうという者はいない。

 村から行ける狩場にも水棲のモンスターはいる。大型の魚竜、ガノトトスがそうだ。しかし、ポッケ村周辺での水棲モンスターの狩りは『水中から引きずり出して戦う』戦法が主流である。万が一戦っている最中に水に落ちた場合は、「できるだけ急いで陸に上がれ」と、訓練所では教えているくらいだ。

 つまり、ハンが言う、これまで泳いだことがない、というのは本当なのである。『海竜』ラギアクルスは陸に上がることはほとんど無く、水中で戦う必要がある。泳げないのでは話にならない。その場にいたハン以外の全員、子供のワズーやシインまでもが、当惑の表情を浮かべて顔を見合わせた。



*****

 その後、子供達が学校に行き、オトが漁に出ると、シーガルはハンに仕事を与えて村から出し、父親である村長と共にギルド支所に向かった。村としてこの事態をどうするべきか、職員の少女カウカを交えて話し合おうというのだ。最初シーガルは臨時の村会を招集するべきかとも考え、オトに相談したのだが、

「それはどうだろうな。ガイカンが言ってたこと、覚えてるだろう? ハンターを呼ぶことに反対だったのはあいつだけじゃない。ここで話を大きくするとややこしいことになるんじゃないだろうかね」

 と、オトは村で結論が出たはずの議論がまた蒸し返される恐れを口にした。今回ギルドからハンターを呼ぶにあたって村人の考えは最初から一つだったわけではない。村会では反対意見の者も少なからずいたのである。多数決で決まったこととはいえ、まだ納得しきれていない者もいる。数日前何人かの村人とハンが一緒に狩りに行ったとき、漁師の一人がハンに食ってかかった事を考えると、このオトの言葉もあながち杞憂とも思えない。シーガルは他の村人達に知られないうちに事を収める方向で行こうと考え、子供達にも口止めをしておいた。



「なんでギルドはハンさんを派遣してきたんでしょう?」

 こう言ったのはカウカだ。カウンター内は狭いので、ギルドカウンターの中から椅子を持ち出して来てシーガルにすすめ、自分にも一脚出してきて座る。村長はカウンター前にいつも置いている自分専用の腰掛に座っている。

「なんだ、ギルド職員でも知らないのか?」

 シーガルは意外そうに言った。内心では、ギルド側が何らかの解決策を既に持っているものと期待していただけに、ちょっとがっかりした様子だ。

「紹介状が無くなってしまったので、ハンさんについては詳しいことがわからないんですよ。来てすぐ、到着の報告のときに再発行してもらえるように頼んだんですけど、訓練所に話が伝わって、それから書き直してもらうとなると、そんなにすぐには来そうもないです」

 ここで言っている紹介状とは、ギルドが一定以上の期間、ハンターを派遣する際に依頼元に提出する書類で、派遣するハンターの実績や推薦理由などが書かれている。ハンの場合は新卒なので訓練所の教官が書いて本人に持たせていた。成績や教官の所見などが書かれていたはずだ。

 通常の紹介状では、理由の欄に『当人優秀なハンターにつき』などと形式上の一文だけという場合も多いが、特別な理由が書かれていることもある。今回もひょっとしたら何か本部の意向が書かれていたかもしれない。

 しかし、ハンは村に来る途中、船の甲板で高波に荷物を流されてしまい、この紹介状も紛失してしまったのである。

「案外他に手の空いているヤツがいなかったから、とかそんな簡単な理由かもしれないぞ」

「その可能性も否定できないですね。別に悪い意味じゃないですよ。派遣要請が来たとき、既に他の仕事についているハンターさんは除外されますから、誰にどんな仕事が来るかは運みたいなものです。ハンさんの場合、訓練所から卒業したばかりで体が空いていたんでしょう」

「それにしても、他に泳ぎのうまいヤツはいなかったのかね?」

 シーガルはさらに疑問を口にする。

「もともと、水中で狩りをするというのは全国的に見て例が少ないんですよ。泳げるハンターさんも確かにいるでしょうけど、普通、狩りといったら陸上でするものなんです」

「へえ、そういうもんなのか? 知らなかったな」

 意外な顔をするシーガルに対し、カウカはさらに話を続けた。

「ギルドもハンターさん達の水泳能力に関しては特に今まで考慮していなかったと思います。逆に言えば、水中での狩り経験は誰でもあまり変わりないということです。ハンさんも、訓練所入所時の試験で合格し、その後の訓練もこなしてきているわけですから、本部も泳ぎくらいならできるはずと考えてるのかも知れませんね」

 と、そこでそれまで黙って話を聞いていた村長が口を開いた。

「理由なぞ今更どうでもよい。今ここにおるのがハンで、泳げないという以上、泳げるようになってもらうか、できなければギルドから他のハンターを遣してもらうしかあるまい」

 村の責任者として、結論を述べる。

「そうだな、やはりあいつに泳げるようになってもらうしかないな。泳げさえすれば、他には何も問題はないんだし」

 シーガルも同意する。来てまだ日は浅いが、ハンのことは気に入っている。別のハンターに新しく来てもらうよりは、このままハンにいてもらいたいと思っているのだ。他の二人も同じ気持ちのようだ。特に反論はしない。

「じゃあ、次に考えることは、どうやってハンさんに泳げるようになってもらうか、ですね」

 

*****

 夕方、頼まれていた森での採取を終え、村に帰ってきたハンは、シーガルに言われてギルドのカウンターに来た。

「えー、協議の結果ですね、ハンさんにはできるだけ早く泳ぎを覚えてもらうことになりました。海竜の脅威が迫っている現状では、あまりのんきに構えてもいられません。期限は三日とさせていただきます。四日後に海で魚をモリで突けること、それが条件です。出来なければ村からギルド本部に連絡して、別のハンターさんと替わってもらうことになります」

 ハンは真剣な顔で聞き、頷く。

「ただ、たった三日で泳げるようになれといっても難しいでしょうから、明日から指導教官を一人つけることになりました」

「ありがとうございます」

「ええ、よかったですね…って、それで済まさないで下さい! 普通そこは誰か尋ねるところでしょう?」

 ギルドの看板娘はなんだか急に不機嫌になった。ハンには何がいけなかったのか理解できない。とりあえず従う。

「誰なのですか?」

 カウカはそれでこそだ、という顔をし、得意げに片手を挙げて呼ばわった。

「発表しまーす。この方です! 教官、どうぞー!」

 カウンターの下から、それまで隠れていた人物が立ち上がった。

 小さい。

 子供である。

「ワズー教官です!」

 少年誇らしげに胸を張って言った。

「まあ、オイラに任せときナ」

「よろしくお願いします」

 ハンは礼儀正しく頭を下げた。

「そんな簡単に納得しないでくださいよ! ちょっとはびっくりしてください。それからなんで子供が教官なんだ、とか、聞いてもらわないと困るじゃないですか」

 カウンターの中でなんだか怒っている。ハンにはやはり何がいけないのか理解できない。仕方ないので従う。

「なぜワズーさんが教官なのですか?」

「村の大人は皆仕事があって忙しいんです。子供なら、学校のある時間以外は暇ですから。始業前とか、午後とか。それに、ワズーは子供ながらも泳ぎがすごく――」

 ワズーはカウカの話を無視してカウンターによじ登り、その上に立ってハンを見下ろしながら言った。

「ハン、今からお前はオイラの弟子だ! ビシビシしごいてやるからそう思え。まずは明日、学校へ行く前にちょっと見てやるヨ」

「ありがとうございます」
 
 虚しくなってきたカウカは会話を仕切るのをあきらめた。カウンターに両肘をついて二人のやりとりをながめる。ワズーが続けた。

「じゃあ、朝の船笛が鳴ったらすぐ、ここに来るんだゼ」

 『船笛』とは漁に出る船の漁師達が鳴らす大きな角笛のことだ。この村の漁師は、豊漁と安全を祈って出港時に角笛を鳴らす。月齢や潮の加減で漁に出る時間は毎回変わるのだが、父親が漁師のワズーは明日早朝に父の乗る船が出ることを知っている。

「はい」

「遅れるなヨ」

 満足した様子でカウンターから飛び降りると、ワズーは帰っていった。その後姿を見ながら、カウカが言う。

「ワズーはとってもやんちゃで、悪い子じゃないんだけど、イタズラばっかりしてるんですよ。私にも会うたびにスカートをめくろうとしてくるんで、困っちゃいます。でも、私は大人ですからね、わんぱく坊主なんかにゃ負けません。今度やろうとしたら反対にズボンを下ろしてやります」

 この村の少年達は実はズボンなど穿いていない。上半身は短い肌着、下半身も下穿き一丁である。「ズボンを下ろす」とはズバリ「下半身を露出させる」という意味になる。しかもスカートめくりを「やったら」ではなく、「やろうとしたら」である。表情を見ると冗談で言っているのではないようだ。大人げない大人もいるものである。ハンはいつものように特に表情を変えることなく聞いていたが、そっと自分のズボンを抑えていた。



4.

 水練一日目。

 約束どおり船笛を聞いてギルドカウンターに行ったハンは、そこにワズーの姿を見つけた。落ち着きなくうろうろしている。来たばかりという感じではない。何か普段と変わった事があると、興奮して早く起きてしまう性質(たち)なのだろう。

「おはようございます」

「オッス。じゃ、行こうゼ」

 ワズーは行き先も告げず、何の説明もなく、さっさと小走りで出発する。ハンもその後から歩いていった。



*****

 モガの森は『森』と一口に呼ばれてはいるが、実際には色々なものがある。樹木が茂る場所はもちろん、丘、谷、川、滝、洞窟、そして海までを含めて村人は『モガの森』と呼んでいるのである。

 ハンとワズーの二人はその『森』の海岸に来た。この島は海岸線が入り組んでいるので、幾つも小さな浜がある。その中の一つ、村の子供達が遊び場にしている場所である。後ろがちょっとした崖になっており、ツタで作ったはしごを使わないと降りてこられないので、ジャギィなどの陸上モンスターは来られない。島の海には肉食モンスター、ルドロスがいるが、この浜は縄張りから離れていて、ほとんど姿を見ることはない。絶対に、とはいえないが、比較的安全な遊び場所である。ここが今日からの水練場というわけだ。

 ワズーは下穿き一枚、ハンもインナーだけになる。

「よし、まずはお手本を見せてやるゼ」

 ワズーは軽く体を動かした後、勢いよく水に飛び込んだ。潜る、浮かぶ、水中で方向を変える。速さも向きも自由自在だ。海底まで潜った後、底から大きな貝がらを拾って浮かんできた『教官』を迎えてハンは言った。

「上手です」

「なんだー。オイラが期待してたほど、感動しないナ」

「いえ、とても感動しています」

「ほんとかナ。まあ、いいヤ。」

 陸に上がり、腕を組んで教官然とした姿勢をすると、ワズーは話し出した。

「いいかあ、ニンゲンの体っていうのはナ、海では楽にしとけば普通に浮かぶもんなんだ。キンチョウしてカチカチになっちゃうと沈んじゃうんだヨ」

 これは父親からの受け売りである。ワズー達村の子供は確かに泳ぎが上手い。が、それは物心つく前の幼いときから水に親しんでいるからで、特別に水泳の指導を受けたわけではない。そのため、心配したオトが友人のガイカンやキビトと一緒に夕べのうちに知恵を絞り、基本的なハンの水泳練習計画を立てたのである。その計画に沿って練習をし、実際に泳ぐときにワズーが見て、細かいところを直すことになっている。

「まずは水に慣れるんだナ。準備運動をして、水ン中に入れ」

 ハンは言われたとおり軽く体を動かした後、砂利の浜を歩いて水中に入っていった。ハンの腰より少し深いくらいのところで、ワズーが止めた。ワズーもまだ足はつくが、既に立ち泳ぎになっている。

「よし、ここでしゃがんでみろ。目は開けたままナ」
 
 しゃがむとハンの体は頭まで水につかる。いくらもしないうちに、ハンは立ち上がった。

「痛いです」

 涙を流しながら、目をしょぼしょぼさせている。

「海の水だからナ。しょっぱいんだ。最初はしみるけど慣れたら大丈夫、ガマンしろヨ」


 その後、しばらく目を開けながら水に浸かって体を水に慣らした。次は水中で力を抜く練習だ。最初は手足を縮め、丸くなって浮かぶ。それから力を抜き、手足を伸ばす。簡単そうだが、慣れないハンはうまく力が抜けない。手足を伸ばすとすぐに沈みそうになり、足をついてしまう。しかし、懲りずに何度も挑戦する。

「ずっとやってればそのうち慣れるヨ。じゃあオイラ、学校に行くからナ、午後からまた見てやるヨ。」
 
 返事はない。しかし、ワズーは気にせず、 

「がんばれヨ。昼には帰るだろ。オイラもメシ食ったらオマエんちに呼びに行くからナ」

 と、声をかけ、ツタのはしごを登っていった。



*****

「あれ、ハンのやつ、いないのかナ」

 学校から帰り、いつものように港の女主人のところで昼食を食べさせてもらってから、ワズーはハンの宿舎である家にやって来た。今度は弟のシインも一緒である。

「呼びに行くからって言ったのに」

「シーガルさんに訊いてみる?」

 入り口から中をのぞきこみながら二人が話していると、中からこの家の世話係である、ネコが二本足で立ち上がったような外見の小柄な種族、アイルー族のルサが現れた。

「何か御用ですかニャ?」

「ハンはどこ行ったんだヨ? 午後も泳ぎの練習する約束なのに」

「朝から出かけたきり、お昼にも帰ってきてないのですニャ。ご飯が冷めてしまいましたニャ」

「え? メシも食ってないの?」

 食事が人生の楽しみのかなりの部分を占めている子供からしたら信じられない話だ。

「にいちゃん、まさかハンさんまた溺れてるんじゃ……」

「行ってみようゼ!」

「ちょっと待つニャ」

 踵を返して走り出そうとする二人をルサが呼び止めた。

「なに? オイラ達急いでるんだヨ」

「海に行くのなら、ハンさんにお食事を持っていってあげてくださいニャ」

「でも、溺れてるのかもしれないよ」

 シインは心配そうに言った。

「あの方なら大丈夫。練習に夢中になってるだけですニャ」

「なんでそんなことわかんのサ?」

「アイルーには何でもお見通しなんですニャ」

 『アイルー通信』のことを言っているのだ。アイルーたちは離れた場所で同族が見聞きしたことを知ることができる。森にはよく採取をしているアイルーがいるが、ルサは帰りが遅いハンを心配して、その中の友達にでもいそうな場所を見てもらったのだろう。落ち着いた様子で、昼食を手近な器に入れる。

「ほい、お願いしますニャ」

 子供達は包みを受け取ると改めて森へと走り出した。



 海岸に二人が着くと、ルサが言ったとおり、ハンはまだ水の中だった。海面に浮かんでいる。朝見たときよりかなり慣れた様子だ。大の字になって浮かんでいる。

「おーい、ハン」

「ハンさーん」

 陸から少年達が口々に呼びかけるが、ハンはぼーっとした顔で浮かんでいる。二人の少年はすぐそばまで水中に入って来て、ハンの手を引いた。

「わっ」

 急に引っ張られてハンは驚いたが、我に返って二人の子供を見た。

「いつ来たのですか?」

「今だけど、ハンさん呼んでも返事しないんだもん」

「すみません」

「ちょっと上がれヨ」

 三人は陸に上がった。シインが持ってきた包みを差し出す。

「ルサさんからご飯預かってきたよ」

「ご飯、ですか?」

「もうお昼とっくに過ぎてるんだヨ。ルサのやつメシが冷えちゃったって怒ってたゾ」

 ハンはそれを聞くと顔を上げ、太陽の位置を見た。その高さで今が午後であると納得する。

「悪いことをしました」

「まあ、怒ってたってのはウソだけどナ」

「わあ、ハンさん唇真っ青だよ」

 シインに言われて、ワズーも改めてハンを見ると、唇どころか体全体が青白くなっている。

「おい、まさかずっと海に入ってたんじゃないだろナ」

「入っていました」

「だめじゃン、ちゃんと休憩しなきゃ。入りっぱなしだと体冷えちゃうんだゼ」

「早く泳げるようにならないといけないのです」

 ハンにも現状への焦りがあるようだ。

「でも、ご飯はちゃんと食べたほうがいいよ」

 シインが包みを開け、器を渡す。ふたを開けると、中には苔チーズと砲丸レタス、シモフリトマトを挟んだジャンボパン、ドテカボチャとふたごキノコのソテー、七味ソーセージ、それとモガ村の郷土料理、魚の身をたたいてから香辛料を混ぜて団子にし、油で揚げた『魚団子』が入っていた。ハンは食べ始めるが、体が冷えているせいでうまく手が動かない、パンに挟まれた具をぼろぼろとこぼしている。

「あー、こぼれてるよ。ほら、ちゃんと持って」

 シインは母親のようにハンを手伝う。ハンは今更のように言った。

「お腹が空きました」

「バッカだナー。今頃なに言ってんだヨ」

 ワズーはあきれた様子で言った。ハンはがつがつと食べている。



「ありがとうございました」

 食べていたハンが、突然シインのほうを向き、フォークに刺した魚団子を差し出しながら言った。いきなり礼を言われ、突きつけられた魚団子を前に少年はなんと答えていいのかわからなくなっている。

「初めてあったとき、砥石をくれました」

「あー、忘れてた。そうだったねえ」

 ハンが村に着いたばかりの頃、村の広場で会ったシインは森から拾ってきた砥石をハンにあげたのだった。特にハンのために採ってきたというわけではなく、森で遊んでいてたまたま拾っただけの石だ。あげた本人はとっくに忘れていた。

「で、お礼にそれ? 意外と義理堅いんだな、オマエ」

「ギリガタイって何? 兄ちゃん」

「よく知んねえけド、なんかもらったら、お返しするってことだロ」

「ふーん、ほんと、ギリガタイんだね、ハンさんって」

 差し出したときのままの姿勢でじっと待っているハンを見て、シインはその魚団子に口を持っていった。



 食べ終わると、さめたお茶を飲んで少し休憩し、ワズーとシインに見守られながらハンは泳ぐ練習をした。浮かんだ体勢から、手足を動かして前進する練習だ。少年達は腕の動かし方や水中での息の吐き出し方など、気がついたところを助言する。少しずつではあるが、海面でなら泳げるようになってきた。そして、その日の練習は特に問題なく終了した。



5.

 水練二日目。

 今朝も前日と同じように、ワズーから手ほどきを受ける。

「昨日で水には慣れたから、今日からがホントの泳ぎの練習だゼ」

 今日ワズーは手に大きめの貝がらを持っている。

「今からオイラがこれを水ン中に落とすから、オマエはそれを拾ってくるんだゾ」

 そういって、貝がらを海中に投げた。一投目はすぐ近くに落ち、キラキラ光りながら水中に沈んでいった。ハンも難なくそれを拾い上げる。

「どんどん遠くに投げるからナ」

 二投目、三投目とワズーは少しずつ貝がらを遠くに投げていった。最初は簡単だったが、肩くらいの深さのところから、貝がらはだんだんと拾うのが難しくなってきた。ハンが体を逆立ちにして手を伸ばそうとすると、体がふわりと浮いてくる。それでも水中で一蹴りするくらいで底についている間はまだ何とかなったが、それより深くなると、水を蹴っても体がすぐ浮いてきてしまう。最初に浮かぶ練習をしたときはあんなに簡単に沈みそうになったのに、今は沈むことが難しい。

 ある深さのところでは五回、次のところでは六回、と拾えるまでにかかる回数がだんだん多くなっていく。そうこうするうちに、学校の始まる時間が近づいてきた。しかし、二人とも夢中で気がつかない。

「そろそろ潜ったときに耳が痛くなってきただロ? そんなときは『耳抜き』をするんだ」

 深く潜ると、水圧で鼓膜が中耳側に押し込まれ、痛みを感じる。そこで、中耳側にも空気を送り込んで鼓膜を押し返す必要がある。これが『耳抜き』だ。

「口を閉じて、鼻をつまんで、強く息む」

 ハンは潜ってやってみるが、うまくいかない。

「できません」

「できる!」

「はいっ」

 練習は続く。



 どのくらい時間がたっただろうか、海岸に小さな人影が現れた。

「兄ちゃーん、ハンさーん」

 いつになってもワズーが学校に姿を見せないので、心配したシインが様子を見に来たのだ。ワズーとハンはシインが立っているところまで上がって来た。

「おー、どした、シイン?」

「どした、じゃないよ。学校行かないの? 先生待ってるよ」

 それを聞いて、ハンはワズーに言った。

「すぐに学校に行ってください」

「えー、もうめんどくさいナ。今日は休むヨ」

 ハンは真顔でたしなめる。

「ダメです」

 意外に迫力がある。これまでワズーはハンのことを弱っちいヤツと思っていたのだが、逆らえない雰囲気だ。

「オマエ、弟子のくせにナマイキー」

 渋々はしごに向かう。見ていたシインも後を追おうとしたが、何かを思い出してハンのところに戻ってきた。

「ほら、これ、イキツギ藻っていうんだよ」

 ハンの手に変わった形の草を渡す。

 本来『藻』という字は『水草』を表す。しかしこの草は、水中はもちろんだが、川べりなど土が湿った所なら陸上でも生える。葉の付け根部分の茎が膨らんでおり、そこには空気が貯められている。これを口中で噛むと酸素を得ることができる。石などを芯にしてネンチャク草を巻きつけ丸くした『素材玉』から、石を抜き、代わりにこのふくらみの部分を何本かまとめて入れたものが『酸素玉』で、茎だけのときよりさらに多くの空気を摂取することができる。

「で、こっちが酸素玉。海で狩りをするとき役に立つよ。ぼくが作ったんだ。こんど作り方教えてあげるね」

「ありがとうございます」

 ハンはもらった草と玉を海岸に置いておいたもの入れにしまった。



6.

 水練三日目。

 今日はモリを持ってきて、泳ぎながら突く練習をしているが、相変わらず潜るのが上手くない上に、まだ速く泳ぐことができないので、夕方になっても一匹も突くことができない。

 ワズーとシインはもう助言も言い尽くしてしまった。あとハンに必要なのは練習だけだ。手持ち無沙汰なので海岸や海底で採取する。夕方になる頃には、かなりの量の貝がら、ベニサンゴ石、小粒の真珠などが海岸に積み上げられた。

「たくさん取れたね」

「うん、村まで船でもって帰るか」

 ここから少しのところに、ハンター用のベースキャンプがある。海に面した岩場にあるそこには、もともと村人が共有している運搬用の小船が置いてあるのだ。二人は練習中のハンを残して浜を離れる。船は小さなものなので、物を積むと三人は乗れない。シインは先に村へと戻り、一方ワズーは一人で小船を操って、ハンが練習している浜へ戻ってきた。

「ハン!」

 海岸に船を着け、ハンを呼ぶが、海中にいるハンには聞こえない。ワズーは飛び込んでハンを探した。海中では、ハンが魚を狙っていた。この島近海には何種類かの魚がいるが、今狙っているのは動きの遅い、たてに平べったい形をした大きな遊泳魚である。モリの初心者でも比較的突きやすく、入門用としては最適の魚だ。

 ハンは魚の後ろから泳いで近づこうとするが、後少しのところで気付かれ、すっと泳ぎ去られてしまう。その後ろからさらに泳いで追いかけようとするのだが、遅いとはいえ魚に、泳ぎの初心者が追いつけるはずもない。

(あーあ、明日魚が突けなかったらダメなのに)

 ワズーはがっかりし、心配になった。このままで明日ハンは魚を突くことが出来るのだろうか。とはいえもう日も傾いている。放っておけば一晩中でも練習しかねないハンだが、今日はもうやめたほうがいいだろう。近づいて合図を送る。二人は海から上がった。

「今日はもう帰ろうゼ。貝とかたくさん取れたから、船で帰ろう」

「まだ魚が突けていません」

「でも、もう夕方だし、父ちゃんにも言われてるんだヨ」

 夕べ、オトはワズーに、

「ハンさんは何か始めると、こう、いうところがあるみたいだからな」

 と、顔の両側に手をやり、前後に動かしながら言った。夢中になりすぎる、という意味だ。

「無理をして体を壊したらいけない。お前、やり過ぎないように止めてやってくれ」

 オトは長時間練習をし過ぎないように、とワズーに言い聞かせておいた。


 オトに心配をかけていると言われると、ハンもそれ以上は粘れない。それでも未練たらしいハンの背中を押し、二人で海岸に積み上げた採取物を船に載せる。ハンもやっとあきらめたのか、武器とポーチを見につけ、服と靴を手に持って船に乗った。船の操作はワズーが行う。

「そんなに心配しなくても、こんなに練習したんだ、きっと明日はうまくいくヨ」

 船に乗ってもずっと黙っているハンを、ワズーは励ました。

「このままでは、突けるとは思えません」

「魚の動きをよく見れば、大丈夫。あ、それと、真後ろからじゃなくて、そおっと斜め後ろから近づ――」

 突然船が下から突き上げられた。

 一瞬何が起こったのかわからなかったが、船がひっくり返ったのだ。海に投げ出されながら、ワズーは海中に一頭のルドロスを見た。船はこいつに獲物と思われ、下から攻撃されたのだろう。海面に叩きつけられる衝撃と同時に何かに足を引っ張られ、ワズーは海中に沈んでいった。

 船の碇につけた縄が、足首に絡まっていた。

 投げ出された瞬間、とっさに胸いっぱい空気を吸っていたのはさすがに海の子だ。気が動転し、海水を飲んで溺れるということも無い。しかし、浜からまだそれほど離れてはいない場所だが、碇を引きずって陸まで泳ぐことはできない。

 ハンは投げ出されたときに一旦海面から顔を出し、深く息を吸ってから潜ると必死にワズーの方に泳いできた。たどり着くとポーチから酸素玉とイキツギ藻、小刀を出してワズーに渡す。受け取ってワズーは酸素玉を咥え片手に草を持つと、もう片方の手で小刀を使い、縄を切り始めた。乾いていても小刀で切るのは大変なのに、縄は徐々に水を吸って膨張し、固まってきている。子供の力では時間がかかりそうだ。

 ハンはいつも持ち歩いている片手剣、もともと張ってあった皮がぼろぼろになった柄の握りのところに、布を巻きつけてあるハンターナイフを腰から抜いた。ナイフと対になっている小型の盾は投げ出されたときに沈んでしまった。こちらに近づいてくるルドロスとワズーの間に入る。しかし、今のハンの泳力では、長時間水中で同じ姿勢をとり続けることができない。ワズーのそばにいようとするが、少しずつ流され、離れていきそうになる。

 水中では捕食モンスターは動きの大きなものに引きつけられる。ルドロスはハンターナイフを構え、ワズーの近くに留まろうと手足を動かすハンの方に狙いを定めた。突進してきたモンスターに弾き飛ばされたハンは受身も取ることができず、水中をたよりなく回転しながら流される。

 何とか動きが止まったところで体勢を立て直そうとするのだが、そこにまた体当たりを食らい、流れに翻弄される。

(だめだ、このままじゃ、やられちゃう)

 ワズーは縄を切りながら、絶望的な気分でその一方的な戦いを見守っていた。

 ルドロスには頑丈な爪はあるが、その牙はそれほど尖ってはいない。水中での抵抗を少なくするために進化したやや丸みを帯びた流線型の頭部からはみ出さないよう、口を閉じたときには表に出ない程度の長さである。獲物を一撃で動けなくさせるほどの攻撃力はない。

 肉食でありながら攻撃力の低いこのモンスターの狩りは、そのため逆に残酷なものとなる。

 数体で獲物を囲み、体当たりを何度も繰り返して獲物の体力をじわじわ奪っていく。そして、相手が疲れきり、動けなくなったところでおもむろに噛みつく。小さな獲物なら咥えてそのまま巣まで運ばれることもある。大きくて咥えては運べないような獲物なら少しずつ肉を噛みちぎるのだ。

 自分の肉が少しずつ噛みちぎられる。なぶり殺しにも似た、犠牲者からしたら、一撃で命を奪ってくれたほうがいっそ楽になれるのに、と恨み言の一つも言いたくなるような狩りなのである。


 しかし、ハンは今回、ルドロスのこの習性のおかげでまだ生きている。たまたまはぐれた一頭だけしかここにいないことも幸運だった。何頭もにかこまれ、四方八方からぶつかってこられたら、今のハンではあっという間に力尽きて溺れてしまっていただろう。

 まだ、動ける。


 無防備な体勢で流されているが、目は必死に相手の動きを追っている。

 近づいてくるモンスターに向かってハンターナイフで斬りつける。しかし、陸上と水中では遠近感も違う。武器は虚しく水中を空振りし、体勢を崩したところにまた、体当たりを食らう。

 二度、三度、同じような抵抗が無駄骨に終わった。


 それでも、ハンは弾き飛ばされ、水中を流されるたびに体勢を立て直そうとする。

 その目は相手を捕らえようと、回転している最中でも首を曲げ、顔を回してモンスターを探している。

 水中で激しく小突き回され、無駄に動いているので、酸素の消費が早い。肺の中が残り少なくなってきている。

(馬鹿だナ、ハンのやつ。動いてないオイラのほうが、息が続くのに、酸素玉もイキツギ藻もくれちゃって。それより、オマエがやられちゃったらどうするんだヨ。二人とも死んじゃうじゃないか)

 ワズーと違って動ける自分なら、息継ぎも出来ると思っていたのだろうが、モンスターにいいように小突き回され、ハンは海面に出ることができない。苦しそうに口から息を吐く。しかしそこから立ち上る気泡は少しだけだ。

(もうだめなのか)

 ワズーの心から希望が消え去りそうになった。このままハンは死に、残された自分もロープを切る前にルドロスの餌食になるのだろうか。それとも、ハンで満腹になったモンスターはワズーを見逃してくれるだろうか。それまで自分の酸素は持つだろうか。いずれにしても暗い考えばかりが頭を駆け巡る。

(ハンはまだ、がんばってるんだ。あきらめちゃだめだ。オイラはオイラのできることをやらないと)

 興奮すると余計に酸素を消費することを知っているワズーは怖くて泣きそうになるのを必死で堪え、ハンのほうを見るのをやめて縄を切ることに専念しようとした。

 そして、ハンはまた体当たりを食らった。

 狩人が信仰する精霊の加護がもたらされたのか、下方から突き上げられたハンの体は、運よく海面近くに運ばれた。

 そろそろ意識も朦朧としていたはずだが、ハンは自分がどうしようもなく必要としているもの、空気の近くまで来ていることを本能的に察知した。海面直下で飛び跳ねる魚のように体をよじり、顔を空気中に出す。

「はっ」

 短い時間で呼吸をすると、すぐにまた水中へと潜っていく。

 短時間では肺にたっぷり空気を送ることはできなかった。が、それが却ってよかった。浮力のある空気が少ないせいで、ハンはいつものように潜るのに苦労しないですんだ。ルドロスと同深度にまで潜ってくると、そのまま動きを止めた。

 水流に揺れながらも片手剣を体の前に構え、顔を正面に向けてモンスターを見すえる。

 ルドロスはそろそろこの獲物が疲れきり、逃げ出したり、反撃したりする気を失ったものと判断した。その肉を噛みちぎろうと勢いよく突進してくる。


 ガキンッ


 ワズーの耳に水中を伝わって鋭い音が届いた。


 ハンのハンターナイフが、初めてルドロスに当たった。突進してきた開いた口の歯に、片手剣の刃がぶつかったのだ。そのまま腕を伸ばし、口の中に剣を押し込もうとする。


 ッジャア


 海の生き物は、海中で巧みに後退すると、口からハンターナイフを振り払った。しかし前進より動きの遅い今は好機、こちらから近づくことで有利になるはずだ。今度はハンが、渾身の泳ぎで追いかける。

 まだ泳ぎが十分でないため、抜刀したままの片手では早く泳ぐことができないと見て、泳ぎだす前に納刀している。

 予期していなかった反撃に驚いたルドロスは、一瞬身を引こうとした。さがっていくその体をハンはさらに泳いで追いかける。

 速い。

 今までで一番速く泳いでいる。

 体もふわふわ浮いてきたりしない。一直線にルドロスに向かって泳いでいく。

 モンスターが気を取り直して向かってきたところで抜刀した。今度はうまく双方の動きが合い、モンスターの体に初めて剣が刺さった。怯んだところでさらもう一手攻撃する。海中での攻撃がやっと当たるようになって来た。ルドロスはここに来て、この獲物は仲間がいない状態では手ごわいと判断したらしく、くるりと向きを変えると去っていった。

 ハンはモンスターの後は追わず、ワズーのところに泳いでくると、縄を切るのを手伝った。切り終ってやっと二人は海面に浮かび、呼吸をすることができた。海は茜色に染まっている。幸い遠くには流されていなかった船に泳ぎ着き、一息つく。

「助かったー」

 そのままの姿勢でハンの方に顔を向けると怒鳴るように言った。

「ハンのバカ! 心配させんなヨ! オマエが死んじゃったりしたら、オイラだって――」

 最後までは言い終わらなかった。途中から泣き声になる。

「あぐっ、怖かったじゃないかあ。あぐっ、わあああん」

 緊張の糸が切れたのだろう、大泣きし始めた。

「はあ、はあ」

 ハンは呼吸を整えるだけで精一杯だったが、落ち着くと、ワズーの隣に行き、泣きじゃくる頭を黙って撫でていた。

 船は完全にひっくり返っており、中に載せてあったものはみな沈んだり、流されたりしていた。当然のことながら、ハンの服と靴もである。

 まだ本人は気付いていないが、ハンはまたしても服を買いなおす羽目になった。



7.

 翌日、ギルドカウンター。

 カウカとルサはお茶を前に座っている。今海ではハンが魚を突くという課題に挑んでいるのだ。立会いのため、シーガルも同行している。

「どうですかねえ」

 カウカが森に向かう坂道を見ながら言う。

「ハンさんは、アタイに魚を捕ってきてくださると約束しましたニャ」

 ルサは熱いお茶に息を吹きかけて冷ましながら、落ち着いて言った。

「うまくいくといいですけどねえ」

「絶対うまくいきますニャ」



 午後になり、学校に行っていたワズーとシインも戻ってきた。四人で一緒に待っていると、坂道にシーガルとハンの姿が見えた。インナー姿のハンは手に魚を数匹ぶら下げている。

「やりましたニャ! 魚を突けましたニャ!」

 さっきまで落ち着いていたのは内心の心配を隠していたのだろう。ルサはハンが課題を達成したことが嬉しくてたまらないようだ。小さな両手を打ち合わせながらぴょんぴょん飛び跳ねている。

「ハンさん、おめでとー!」

「やったゼ!」

 子供達は帰ってくる二人のほうに駆け寄っていった。

「ちゃんと自力で魚を突けたぞ。一時はどうなることかと思ったが、これで一安心だな。ワズーもよくやってくれた」

「教官のおかげです。ありがとうございました」

 ハンはワズーに向かい、頭を深々と下げる。

「へへ、どうってことないゼ」

 ワズーは照れくさそうに鼻の横を掻いた。

「ちゃんと教えてくれたようですね。そして、最後の仕上げをしたのはルドロスらしいですよ」

 待っている間、ワズーが昨日の話をしたらしい。改めて話を聞き、シーガルは納得したように頷いて言った。

「ハンターに泳ぎを覚えさせたければ、モンスターと一緒に水中に放り込め、ってことか。だが、ラギアクルスと戦うためにはまだ不十分だな。これからは毎日水中での作業をやってもらうぞ。」

 シーガルはハンに向き直って言う。カウカも付け加える。

「ギルドからの依頼も、海のものを多くまわしてもらうようにしますから、水中での狩りにも早く慣れてください」

「はい」
 
 ハンは強く頷いた。

「ところで」

 ルサが割って入った。

「今朝、魚を採ったらアタイにくださるって約束しましたニャ。それは全部もらいますニャ」

「晩ご飯に魚団子を作ってもらえますか?」

「晩ご飯は野菜だけですニャ。肉や魚が食べたかったら、これからは自分でとってきてくださいニャ」

「……がんばります」

 珍しくあからさまにがっかりしているハンの様子を見て、ルサはいたずらっぽく言った。

「冗談ですニャ。今日はハンさんが泳げるようになったお祝いでご馳走ですニャ」

「わー、私もご相伴していいですか?」

「俺も混ぜてもらおうかな」

「オイラも行くゼ」

「じゃあ、ぼくも!」

 その夜、ハンの宿舎である小さな家ではハンとルサの他にカウカ、シーガル、村長、そしてワズー、シイン、オトの親子とガイカン夫婦までも集まってきて、ギュウギュウ詰めの大宴会となった。食卓には魚団子の他皆が持ち寄ったご馳走が山と詰まれた。村に迫りつつある危機も一時忘れ、一同は楽しく飲み食いをしたのだった。



*****

 数日後、待ちに待ったギルドからの連絡があり、狩りの依頼書の他に再発行された紹介状が同封されていた。

―――紹介状
 氏名:ハンメルダクムセスダート・アツマフヨグカムナ  十九歳
    (□年○月、ポッケ村訓練所 卒業)

 成績 五段階(優・秀・良・可・劣)評価 
                 植物及び鉱物学 優
                 生物学     優
                 調合術     優
                 体術      良
                 戦闘術     良
                 武具一般    秀
                 投擲      可
                 社交性・協調性 劣

                            総合 三段階(優・良・可)  良

 所見:生物学者である親の影響か、自然科学分野の成績は優秀。戦闘的分野はハンターとしては標準、特記すべきところはなし。投擲が苦手なのは幼少時の怪我のせいで左右の視力が違うためと思われる。接近武器を使うため、戦闘での問題はない。真面目で狩りに対しての熱意、集中力は目を見張るものがある。しかし、一方で時に他者との意思疎通に若干問題があり、班編成での狩猟実習では連携がうまく取れないせいでしばしば失敗している。複数人での大掛かりな狩りには不向きである恐れがある。

 推薦理由:今回のモガ村からの要請に対し、対象が未知要素の多いモンスターであること(対象の生態に対する研究が必要)、派遣依頼が一名(班編成ではない)であることから、この者が適任と思われ、ギルドの名において推薦するものである。


 追記:以下は我輩、教官の個人的な追記である。成績には反映されないところでのこの者の努力についてここに記しておきたい。

 訓練所では、各種の課題としてモンスターの狩猟が課されるが、進級・卒業課題となるのは特定のモンスターに限られる。訓練生達は一日でも早く現場に出たいと希望する者が多く、殆どは最小限の知識と卒業に必要な課題モンスターだけの狩猟経験で、二、三年で卒業していく。一方このアツマフヨグカムナは当訓練所から行けるすべての狩場において、訓練生に許可されるすべてのモンスターを狩猟した。

 また、植物・生物及び鉱物とそれらを使った調合においては、毎日のように自力で材料を調達して実習を繰り返し、結果調合成功率はすべての調合で九割を越えるまでになった。卒業まで五年かかっているのはそのためである。この点も記録には残らないが、他の訓練生の中には試験前だけ実習に精を出す連中もかなりいたことは一応記しておく。

 他者との意思疎通において、常に問題があったわけではないが、情緒的、精神的に複雑な十代の同期生達の間では、「人の話を聞いていない」「何を考えているのかわからない」「話がトンチンカン」などと揶揄されたり、班での狩りがうまくいかず、責任を問われ喧嘩になったりしたこともあった。とはいえ本人の性格は温厚であり、礼儀正しくもあることから、理解してくれる人物との間であれば良好な関係が築けるものとも思われる。

 今回の依頼は、現場が海であることから、泳ぎの経験がないことは懸念されたが、本人も強く希望しており、やる気をくんで推薦した。もし、水中での狩りがうまくできないようであれば、ギルドは責任を持って他のハンターを派遣するつもりであるが、訓練所での様子を見てきた我輩は、この者ならきっとやり遂げることができると信じている。


ハンターズギルド ポッケ村訓練所教官 ドンタム・メイグホーン 署名





第五話 君の名は

*****

 『彼』はずっと一人で歩いてきた。今いるこの場所にたどり着く前も、着いてからも、どこをどう歩いてきたのか、最早自分では思い出せない。体は常に今の状態なので、空腹であることも、疲れていることも、もう自覚できない。それでもある一つの目的のため、ふらふらと、どこへともなく、『彼』は歩き続けている。

*****


―――――― お父さん、お母さん、お変わりありませんか?
       
 こちらは元気でやっております。この島に来て、早十日も経ちました。

 到着以来いろいろなことがあり、毎日忙しく時間がたつのがあっという間です。この村の人たちは皆親切でよくしてくれます。おかげで泳げるようになりました。水中は陸の上とは違って上下にも動けるのが面白いです。

最近やっとギルドからの依頼が届くようになり、仕事が受けられるようになりました。まだまだ当地には慣れておらず、不手際もありますが、比較的簡単なものから少しずつこなしていき、そのうち大型も狩りたいと思っております。

 大型と言えば、ご存知でしょうが、こちらにはジャギィという鳥竜種がおります。二足歩行、短い前脚と長い尾を持った細身の体形で、そちらのギアノス、イーオス、ランポスなどと同系列の種と思われます。興味深いことに、このジャギィにも『ドス』が存在するそうです。こちらにいる間に、運がよければ『ドス化』の過程が観察できるかも知れません。できましたら観察結果を資料として送ります。

 そのジャギィの皮と牙を同封いたします。この牙を見るに、内陸の鳥竜種とこのジャギィやはり同系列かと思います。鳥竜種の多様さは真に興味深いことです。

 それではお元気で、またお便りいたします。

                                                        ハンメルダクムセスダート 拝 



1.

 今日の空は雲が重くたちこめ、海は天から下される水の恵みを予感している。

 南海の諸島地域、その中で他の島から離れ、その名のとおり孤立した場所にある『孤島』。小さな島ながら温暖な気候、恵まれた自然で島民達は満ち足りた暮らしをしている。

 島にあるモガの村、その心臓部とも言うべき港の広場には、できて間もないハンターズギルドの支所がある。建物自体は以前からあった古いものを流用しており、潮風に晒された、事務所というより小屋といったほうがいいような粗末なものだ。屋台のように外に面したカウンターと、奥に少々の空間がある。

 ここに常駐している職員は一人、マネージャー兼仲介役兼雑用といったところである。この島出身の少女で、名はカウカという。南方系特有の、黒髪と黒い大きな、イタズラ好きな小動物を思わせる眼をしている。簡素で楽な村人の服装とは色も形も異なるギルド制服を着て、今日もカウンターで資料を読んでいる。街の学校を卒業し、ギルドに採用されてまだ間もない。狩りについて、ハンターについて、ギルドについて、まだまだ知らないことが多い。時間があると本や資料を読んで勉強している。

 そこに一人、若い男がやってきた。緑を基調とした、所々を茶色の皮革で補強された身軽な服、丈夫そうな皮の長靴、腰には皮の手袋がぶら下がっている。これも村人達の服装とは異なる。動きやすさと同時に体を守るということも考慮された服だ。最近村に配属されてきたハンター、ハンである。右眉から頬にかけて二本の傷がある以外、特徴がないのが特徴という地味な人相のこの男は、手に小包を持っていた。

「おはようございます」

「おはようございます、ハンさん。今日のお仕事ですけど、どれにします? 選り取りみどりですよー。と言っても今ある依頼はこれだけなんですけどね」

 薄っぺらな依頼書の綴りを開き、ハンに見せる。

「小包を送りたいのです」

 質問とは関係のない返事をしたハンに対し、このギルド職員は綴りでカウンターをバンバンと叩いて注意した。

「私が話しかけてたんですよ、返事が先です!」

「すみません」

 ハンはなぜかよくこの少女に叱られる。とはいえカウカのほうも、この男のことはちょっとぼんやりしていて世話がやけるくらいに思っているだけで、特に悪い感情を持っているわけではないらしい。びしりと言いたいことを言ってしまうとくるりと表情を変え、笑顔で普通に話しかけた。

「まあ、クエストは後でもいいです。で、小包ですか? いいですよ。次の本部への定期便で一緒に送っておきますね」

 辺鄙なこの村でも国の郵便網は届いているが、ギルドの組織網を使った連絡便もある。地方に赴任している職員やハンターは私信でもこの連絡便を使うことが許されているのだ。こちらの方が速いし、金もかからない。モガの村から出すと、内陸の港までの船は普通の郵便と同じ定期船だが、その先はギルドの連絡便に載せられる。

「送り先は、と、ポッケ村? あそこなら訓練所やわりと大きいギルド支所もあるから便も多いですね。支所までなら一週間もかからないですね」

「支所までなら」というのは、連絡便は支所留めなので受取人は支所に受け取りに来る必要があるからだ。地方赴任中のハンターや職員の家族はこまめに地元の支所や支局に顔を出し、身内の近況を知る。そのついでに便りを託したり、受け取ったりするのだ。

 小包につける荷札を書きながら、カウカが思い出したように言う。

「そういえば、ハンさんのご両親って、生物学者なんですね。マフモフヨグカムナ博士夫妻といえば、ずっと地方でモンスターの研究をされているそうですけど、中央でもそこそこ有名らしいじゃないですか」

「マフモフではなくてアツマフです。アツマフヨグカムナ」

「こんな長い苗字、ちゃんと覚えられる人なんてそうそういませんよ」

 顔も上げすにカウカは平然と返事をする。覚えられる人がいないのにどうして有名なのだろう。

 ハンは自分の名前のことで、人からよく苦情を言われる。訓練所に入ってすぐは苗字で呼ばれるのが一般的なのだが、本人の印象が薄いせいもあってなかなか覚えてもらえず、教官がちゃんとハンに呼びかけ始めたのは入所後一ヶ月ほどたってからだった。それまでは、呼ぼうと口を開きかけた後、口の中でもごもごされていた。結局教官が覚えるまで「君」とか、「おまえ」とか呼ばれていたのだった。毎日会っていてもこれである。一回や二回で覚えられる人は確かにいない。

「ご夫婦で共同研究をされてるっていうのがまず珍しいですよね。」

 カウカは苗字の話はそれほど興味が無かったようだ。書き終えた荷札をハンの小包につけながらどんどん話を広げる。

「で、ハンさんも小さいときから英才教育を受けてたって寸法ですか?」

「そんなことはありません」

「でも、自然科学分野が得意なんでしょう?」

「はい」

「小さい時から勉強してたんじゃないんですか?」

「いいえ」

「じゃあ、子供のときはどんな遊びしてました?」

「骨です」

「ほねぇ?」

「モンスターの骨が家に沢山ありました。」

「で、それで遊んでたんですか。・・・・・・他に好きな遊びとか、おもちゃとか、なかったんですか?」

「ありませんでした」

 この返事では他の遊びに興味がなかったと言っているのか、それとも他におもちゃがなかったといっているのか判断に困る。どうもこの男とは世間話をしても楽しくない。カウカは咳払いをして依頼書の綴りを開いた。

「えー、ゴホン。お仕事の話に戻りましょう。『特産キノコの納品』、は終わったし、『ケルビの角』、今日はこれなんかどうですか?」

「行きます」

「じゃ、ケルビの角を二本採ってきてください。この角はちょっぴり削って使うと、いろんなお薬の材料になるんですよ」

「知っています」

「あ、やっぱり? 採れたらキャンプの納品用の箱に入れといてください。後で回収します」

「はい」

「依頼以外にも採取とかします?」

「モリで魚を獲ろうと思います」

 内陸育ちのハンはこの間まで泳げなかった。この島では海での仕事も多い。さらに現在村人をおびやかしている地震には、『海竜』ラギアクルスが関係しているのではと言われている。特訓の末泳げるようにはなったが、この巨大で獰猛なモンスターと渡り合うためにはまだまだ不十分だ。魚を獲るのも泳ぎの練習である。

「じゃ、帰りは夕方ですね。急がなくてもいいですけど、帰ったら報告に来てください」

それからカウカは右手で握りこぶしを作り、励ますように言った。

「ハンさんの攻撃が、ちゃんと当たりますように」

 ハンターなのに攻撃が当たらなくてどうするというのだろう。しかも草食の小型獣、ケルビが相手である。なんとなく小バカにされているような感じがする言い回しだが、この男、そういうことに鈍い。

「行ってきます」

 頷いて普通に返事をする。



*****

ドゥッ

 鈍い音がして、ケルビが草地に倒れこんだ。ケルビは、体全体が黒っぽく、背中に薄茶色の斑点があるほっそりした草食獣だ。その細い脚を伸ばして横たわっているが、死んでいるわけではない。頚部を盾で殴られ、意識を失っているだけだ。その上にかがみこんだハンが、持ってきた小型ののこぎりで手早く頭頂部に二本ある先細りの白い角を切る。切り終わってから背中を叩いて活を入れると、意識を取り戻した草食獣は立ち上がり、白く丸っこい尾を見せながら跳ねるように走って逃げていった。

 依頼はこの角を二本である。一頭で足りる。しかし傷つけずに気絶させるには、足が速く警戒心の強い草食獣に接近し、頚部を強すぎず、弱すぎない力で殴らなければならない。殺さず角だけを採ろうとしていたせいで時間が掛かったが、やっと終わった。もう昼も近い。ハンは納品のためにベースキャンプへ向かった。キャンプで納品を済ませたら、その場で昼食をとるつもりだった。


 くすんだ色の空の下、海に面した場所。巨大な岩が長年波に削られ、天然の屋根のようになったところにモガ村のハンター用ベースキャンプはある。

 天幕の下に休憩用の寝台、その脇には納品用の赤い大きな箱が置かれている。このキャンプは村人がハンターのために作ってくれたものだ。他の狩場のベースキャンプより天幕が大きく、厚く、入り口の布を降ろせば全体を覆うことができるように作られているのは、潮風で寝台が湿ったり、塩だらけになったりしないようにとの配慮であろう。ここには粗末ながらも暖かな心遣いが端々に見られる。

 赤い納品用箱の上蓋を持ち上げ、ハンは持ってきたケルビの角を入れた。狩りの様子は見守る通信要員のアイルーからギルド支所に随時送られている。ハンの納品もカウカに伝わっているはずだ。角は後でついでのある村人がギルド支所まで運んでくれることになっている。

 ハンは休憩がてら昼食をとるため、狩りに出る前に寝台の上に置いていた包みを取ろうとして驚いた。包みが開かれており、弁当の中身が空になっている。

 ここモガの森には、ハンの他に村人も採取をしにやってくる。肉食のモンスターもいて危ないため、いい顔はされないが子供達も遊びに来る。このベースキャンプの隣は、もともと村の運搬船を舫(もや)っていた船着場なので森に来た村人が来ることはある。しかし、人の弁当を食べるような者はいないはずだ。食べ物の匂いを嗅ぎつけた野生のモンスターが入り込んだのだろうか、それにしては包みは喰い破られたようには見えないし、容器も壊れてはいない。ハンは空腹を抱えながらどうしようかと考えていた。



*****

 『彼』は久しぶりに満腹だった。

 この島に来てから草やキノコなどを生のまま食べてきた。ハチミツを巣からそのまま採って食べ、腹を壊したこともある。
今日は、歩いているとなぜか寝台があり、食べ物の入った包みがその上に「落ちて」いたのだ。中にはチーズや野菜を挟んだパンと、ソーセージ、それから魚の身をたたいて揚げた団子が入っていた。『彼』にはそれは自分の一族が信仰する神からの贈り物と思えた。目的を達成するまで故郷には帰れない。そんな『彼』を哀れに思った神が、ちゃんとした食べ物を下さったのだろう。

 『彼』は神に感謝をしながらありがたく頂戴した。食べ終わると、寝台で少し休んでからまた歩き始めた。もうすぐ雨が降り出しそうだ。雨宿りにはさっきの場所がいいだろうと、『彼』は考えた。

*****



2.

 別の日、黒に近い濃紺の空を背景に、銀色の満月がやけに大きくみえる夜である。暗い海面は静かに波打ち、その表に月の姿を映している。波の音が聞く者の心を癒す。
青白い光に照らされた海岸で、ハンは釣り糸を垂れていた。今日は『黄金魚』を釣りに来ているのだ。黄金魚は文字通り黄金色に輝く鱗を持った魚で、商品価値が高い。依頼主は三尾ご所望である。傍には下穿きと短い胴着だけを身につけた、二人の子供の姿もあった。



*****

「ハンさーん、おはよう」

「おーい、起きてっかー?」

 この日の朝、村のハンター用宿舎として使用されている家に、村の子供、シインとワズーが入ってきた。この兄弟はハンが泳げるようになるのを手伝ってくれたいわば恩人で、それ以来ハンとは仲良しだ。やんちゃな兄ワズーは十歳、無邪気で素直なシインは九歳だ。村の中で会えば話しかけてきたりもするし、鍵というものがない宿舎に、今のように断りもなくどんどん入ってきたりする。大して用事があるわけではない。ただやってきては兄弟お互いのこととか、村人の手伝いをしたとか他愛の無い話をしていく。今日は家を出たのが早かったのか、学校へ行く前にちょっと寄ったというところだ。

「今ぼくたちねー、黄金魚をどっちが早く釣るかで競争してるの。黄金魚は今が釣れる季節なんだけど、普通の餌では釣りにくいんだよ。ぼくはツチハチノコが栄養あるから魚も喜ぶんじゃないかな、って思ってるんだけど、兄ちゃんは別の餌がいいって言うんだ」

 少年達は朝食をとっていたハンを両側から挟み、つまみ食いをして世話係のアイルー、ルサに叱られたりしながら話をする。

「バッカだなー。釣りホタルのほうがいいに決まってるじゃン。でも、これ使っても黄金魚ってなかなか釣れないんだよナ」

「練り餌がいいです」

「練り餌?」

「練り餌の粉にその二種類の虫をつぶして混ぜればいいのです」

 食べ物を口にしながら「虫をつぶす」などと平気で言えるところがハンターである。

「へー、オイラたちいつもは生き餌しか使わないんだけど、おもしろそうだナ。練り餌に混ぜれば魚も二つの虫の味が楽しめるってわけか。よし、学校から帰ったら、ツチハチノコと釣りホタルを持ってきてやるヨ」

「ぼく練り餌って作ったことないんだ。ねえハンさん、一緒に作ろう?」

 その後、ギルドカウンターでその黄金魚を釣る依頼が来ていることを知ったハンは、依頼を受けて帰り、午後から二人の子供と一緒に練り餌を作ったりして準備をした。

 そして潮の具合を見計らってこの浜に来たのである。ワズーとシインも一緒である。これにはちょっとした顛末がある。



*****

 宵の口、ギルドカウンターに出発の報告に来たハンだったが、そこには少年達も同行していた。

「おや、ハンさん、いよいよ黄金魚釣りに出発ですか?」
 
 カウンターの中からカウカが声をかける。普段ならとっくに家に帰っている時刻だが、昼間依頼を受注したハンが準備を終え、出発するのを待っていたのだ。

「はい」

「ところで、今回のお仕事では見守りアイルーさんは要りませんよね」

 ギルドから依頼を受けたハンターがクエストに出発する際、狩りの様子を見守り、必要に応じてギルドに連絡をするのがアイルー族の通信員、通称『見守りアイルー』である。

 ネコが直立したような外見の小柄な一族である彼らの中には、種族独自の能力である遠隔意思伝達を用いて、ギルドの通信員として働いている者も多い。その通信員の一部に『見守りアイルー』と呼ばれる特殊な職種があるのだ。見守りの他、密猟をしないか、規定違反の道具を狩場に持ち込んでいないかなどの監視もする。この『見守りアイルー』や、『ネコタク』の愛称で知られる運搬や救急用の車を押す車夫に支払う賃金は担当のギルド支所が負担する。ハンター側に落ち度があったときにはハンターの報酬から天引きされることもある。

「夜は料金割り増しなんですよね。経費節減はウチみたいな弱小支所では死活問題ですから、できれば見守りなしでお願いしたいんです」

 今日は『釣り』である。そうそう命にかかわるような問題が起こるとは考えにくい。ついてきてもらわなくても大丈夫だろう。

「わかりました」

 何気なく返事をしたハンだったが、後にこのことを後悔することとなった。

「行ってきます」

「じゃあねえー」

 シインが手を振る。ハンは歩き出す前にちらりとカウカのほうを見た。カウンターから手を振り返していたカウカはあることに気がつき、呼び止める。

「ちょ、ちょっと。ワズー、シイン、あんたたちも一緒に行く気?」

「ちっ」

 ワズーが残念そうに舌打ちした。もしカウカが気付かなければそのまま行くつもりだったのだろう。

「そうだヨ。こいつ一人じゃ心配じゃン。カウカのねーちゃんが許してくれたら行ってもいいってハンが言ったんだ」

 ハンは子供達にせがまれてうまく断りきれず、カウカになんとかしてもらうつもりだったらしい。

「ダメよ。クエストには仕事を受注したハンターさんしか行っちゃいけないことになってんだからね」

「でも、ハンさん今日の満潮は夜なのに昼間から行こうとしてたし、海釣りのことよくわかってないから、誰かが教えてあげなくちゃ」

 シインが説得しようとするが、

「決まりだから、ダメ」

 と、カウンターから身を乗り出して指を振りながら、カウカはギルド職員としての威厳を示そうとする。

「なーなー、カウカのねーちゃん」

 ワズーが突然右手を差し出しながら声をかけた。

「オイラ昨日いーいもの手に入れたんだ。これ、ねーちゃんにあげようかなーって思ってんだけどナ」

 開いた右手には直径が普通の倍ほどもある大きな真珠が載せられていた。この辺りでまれに取れる大玉の真珠である。あまりに大きいので、初めて見た人は大抵贋物と疑うほどだ。真珠を見てカウカは黙り込んだ。ワズーが自分を買収しようとしているのは明らかである。しかしこの巨大な真珠の輝きを見て抵抗できる女性はそうそういない。

「えー、と、まあ、モンスターを狩るわけじゃないから、危なくはないんだよね・・・・・・」

 カウカは内心の動揺を隠すようにぶつぶつ言いながら、日報をめくりだす。そして昨日の記録を見ると目を輝かせた。そこには「ハンターから小包、届け先、ポッケ村」との記載がある。

「ポッケ村。そうだ、ハンさん、ポッケ村のハンターさんはアイルーのお供さんを連れて狩りに行くことがあるそうですね」

「はい」

「それって、ハンターじゃなくても、ハンターさんが個人的に頼んだ助手なら一緒に行ってもいいってことになりませんか?」

「そうなります、か」

「じゃあ、大丈夫です。ワズーとシインは今回の依頼でハンさんが個人的に頼んだ助手ということにすればいいんですよ。問題解決!」

 にっこり笑うと、ワズーの手から真珠をひったくった。



*****

 ということで、釣り場に来た三人である。まずはギルドからの支給品に入っていた釣りミミズを餌として、よく釣れると子供達おすすめの場所、浜の端にある岩場から深みに落としてみる。

 そのまま待っていると、しばらくしてハンの竿から伸びた糸の先で棒状の赤い浮きがピクッと動いた。暗い中でも見やすいようにとつけておいた釣りホタルの光がクッと垂直に海中に引き込まれる。アワセをして竿をあげると、サシミウオが釣れていた。味がよく、これはこれで価値のある魚だが、狙いの黄金魚ではない。持って来た大き目の魚籠に入れる。

 その後も三人の竿には何度かアタリがあったが、釣り上げてみると全て外道。魚籠の中はサシミウオ、ハリマグロ、ハジケイワシ、と狙い以外の魚で一杯になってきた。

「オイラ思うんだけどサ、ハリマグロは最高だよナ。このアゴのところはボウガンの弾にできるし、身だっておいしいしサ」

 魚籠の中に魚を入れながら、ワズーが言いだした。

「うーん、ぼくは魚団子だったらサシミウオのほうがいいと思うなあ」

 シインも自分の意見を述べる。

「魚団子はどれでもおいしいです」

 ハンも聞かれたわけでもないのに話に入る。この村の郷土料理である『魚団子』は魚の身を細かくたたいたものに香辛料を混ぜて油で揚げたものだ。ハンはこの村に来て以来、毎日のように食べているらしい。

「オマエ全然わかってないナ」

「そうだよ、魚がちがうと味もちがうんだよ」

 二人の子供から突っ込まれる。ハンは首を振る。

「サシミウオは白身なのであっさりした味わいですが、ハリマグロの赤身の濃厚な味も捨てがたいです。古代鮫はアンモニア臭がかすかにあり味に癖がありますが、揚げることで臭みはなくなりますし、慣れると独特のぷりぷりした歯ごたえがヤミツキになります」

 この島で手に入る魚について、魚団子にしたときの味を語りだした。それぞれの魚の身の特徴から始まり、どの香辛料を組み合わせるとどう味が変わるか、まで説明し始める。

「――と、赤身の魚には余り手をかけずに魚醤(ぎょしょう)や塩がいいとも言えますが、意外と強い香りの香草なども合います。それに――」

 二人の子供はあっけにとられてただ聞いているしかできなかった。ハンと知り合ってまだ十日あまりにしかならないが、これまで何か用があるときか、誰かの質問に答える形でしか話すところを見たことがない。そのハンがここまで雄弁に自分から話をするのは初めてだ。わずかな期間に、毎朝港で手に入れた魚と香辛料でさまざまな組み合わせを試していたようだ。

「えーっと、そろそろ釣り、始めたほうがよくない?」

 いつまでも続きそうな勢いの長談義にただただ頷き続けるしかできなかった子供達が、やっと止めることができたのはかなり時間がたってからだった。



 今度は餌を変えることにし、二種類の虫を混ぜた練り餌を使うことにした。

 三人がこの餌をつけたハリをたらすと、月光を受けた海面から水を通してうっすら見えていた魚影が変わったのがわかった。それまで群れていた黒っぽい影ではなく、暗い水の上からでもそれとわかる黄金の輝きが数匹、ゆっくりと集まってきたのだ。そのままハリに掛かるのを待つ。警戒心が強い魚らしく、なかなか食いつかない。

 それでも待ち続けるうちに、かすかな手ごたえがあった。勢い込んで竿をあげたハンだったが、魚はバレてしまった。それまでに釣れた魚とは違って、この金色の魚はアタリが微妙でアワセるのが難しいようだ。ワズーにもアタリが来たが、竿をあげるとき急ぎすぎて糸を切ってしまう。シインも一度は逃したが、二度目にやっと釣り上げることができた。

「わーい! ぼくが一番だね」

 月明かりを受けて輝く金色の魚を嬉しそうにハリからはずし、魚籠に入れようと振り返ったシインが叫んだ。

「兄ちゃん! ハンさん!」
 
 魚籠がなくなっている。魚籠が置いてあったはずの場所を見て、ワズーも思わず叫ぶ。

「魚泥棒だ!」

 三人はあたりを見回したが、近くには誰も、何もいない。

 いつの間になくなったのだろう。黄金魚との駆け引きに夢中になっていて気がつかなかった。誰か、何かが、皆が気付かないうちに魚を盗っていったのだ。見守りのアイルーに来てもらっていないので、目撃者もいない。こんなことなら見守りを断ったりしなければよかったと思ったが、後から後悔しても遅い。三人は月明かりの中、犯人の手がかりを探して辺りを見てまわった。しかし、何も見つからない。ハンも黙って近くを歩き回っていたが、仕事中であることを思い出した。依頼を放り出して泥棒探しをするわけにはいかない。

「今は依頼優先です」

 三人は捜索をあきらめた。その後は魚籠がないので外道の魚が釣れると逃がし、黄金魚はハンが上半身の服を脱いでくるんでから、自分たちの目の届くところに置いて釣りを続けた。最終的に黄金魚の納品は無事にできたが、魚泥棒の正体はわからないままだった。



3.

 そしてこれはまた別の日、ギルドカウンターでは朝の恒例行事となった『本日のお仕事決定会議』が行われていた。会議といっても参加者はたった二人だけ、しかもあっという間に終わる。

「農場長さんからも依頼があったんですよ。ジャギィの討伐」

「やります」

「じゃあ、農場に行って、詳しい話を聞いてきてください」

 以上で会議は終了である。ハンは村の共同農場に向かった。



*****

 村の共同農場の農場長は小柄な竜人族の老人である。いつも土色に近い黄色の長衣を着、大きな浅い円錐形の日よけ帽子をかぶった仙人然とした人物だ。ハンが到着した日にあった地震で、アイルー族の作業員たちが逃げ出してしまっていたが、先日そのうちの一人が戻ってきた。農場も作業を再開している。ハンもこの農場に委託して、薬草やアオキノコ、ネンチャク草など、狩りに必要な道具の素材となる植物やキノコ類、虫類を育ててもらっている。

 
 農場は、村の広場からは木材を組んだ渡り桟橋で繋がった高台にある。やってきたハンを、一匹のプーギー種の子豚が出迎えた。農場で放し飼いにされているのだ。最初にあいさつに来た時、農場長はハンに、

「このプーギーは母親が世話をしなくての、農場で育てておるんじゃが、まだ名前がないんじゃ。お前さん、よかったら名前をつけてやってくれんかのーう?」

 と、頼んできた。ハンが考えた名前は『ユズ』。農場長は、

「ほっほ、そりゃええ名前じゃ」

 と気に入ってくれ、それ以来村でもその名で呼ばれるようになった。名付け親がわかるというわけでもないのだろうが、子豚は村に来て間もないハンにも懐いてくれた。時々農場に行くと自分から寄ってくる。ハンはしゃがみこみ、頭や背中を撫でてやった。

「ほっほ、お前さんか。依頼のことで来てくれたのかの?」

 プーギーと遊んでいるハンに農場長が声をかける。立ち上がったハンは頷いて言った。

「そうです」

「近頃のお、農場が荒らされておるんじゃよ。作物がかじられたり踏み荒らされたりしておる。森のほうからジャギィが入ってきとるんじゃないかと思うんじゃ。昨日などは苺とシモフリトマトを沢山食べられてしもうた。それでの」

 農場長は渡り桟橋の先、広場の方角を差して言った。

「村にハンターズギルドの支所ができたことじゃし、ものはためしと、依頼を出してみたんじゃよ」

 振り向いて、頷きながら聞いているハンに向き直る。

「あやつらに、農場に手を出すとひどい目に合うと思い知らせてやって欲しいんじゃ。おまえさん、ちょっとやってくれるかの?」

「承りました」

「ほっほ。頼もしいことじゃ。頼んだぞい」



*****

 『彼』はまだ歩いている。走るでも、止まるでもない。ただ、歩いている。川に近づき、腰から瓢箪をとると水を汲んだ。腹も減ってきた。昨日手に入れた果物と野菜を座って食べ始める。昨日はついていた。歩いているうちにいつの間にか野菜や果物、穀物がたくさん生えているところに出た。果物や野菜も手に入った。いい場所を見つけたものだ。これからも空腹になったら採りにいくことにしよう。この島に来てから食べ物には困らない。いい場所だ。しばらくはこの島にいることにしようか。

 座っている彼の後ろから、大きな影が近づいてきていた。

*****



 ハンは農場長の依頼を受け、農場側から通じる道を通って森へと向かっている。森と農場の間で二頭のジャギィに行きあい、倒してきた。さらに、道に大型モンスターの狩りに使うシビレ罠を応用した簡易罠を仕掛けておいた。体内で発電する虫、雷光虫と電気を通す針金を仕込んである。踏むと少しビリっとする程度だが、ジャギィたちにこの道を通るといやな目に会うと思わせるには十分だ。

 道は今や森に達し、ハンは立ち止まってその先を見た。依頼ではジャギィのメス、ジャギノスも狩ってきて欲しいとあった。ジャギィを農場から遠ざけるだけなら農場のそばでジャギィを狩るだけでいいのだが、ついでにメスのジャギノスの素材でも欲しいということなのだろう。オスと違い、ジャギノスたちは巣の近くから離れることはあまり無い。ジャギノスを狩るためには棲み処の近くまで行く必要がある。

 以前にも行ったことがあるジャギィの棲み処へ行く途中、細い山道でハンは立ち止まった。目の前に尾の先まで入れると自分の三倍はあろうかというモンスターが倒れていた。

 ジャギィの長、ドスジャギィだ。死んでいる。桃色がかった紫に灰色が混じったような、つるりとしていたであろう皮膚は生前の光沢を失っている。そのモンスターを特徴付ける、大きくひらひらした耳はギザギザに千切れていた。頭頂部に大きな陥没がある。おそらくこれが致命傷だろう。死体のそばには両手でも抱えきれないほどの血のついた岩が落ちていた。運悪く落石に当たったのだろうか。死んでからまだ間もないようだが、傷口には早くも虫が取り付いている。

 ハンは膝をつき、モンスターの死体を検分する。しばらくすると立ち上がり、先へと進んでいった。

 からん。

 山道に小石が転がる。道を挟む岩壁の上で、小さな影が震えていた。



*****

 夕方、村の広場。いつもの腰掛に座った村長のところに、ハンがやって来た。

「おう、お前さんか、調子はどうだね?」

 ハンは呼びかけには答えずに、用件を切り出す。

「本を見せて頂けないでしょうか?」

「本とな?」



 ジャギノス、ジャギィの狩りを終え、カウンターに報告に来ていたハンは、調べたいことがある、と、カウカに本がある場所を尋ねた。

「この村には図書館なんてものは無いですけど、モンスターや狩りに関する本だったら、村長さんがたくさん持ってますよ。」

 それを聞いて、ハンは村長のところにやってきたというわけだ。

 
 村の建物の中でもひときわ大きく立派な村長の家。その一部屋、村長の書斎には、話に聞いていたとおり大きな本棚があり、モンスターの図鑑や研究書、狩りに関する書物がぎっしり並んでいた。

「ここの本なら、どれでも自由に読んでかまわんぞ。もうすぐ暗くなるからこれも使うといい」

 部屋の端にある机に植物油のランプをおきながら村長は言った。

「ありがとうございます」

「ゆっくりな」

 村長がまだ部屋から出て行かないうちから、ハンは本棚から一冊取り出し、座り込んで読み始めた。


 あたりがとっぷりと暗くなり、さらに時間がたった頃、村長の息子、シーガルがハンのいる書斎にやってきた。なかなか出てこないので、様子を見にきたのだ。入り口から顔を出し、声をかける。

「おーい、いるのか?」

 返事はない。シーガルはハンのこの癖にも慣れてきた。さっさと室内に入ってくると、机で一心不乱に本を読んでいるハンの肩を叩く。

「ハン」

 びくっとして振り返るハン。その周りには机いっぱいに本が積み上げられていた。それどころか、机の周りの床にも本が沢山置いてある。

「調べものはまだ終わらないのか?」

「終わりました」

「じゃあ、何やってるんだ?」

「本を読むのは久しぶりなのです」

 嬉しくてついつい読みふけってしまったということか、ハンターのくせに読書家とはこいつらしいな、とシーガルは思った。

「もう遅いぞ、またにしろよ。いつでも来ていいから。しかしまた、ずいぶんと出したもんだな。オヤジのヤツ、あれで結構几帳面なんだぞ。本は自分が決めた並べ方でしまわないと怒るんだが、どこにあったか俺じゃ全部はわからんな」

 シーガルは本の山を見ながら言う。父親の蔵書の配置など覚えてはいない。ひょっとしたら村長自身を呼んでこなければならないのでは、と心配になった。

「すみません、今片付けます」

 ハンは立ち上がると、机の上や床から本を取り上げ、棚に戻し始めた。二十冊以上出ていた本を本棚のもとあった場所に戻すのに三分とかからなかった。シーガルは軽く口笛を吹く。

「やっぱりお前さんは、たいしたヤツだな」

「普通です」


「アツマフヨグカムナ」

「はい?」

 帰りがけにあいさつをしに顔を出した居間で、急に苗字を呼びかけられ、ハンは返事をした。

「この苗字は父上のものかね?」

 居間の床は板張りで、部屋の中心に作られた囲炉裏の周りに座布団がいくつか置かれている。その一つに座り、村長は真面目な顔で質問してきた。横に置かれた盆には徳利と小ぶりの椀、小皿に盛った肴が置かれている。

「母です」

「なぜ母方姓を?」

「珍しい苗字なので父も面白がって使うことにしたそうです」

「母上はどちらのご出身かな?」

「ドンドルマと聞いています」

「都会だの。田舎はあるのかね?」

「知りません」

 ハンは首をかしげた。母方の祖父母はハンが生まれる前に双方とも亡くなったと聞いている。叔父が一人いる他は、親戚付き合いもない。この苗字の由来など、今まで気にしたことは無かった。母の先祖はどのような家系だったのかと、改めて思う。村長はそんなハンの様子を見て言った。

「つまらぬことを聞いたわい。気にせんでくれ」

 村長はなぜ急に苗字の話をしたのだろう。

「何かご存知なのですか?」

「ん? 苗字のことか? なぜそう思うのだ?」

「今まで一度でこの苗字を言えた人はいません」

 村長はすぐには答えず、間をおいてから言った。

「ああ、そのことか。お前さんももうわかっとるかもしれんが、わしはモンスターや狩りに興味があっての、本も集めておる。博士夫妻の本も何冊かあるからな、もともと知っておっただけだ」

「そうですか」

 老人は盆から椀をとり、口元に運びながら言った。

「……雨が降り出したようだ。お前さんも調べものが終わったのなら早く帰ったほうがよかろう」

 ハンには相手にその気がないことを根掘り葉掘り聞きだす能力がない。その気もない。村長がこの話をやめたいと思っているのなら、もう話は終わりだ。数日ためらっていた空がようやく思い切ったかのように、振り出した雨の中、濡れながら自分の宿舎である家へと戻っていった。



4.

 翌日も雨だった。村長、シーガル、カウカ、港の女主人、村で一軒だけの雑貨屋、そして子供達、広場では天気に関係なく、いつもの人々がそれぞれに活動を始めていた。ハンも雨合羽を羽織ってギルドカウンターに来る。しかし、いつもの身軽な様子と異なり、腰や背中につけた道具用の物入れがパンパンに膨らんでいるのが合羽の上からでもわかる。

「二、三日森に行かせてください」

「森なら毎日行ってるじゃないですか」

「いえ、泊りがけで見ておきたいことがあるのです」

「え? それってどういうことですか?」

「ジャギィの群れに新しい『ドス』が現れるところを観察するまたとない機会なのです」

「ドスって、群れの一番偉いヤツってことですよね。何があったんです?」

 ハンは一つ頷くと話し始めた。

「昨日森でドスジャギィの死体を見ました。落石で死んだようです。ジャギィの群れは長がいないと維持できません。若いオスの中から、次のドス候補達が戦うでしょう。そして、勝った個体が次のドスとなるはずです」

「はあ」

 カウカはまだモンスターのこともよく知らない。ハンの話に早くもついて行けなくなった。

「興味深いのは、これは内陸のギアノスなどの例なのですが、ドスは同族でありながら他の個体より、体も大きく、外見も若干変わっています。しかも、その変化はわずか二、三日で起きるのですが、ジャギィの観察例はまだ少なく、詳しいことは知られていないのです」

「へえ」

 いつもならカウカが勢いよく話し、ハンはあいづちを打つだけなのだが、今は立場が逆になっている。カウカは頷き続けるしかできない。

「ですから、今から森へ行き、新しいドスになる個体の変化を見届けたいのです。そうすれば、ジャギィの生態がまた一つ解明できます」

「・・・・・・」

「失礼します」

 ハンは説明を終えると、向きを変えて歩き出そうとした。

「・・・・・・ちょっと待ってくださいよ!」

 カウカは慌ててカウンターから出てくると、ハンの前に回り込んで止める。

「お話はなんとなくわかりました。でも、ハンさんが森に行っている間、ギルドの仕事をこなしてもらえないとなると、ちょっと困るんですけど」

 ハンは立ち止まったが、静かな声で行った。

「このような機会はめったにないのです」

「ハンさん、あなたはギルドに所属するハンターなんですよ!」

 カウカは声を荒げた。広場にいた村人の何人かが、何事かとこちらに視線を向ける。

「ご両親のような学者さんじゃないんです。この島には今、ハンターはハンさんしかいないのに、もし留守にしている間に危険なモンスターが現れて討伐の依頼が来たらどうすればいいんですか? 自分の責任ってものを考えてください!」

「・・・・・・」

 小柄なカウカは背伸びするようにハンを見上げると、目を覗き込んだ。ハンは一瞬顔面に水でもかけられたかのような顔をした後、叱られた子供のように顔を下げ、地面を見つめて言った。

「カウカさんの言うとおりです」

 その場に立ち尽くしたまま動かなくなってしまった。片手で顔を覆い、ぼそりとつぶやく。

「またやってしまった」

 一つのことに夢中になると、周りが見えなくなってしまう。訓練所の成績で協調性が最低評価になっていたのはこの気質のせいである。訓練所でもよく責められ、人間関係にも影響していた、と教官の所見にも書かれていた。今回も危うく責任放棄することころだ。
 
 カウカも黙ったまま、うつむいたハンを見つめる。

(大きな手。指も長い。器用なんだろうなあ。狩りのときはいつも手袋をしてるからかな、顔とは色が違う)

 最初、ハンの顔を覆った手を見ながら脈絡なくそんなことを考えたが、すぐに別のことを考え始めた。

 十数秒も二人で雨の中黙ったまま立っていた後、唐突にカウカは口を開いた。

「ハンさんにはこの仕事に行って欲しいんですよ」

 明るい声で言うと、ひらりと体を回し、カウンターに戻る。

「・・・・・・」

 ハンはまだ動かない。カウカはそのままカウンターに戻ると、依頼書の綴りを開いた。

「朝イチで、新しい依頼が来たんです。依頼人は、驚くなかれ、シインです」

 知り合いの名が出たところで、ずっと顔を覆ったままだったハンの手が顔から離れた。

「内容は、森に妖精さんがいるってことを確認してきて欲しい、だそうです」

 綴りに綴じられた依頼書を見せながら話す。

「子供の言うことですし、妖精がいるって急に言われても、ちょっと信じられないですよね。情報も少なそうだし、うろうろ歩き回るより、一箇所で見張ってた方がいいかもしれないですね」

 カウカはなぜ急に依頼の話をしたのか、この依頼で本当は何をさせようとしているのか。ハンはまだ確信はもてないながらも何かが引っかかり、顔を上げた。説明が続く。

「それでも確認するには何日もかかるんじゃないですかねえ。お気の毒ですが、この依頼をうけたら最低でも二、三日は森に泊まり込みになっちゃいますよお」

 どんよりとしていたハンの目に光が灯る。カウカからはさらにもう一言。

「森にいる間、どんなことが起こるかは、私の知ったこっちゃないですけどね」

 ハンは駆け寄って来ると、両手でカウンターの端を握った。

「報酬も少ないし、大変そうな割に成功が保証できないからおすすめはできないんだけどな。どうします?」

「受けます!」

 ハンの顔はこれまでカウカが見たこともないほど嬉しそうだ。返事も初めて聞く大声である。

「じゃあ、説明します。シインは昨日森で人ともモンスターとも違う変わった生き物に会ったそうです。しかし、その話をしても誰も信じてくれない。自分が嘘を言っているのじゃないことを、実物を見つけて証明して欲しいそうです。ここに外見の特徴を書いておきました。さっき居合わせたシーガルさんは、これを見て『奇面族』じゃないかと言ってます」

 奇面族は内陸で森や洞窟に住む謎の多い一族だ。小さな体で、全員が仮面をかぶって暮らしているという。性質は獰猛、一説にはその戦闘力は飛竜にも匹敵すると言われている。ハンも訓練所時代、ポッケ村の近くで見かけたことがある。手に持ったナタのようなものを振り回して近づいた生き物を追い掛けていた。しかし、この島に奇面族はいないはずだという。

「それとこれは、学校に行ったシインから伝言です。『ぼくのお小遣いをあげるから、絶対妖精さんを見つけて』だそうです」

「受け取れません」

「ギルドとしては金額にかかわらず報酬がないと依頼として受けられないんで、一応その条件で受けただけです。報酬のことはあとで本人と話してもらうとして、すぐ出発してください。急がないとその妖精さんがどっかに逃げちゃいますよ。それと、この仕事の間はアイルー通信の受信機を耳につけておいてください。もし急ぎの依頼が来たら連絡します。そのときはこの仕事は一旦中断してもらいますからね」

「わかりました」

 返事をしたハンは、今はもう普段と同じ顔になっている。それでも最後にカウカの目をじっと見つめ、出した声はやはり嬉しそうに聞こえた

「ありがとうございます、カウカさん。勝手を言ってすみませんでした」

 頭を下げた後、回れ右をして走り出した勢いに近くにいた村人が驚いて飛びのく。

「制服が濡れちゃったじゃないですか。やれやれ、世話がやけるなあ」

 一人になって、カウカはため息をついた。

「でも、あんな顔は初めて見た」

 思い出してくすりと笑う。



5.

 ハンが森にこもって三日目である。シインからの依頼を受けたので、森を歩きながらあちこち探したが、誰にも会わないままジャギィの棲み処に到着してしまった。そして、着いてからは、『妖精さん』のことはハンの頭からすっかり抜け落ちてしまっている。ハンは眼前で繰り広がる自然の驚異に心を奪われていた。

 棲み処では、次期ドス候補である若いオス同士の戦いは既に終わってしまっていたが、勝ち残り、新たな群れの長となった個体には、予想通り変化が起き始めていた。

 その変化は一瞬で起きるというものではなかった。

 夕日が沈むとき、知らず知らずのうちに色が変わり、気がつけば空が赤くなっているように、じっと観察していてもなお、確認しがたいくらい徐々に、しかし確実に起こっていた。いつとははっきりといえないのに、朝見たときには桃色が多かった皮膚の色が、午後には背中の灰色っぽい紫が広がって全体の色が変わっている。額から尾にかけても、いつともいえないうちに白いたてがみが短く生えていた。また、食料の配分でも、ドスは他の個体の倍は食べている。既に体格に差が出てきていた。まだ数日だが、すでに見た目の大きさが違う。時がたつうちにはさらにはっきりと他の個体との差がでてくることだろう。

 そして、三日目、そのジャギィの棲み処には確かにドスジャギィが一頭いた。群れを束ね、供を連れて縄張りを巡回している。威厳に満ちたその姿はもう、数日前まで群れの他のオスと区別がつかなかった個体ではない。群れに一頭だけの、選ばれた長のそれだった。

 ハンは変化の過程を持参した帳面に説明図を入れて克明に記録していった。そして、最後の変化を記録し、ドスジャギィが縄張りの巡回に出かけて行くのを見届けると、帳面を閉じる。そこで、今更ながら今回森に来た仕事上の目的である『妖精さん』のことを思い出した。さて、どうしようかと考えていたところに、左の耳たぶに挟んだ『アイルー通信受信機・音声用』から、声が聞こえてきた。

「ハンさん、聞こえますか? 聞こえたら返事をしてください」

「聞こえます」

 ハンは少し大きめの声で独り言のようにどこにともなく返事をした。返事を求めてくるということは、こちらの声をひろえる位置に通信アイルーが来ているということだろう。カウンターにも以前のようにハンの世話係でもあるルサがいるはずだ。

「そろそろジャギィがドスになったんじゃないかと思ったんですが、どうですか?」

「はい、無事ドス化しました」

「そりゃ好都合です。実は本部から新しい依頼が来たんです。ハンさんが出発してすぐに伝書鳩で送った報告書にジャギィのことを書いてたんですが、ドス化した直後のジャギィの標本が欲しいそうです。受けますか?」

「やります」

 研究者気質があっても、やはりハンはハンターである。心の底に、強いモンスターに挑み、自分の力を試したいという欲求がある。目の前に手ごたえのあるモンスターがいるのを見て、挑みたくならないはずがない。

「そうこなくちゃ。 時間がないので、例外的に今の依頼を受けたまま、新しいクエストに入ってもらいます。一旦ベースキャンプに戻ってください。ハンさんなら絶対受けるって思ったから、先に支給品を送っときました。ハンさんがつく頃にはもう支給品の箱に入ってるって寸法です」

「お手数かけました」

「じゃ、ケガしないでくださいね」


 ドスジャギィは群れの他のジャギィたちより大きく、重い。ハンは見た目から体重を推定し、棲み処を離れる前に、他の個体が掛からないような強度の落とし穴を仕掛けた。この島に来てから買った新型のトラップツールを使ったもので、内蔵された機構により、自動で穴を掘ってくれる。

「前のより性能はよくなったけど、岩場とか、地面が硬いところではやっぱり使えないわよ」

 と、雑貨屋のおねえさんは言っていたが、最近雨が降ったせいで地面は軟らかくなっている。半身が入るくらいにはなるだろう。どこかで戦いを仕掛け、弱らせればドスジャギィは必ずここに戻ってくる。穴に落ちてもがいているところで、顔面に麻酔効果のある煙を込めた玉を投げつければ、弱った個体は深い眠りに落ち、生け捕りできるはずだ。標本としては生死問わない依頼だが、ハンとしても間近で生きているドスジャギィを見てみたかった。



*****

 『彼』は自分の目が信じられなかった。三日前、細い山道で自分を襲った獰猛なモンスターの群れ。逃げようと崖を上っている途中で、ひび割れていた壁面から「彼」の足が偶然当たったことで大きな岩が剥がれ落ちた。それが直撃して死んだ群れの長が生き返っている。別の個体だとは夢にも思わず、『彼』は悲鳴を上げて逃げ出した。

「誰か、助けてっチャー!」



*****

 一方ハンの方は、ベースキャンプで支給品を受け取り、味が悪いとハンターの間では不評の携帯食料を急いで口に詰め込むと、すぐに踵を返して走り出した。ドスジャギィの巡回路は頭に入っている。棲み処に戻る前に迎え撃つつもりだった。


 ドンッ

 細い切り通しから出たところで、ハンに何かがぶつかってきた。切り通しをぬけた川が浅く、広くゆったりと海に向かって流れている開けた場所である。反動で転びそうになったがなんとか踏みとどまる。見るとハンがこれまで見たこともない何かだ。

「妖精さん・・・・・・?」

 それは、確かに人ともモンスターともいえない生き物だった。大きさはニンゲン族の子供ほど。形から言えば、ニンゲン族に近い。直立で、二足歩行をしている。手もあり、先に大きく奇妙な形をした飾りのついた棍棒を持っている。上半身は裸だが、腰ミノを身につけているところも人のようだ。だが、ニンゲン族と決定的に違うのは、その体色だった。その生き物の体は全身が森の木の葉を思わせる緑色なのである。その上に、頭部には大きな仮面をかぶっている。子供の頭がすっぽりと入るほどの大きさの巨大なドングリをくりぬき、表面に模様を書き付けたもので、頭全体を覆っている。頭頂部にはドングリのヘタがそのまま残っており、まるで仮面の上からさらに帽子をかぶったように見えた。このドングリも緑色である。ハンが以前見た奇面族はこんな色はしていなかった。頭でっかちの体形から判断すると子供のようだが、子どもの間はこんな色なのだろうか。

 「あー、そこの人、助けてくれっチャー!」

 甲高い声だった。この子供が何者にしろ、ニンゲン族の言葉は話せるようだ。ハンの後ろに回りこむ。仮面が顔を隠してしまっているので、表情まではわからないが、腰が引けた動作で今来た方向を見ている。ハンが改めてそちらに向き直ると、お供にジャギィを二頭引き連れたドスジャギィが大またでのっしのっしと歩いていた。何気なく顔を回したモンスターの長は、ハンと子供に気付くと獲物と認め、立ち止まって威嚇の声を上げた。

 ハンは目をくらませて足止めするため、支給品に入っていた閃光玉をモンスターの正面に向かって投げつける。

 カッ

 一瞬まばゆい閃光があたりを包んだ。ハンは投げ終わると顔を下げ、目をかばっていたが、再び顔を上げたとき、ドスジャギィが平気でこちらに向かって走ってくるのが見えた。距離を見誤り、投げた玉から光が発せられたときには既に通り過ぎていたらしい。モンスターの背後で光ってもなんの役にもたたない。予想はしていたのか、ハンはこの結果を見ても特に表情を変えず、腰から片手剣、ナイフと呼ぶには大きいが剣と言うには若干短い武器を抜きだして、右手に持った小ぶりの盾を構える。柄に布が巻かれ、使い込まれているのが一目でわかる剣と比べると、盾の方はまだ新しい。


 適度に間合いをつめたドスジャギィは、一旦立ち止まると、顔を上げ、喉を伸ばして声を発した。

アゥオーーン

 その声は攻撃開始の指示だったらしい。長に付き従っていた二頭のジャギィがハンたちのほうに向かって跳びかかってきた。ハンが迫る牙を盾で受け止めている間に、ドスは半身をねじり、一歩さがるようにした後、腰からぶつかってきた。盾を前に出したまま、ハンとその後ろにいた子供が一緒に弾き飛ばされる。

ズザザッ

 一回転し、受け身を取ったハンは脚から地面を滑った。停止したところですばやく起き上がったが、今度は振り回してきた尾に横様に打たれ、受身も取れずに吹っ飛ぶと地面をごろごろと転がった。子供のほうは最初の一撃で弾き飛ばされたとき腰が抜けたのか、這って逃げようとしていたところをジャギィに見つかり、追いかけ回されている。逃げきれないと思ったのか、どこからともなく小さなブーメランを取り出し、ジャギィに投げつける。ブーメランはモンスターの顎に当たって怯ませた。

「イケる。これはイケるっチャ!」

 気をよくし、ジャギィに駆け寄ると高く跳び上がって棍棒で殴りつける。先についた飾りは重量があり、棍棒の破壊力を高めている。本気をだすと、子供ながらもなかなかの戦闘力だ。やはり『奇面族』なのかも知れない。

 狙ったわけではないのだろうが、結果的に子供がジャギィの一頭を引きつけてくれている間にも、ハンはドスジャギィと戦っていた。何度か攻撃を受けているうちに、このモンスターの回転体当たりには予備動作があることに気付き、それからは、ドスジャギィが体を回して一歩さがると右に回りこみ、避けるようにして立ち回る。今までのこところ、最初に何度か体当たりや回した尻尾を食らって吹っ飛ばされた他は、幸い大きな口の噛み付き攻撃はなんとか避けている。

 ドスジャギィは動きが機敏で隙が少ない。ハンは勢いをつけて回されたモンスターの尾をぎりぎりで避けると、横に回りこんでその脇腹に斬りつけ、すぐに飛びのく。腹に傷口が開き、血が流れ始めても、人間よりもよっぽど体力のあるモンスターは平気で動き回る。ハンは今回捕獲を狙っている。うっかり急所を攻撃して死なせてしまうわけにはいかない。一度には深追いせず、少しずつ傷つけることで相手の体力の消耗を狙っていた。
 
 そうやって小競り合いを続けるうち、ドスジャギィが大きく踏み込んで噛み付いてきた。体を下げて顎をやり過ごしたハンが首の下で剣を振る。刃はモンスターの首を傷つけた。ドスジャギィはよろめいた後、向きを変えて逃げ始める。ハンは後を追ったが、あと少しのところで、暗い洞穴に逃げ込まれてしまった。この島の山には沢山の細い洞穴が迷路のように広がっているという。中は暗く、足場も悪いため、入って追跡することはしなかった。その代わり、ハンは逃げたドスジャギィがこの通路を通って棲み処へと逃げ帰ったのだと読み、全力で走り出す。ここからなら棲み処はすぐだ。



 山に囲まれた昼でも薄暗い空き地、風通しが悪く、餌食となった生き物達の残骸のすえた臭いがこもっている。念のため、予備の予備まで考えて両手に二つずつ麻酔玉を持って走ってきたハンは期待はずれの光景を目にした。

 ハンが落とし穴を仕掛けた場所には一目でそれとわかる大きな穴が露わになっており、弱って落とし穴に掛かっているはずのドスジャギィは、そのすぐ近くで平和に休んでいた。そこら中にいるジャギィやジャギノスに気付かれないように、大岩の陰に隠れたハンは、横たわって休息しているモンスターの首領を改めて見る。何がいけなかったのかと考えていると、少し遅れてついてきた子供がハンに続いて岩陰にやって来た。

「よしっ、あいつは弱って休んでいるっチャ。邪魔なものはさっきオレチャマがのけておいたから、心置きなく存分に戦って倒すがいいっチャ」

 ハンはその言葉を聞くと、振り返り、ゆっくりと言葉を発した。

「じゃま、な、もの?」

「さっきここを通ったときにヘンな草と木の枝が沢山置いてあったのチャ。なんか邪魔だったから、オレチャマ全部動かしておいたっチャ」

「その下に、なにか、ありませんでしたか?」

「大きな穴があいてたっチャ、誰かが落ちたら危ないところだったっチャ。いいことをしたあとは気持ちがいいっチャ」

 ハンはその場でがっくりとうなだれた。ハンとこの子供は運命的な時間差でそれぞれこの場所を通過していたらしい。うろうろするジャギィたちをかわしながらハンが苦労して落とし穴用の罠を設置し、その上を草や木で覆い隠して立ち去ったその後で、ここにこの子供が通りかかった。その後、なぜか今度は子供の方が先にドスジャギィと遭遇したというわけか。

 せっかく仕掛けた罠が台無しになれ、さすがのハンも内心はかなり落胆したはずだが、表情には出さなかった。狩りに不測の事態はつきものだ。いちいち取り乱していては成功するものも失敗に終わってしまう。不動心はハンターにとって最も大切な素養の一つである。手に持っていた麻酔玉を淡々と物入れに戻して立ち上がると、ハンは再び腰から片手剣を抜いた。

 眠っているドスジャギィに駆け寄る。麻酔玉は中の麻酔薬の濃度の関係で、複数顔面に当てなければ効果を発揮できない。体を固定させる罠がないと、投擲が苦手なハンには一つでも顔に当てるなどまず不可能である。ハンは捕獲をあきらめることにした。ドスジャギィはかなり弱っていたはずだ、寝ている隙に急所をつけば倒せるだろう。後少しだ。しかし、敵の接近を告げるジャギノスの声で、長は目を覚まし飛び起きる。ハンは立ち上がったドスジャギィに走ってきた勢いのまま剣で斬りつけた。

ガキッ

 剣の刃はドスジャギィの牙に当たってはじき返された。モンスターはそのまま前進してくると、ハンに噛み付こうとする。勢いをつけて盾を前に突き出し、逆にぶつけるようにしてハンは牙をしのいだ。攻撃が失敗したドスジャギィは後ろへと飛びのく。

 アオーン、オウッ、オウッ、オウッ、オウッ

 ドスジャギィは体を高く伸ばし、攻撃の合図とは別の声で空にむかって吠えた。それを聞いて、巣穴からジャギィ、ジャギノスたちがわらわらと出てくる。十頭以上いるだろう。

 棲み処の空き地はたちまち大混戦となった。ジャギィ、ジャギノスたちは群れの長とハンを丸く囲むように位置取り、かわるがわる噛み付いてきたり、回転しながらの体当たりをしてきたりする。その中心では、ドスジャギィが怒り狂い、最後の力を振り絞って暴れまわっている。そこに子供も乱入してくる。戦いに参加しにきたというより、一人でいるのが怖いので、ハンのそばに来たといったほうが正しいのだが。

 ジャギィのなかには死に物狂いで暴れるドスの攻撃に巻き込まれ、弾き飛ばされたまま動かなくなるものもいた。ジャギィたちもこの状態では誰が誰だかわからなくなってしまっている。相手かまわず闇雲に牙をむき、体当たりを繰り出す。ジャギィ同士、ジャギィとドスジャギィ、ドスジャギィとジャギノス、ジャギノスとハン、そしてハンとドスジャギィ、さらには時々子供も参加する。そこにいる全ての生き物がめちゃくちゃに攻撃を繰り出していた。

「ぎゃっ」

 子供がかぶっている面に、ハンの振り回す片手剣の柄が当たってしまった。巨大どんぐりをくりぬいた面は意外に丈夫な作りなのか、子供にケガはないようだが、この状態では狙った相手に攻撃を当てることが非常に難しくなってきた。自分以外の誰かには当たるはずだが、それが敵なのか味方なのか、ハンにもジャギィたちにもわからなくなってきてしまっている。刃が子供の体にでもあたったら危険だ。

「逃げてください! ここから離れて!」

 普段のハンからは想像できない、強い口調で叫ぶ。

「誇り高い奇面族が敵から逃げるなどできるかー!」

 口では立派なことを言っているが、言いながらもハンの後ろに隠れようとする。低い位置でうろうろされると足場が安定せず、下手をしたら足がもつれて転んでしまいかねない。ハンは二、三歩後退し、追いすがってくるジャギィの牙を右に左に盾でかわしながら悲痛な声で本音を叫んだ。

「邪魔なのです!!!」

「オレチャマのことは気にするなっチャ!」

 見上げた心がけだが、やりにくいことこの上ない。

 混戦状態は続く。片手剣は倒したジャギィの体液でネバネバになり、まともに斬れなくなってきた。ハンは刃から汚れをふき取り、砥石をあて直すため一旦距離を置こうとした。

「ついてきてください!」

 体を低くし、向きを変えて駆け出したところで、

ぎゃううっるるるぅ

 先細りに悲鳴のような声が背後から聞こえた。振り返ったハンの目に、ゆっくりと倒れるドスジャギィの姿が映った。その傍では子供がめちゃくちゃに棍棒を振り回している。

「もう、どうにでもなれっチャー!」

 子供の叫び声が空き地に響き渡る。さっきまで、ちょこちょこ攻撃をしては、ハンの後ろに逃げ込んでいたのだが、混乱してハンの声は聞こえてなかったのだろう。ハンが急に離れようとしたので怖さのあまりやけくそになり、渾身の力で棍棒を振り回しているうちに、幸か不幸かドスジャギィの急所に当たってトドメをさしてしまったらしい。

「ありゃあ、あの子、ドスジャギィ倒しちゃった。・・・・・・ハンさん、よかったですね。これですぐまたジャギィのドス化が見られるじゃないですか。運がいいですよ」

 呆然とするハンの耳に、アイルー通信受信機からカウカの慰めるような声が飛び込んできた。



6.
 
 長が倒れ、統制が取れなくなったジャギィの群れは、焚き火をして追い払った。火に寄ってくる大型の甲虫、ブナハブラが焚き火の周りを飛び交っている。

 正規の報酬の一部として、倒したドスジャギィからハンが三品の素材をもらった後、運搬車を二台運んで来たアイルーたちはドスジャギィと巻き添えで死んだジャギィたちの死体を積む。ネコタクではギルドと契約し、ハンターが倒したモンスターの死体処理も請け負っているという。ジャギィは解体して素材をとり、ドスジャギィは防腐措置を施してから本部に送る手筈だ。アイルーたちが車を押して走り去るのを見送り、ハンと子供はなんとなくそのまま一緒に村へ帰るような方向に歩き出した。

 しばらく歩いてから、子供がハンに尋ねる。

「オマエ、名前は?」

「ハンです」

「オレチャマは、チャチャ、チャ」

「チャチャチャさん」

「チャチャチャじゃないっチャ、チャチャっチャ」

「チャチャッチャさんですか」

「チャチャッチャ、でもないっチャ、チャチャ、チャ」

「チャチャチャでもチャチャッチャでもなくてチャチャチャチャ?」

「違うっチャー!」

 奇面族の子供は怒って棍棒を振り回した。攻撃を意図したものではなかったはずのその一撃が顔面に当たり、ハンは意識を失った。この三日間、ろくに寝ないでジャギィを観察していたのだ。ドスジャギィとの戦闘の間は興奮して疲労も忘れていたが、ここにきて限界が来た。膝からがっくりと崩れ落ちると、そのままうつ伏せで倒れてしまう。

「だ、大丈夫か? オマエ」

 心配して駆け寄った奇面族の子供、チャチャは、ハンが倒れた姿勢のまま、規則正しい寝息をたてているのを見た。体をゆすって起こそうとする。

「おい、起きるっチャ。オレチャマ、オマエの村がどこにあるかわからないっチャ」

「村は、あっち、です」

 ハンはうっすらと目を開け起き上がったが、村の方角を指さしたまま、また倒れた。

「しょうがない。オレチャマが村まで連れて行ってやるっチャ」

 奇面族ならではの驚くべき怪力を発揮して、チャチャはハンをその小さな体で担ぎ上げた。しかし、いかんせん身長が足りない。ハンの足を引き摺りながら村に向かって歩き出す。

「オレチャマにこんな苦労をかけおって、起きたらコイツはオレチャマの子分にするっチャ」

 日は沈み、山の端から昇った少し欠けた月が、二人を照らしていた





第六話 Shall We Dance?

1.

 いた。

 『それ』が今目の前にいる。

 蒼々とした鱗。長い体。指の間に水かきのついた、体長の割には短い四肢。首の後ろから背中、尾にかけて大きなトゲのような鰭が立ち並んでいる。その背中の鰭は時折青白く輝く。『それ』こそが『海竜』ラギアクルス。

 そのハンターは、魚竜エピオスを狩り、珍味とされるそのキモを採ってくるよう依頼を受けていた。同じ水棲でも肉食で獰猛なルドロスと違い、おっとりとして攻撃的なところのないエピオスを狩るのは難しいことではない。特に危険もない、簡単な仕事のはずだった。

 三頭目のエピオスを探して、沖のほうまで泳いできたハンターの目の前に突然『それ』は現れた。漂うようにゆったりと水中を泳いでいたエピオスの群れが突然乱れ、その中央から、海よりも蒼い体をした長大なモンスターが飛び出してきたのである。口には今の一瞬で捕らえたエピオスを咥えている。停止すると長い体でぐるり、と回り、水中で体を立てるようにして獲物を喰らい始めた。海中に、赤黒くエピオスの血が広がっていく。血の臭いを嗅ぎつけた大型の肉食魚が数匹近寄ってきた。それらはおこぼれを期待しつつも海竜が食べ足りない場合に食後の口直しとされるのを恐れ、遠巻きに、遠慮がちに、周りを回る。

 それまで見たことはなかったが、『それ』が村人の恐れている『青藍の雷公』であり、ハンターがこの村に呼ばれた一因であるモンスターであることは一目でわかった。

 腰にさした片手剣に手はかけたが抜くことができないまま、海竜がこちらに気付く前に向きを変えると、ハンターは陸に向かって泳ぎ始めた。予想していなかった邂逅。初めて見るその威容に圧倒されている。何の準備もしていない今の状態では戦いを挑むことなどできはしない。今ではない、今はダメだ、とにかく今ではないのだ、そう自分に言い聞かせながら必死に泳ぐ。たまらなく陸が恋しかった。





 本土から船で二日、『孤島』にあるモガの村は港の広場を中心に動いている。水揚げされた魚を扱う市場、村で一軒だけの雑貨屋、同じく一軒だけ、交易船に乗ってやってきた流しの料理人により最近営業が始まった食堂、村の共有財産である『資源』の倉庫、主要な施設は皆この広場にある。小さな村だが、村の主要産業である漁業にはほとんどの者が何らかの形で関係しており、港にはいつも人がいて活気に満ちている。

 その広場で今、三人の男たちが地面に座り込んでいた。日に焼け、がっしりとした体を覆うのは腹掛けと膝までの長さのズボン、三人とも同じようなものを着ている。疲れきったようにぐったりと肩を落とし、時々顔を上げると、代わる代わるぼそぼそと話をしていた。男たちの前に腰掛けた、白髪を後頭部で髷に結った老人が腕を組み、頷きながら聞いている。老人はモガの村の村長であった。

 そこにまた一人、若い男が現れた。ぱっと見たところ、右の眉から頬にかけて、二本の傷跡が走っている以外は特にこれと言って特徴のない顔をしている。モンスターや災害、時として自然がその力を余すところなくふるうこの世界では顔や体に傷のある人間も珍しくはない。そのためもし街中ですれ違ったとしてもすぐ忘れてしまいそうなほど印象が薄い。要所を茶色の皮革で補強した、身軽で丈夫そうな緑色の服を着ている。海から上がってきたばかりのせいで、濃い茶色の髪はまだ濡れていた。村長は男を認めると、声をかけた。

「おお、戻ったか。紹介しよう、団員諸君、先だってギルドから派遣されてきたハンターのハンだ。ハン、こちらは村の漁師集団、『狩猟船団』の団員たちだ。こちらから団長、黒槍、赤槍と呼ばれている」

 ハンと呼ばれた若いハンターは礼儀正しく頭を下げる。

「お初にお目にかかります」

 それに対して、男たちはだるそうに座り込んだまま顔だけを上げた。

「ああ、お前が例のハンターか。まあ、がんばってくれ」

 三人の中で唯一中年の男、団長が興味もなさそうにそう言ってまたうつむく。そのまま何事もなかったかのように、男達と村長の話は続いた。

「なんとか団長の船で逃げることができたのはよかったんすけど、俺と黒槍の船はもうぼろぼろで、これじゃもう漁に出られないっす」

 団員の一人、赤槍と呼ばれる純朴そうな大男が村長に向け話している。


 そのままそこにいてもすることもないので、ハンは村長に軽く目礼をするとその場を離れた。すぐそばにあるハンターズギルドのカウンターに向かう。

 カウンターでは、少女が狩猟船団の団員達と村長のやり取りをぼんやりと眺めていた。名をカウカといい、この支所唯一の常駐職員である。

「ああ、ハンさん、お疲れ様です。狩猟船団の皆さんのこと、聞きました?」

「いいえ、聞いていません」

「船団は昨日までちょっと離れた漁場に行ってたんですけど、今日島の近くまで帰って来たところでラギアクルスに襲われたんだそうですよ」

それを聞いて、ハンは少しだけ眉をひそめた。

「ラギアクルス」

「ええ、今島の近くまで来ているらしいです」

「いました」

「え?」

「見ました」

「ラギアクルスを見たんですか?」

「はい」

「どこで? いつ? どんな様子でした? 詳しく話してください」

 ハンから詳しく話を聞くと、カウカはカウンターに置いてあった分厚い資料の冊子を広げ、聞いた内容を書き込み始めた。この資料、分厚いことは分厚いが、実はその頁のほとんどはまだ白紙なのである。とはいえ、この支所ができて以来、たった一人の常駐職員であるカウカは自分でいろいろ調べたことや村人から聞いたモンスターの目撃情報を書き込んでいる。ゆくゆくは世界に一冊だけのここモガの村専用の資料とするつもりのようだ。今書いている前の頁にも、ハンが島に来る前の目撃情報が書き込んであった。

「ということは、このラギアクルスは狩猟船団を襲ったあと、浜辺近くまで来たということになりますね」

 書き終わると、カウカはペンの尻で自分の額をつつきながら言った。

「……」

「そしてエピオスを襲って一頭食べた、と。船に積んであった魚や水棲獣なんかも食べたんでしょうにねえ」

「……」

「食べ足りなかったのかな? ずいぶん食いしん坊だなあ」

「……」

 この男はいつも無口なので、カウカも返事を期待せず一人で話していたが、ここにきてあまりにも静かなので気になってきた。

「どうかしたんですか?」

「……勝てるとは思えないのです」

 沈黙の後、やっと口を開いたハンは悲観的な予想を口にした。

 ついに姿を現したラギアクルス、それはこれまでハンが見てきたどのモンスターより強大で恐ろしく見えた。あの大きさでは陸上であっても苦戦することは必至であろう。それなのにハンにとってはどうしても不利な海中で戦わなくてはならない。今の実力では互角に戦うことすら到底できそうもない。ハンは客観的に自分の今の能力と相手の強さを検討し、そう判断していた。

 ギルド職員の少女はしかし、この発言に対して全く動じなかった。からからと笑い、のんきに言い放つ。

「なあに言ってんですか。大丈夫ですって。それに」

 ここで更にニコっと笑いながら言う。

「もしハンさんがやられちゃっても、ギルドにはまだまだ優秀なハンターさんがたくさんいるんですから、村は大丈夫です!」

「……」

 聞きようによってはハンがどうなってもいいと言っているようだが、ハンにとってはむしろこの言葉が心の圧力を取り除いてくれた。責任を感じすぎて押しつぶされるより、「自分の他にもハンターはいる」くらいの気持ちでいたほうが精神的に楽だ。一つ息を吐くと落ち着いた声で言った。

「そのとおりです」

 落ち着いたところで改めて勝算を検討し直す。海中ではこれまで見たことないほどの大きさと思えた『青藍の雷公』も、初めて見る驚きと恐怖、また水のレンズ効果による錯覚を考慮すると、大きいのは確かだとしても自分が感じたほどではないのかもしれない。それに、海竜といえども生物なのである。悪夢の中に出てくる魔物ではない。その生態を知り、対抗策を工夫すれば勝てないまでも追い払うことくらいは可能なのではないだろうか。ハンはその場に立ったまま考え続けた。

「とりあえず、少し様子を見ましょう。一旦宿舎に帰って休んでください。何か新しい話が入ったら呼びますから」

 返事はない。カウカは背伸びをし、ハンの目の前で手をひらひらさせた。

「聞いてますか?」



*****

「お帰りなさいですニャ」

 ハンが自分の宿舎である小さな家に一歩踏み込むと、ネコに似た外見の小柄な世話係が出迎えた。この世話係、アイルー族のルサもギルド職員である。普段ハンの身の回りの世話をする他、家の外にある風車の維持管理、アイルー族の特殊能力を使った通信業務もこなす、なかなかに有能な職員なのだ。

「オマエ、オレチャマを置いてどこをうろうろしてたっチャ」

 ルサの後ろから、緑色の大きなドングリをくりぬいた面を頭に被り、腰ミノをつけた子どもが出てきた。体も緑色をしている。こちらは奇面族のチャチャだ。

 『奇面族』は本土の森や洞窟に住む謎の多い種族である。この社会を構成している主な種族、ニンゲン族とも竜人族ともアイルー族とも違う。さりとてモンスターというわけでもない。王を擁して独自の社会的生活を送っているということは知られているが、他種族との交流はなく、全員が常に面をかぶっているなど不可解な点だらけである。

 この奇面族の子供、チャチャは一族の慣例に従って自分だけの面を作るための旅に出たのだという。しかし、道に迷ってさまよっているうちに、ここ『孤島』にあるモガの森に迷い込んできたのだった。森で出逢い、成り行きで一緒にドスジャギィと戦ったことでハンに対して心を開いたようで、それ以来、ハンのことを自分の『子分』とみなし、村に居ついてしまった。

 ハンの方はといえば、これまでのところ、この子供と共にいることで利するところは全くない。だが村長以下村の面々にも気に入られた子供は大手を振って村を歩きまわり、ハンの生活にも侵入していた。村長などは狩りにも連れて行くようにと言う。

「たった一人で旅に出るとは、小さいながら肝が据わっておる。狩りに連れて行ってやれば見聞を広めることにもなるだろう。探している面とやらの材料もお前さんの狩りを手伝っておれば手に入れられるやも知れぬぞ」

 危険について心配していないのは、奇面族が他の種族よりも数段丈夫で、戦闘能力も高いと言われているからだろう。その一員であるチャチャはそこらのモンスターよりもよほど強いと思われているようだ。しかし、ハンはチャチャを狩りに連れて行く気にはなれなかった。

「海です」

「狩りに行ってたっチャな」

「はい」

「なんでオレチャマを連れて行かない?」

「危ないです」

「オレチャマは奇面族だぞ。危なくなんかないっチャ」

 ハンの後ろをついて歩きながら、チャチャは文句を言ってくる。

「今度狩りに行くときは、絶対にオレチャマも連れて行くのだ」

 ハンは応とも否とも返事をしないまま部屋の奥にある大きな道具箱に近付いた。上蓋を開け、中の狩り道具を調べ始める。今ラギアクルスと戦うことになったら何をどう使えばいいか考え、準備を始めた。後ろではまだチャチャが色々言っているが、もうハンの耳には入っていない。

「ハンさんの邪魔をしてはいけませんニャ」

 ルサがチャチャをたしなめているが、その声もやはり聞こえていないのである。



 3

 武器を手入れし、考えられる手持ちの道具を準備して待機していたが、結局その日カウカからの連絡はなかった。よく眠れないまま朝になり、ギルド支所のカウンターに行くと、カウカからはその後ラギアクルスの目撃情報は無いということを聞かされた。

「どっかに行ってしまったんじゃないですか。昨日の話は本部に伝書鳩で送っておきましたから、近いうちに何か指示が来るでしょう。それまでは今までどおり普通に仕事をしてください」


 そんなわけで、ハンは依頼を受けモガの森にやってきた。森にいる細身の肉食鳥竜、ジャギィの長ドスジャギィを捕獲して欲しいという依頼だ。前回の狩りでもハンは捕獲をするつもりで準備を進めていたのだが、チャチャが現れたせいで思わぬ事態が続発し、結局倒してしまっている。今回は捕獲を成功させたい、そう思って森にやってきた。

 ベースキャンプに届いていた支給品を箱から取り出し、ジャギィ達の棲み処に向かっていると、縄張りを巡回中のドスジャギィとそのお供たちを見つけた。捕獲するためには先に罠を仕掛けておく必要がある。とりあえず戦闘は避け、モンスターたちがこちらに気付く前に離れようと背を向けた。そのとき、

「っチャー!」

 急に背後から覚えのある叫び声が聞こえ、振り返ったハンは、モンスターに飛びかかっていく小さな人影を見た。

「チャチャさん!」

 奇面族の子供は、いつも持っている棍棒を振り回しながら勇敢にもドスジャギィに立ち向かっている。しかし、今回の狩りでハンはチャチャを助手として申請していない。勝手に狩場へ第三者を連れて行くことは規約違反になるため、狩りが成功しても報酬は貰えず、下手をすれば始末書か罰金だ。

 慌てて駆け寄ると、小脇にその小さな体を抱え、モンスターの攻撃を避けながらベースキャンプに逃げ込んだ。安全なキャンプにたどり着いたところで、近くで見守っていたアイルー族通信員に向けて棄権を宣言した。



*****

 潮風に晒された小さな古い建物、以前は屋台の飲食店ででもあったのか、正面に大きなカウンターが口を開けているのがこのハンターズギルド、モガ支所である。上にチャチャが座っているカウンターを挟んでハンとカウカが立っていた。チャチャはハンから顔を背け、ぶら下げた足を乱暴に動かしている。カウカも気まずそうな顔で下を向き、前に置いた資料を開いたり閉じたりしている。一人真顔のハンが、静かに口を開いた。

「なぜチャチャさんがついてきたのですか?」

「わ、私が知らないうちに行っちゃってたんですよお」

 カウカは自分の責任ではないと、しどろもどろに主張する。ハンはチャチャの方に向き直った。

「来てもいいとは言っていません」

 淡々とした口調だが、言葉の裏に狩りを邪魔された怒りが見え隠れしている。チャチャはしばらく顔を背けたままだったが、やがて振り向いて言った。

「オレチャマは強いっチャ」

「まだ子どもです」

「お面を作る材料が欲しいっチャ」

「獲ってきてあげます」

 何を言っても聞いてくれないハンに怒りを覚えたのか、チャチャは頭を振り、怒鳴るように言う。

「オマエはオレチャマを助けてくれたっチャ。 奇面族は受けた恩は忘れない。オマエの狩りを手伝いたいんだっチャ!」

 この急な感情の爆発にハンが面食らっていると、

「立派な心がけじゃないですか、ハンさん」

 カウカが間に入ってきた。

「恩返しだなんて。それに奇面族ってすごく強いんでしょう? きっと役に立ってくれますよ」

 それを聞いて、ハンは黙った。無言のままじっと立っている。やがて口を開いたが、考えを改めたのかというチャチャとカウカの期待に反して、

「だめです」

 それだけ言うと、背を向けて歩き去ってしまった。その後姿を目で追いながら、二人は顔を見合わせる。

「アイツなんであんなに怒ってたっチャ?」

 チャチャの問いに、カウカは腕を組んで考えながら答えた。

「うーんと、オチビちゃんには最初から説明しないといけないかな。ハンさんは、ハンターズギルドってところに入ってるのね、私もそうなんだけど」

「オチビちゃんって言うな。オマエもハンターなのか?」

「違う違う、私は仲介役。それで、ハンさんはギルドからお仕事として頼まれて狩りをしてるわけ。だから自分勝手なことはしちゃいけないことになってるの。使う道具とか、何を狩るかとか、誰と行くか、とかね。今日オチビちゃんは勝手について行っちゃったでしょ、そんなことをすると後で怒られちゃうのね」

 チャチャは棍棒を振り回しながら意見を言う。

「そんな決まり、窮屈だっチャ。黙っとけばわからないっチャ」

「うーん、確かに前にも黙って他の人を連れて行こうとしてたこともあったし、書類さえ書けば助手を連れて行っても別にいいんだよね。本当の理由は違うところにあるのかも」

「なんだ?」

「前に訓練所の教官から来た手紙に書いてあったんだけど、ハンさんは集団訓練、他の人と一緒に狩ることね、で、よく失敗してたみたいなの。何かに夢中になってて班長の指示を聞いてなかったとか、何か急に思いついて一人で突っ走っちゃったとか、そんなことなんだろうけど」

「誰でも失敗はあるっチャ」

「もともと同じ年頃の訓練生の間では浮いてたみたいだから、そのせいでいじめられたりしたんじゃないかな」

「オレチャマはアイツが失敗してもいじめたりしない。アイツはオレチャマの子分、なにがあっても面倒を見るっチャ」

 それを聞いて、カウカは一旦うんうんと頷き、それから言った。

「でも、ハンさんがチャチャを助手として認めて、行く前にちゃんと書類を書いてくれないと一緒に狩りは行けないよ。だけど、認めてもらうためには一緒に行って狩場で役に立つってとこを見せないといけないし、一緒に行くためには認められないといけないし。……うーん、これじゃ堂々巡りだね」

「うぐぅ、どうすればいいっチャ」

 悔しそうにうつむくチャチャの背をカウカが撫でる。



 4

「本部の観測気球からの報告では、ラギアクルスは島から離れて行ったそうです。今回と前回、前々回の目撃日時から考えて、ラギアクルスはこのあたりの海域を大体三十日ほどかけて回遊しているものという結論が出されました」

 数日後、ギルド支所ではカウカがハンに本部から来た連絡を伝えていた。

「本部からの指示はこうです。次回のラギアクルスの接近までに、ハンターは技量の向上を図り、装備を万端にして迎え撃つ準備をすること。次に来たとき撃退または討伐するようにってことですね」

「わかりました」

「ってことで、これから一ヶ月、ガンガン狩りまくっちゃってください。ちょうど大きな依頼も来てますよ」

 カウカは依頼書の綴りを開き、一枚を見せる。

「『砂原』っていう狩場が別の島にあるんですけど、そこにいるクルペッコの討伐です。他のハンターさんが失敗して、こっちに話が回ってきました。知ってます、クルペッコ? 狩ってみたくないですか、クルペッコ? ほらほら」

 依頼書をハンの顔の前で振ってみせる。しかし、ハンの返事は、

「村を離れるわけにはいきません」

 だった。それでも、ギルド職員は引き下がらない。

「大丈夫です。ラギアクルスはしばらくこの島に来ないわけですし、新しい船ができるまでは狩猟船団の黒槍さんと赤槍さんがいますから、ちょっとくらいモンスターが出たってなんとかしてくれますよ。安心して行ってきてください」

「行きます」

 今度も即答だった。

「ほーら、やっぱり行きたいんだー。最初から素直に言えばいいのに。でも他のハンターさんが失敗してるくらいだから、クルペッコは結構手ごわいですよー。助手を連れて行ったほうが……」

「一人で行きます」

「ぐ、手ごわいのはハンさんの方だったみたいですね」



*****

 その日の午後、港にはギルドの所有物であるモンスター運搬船が舫ってあった。定期便で入港する貨客船ほどの大きさはないし、不定期に島に立ち寄る交易船のような、所有者のこだわりで贅沢な素材をふんだんに使った美しさも無い、実用一点張りの中型船である。その船の前でハンとカウカ、それに狩猟船団の団長が話している。横にはチャチャもいた。

「やだぜ。なんだって狩猟船団がハンターの船に乗んなきゃいけねえんだよ。お断りだ」

「そんなこといわないでくださいよ。今ハジケイワシの群れが沖に来てるから、夜は皆出払っちゃって操船を頼める人がいないんですよ。でも今船団の線は壊れて修理中だし、黒槍さんと赤槍さんは漁に出ないじゃないですか。ちょっと船を操縦してもらったって何も損しません。それどころか、ギルドから報酬が出るんですよ。遊んでるよりいいと思いますけど」

「コイツのためにってのが気に入らないんだ」

 そう言って団長は、腕を組んだままハンのほうにアゴをしゃくって言った。

「本土からハンターが来るっていうからもっとゴツい、頼れるやつが来ると思ってたんだ。だけど来てみたらこんな頼りなさそうなやつじゃないか。それで村の英雄を気取ろうってんだからな。笑っちまうぜ」

 漁に使う船が壊れてしまい、狩猟船団の三人がそろって漁に出ることがしばらくできないのでイラついているようだ。それを聞いたチャチャは、

「なんだオマエ、オレチャマの子分を侮辱するとはオレチャマにケンカを売ってるっチャな」

と向かっていこうとする。それをハンが片手で押さえつける。

「おい、ハンとかいったな。お前はどういうつもりか知らんが、この村の英雄は俺たち狩猟船団なんだからな。そこんとこは勘違いするなよ」

「はい」

「そもそもな、俺たちがいれば、どんなモンスターからでも村を守ることくらい朝飯前なんだ。だがな、俺たちには漁という使命がある。他の連中よりも優秀な俺たちは他の連中が行けないような遠くまで漁に出なくちゃいけないのさ。その留守の間に村の皆になんかあったらと考えると、俺は、俺はもう心配で」

 団長は苦悩に満ちた表情で言う。

「だから、俺たちが村を離れている間の控えとして、仕方なくおまえが来ることを許してやったんだ。俺たちが反対してたらお前はこの島に来られなかったんだぞ。」

「ありがとうございました」

 生意気な相手ならケンカも辞さない勢いでカラんでいた団長だったが、以外にもしおらしいハンの返事に気をよくしたようだ。

「おっ、なんだ、こっちのチビと違って話がわかるじゃないか。素直なヤツはキライじゃないぜ。そうだな、お前が俺に実力を見せてくれるんならうちの団員を貸してやらんこともない」

「ハンさんに何をさせようって言うんですか?」

 カウカの問いに、団長は嬉しそうに答えた。

「骨投げだ」


 『骨投げ』とは十個の小さい竜骨を場に投げ、落ちたときの形で役を作る遊びである。海の男達の間では賭博の一種として親しまれていた。団長も例に漏れず、この骨投げの愛好者らしく、言いながら目を輝かせている。

「おまえが俺を負かすことができたら黒槍に送り迎えをさせてやる」

「骨投げなんて、ハンさんはやりませんから」

 カウカは心配そうにハンのほうを見た。ハンが村に来たとき、荷物も服も無く、下着姿だったのは骨投げに手を出したせいだと聞いている。しかし、ハンの返事は意外なものだった。

「やります」

「おい、大丈夫っチャか?」

 事情を知らないチャチャも心配そうだ。

「勉強しました」

「本当ですか?」

 団長は三人のやり取りを無視してやる気になっている。

「そうと決まれば早速勝負だ。こっちに来い」


 
 団長はハンとそれに同行したチャチャを、広場から少し歩いたところにある大きな建物に連れてきた。海に面して広く取られた入り口の床には厚い木の板が敷かれ、水面へと伸びている。建物の中に船が見える。修理というよりも新しく作っているといったほうが正しい、狩猟船団の漁船である。団長は建物の中に入ると、船の脇を通り、奥へと歩いていった。

 奥には低めの大きな卓と椅子が何脚か置かれていた。卓の上には『骨投げ』の場として使う、周りに低い仕切りのついた正方形の台が置かれている。台の横には表面に飾り彫りを施した箱があった。上蓋が開いており、中に形はまちまちながら親指ほどの長さの細長い骨が沢山入っているのが見える。

「よし、やろうじゃねえか」

 一脚の椅子に腰を下ろし、団長はハンとチャチャにも座るよう促した。ハンは団長の向かい、チャチャはその横に座った。それを確認すると、団長は嬉しそうに骨の箱を持ち上げ、中から十個取り出してハンに渡す。

「そらよ、骨に細工がないか見てくれ」

 ハンは渡された箱から骨を出し、眺めたり、手の上で動かしたりした後団長に返した。

「普通の骨です」

「そうだ。この骨でいいか?」

「いいです」

「じゃ、始めるぜ。投げ順を決めなきゃな」

 言うと団長は骨が入っている箱から骨でできたサイコロを二つ出した。団長とハンはかわるがわるそれらを場に投げた。点の合計が多かったハンが先手だ。

 ハンは十個の骨を場に投げた。三つがひとかたまりに重なったものが一組、二つが重なったものが二組できている。

「『親子アプトノス』、百二十点か、ふん、最初だからな」

 骨投げでは先手が投げた後、後手は同じように普通に投げてもいいが、投げる前に「載せる」と宣言し、点を釣り上げることもできる。宣言しておいて先手よりいい手を出せれば得点が倍になる。その代わり宣言しておいて先手よりいい手を出せなければ出した点の倍が負け点となりその分合計から引かれる。「載せ」ない場合なら双方の得点の差額だけが勝ち負けとなって計算されるので、「載せ」ておいて中途半端な役を作ると却って負けが大きくなってしまうこともある。

「よし、載せるぜ」

 団長は余裕のある表情でハンを見た。ハンはなんの反応も示さない。団長が投げる。こちらは四つの重なりが二組できた。

「どうだ、『ディアブロス一騎打ち』。百五十点の二倍だ」

 勝負は続く、団長は好きだけあってそこそこにいい役をつくり、駆け引きもうまい。一方ハンは以前に港で出したような大役は出ず、小役ばかりが続く。『載せ』たり、負けを小さくする『降り』たりを混ぜる事でしのいでいるが、勝負が進むにつれて負けは大きくなっていく。

「オマエ、ダメだっチャ」

 何回目かでチャチャはつまらなそうに言うと、興味をなくしたのか椅子から降り、建造中の船の方に行ってしまった。

 最後の勝負は団長が先攻だった。ここまで調子よく進んでいることで気をよくしている。二人の点差は五百点になっていた。

「まあ、俺の勝ちは決まったな。最後にデカイやつを見せてやろうか」

 団長は勢い込んで投げた。場に出た骨は六個の重なりが一つ、四個の重なりが一つ。『夫婦竜』と呼ばれる役だ。七百点がつく。

「どうだ、やる気も失せたんじゃないか」

 得意げな団長の声。もともと大きな声だが、今はひときわ大きい。

「載せます」

「お、一か八かで勝負に出るか。まあ、普通じゃ勝てっこないしな、いいだろう、やってみろよ」

 ハンが骨を手に取る。そのまま両手で弄ぶようにしてから、場の真上に投げ上げた。

「『回りヤマツカミ』だと!」

 十個全てが重なっているうえ、円を形作っている。以前にやったときも出したことのある大役だ。

「千点です。載せていましたから、二千点になります」

「うそだーっ」

 団長の叫び声を聞いて、チャチャが卓に戻ってくる。 

「おお、よくやった。オマエはやればできる子だっチャな」

「団員の方お一人に船に乗ってもらいます」

「見たか、オレチャマの子分を馬鹿にするとこうだ」

 悔しげに卓に突っ伏す団長を、嬉しそうにチャチャが棍棒でつついた。



 5

 その夜、村の港から運搬船が出航した。目的の島までは半日かかる。夜の間に移動をし、翌日の朝から狩り始めるという計画だ。

「いってらっしゃーい。 今度は船酔いしないでくださいねー」

 港では、カウカが運搬船に向かって手を振っている。その横にはチャチャが座り込んでいた。

「ほら、チャチャも手を振ったら?」

 カウカが誘うが、チャチャは首を振りそのまま座り込んでいた。

「さっきのこと気にしてるの?」

「きっと怒ってる。オレチャマのことが嫌いになったっチャ」

 運搬船が出港の準備をしているときのことだった。

 黒槍と赤槍は船の設備を点検しており、ハンは狩りに使う道具を積み込んでいる。チャチャは最後の瞬間に、ハンが気を変えて連れて行ってくれるのではないか、という希望を抱いて港までついてきていた。が、ハンは準備に夢中で、チャチャの方を見向きもしない。いよいよ出発しようという段になっても黙って船に乗り込もうとしていた。それで、チャチャは堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。

 急にハンに駆け寄ると、いつもの棍棒でその向こう脛をポカリと殴った。

「いっ!」

 ハンが脛を押さえてしゃがみこむと、今度はその背中に馬乗りになって両手で頭をポカポカ殴りつける。

「ちょ、ちょっと、何してんの」

 カウカが慌てて止めに入り、ハンの背中からチャチャを引き剥がそうとする。チャチャはハンの背中から飛び降りると、叫んだ。

「オマエの狩りなんか、失敗しちゃえ!」

 そしてその場から走って逃げてしまった。戻ってきたのは、船が出港し、陸から離れていこうとする頃だった。

「大丈夫、ハンさん怒ってなかったよ」

 カウカは優しく言った。殴られた後、何が起こっているのか全く理解できていないハンに、

「ハンさんが悪いんですよ。チャチャはハンさんと一緒に狩りがしたいのに、連れて行ってあげないから。寂しくて八つ当たりしちゃったんです」

 と、言って聞かせたのもカウカである。ハンはそれを聞いてもやはり何も言わず、一人で船に乗り込んでいった。



*****

「団長は競争相手が現れたって思ってるみたいだけど、ボクや赤槍は別にキミのこと嫌いじゃないよ」

 運搬船の上、風に合わせて帆の向きを変えながら黒槍が言う。黒槍という男、今は漁師をしているが、昔は音楽家になりたかったこともあるという。話し方や物腰もどこか街で人気の吟遊詩人のようだった。

「そもそもボクら漁師であって、狩りは専門じゃないんだから。ルドロスくらいなら狩れるけど、オスのロアルドロスになったらもうお手上げ、まして、ラギアクルスとか、絶ーっ対、無理。だから狩りでキミと張り合おうとか思ってないから安心して」

 月は出ていない。空と海の境目もわからない茫漠とした暗黒の広がりは、見る者の心に恐怖を呼び起こすほどだ。が、夜の海に慣れている漁師達にとってはどうということもないらしい。月明かりに邪魔されずに星を見ることが出来るので、むしろ進路を見るには好都合というところだろう。
 
「ただ、団長はずっと村で一番の漁師だったから、だれかに村の英雄の座を取られちゃうんじゃないかって不安なんだと思う。もう若くもないし、だんだんと体も衰えているのは確かだからね。でも、昔はホントかっこよかったんだ。ボクも子どもの頃憧れてね、一緒に漁に連れて行ってください、なんて頼んだりして……そういえば、さっきのオチビ君もキミと一緒に行きたかったんじゃないの?」

「そうらしいです」

「じゃあ連れて来てあげればよかったのに」

「危ないです」

「多少の危険は成長するためには必要さ。本当に危ないときは君が守ってあげればいいじゃない。団長なんて子どものボクや赤槍を乗せて漁に行ったりしてたよ。ボクら、それで団長から漁のやり方を学んだんだ」

 黒槍は帆の位置を綱で固定し、甲板に座っているハンの隣に来た。

「団長は競争意識が強いけど、仲間に対してはすごくいい人なんだ。昔は何度も危ないときに守ってくれた。今はボクらも同じくらい働けるようになったけどね。漁に出るとき、一人じゃないって心強いし、なにより楽しいよね」

 ハンは何も言わずに黙って星を見ていたが、しばらくして、

「休みます」

 と言うと甲板に寝袋を広げて入り込んだ。

「朝には向こうに着いてるよ。それまでおやすみ」

 黒槍が答える。

 暗い夜の海を、星の光を頼りに船は進んでいく。



*****

 『砂原』と呼ばれる狩場のある島は、『孤島』から船足の速い小型の帆船なら半日ほどの距離だ。通常砂漠は海からの湿った風が届かない大陸の中央部にできるものだが、この島はそれほどの大きさでもないのに中央部に砂だらけで乾燥した土地がある。ただ、この砂原は大陸の砂漠ほどの大きさもないし、空気の乾燥もやはり砂漠には及ばない。このあたりの島々は、昔の大陸が地盤沈下し、高地が点々と残ったものと言われている。この砂原もその大陸にあった砂漠の名残かもしれない。

 容赦なく照りつける太陽の光に炙られ、熱せられた空気があたりの景色を歪ませる。ひねこびた潅木や色の悪い草が点々と生えている空き地に、頂に草の生えた巨大な蟻塚が二本、少し間をあけてそそり立っている。

 一頭のドスジャギィとその供であるジャギィ二頭がその下を走り抜けようとするところだ。自分たちを覆う影が動いたことに気付いたモンスターの長は、警戒の声を発しながら蟻塚を見上げた。

 そのてっぺんに人よりも大きな鳥がとまり、こちらを見下ろしている。全身は鮮やかな緑色だが、背中に生えた飾り羽とその周辺は紫色だ。胸元の羽毛はほんのりと赤い。その派手な色彩で『彩鳥』とも呼ばれるクルペッコである。体の大きさを考えると翼はそれほど長くも大きくもなく、この鳥が飛べることは飛べるがそれほど得意ではないことを表している。太い足も長時間空を飛ぶには重すぎるだろう。太くて長い、黄色い嘴は、見るからに頑丈そうだ。

 蟻塚の上にいる自分に向かって威嚇の声を上げるドスジャギィを無視し、彩鳥は翼を広げると、風に乗って滑空しながら飛び去っていった。



*****

 ハンたちは夜明けにこの島に着いた。船の中で睡眠をとったハンはそのままギルドが狩場としている『砂原』に来た。徹夜で操船をした黒槍は船に残って休憩中だ。ベースキャンプで準備をしたハンが、狩場の中を獲物の姿を求めてあちこち歩き回っていると、少ないながらも潅木や草が生えた空き地で、開けた砂利面の中央に探していた緑色の巨鳥がのんびりと歩いているのを見つけた。

 ハンは手に持っていたペイントボールを握りなおし、自分より背が高い鳥に向かって駆け寄る。羽毛に色をつけ、見失っても居場所を教えてくれる臭いの強い液体を詰めた玉を投げつけた。

 しかし玉は鳥の足の間を通り抜け、その先に落ちる。続けて腰の道具ポーチからさらに取り出し、また投げつける。この間にかなり接近していたので今回は当たった。さすがにモンスターのほうもこの相手に気がついた。空中に舞い上がり、ハンの背丈ほどの高さで空中を移動する。一定の距離を置くと、一旦地面に降り立つ。そこからすぐに今度は飛翔と言うより跳躍といったほうがいい、踊りを思わせる動きで片足を後ろに振り上げながら跳び、両方の翼を大きく広げながら、開いた嘴の間から半透明な緑色の液体を吐きつけてきた。

 液体は思っていたよりも遠くまで届いた。ここなら大丈夫と高をくくっていたハンはべたべたする液体を頭からかぶってしまう。粘りと臭いだけでも不快で調子が狂うが、さらに何か有害な成分でも含まれているのかもしれない。ハンは体から力が抜けるような気がした。

 危険を感じて一旦退こうとしたが、クルペッコは見逃す気はないようだ。飛び上がり、低空で羽ばたきながら移動してハンの前に降り立つ。巻き起こる風が地面から砂を吹き散らし、ハンは目をかばいながら二、三歩後ずさった。

 逃げられないのなら、戦うしかない。足を踏みしめ、体勢を立て直すと片手剣を構えて前進した。

 大鳥の足元に入り込んで位置取り、剣を振るって斬りつける。が、足には丈夫なうろこ状に固まった皮膚があり、腕で振る片手剣の威力では簡単には刃が立たない。それならと体を狙うが、位置が高いうえに、こちらはふわふわとした羽毛のせいではっきりとは肉の位置がつかめない。当たったと思っても手ごたえは無く、刃はするりと羽根を梳くだけで終わってしまう。

 攻撃はまだひとつも当たっていなかったが、足元でうろちょろされるのを鬱陶しく思ったのだろう、クルペッコは飛び上がると羽ばたきながら後ろ向きに滑空した。距離をとったところで着地すると両足を交互に踏み込みながら胸を大きく膨らませ始める。小さかった胸の赤い部分がみるみるうちに倍以上の大きさに膨れていく。極限まで胸を膨らませた彩鳥は大きく翼を広げ、嘴を開いて喉の奥から搾り出すような声を上げた。

 アオーン、オゥッ、オゥッ、オウッ

 ハンは耳を疑った。今この鳥の口から発せられているのは、疑いもなく別のモンスター、ドスジャギィの吠え声ではないか。その証拠に、声を聞きつけ、遠くからジャギィたちが駆け寄ってくる。さらに、

 アウオーンンンン

 ひときわ大きな雄たけびを上げながら近付いてくるのは、ジャギィたちの長、クルペッコが鳴きまねをしたドスジャギィだった。

 クルペッコと、ドスジャギィ。一頭だけでも手ごわいモンスターが二頭になった上に、ジャギィたちまでもいる。さして広くもない空き地は一転してモンスターだらけになった。

 これだけのモンスターを相手に一人で戦うのはさすがにばかげている。ハンは腰のポーチからまた一つ、今度は黄土色をした玉を取り出すと、目の前に迫ったドスジャギィの顔面に叩きつけた。

ボフッ

 モンスターに当たった玉からは同じく黄土色の粉塵がはじけ出て広がる。と、同時にあたりに悪臭が漂い始めた。これは『こやし玉』と呼ばれる、モンスターの嫌う臭いを出す素材を調合して詰めたものである。モンスター避け効果の程は種類によって異なるが、ドスジャギィとその眷属たちに対してはかなり有効だったようだ。鼻先に嫌いな臭いをぶちまけられた肉食モンスターの長は、踵を返すと何処かに走り去っていった。ジャギィたちもその後を追う。

 ハンとクルペッコは邪魔者がいなくなったところで、改めて獲物と対峙する。どちらがどちらの獲物となるのかは最後になってみないと分からない。
 
 彩鳥が両の翼を自身の正面で打ち合わすようにすると、硬化した前面の翼爪が打ち合わさって火が起こった。巻き上がる炎を突きつけるように、巨鳥は飛び掛ってくる。ハンはとっさに腕で頭部をかばい上体を伏せたが、炎は熱風を伴ってハンのすぐ上を通り過ぎた。服や髪が焦げる匂いが鼻をつく。ハンターナイフの刃にも炎の舌が触れ、布を巻いた柄にまで熱を感じる。

 炎をやり過ごし、走りこんで攻撃しようとしたところにクルペッコが頭部を突き出し、つついてきた。硬い嘴と片手剣がぶつかる。

キンッ

 短く、軽い金属音がした。

 急に軽くなった左手を見ると、剣の刃が折れてしまっていた。ハンは右手に持っていた盾を投げ捨て、クルペッコの攻撃を避けながら足元に落ちた刃先を拾うと、手元に残った剣の柄と一緒に急いで腰の物入れに押し込んだ。

 両手が空いたところでクルペッコに組み付く。羽毛に覆われた胸部を正面から掴み、押す。一般に鳥類は骨格が空洞になっており体重は見た目より軽い。ハンもそれを考えて組討に持ち込もうとしたのである。クルペッコは再び翼の前面にある硬化した翼爪を打ち合わせた。

 石化した翼爪に挟まれはしなかったが、服の背中に炎が燃え移った。握りに力が入らなくなったところを彩鳥は体を回しながら嘴で振り払う。背後にあった岩に激しく叩きつけられたハンの意識は遠のいた。地面に倒れこむ。巨鳥は勝ち誇ったように声を上げ、軽く跳躍しながら回転し、あたかも勝利の舞を踊るように動いた後、倒れたままのハンに近付いてきた。

 カッ。

 彩鳥が更に踏み込んで攻撃を加えようとした瞬間、閃光がひらめいた。モンスターは強い光に目を射られて苦しむ。そこにさらに大量の白煙が立ち上った。『けむり玉』だ。視界全体が真っ白く煙った岩場にがらがらと手押し車の車輪の音が響く。

 『見守りアイルー』から、「ハンター意識不明のため狩り続行不可能」との連絡を受け、待機していた隣の区画からネコタクの救助隊が来たのである。アイルーたちはクルペッコの足元を抜けて倒れているハンに駆け寄り、あっという間に担ぎ上げて車に載せると走り出した。



 『見守り制度』の導入により、ギルド所属ハンターの狩りでの死亡率は大幅に減少した。それまでは狩りにおけるハンターの死亡率は他の職業の二倍を軽く越えていたのである。力も大きさも人間の何倍もあるモンスターを相手に手持ちの武器やいくつかの道具だけで挑んでいるのだ。勝てるほうが不思議なくらいである。とはいえモンスターから取れる素材は人々の生活になくてはならない。ハンターには働いてもらわなければならないが、そのための犠牲者が多すぎるのは問題だ。

 事態を憂慮したギルドは、アイルー族の遠隔意思疎通能力を活用した通信網を整備し、狩りにでるハンターを見守るアイルーと万一の場合に備えた救助隊を同行させることにした。

 見守りアイルーはつかず離れず、邪魔にならない距離で狩りを見守り、ハンターに命の危険が迫ったときはこちらも近くで待機している救助隊を呼ぶようになっている。救助隊は閃光玉やけむり玉でモンスターの注意をそらしたり、こやし玉で追い払ったりして、その隙にハンターを救助し避難させる。相変わらず危険なことは変わりないが、この制度のおかげで死者の数を減らすことができたのだ。

 背中にやけどを負い、意識不明となったハンもこの救助隊によって危ないところを救われ、また半日かけて村に戻ることとなった。



 6

「おう、具合はどうだい?」

 ハンター用の宿舎である小さな家は、村の広場の一画にある。広場自体は海に張り出して作られた人工的な土地なので、その上に作られている建物は床板の隙間から海面が見える。声をかけて宿舎に入ってきた、背が高くがっしりとした男は、村長の息子シーガルだ。高齢の父親に代わり雑事をこなす村の実動部隊の責任者でもある。村になじめるまで、いろいろと面倒見てくれた、ハンにとっては頼れる兄貴分といった存在だ。

「ふむ、たいしたことはなさそうだな」

 海に面して大きく取られた窓からは塩気を含んだ風が入ってくる。その窓の前に置かれた寝台にハンがうつ伏せで横たわっていた。むき出しになった背中にチャチャが軟膏をぬっている。皮膚が赤くなってはいるがそれほどひどい状態ではないやけどを見て、シーガルは安心したように言った。

「ご心配かけて申し訳ありません」

 ハンが起き上がろうとするのを、チャチャが頭に飛び乗り押さえつけて戻す。

「まだぬり終わってないっチャ」

「もう大丈夫です」

 頭にチャチャを乗せたまま体を反らせて起き上がろうとする。その様子を見てシーガルは微笑んだ。

「いや、そのままで聞いてくれ、今お前さんが挑戦しているクルペッコだがな、この村に直接なにか被害があるわけでもないし、正直俺たちにとっては成功しようが失敗しようがたいした問題じゃあないんだ。だが、お前さんをここに呼んだ依頼人は俺たちだ。だから依頼人としてちょっと口を出してもいいんじゃないかと思ってな」

 そこでシーガルは笑顔を引っ込め、真顔になって言った。

「ハン、お前さんが訓練所で他の連中とうまくいかなかったのは知っている。誰かと狩りをするのが苦手だってこともな」

 その言葉を聞くと、ハンはのけ反りかけていた体勢から脱力し、またうつぶせに倒れこんだ。頭に乗っていたチャチャは寝台から転げ落ちる。茶を運んできたルサから碗を受け取ると、シーガルは一口飲んで話を続けた。

「チャチャを狩りに連れて行くのを嫌がっているようだが、その本当のわけはお前さんが言っているような、危ないからとかチャチャが子供だからとかじゃないんだろう? お前さん、他人と一緒に狩りをして失敗するのが怖いんじゃないのか?」

 ハンは顔を上げない。

「だが、以前に俺たちと行った時はうまくいったじゃないか。あの時は実質狩りをしたのはお前さん一人だったが、それでもお前さんの考えで皆を動かしただろう? お前さんだって相手次第、やり方次第で人と協力することもできた。そのことを忘れるなよ」

 ……。
 
 その場の皆が出方をうかがうように黙って見つめていると、しばらくしてハンはやっと顔を上げた。体の向きを変えると上半身を起こし、そこにいる全員を見回す。それでも何も言わないでいる。再び寝台によじ登ってきたチャチャが声高に言い放った。

「オマエ一人で行ったって失敗したじゃないか。誰と行ったって失敗するときはするもんチャ。いちいち気にするなっチャ」

 それを聞いてシーガルが吹き出す。

「お前さんよりこのオチビの方がよっぽど大人だぜ。何もすぐ次の狩りでこいつを連れて行けって言うわけじゃないが、ちょっと考えを変えるのもいいんじゃないかね。それともう一つ、訓練所ではどうだったか知らないが、この村にはおまえさんのこと気に入っている人間が沢山いる、その事も知っておいてくれ」

 ハンはゆっくりと頷いた。



*****

「ああ、こりゃオメエ、もうダメでえ」

 村の武具屋、工房の主である竜人族の職人はハンが持ち込んだ片手剣の残骸を一目見るなり言った。午後になって、起き上がれるようになったハンは早速折れた片手剣の修理を依頼しに来たのだった。

 この通称『武具屋のオヤジさん』は一族特有の先の尖った耳を持つ小柄な老人である。

「直りませんか?」

「こいつぁ随分と使い込んでやがんな。どのくらい使ってんでい?」

「五年です」

「その間ほとんど毎日使ってたんだろぅ? そんでしょっちゅう研いでたな」

 優れた職人は道具を見ただけで今までどんな風に使われてきたのかわかるものだ。オヤジさんは渡された刃先を手に持ってよく見ながら言った。 

「そのとおりです」

「ほら、見てみねぃ」

 そういっておやじさんは工房奥に行き、棚から新品のハンターナイフを出してきた。ハンが使っているものと同じ型で、装飾もなく、素材もありふれた鉄という、片手剣としては初心者向けの量産品である。折れたハンの片手剣の刃を並べる。

「な、こんなに短くなっちまってらぁ」

 並べてみると確かにハンのハンターナイフは新品のものより一割以上刃が短い。

「刃物ってモンはな、砥ぐたびに減ってんでぃ。家宝とかで普段は飾っておく名品ってんならともかく、日常使用のものは消耗品なんだぁな。それに一回折れちまったものを接いでも金属がもたねえ、またボッキリ折れちまうのが関の山さぁね」

「大切な物なのです」

 ハンはこの片手剣が折れたとき、そのまま捨て置いてもいいものを、盾を捨て、危険を冒して落ちた刃先を拾ってきた。

「お、なんだ、誰かからの貰いもんかぃ?」

「両親です」

「まあ、そんなに言うんなら、これでちっせえナイフでも作ってやっから、それはそれで使え。それよりな」

 オヤジさんはまた奥へ行くと今度は巻いた大きな紙を持って出てきた。

「コイツを見な。っても図面だけじゃよくわかんねえかもしんねえが」

「設計図。戦斧ですか」

「おっ、わかるみてえだな。交易船の船長がもってきやがったんでぃ。スラッシュアックスとかいう新開発の武器だそうだ」

 ハンも興味を持ったようだ。オヤジさんと二人、頭をつき合わすようにして設計図を覗き込む。そこへ、

「ちょっと、武器の話なら私も入れなさいよ」
 
 女の声が割り込んできた。振り向くとハンよりも三つ四つ年上といった感じの若い女性が立っている。オヤジさんの孫娘のグノサだ。この武具屋では製造や修理をする工房はオヤジさんが、販売をする店舗のほうはグノサが仕切っている。この女性は家業の故だけではなく熱心な武具の研究家で、よく店番をしながら商売そっちのけで「最も丈夫な防具の素材は何か」とか「最も強い武器は何か」について考えこんだりしている。

「おめぇは引っ込んでろぃ」

「うるさいわね、引っ込むのはおじいちゃんのほうよ」

 オヤジさんの乱暴な口調にひるむ様子もない。二人からひったくるようにして設計図を取り上げると、手に持ったまま話し始めた。
 
「そもそも斧って言うのは元々武器じゃなくて農具の一種よね。木を切ったり、枝を払ったりするのに使われるものだけれど、かなり古い時代からその作りやすさや使い勝手のよさから武器としても用いられてきたらしいわ」

 グノサの話によると、斧とは木製の柄とそれに直角に固定された金属製の刃からなる。このうち、片手で使える小型のものは手斧、刃渡りの広いものは鉞(まさかり)と呼ばれる。武器としての斧には柄を長くして破壊力を増した戦斧や投げて使う投斧などがある。

 斧を武器として使う場合、剣と違い、重心が先端部にあるため、膂力(りょりょく)がないと使いこなせないといわれている。しかし、柄の長い斧は振り回すことで生じる遠心力を上手く活かせるような身体制御が可能な者であればそれほど力がなくても使うことができる。

 使いこなすのは難しいが、遠心力を活かした破壊力は魅力であり、武器としては意外と広く使われている。その上に、斧は高い汎用性も持っている。野営するときに必要な木を切ることができるのは勿論、刃が柄に対して直角についていることで、鉤爪のように物に引っ掛けて引き寄せることもできる。

「それにね、刃の峰の部分は金槌のようにものを打つことにも使えるし、それに使おうと思えば杖としても使えるの、先端が尖ってない型の場合だけど」

 グノサの講義を神妙に拝聴していたハンは、オヤジさんに向き直ると言った。

「便利なものです」

「ああ、でもそりゃ普通の斧の話だろぅ、こいつあまたちっとばかり違うのさ」

 と、オヤジさんは、グノサから設計図を取り返し、改めて二人に見せた。

「アタシは図面には弱いのよ。細かいことはわかんないわ」

 グノサは図面をハンの方に押しやる。

「普通の戦斧より刃がかなり大きいです。それにこれは?」

 ハンは図面を見ながら気付いたところを指差した。

「こいつにゃあ仕掛けがあってな、見ろ」

 おやじさんも図面を指し示しながら説明する。

「ここがこう動いて、剣みてぇな形にもできんのさ」

「それに、ここへはビンを装着でき、刃に属性がつけられるということですね。ただしこれでは入れ替えに手間がかかるので、一度つけたら戦闘中はそのままでしょう」

 ハンはこの奇妙な武器にいたく興味をそそられたようだ。食い入るように図面を見つめるハンにおやじさんが横から注意した。

「ただ、こいつな、見てのとおりで使い方がややこしいんでぃ。こいつの威力を十分に発揮したかったらよーーっく練習しなきゃいけねぇぜ。あとな、手入れの手間も相当だ。普通の剣みてえに砥いで油ぬっときゃいいってもんじゃねぇ。使うたびに解体して細かいところまで掃除してから組み直さねえと、あっという間にここら辺に肉だの脂だのがつまって変形なんかできなくなっちまう」

 それでもハンの興味はそがれなかったようだ。設計図をおやじさんに突きつけるようにして言った。

「これを作ってください」

 興味を持っているのはこの老人も同じこと。

「おう、合点でぃ。でもよぅ材料にする素材がいるぜぃ。必要なのは――」

 男二人は面白いおもちゃを手に入れた子どものように興奮して語り合っている。グノサはやれやれという感じに肩をすくめると、店のほうへ戻っていった。



*****

 次の朝、ハンは漁市場にいた。水揚げされたばかりの魚や貝類が、所狭しと敷物の上に並んでいる。

「聞いたよ、ハン、あんたクルペッコにやられたんだって?」

 しゃがんで魚を見ているハンに港の女主人が声をかける。褐色の肌をした、このふくよかな中年の女性が、長年この港を仕切っているのだ。いつどの船が漁に出るか、誰が行くか、どんな漁具を持っていくか、漁師達が平等に無理なく働けるように割り振りをしている。ハンは好物の魚団子の材料を買うために毎日通っているうち、この女主人とも親しくなった。魚団子に限らずいろいろな魚料理について教えてもらっている。その問いかけに、ハンは悪びれず答えた。

「はい、やられました」

「なにやってんだい、だらしがないねえ。でも、まあ、そんなときもあるさ。ほら、これをやるから持って帰って食べな。新鮮な魚を腹いっぱい食べればまた挑戦する元気もでるってもんだよ」

 女主人は並べられた魚の中から脂の乗ったサシミウオを取り上げ、ハンに渡してきた。

「ありがとうございます」

「その代わり、ちゃんと狩れたときにこの分は倍にして払ってもらうからね」

 いいながら朗らかに笑う。サシミウオの値段は倍にしてもそう高いものではない。この女性なりの励ましだ。

「はい」

 ハンも素直に返事をする。女主人はその姿を見て安心したようすで話を変えた。

「ところで、クルペッコってのは踊るんだってねえ?」

「踊りと言っていいのかわかりませんが、変わった動きをします」

「ふうん、厄介だね。踊りといえばさ、うちの漁師でガイカンってのがいるだろう? あのガイカンの女房のキビトは踊りの名手なんだ、そりゃあうまいもんだよ。あんたも機会があったら見せてもらうといいよ」

「踊り……」

 ハンは何か気がついたように、急に考え込んだ。そのまま立ち上がると貰った魚を置いたまま歩きだす。

「あ、ちょっとハン、魚は?」

 女主人があわてて追いかけて行く。



*****

 古くから人は音を楽しみのために作り出してきた。しかし音楽は心を癒すだけではない。音楽は物理的にも聞いた相手に影響を与える。

 音というのは空気の振動であり、振動は空中を伝わって聞くものの体組織にも伝播する。肉体の組織が振動することは物質的な干渉となり、肉体そのものにも働きかける。効果があるのは人間だけではない。音楽を聞かせると家畜の乳の出がよくなる、農作物の成長が促進されるといった報告はしばしば見られる事実である。

 よそではあまり見かけないが、ハンが育ち、訓練所で修行をしたポッケ村では『狩猟笛』という武器も使われていた。

 この人の背丈ほどもある長大な笛は丈夫な外殻を活かして打撃系の武器として使用されているが、他の武器との最大の違いは、素材や形状によりさまざまな音色を奏でられることある。その音色により、人体に影響を与えることも知られている。ハンターの脳内化学物質の分泌を促し、興奮を高め、体力、運動能力を普段以上に引き出す音色や、自然治癒力を高める音色まで、音の組み合わせによりさまざまな効果が確認されている。

 ある種の音楽で使用される音には高周波音が含まれる。音は音波として耳に入り、鼓膜を振動させ脳の中枢に達して初めて認識される。その際、高周波音は自律神経などをつかさどる視床下部を中心とした、脳の中枢を効果的に刺激するのである。特に、自律神経のうち心の安静をもたらす副交感神経に作用する音は、多彩な健康効果につながるという。

 音だけでもこのように相手に影響を与えるのである。その音に動きという別な要素が加わった踊りの効果というのは考えるまでもないだろう。音楽に合わせ自分が踊る、他者の踊りを見る、いずれにしても音だけのとき以上に体に対して影響があるはずだ。


 今夜、ハンはチャチャを伴って広場に出てきた。いつもは夜でも釣りや漁に出る者がおり、広場に人気が絶えることはないが、今夜は潮の具合がよくないため、皆家に引っ込んでいるようだ。人影はまばらである。

 広場には黒槍、そしてもう一人、女性がいた。村の漁師の女房で、村一番の踊りの名手といわれるキビトである。もともとハンとも知り合いで、一緒に狩りに行ったこともある。漁師やその妻には、気の強い、にぎやかな人間が多いが、キビトは一見上品な感じで話し方もおっとりとしている。クルペッコを狩るために踊りを応用することができないかと考えたハンは、このキビトに教えてもらうことにしたのだ。演奏を頼んだ黒槍は細長い首に四本の弦のついた楽器を持ってきていた。

「踊りには音感も大切なんだよ。キミもハンターなら『我ら狩り仲間』知ってるだろ。ちょっと歌ってみてくれる?」
 
 と言って黒槍は弦を爪弾き始める。

「はい」

 ハンは返事をして歌い始めた。

 ♪極寒の雪山も
  灼熱の砂原も
  共に進もう
  我ら狩りの仲間
  生まれたる地は異なれど
  斃れるその地は同じと誓おう

 狩りに出たハンターたちが野営するとき、焚き火を囲みながらよく歌う小唄だ。曲が終わると黒槍が楽器を脇に置いて感想を言った。

 「へえ、まあまあ上手いじゃない」

 「ええ、こんなこと言うと失礼ですけど、思ってたよりずっと上手ですね」

 キビトも同意する。普段は口下手で、大きな声を出しているところも見たことがないおとなしい男が、ここまで声量豊かに歌うことができるとは思っていなかったのだろう。

「音感もよさそうだし、拍子も上手く取れてたよ。これなら踊りもできるんじゃない?」

 それならと、早速踊りの指南が始まった。

「まずは見てもらいましょうか。大事なのは心を開いて自然の呼吸を感じることですよ。そうしてその鼓動に体を任せるようにするんです」

 キビトが言いながら黒槍に合図を送る。音楽が始まり、女性はたおやかにゆったりと動き始めた。見ているとその手の動き、足の運び一つ一つに物語が見えるようだ。ハンは思わず見入る。

 と、隣に座っていたチャチャが立ち上がり、キビトの横に進み出ると一緒に踊り始めた。いつもはちょこちょこした動きだが、今は音楽に合わせてゆったりと動いている。それまでほとんど口を利いたこともなかったにもかかわらず、打ち合わせでもしたかのように二人の動きは息が合っていた。一曲終わると黒槍が感心したようにつぶやいた。

「この子、見た目より協調性があるんだね。相手の呼吸に合わせるのがうまいな」

「オレチャマの一族にとって踊りは生活の一部なのチャ。毎日みんなで踊ってるから、相手に合わせるなんて簡単チャ」

 その後、キビトはハンにも踊らせ、指導をしていった。



 7

 狩場『砂原』では、数日前と同じように太陽は大地を焦がしている。立ち上る熱気も同じように景色を歪ませている。文字通り広い砂の平原に、落ちる影が移動している。空を飛ぶクルペッコの影だ。それを追って、大小二つの人影が走る。ハンと、チャチャだ。

 今日のハンは背にそれまでの片手剣とは違う巨大な斧を背負っている。武具屋のオヤジさんに作ってもらった新しい『スラッシュアックス』である。この癖の強い、新しい武器を、まだ十分に使いこなせているとはいえないが、完成してから寸暇を惜しんで使い方を練習してきた。今回はとりあえず、その長さと破壊力を活かして攻撃に用いることに専念するつもりだ。


 バササッ、バサッ。

 地面の影が大きくなる。風圧で砂や小石が舞い上がる。翼をはためかせながら、鮮やかな色の鳥が高度を下げてくる。ハンとチャチャは武器を構え、頭上を見上げた。

―――いいですか、ハンさん。

 ハンの耳に、キビトの声が甦る。

「相手に合わせることができないのは、呼吸が合ってないからです。相手の動きを見てから合わせようとしても遅いんですよ。動きではなく呼吸を合わせるように。そうすれば、自然と動きも合ってきます」

 ハンは降下をしてくるクルペッコを見上げながら立ち止まり、深呼吸をし始めた。息を吸い、吐き、吸い、吐く。彩鳥の呼吸を意識しながら呼吸を繰り返しているうちに、自然と足が動いていた。

 着陸した彩鳥に駆け寄る。鳥が体を回転させようとすることがわかる。翼が回ってくるその瞬間に体を低くし、自分の上を通り過ぎさせた。すぐに上体を起こし、斧を振る。

ザシュッ。

 緑色の羽毛が空中に舞い散る。片手剣よりも高いところまで届く斧の刃が、クルペッコの羽毛ごと肉を斬り裂いた。

 前、後ろ、右、右、前、左、後ろ。頭の中に流れる自然の音楽を聴きながらその音に合わせて足を動かす。前に戦ったときは全く読めなかったクルペッコの動きが理解できた。

 ハンはさがったクルペッコの動きに合わせて一歩踏み込んだ。その場で両足を開いて踏ん張るように立つと、握りの間隔が短くなるように手をずらし、大きく円を描くように斧を振り回す。そこに今度は彩鳥が踏み込んでくる。動きを合わせて遠心力で峰の部分を大槌のように翼の前面にある翼爪にぶつけた。

 ガキィッ。

 翼爪の石化した部分が砕け散る。片方だけでも破壊できればもうこの火打石を打ち合わせての発火はない。

 劣勢を感じたクルペッコが立ち止まり、胸を大きく膨らまし始めた。またドスジャギィを呼ぶつもりなのか。しかし、今度は胸のふくらみが真っ赤な風船のようになる直前、

 パアンッ。

 空気を震わせて乾いた音が響いた。『音爆弾』をチャチャが投げたのである。狩りを始める前、ハンはチャチャにこの高周波の音を発する玉を持たせておいたのだ。

 音に驚いた巨鳥は、胸を膨らませることを中断してしまった。鳴きまねで助けを呼ぶことをあきらめ、翼を大きく広げながら、片足を踏み込み、口を開けた。

 カァーッ。

 だが、鳥は体液を吐き出すことが出来なかった。音爆弾で鳴きまねを中断できると読んでいたハンが走り込み、斧の刃の部分を鳥の軸足に引っ掛けて渾身の力で引いたのだ。重心を失い、緑色の羽毛に包まれた鳥の体がどうと地面に倒れこむ。

 声をかけたわけでもないのに、すかさず飛び上がったチャチャが鳥の頭部を棍棒で叩く。ハンの方はまだ残っている片方の火打石に攻撃を当てる。二人は無言だったがお互いに補い合い、協力し合った。

 呼吸を合わせれば、言葉がなくても意思を通わせることができる。ハンが落とし穴を設置しようとすれば、チャチャは鳥の前でその注意をひきつけ、時間を稼いでくれる。クルペッコが穴に落ちれば、ハンと一緒にチャチャも爆弾を置く。

 人と協力するということで、こんなにも楽になる、相手と動きを合わせていても、こんなにも自由に動ける。ハンにとっては初めての経験だった。

 ぐぇぇぇ。

 最終的に彩鳥の体がぐらりと傾き、ゆっくりと地面に倒れ込んだのを見て、ハンとチャチャはお互いの右手を打ち合わせた。



 8

  『孤島』に戻る船の甲板。海は穏やかでいい風が吹いている。帆船はすべるように海上を進んでいた。後部の荷台には解体したクルペッコから取れた素材が積んである。ハンとチャチャは甲板の舳先に近いあたりに詰まれた樽に並んで腰をかけていた。髪に風を受けていたハンの口からポツリと言葉がこぼれた。

「チャチャさん、これからも一緒に狩りをしてくれませんか?」

「あたりまえだっチャ。オマエはオレチャマの子分なんだぞ」

「子分? そうだったのですか?」

 それを見た者はいなかったが、ハンは小さく口元で微笑んだ。それから立ち上がると舳先に行き、手すりに手をかけて歌い始めた。

  極寒の雪山も
  灼熱の砂原も
 
 奥から船の操作をする黒槍が顔を出してくる。船の甲板ではチャチャが歌にあわせて踊りだした。振り向いたハンは手すりに背を預け、黒槍と声を合わせて歌った。

  共に進もう
  我ら狩りの仲間
  生まれたる地は異なれど
  斃れるその地は同じと誓おう

 歌声は潮風に乗って、流れていく。

 海もまた、その歌声を聴いていた。





第七話 Un homme et une femme(男と女)
 
1.

 どがん。

 重い土製の鍋が思いきり置かれた。いや、落とされた、いやいや叩きつけられたと言ったほうが正しいだろう。切り出したままの素朴な木材を使った使い込まれた食卓、その上で、どこかいいところに衝撃が加わったのか、真ん中できれいに真っ二つになった鍋から転がり出る野菜と魚肉の団子。流れ出る煮汁は、並んでいる木製や厚手の陶器製の実用本位な食器の間を広がり、食欲をそそる香辛料の香りが、窓から柔らかな朝の光が差し込む部屋中に満ちていく。

「お、おい、何すんだ! メシが台無しじゃないか」

 食卓についていた屈強な大男は驚いて声をあげる。

「そう、汁はもうダメね。でも魚団子と野菜は拾えばまだ食べられるでしょ。 私はいらないけど」

 割れた鍋を前に立っていた女が、冷たい声で言い放つ。そのまま女はくるりと向きを変えると部屋を仕切っている長い暖簾をくぐり、奥に入っていってしまった。

「なんなんだよ、ったく」

 頭を抱えている男の耳に、奥から乱暴に何かを何かにつめる音が飛び込んできた。

「まさか・・・・・・。 おい、待て!」

 あわてて立ち上がった男の前を、女が大きな鞄を持って通り過ぎていく。男の方などちらりとも見ない。たいして大きくはない民家の、食堂を抜け、台所を通り、扉を開け、外へと出て行く。

「あーあ、またかよ」

 男は立ち上がりかけた姿勢からまた椅子に座り込み、卓の上に突っ伏した。

「あちっ!」
 
 土鍋から転がり出ていた熱々のイモを腕で潰してしまったらしい。

「ちくしょう!」

 男は誰にともなく叫んだ後、今度は煮物に腕や顔が当たらないように気をつけながらもう一度突っ伏した。



*****

 その日も、ハンターズギルドモガ支所唯一の常駐職員である少女、カウカは働いていた。

 モガの村は国の南方にある諸島のそのまた端っこに位置している。一年を通して温暖な気候であり、村人の服は灰色や茶色、水色といった中間色の、袖がないか半袖で丈も短い薄手の服だの腹掛けだのに短めのズボンといった簡素なものが多い。

 一方国家的組織であるハンターズギルドの制服は見るからに違う。赤と黒、それに一部が白という対比のはっきりした強い色使いのブラウス、村では他に着ている者はいないスカート、頭には小粋な帽子までかぶっている。村の花形職業であるギルド職員の、誇るべきその制服に身を包み、少女はカウンターで資料に書き込みをしている。

……いるはずなのだが、資料の綴りはさっきから同じ頁が開かれたまま、少女の手に握られたペンは全く動いていない。

ぼーっと中空を見ている。



 少し前のこと、このギルド支所所属のハンターが狩りに失敗して狩場から戻ってきたことがあった。

 モガの港まで帰ってきたギルドの運搬船には、狩りが成功していれば遠目でもわかるはずだった巨鳥の鮮やかな緑色の羽は見えかった。嫌な予感を抱きながらカウカが桟橋に立って船が接岸するのを見ていると、一人がもう一人を支えるようにして、二人の男が降りてきた。

「ハンさん、大丈夫ですか!?」

 ハンと呼ばれた若いハンターは深刻ではないが広い面積がやけどで真っ赤になった背中をむき出しにし、船を操縦するために同行していた漁師の黒槍に支えられている。かろうじて自分の足で歩いてはいるが、その目には疲労と苦痛が色濃く表れており生気がない。

 思い出すと今でも背筋が寒くなる。ハンターは危険な職業だと知ってはいた。ギルドに採用された直後に勤務していた街の大きな支局には、毎日大勢のハンターたちが入れ代わり立ち代りやってきており、いちいち顔や名前も覚えきれないほどだ。ハンターの中には大怪我をした傷跡を持つ者もいたし、時には狩りに出た誰それが返り討ちにあって死んだ、などという話も伝わってくる。しかし、それらは皆自分とは別の職種、別の世界の人間の話であり個人的な感情は持っていなかった。

 今いるこの支所には職員一人、ハンター一人の計二人しかしない。ハンターであるハンとは毎日会って話をしている。幸いあのときのやけどはそれほど深刻ではなく、ハンもすぐに元気になった。それでも、自分と近しい人間が怪我をしたり、命の危険にさらされたりするということの恐ろしさを、少女はそのとき初めて実感したのだった。



*****

「…ちゃん、カウちゃん」

「え、は、はいっ?」

 回想に耽っていた少女は自分を呼ぶ声に我に返った。顔を上げると大きめの鞄を持った一人の女性が自分のほうを見て微笑んでいる。

「あ、キビトねえさん」

 カウカの母親とこの女性、キビトは姉妹で、本当なら「叔母さん」と呼ぶべきなのだが、自分が生まれた時まだ十代だったこの女性はカウカにとっては年の離れた姉のような存在だ。呼ぶときも「おばさん」ではなく「ねえさん」となる。

「何? どうしたの? って、その鞄。・・・また?」

「そうよ」

「よくやるわねえ。ホントは仲いいのに」

 キビトは持っていた大きな鞄をカウンターの上にドサリと置き、強い調子で言った。

「いくら相手のことを好きでも許せないときは許せないの。カウちゃんも覚えておきなさい。男はね、女のことなんてぜーんぜん理解できないんだから。我慢なんかしてたら一生こちらの気持ちは伝わらないわよ。わかってもらおうと思ったら、言葉なり行動なりではっきり示さないと。で、姉さんは今、家?」

「今日は確かベニサンゴ石を採りに行ってたから、夕方まで戻らないんじゃないかなあ」

「そう、じゃ、それまで時間潰さないといけないわね。カウちゃん、何かお手伝いできることでもない? じっとしているとムシャクシャしてくるから体を動かしたいんだけど」

「と言われても、特にはないなあ…。そうだ、ハンさんの宿舎に行ってみたら? ルサさんのお仕事だったら何か手伝うことがあると思う。おそうじとか、お料理とか」

「それはやりがいがありそうね」

 キビトは鞄をそのままカウカに預け、近くにあるハンターの宿舎に向かって歩いていった。



*****

 その日、本名ハンメルダクムセスダート・アツマフヨグカムナ、長すぎるので周りの人々からはハンと呼ばれる若いハンターは、いつものように淡々と、表には出していなかったが、内心ではとてもはりきっていた。

 モガの村では、最近頻発する地震にモンスターが関係しているとみて、原因の調査と対策のためギルドにハンターの派遣を要請した。そしてやってきたのがこのハンである。

 本土の雪深い村にある訓練所を卒業したばかりの十九歳。中肉中背、濃い茶色の髪と目、右の眉から頬にかけて二本の傷跡がある以外はこれと言って特徴の無い地味な男だ。

 今は島内の狩場へと向かっている。

 村に赴任して一ヶ月近く、到着時には不慮の事態により荷物も服も失ってしまっていたが、今はちゃんと服を着ている。普段は緑色の、ところどころ茶色い皮革で補強した身軽な服を着ており、これまでは狩りに行くときもその格好だったのだが、今日は見るからにがっちりとした鎧のような装備で全身を覆っている。砂原にいるリノプロスという草食のモンスターから獲れる素材を使ったものだ。このモンスターは石頭で知られており、皮膚と言うより外殻といったほうがふさわしいその皮を使った装備は、布の服より頑丈で、モンスターの攻撃を受けても着用者をよりがっちりと守ってくれるはずだ。

 地震と関係があるのではないかといわれている海竜、ラギアクルスを狩るためには技術、道具、装備すべての準備を周到にする必要がある。装備もいつまでも軽装というわけにはいかない。頑丈な装備は重量もそれなりにあり、着て動くにも慣れがいる。今からいろいろな装備を試しておこうというわけだ。

 依頼を受け、古代鮫の皮を採るため、村に近いモガの森を抜けた先にある広い海岸にやって来た。海での狩りなら慣らしにもちょうどよい。もう一人、腰ミノと奇妙な形の面を身につけ、全身が緑色をした子供、奇面族のチャチャを連れてきていた。チャチャは正規の手続きを経た助手として、最近ではハンの狩りに常に同行している。

ばっしゃあああん。

 小石を敷き詰めたような浜を沖に向かって歩き、程よい深さになったところでハンは海に飛び込んだ。続いてチャチャも飛び込む。



……。
……。
……。



ばしゃ。

 小さな緑色の人影が、水中から上がってきた。自分より大きな何かを掴み、引っ張りあげている。奇面族は高い戦闘能力で知られているだけあって、チャチャも子どもとは思えない怪力の持ち主だ。

  げほっ、ごほっ。

 チャチャに引き上げられたハンは、頭にかぶっていた頑強な兜を脱ぐと咳き込み、水を吐き出した。


「ダメです」

 その場に座り込む。横に立ったチャチャが応えた。

「まともに動けないっチャな」

「無駄でした」

 狩るのが簡単で、加工にもそれほど金はかからないリノプロス装備とはいえ、素材を調達し、頭、胴、腰、手、脚と防具一式をあつらえるにはそれなりの金もかかっている。が、使えないのでは新調した意味がない。

「しょうがない、それは陸で他のヤツを狩るときにでも使うがいいっチャ」

「そうします」

「だけど今日は…」

 二人は頭を抱えた。



*****

 その日のまだ昼にもなっていない時刻、村に一軒だけある武具屋の店主、通称『オヤジさん』の工房に若いハンターとその相棒、チャチャが訪ねてきた。二人ともまだ身につけているものが濡れており、ハンターのほうは髪からも水滴をポタポタたらしている。海に面した村なので体が濡れている人間を見ること自体は珍しくもないが、二人ともどうも元気がない。
今朝着て出かけたばかりのリノプロスの装備も脱いでおり、ハンはインナー姿だった。

「おぅおぅ、いったいどうしたんでぃ?」

「動けません」

「なに?」

「あのゴツイ装備では水の中でうまく動けなかったのだ。 そのせいでハンはこの格好で古代鮫を狩ってきたのチャ」

「うーん、水中での狩り、かぃ」

 オヤジさんは腕を組んだ。

「狩猟船団の連中はたいした装備もしねぇでモンスターを狩ったりもしてんだがよぅ、アイツらが狩るモンスターなんてせいぜいエピオスだのルドロスだのだぁ」

 村には今までギルドに所属し、ハンターを本業とする人間はいなかった。オヤジさんの腕のよさを聞きつけて本土からわざわざ武具をあつらえにやってくる物好きもいるが、それはごくたまにのことで、普段は漁具や簡単な武器ばかり作っている。ハンの赴任以来ハンター用の装備やこった武器を作れるようになり、オヤジさんも武具屋として仕事にやりがいを感じ始めていたところだ。注文をする前からいろいろ見本を作っていたり、交易船の船長から新しい武器の設計図を手に入れたりしている。

「お前さんはもっと強ぇモンスターと戦うわけだからな、防具は大事でぃ。だけどソイツが水ン中で使えないたぁうまくねぇ。こりゃあ、なんとか武器や防具を水中でも使えるように改良しなきゃなんねぇな」

「お願いします」

 簡単に請け負ったのはいいが、水中で動きやすい武器や防具の開発などどうすればいいのか。

 二人が帰った後、オヤジさんは早速仕事にとりかかった。普通に考えると、まず水の抵抗を少なくするためには全体的に凹凸は出来るだけ少なくすることが望ましい。材質も陸上用のように防御力を重視して金属や鉱物を多用すると重量が増し、水中では動くこともままならなくなるだろう。軽量化、または浮力がある素材、抵抗を少なくする形状、衝撃を吸収する防御力、それらを兼ね備えた防具。武器も同様。作るためには特殊な加工技術が必要だろう。

 しかし、注文が難しければ難しいほど燃えるのが職人魂というもの。

 オヤジさんは図面を書いたり素材とにらめっこしたり、工房にある書棚から書物を出して開いてみたりしながら半日を費やした。が、これといって画期的な製作法は思いついていない。それでも、工房では暗くなるまで作業の音が続いていた。



*****

 日もとっぷりと暮れたその晩、モガの村の漁師ガイカンはその日の漁を終えた。朝ケンカをして出て行った女房もさすがにもう頭を冷やして家に帰っているだろう、と思いながら家まで歩いて来ると、玄関の前に大小二人の人影が見える。さらに近づいてよく見るとギルドから村に派遣されてきた若いハンターと、最近その助手となった妙な風体の子供だ。二人はそれぞれに頭陀袋を手に持っている。

「なんだ? なんでお前らがここにいる?」

「キビトさんです」

 ハンがポツリと言った。

「何、うちのがどうかしたのか?」

「来ました」

「はあ?」

「オマエの奥さんがハンの家に泊まることになったっチャ。それでハンとオレチャマは寝床を取られて追い出されたんだっチャ」
 
 口下手なハンの代わりに話し始めたチャチャの説明によると、家出をしたキビトはまず姪であるカウカに会いにギルドカウンターに行った。そこで頼まれてハンの宿舎の仕事を手伝いに行った。さらにそこで、世話係のルサと話をするうちに、どう話がころんだのか、しばらくの間ハンの宿舎に泊まることになった。というのである。

「いくらカウカさんのお母様と姉妹とはいえ、カウカさんの家では気兼ねして落ち着かないでしょうニャ。しばらくこの宿舎に泊まるといいですニャ」

 とルサが申し出たのだそうだ。ルサはアイルー族、ニンゲン族とは種族が違うとはいえ、女は女同士、気持ちがわかるということか。それにしても、本来宿舎の主であるはずのハンになんの相談もなく決めてしまうあたり、ルサの『女心』も不可解だ。

「だけど、宿舎には寝台が一つしかないのチャ。それでハンが困ってたら、キビトがハンには自分の寝台を貸すって言ったっチャ」

 キビトの寝台、それはすなわちガイカンの寝台でもある。今夜ハンとチャチャはガイカンと一緒に寝ろということか。それほど親しくもないのに三人一緒に寝ろとはむちゃくちゃな話だが、あっという間に宿舎から追い出され、仕方なくハンとチャチャはガイカンの家に来たと言うわけだった。

「するってえと何か、あいつは今日うちに戻らないのか?」

「はい」

 あきれたようなガイカンの質問に今度はハンが答える。

「で、俺んちにお前らが泊まる?」

「はい」

 徐々に顔を赤くして、この屈強な大男が二人を追い出そうとした矢先、チャチャが言い足した。

「あ、それとキビトから伝言があるっチャ、『私のお友達をちゃんとおもてなししなかったら、もう絶対に帰らないからそのつもりで』だそうだっチャ」

 怒りのやり場を失い、握っていた拳を開いてガイカンはうなだれた。

「入れ」

 こうして、モガの村では住人それぞれの一日が終わった。



2.

 翌朝、ハンターズギルドのモガ支所にいつものようにハンがやって来た。

「おはようございます」

「おはようございます、ハンさん。聞きましたよ、昨日はガイカンさんのところに泊まったんですね。よく眠れました?」

 カウンターを拭いていたカウカは手を休めて顔を上げた。

「いいえ」

 いつも淡々としている男だが、今日はどこかしら疲れているように見える。まだ朝なのに。

「へえ? 枕が変わって眠れなかったってやつですか? ハンさんも意外と繊細なんですね」

「聞いていました」

「何を?」

「話です」

「ガイカンさんの?」

 ハンは頷き、さらに付け加えた。

「大きかったです」

「何が?」

「いびきです」

 どうやら寝るまではガイカンの泣き言を延々と聞かされ、寝てからはいびきがすごかったらしい。

 カウカは一瞬気の毒そうな顔をしたが、そもそもの原因は自分の叔母である。この話にはあまり深入りしないほうがよさそうだと判断する。話題を変えることにした。

「ああっと、そうだ。私今雑貨屋のおねえさんから調合書買って勉強してるんですよ。でもなかなか覚えられなくて。ハンさんなら調合法くらいはみんな頭に入ってるんでしょう? ちょっと質問させてくださいよ」

 言いながら、台の下から各種の薬や道具の製作方法が書かれた本、『調合書』を取り出す。

「えーと、『回復薬』は何と何をどうすればできるでしょう?」

 ハンはといえば、睡眠不足で疲れてはいても、狩りに関係のある話にはつい乗ってしまう。

「薬草とアオキノコを生のまま両方一度に薬研ですりつぶして混ぜます。比率は4対3」

「お、正解。まあこんなのは序の口ですからね。じゃあ、捕獲に使う麻酔薬は?」

「えーと―――」
「―――閃光玉?」

「まずさっき言った方法で素材玉を作り、そこに光蟲を入れます。ひとつにつき一匹でいいですが、玉の中で死んでしまわないように食用にする草を入れ、作りおきをする場合は毎日霧吹きで水をかけること」

 ハンはカウカの出す質問に全て正解した。そればかりでなく、調合書に載っていないコツなども付け加えて説明する。

「うわあ、すごいすごい」

 カウカは思わず手をたたいた。

「やっぱりご両親が学者さんだと違いますねー」

 何気なくそう言うと、ハンは短く応えた。

「勉強したのです」

 表情は変わっていなかったが、その声に微かにむっとした気配を感じ、カウカはあわてて言う。

「あ、ごめんなさい。ハンさん自身が、がんばったからですよね」

「謝らなくてもいいです」

「……すいません、怒りましたか?」

「いいえ」

 怒っている、とカウカは直感した。 ……気まずい。

「そ、そろそろ今日の仕事を決めましょうか」

 ハンが依頼を受けてギルド支所から去ると、カウカはぶはっと息を吐き、カウンターの上に突っ伏した。

「もうっ、わたしったらなんて無神経なこと言ってんのっ」

 ハンは故郷のポッケ村にある訓練所で他の訓練生とうまくやれていなかったと聞いている。成績のよかった分野で、周りから親のおかげと中傷されたこともあると想像できたはずなのに、うかつにもあんなことを言ってしまった。少女はわきあがる自己嫌悪を吹き飛ばそうというのか、乱暴にカウンターの上を拭き始める。そこに本部からの連絡文書を携えた伝書鳩が飛んできた。



*****

 ギルドがハンターに宿舎として与えている小さな家は村で一番にぎやかな広場の一画に建っている。

 その前でハンは一人大きな斧を振り回していた。

 真新しいこの巨大斧は『スラッシュアックス』といい、武具屋のオヤジさんが最近交易船の船長から手に入れた設計図で作った。

 もう既に何度か狩りでも使ったことがあるが、まだ十分に使いこなせているとはいえない。ハンがそれまで使ってきた片手剣とは大きさも、重心も違う。さらにこの斧は大剣のような形に変形するという他の武器にはない特性もある。強力で便利な武器だが、仕掛けがある分操作も煩雑で、慣れないうちは逆に使いづらい。

 それで、暇を見ては練習をしているというわけだ。

 背中に背負った状態から抜刀、構え、振り上げ、振り下ろし、横様になぎ払う。基本的な動きを一通りこなしながら、ところどころで剣に変形させる。斧の形のときは先に重心があるので刃で斬るというより遠心力を使って叩き斬るような一撃を繰り出す。剣にすると刃先の届く範囲が広がり、広範囲に斬りつけられる。

「―――ハンさん、ハンさん、ハンさん、ハンさんってば!」

 大声で何度も名前を呼ばれ、ハンは我に返った。振り返ると両腕を組んでカウカが仁王立ちしている。

「危ないじゃないですか、こんな広場の真ん中でそんなデッカイ斧なんか振り回して!」

 言われてハンが周りを見回すと、宿舎の前にいたはずが、広場の中央近くまで移動している。夢中で振り回しているうちに動いてきてしまったようだ。幸い広場にいる人は少なかったが、皆驚いておびえたような顔でハンを見ている。

「すみません」

「武器の抜刀は広場では禁止! 練習なら森でやってください」

「はい」

 すごすごと斧を背中にしまう。

「それに、さっき受けた仕事はどうなってるんですか?」

「行きます」

 狩りに行く前に武器の手入れをし、仕上がりの確認兼準備運動のつもりで始めた斧の素振りに思わず身が入りすぎて時間を忘れてしまっていたらしい。宿舎の前では用意しておいた道具の横でチャチャが座り込んで居眠りをしていた。道具を取ると目をさましたチャチャと二人、急ぎ足で村から出る門に向かっていく。その後姿を見ながら少女は、

「もう、世話が焼けるなあ」

 さっきハンに対して失礼な言動をし、自己嫌悪に陥ったばかりとは思えない発言をする。それからふと手元を見て本部からの書類を持っていたのを思い出した。

「あ、コレ言いに来たのに忘れてた。ま、いっか。帰ったときに言えば」



*****

 夕方、狩りを終えたハンが報告のため戻ると、ギルドカウンターではカウカが手に書類を持って待っていた。

「お疲れさまです。ハンさん、ちょっとコレみてくださいよ」
 
 見せられた書類は本部からの連絡文書で、最近ハンターと仲介人との不和やいさかいが頻繁に起こっているとあった。それぞれがお互いの仕事を理解せず、お互いに対して悪い印象を持ったあげく反目し、そのため書類提出や支給品の手配といった実務の連携がうまく行かなくなる。それが原因で狩りが失敗したこともあるという。

「そこで、」

 カウカは続きを読み上げた。

「仲介人及びハンターは近々に折を見てお互いの仕事の様子を視察し、相互理解に努めた上で仕事に励むべきである。だそうです」

「はい」

 読み終わった書類を片付けながら、カウカがきいた。

「ということなので、明日にでも狩りについて行っていいでしょうか?」

「……はい」

 間を置いて発せられたハンの返事は、心持ち小さい声だった。本心を見抜いたカウカがつっこむ。

「本当はイヤなんですね」

「危ないです」

「とかいって、本音は単にジャマだと思ってるだけなんでしょう? 大丈夫ですよ、こっちも命は惜しいですからね。わざわざモンスターの前に飛び出していくような危ないマネはしません」

「はあ」

「もし凶暴なモンスターと遭遇したらハンさんを囮にして、全力で逃げますから安心して狩りにいそしんでください」

 連絡書類の束を手ににっこりと笑う。



3.

「気持ちいいー」

 村と狩場の間に設けられた、モンスター侵入防止用の頑丈な門をくぐり、ゆるやかに傾斜した道をたどっていくと崖の上にでる。まだ朝日が当たっている崖からはいつものように遥か下に広がる入り江が見渡せた。険しく切り立った壁のところどころには海鳥の巣があり、今も数羽が海面からの上昇気流に乗ってゆったりと円を描いていた。気の弱い者ならすくんでしまいそうなこの崖の端に立ち、カウカは大きく伸びをした。

「やっぱり自然はいいですねー。森に来たの久しぶりですよ」

 仲介人として、ハンターの仕事を視察するというカウカが同行するため、ハンは依頼の中から近場で危険の少ないものを選び、モガの森の奥にある海岸でルドロスを狩ることにした。

 いつもならハンの助手として奇面族のチャチャが同行するのだが、今日はカウカからガイカンの家の掃除と洗濯を手伝うよう言われて残っている。最初話を聞いたときは不満そうだったが、「お面の材料になる珍しい素材を本土から取り寄せてあげるから」と言われむしろ喜んでガイカンの家に向かって行った。

 カウカはというと、いつものギルド制服ではなく、今日は他の村人と同じような袖なしの短い上着と軽い生地のズボンという格好だ。足はスカートのときより隠れたが、上半身は肩や腕、胸元や腹など普段よりあらわになっている部分が多い。頭にも帽子をかぶっておらず、髪を肩のところでゆるく二つにまとめていて、長い黒髪がいつもよりたっぷりとして見える。首からは以前村の少年、ワズーからまきあげ、いや、譲り受けた大粒の真珠を使った首飾りを下げている。崖の端に立って髪を風になびかせているその姿を、ハンはまじまじと見つめていた。視線に気付いて少女が振り返る。

「なんですかあ?」

「違います」

「ああ、この格好ですか。この視察もお仕事はお仕事なんですけど、制服が汚れたら嫌なので普段着を着てきました」

 それからいたずらっぽく笑うと胸を張り、腰に手を当てて言った。

「どうです、制服のときとは違う魅力がありませんか?」

「はい」

「え?」

 冗談のつもりだったのに素で肯定され、逆にうろたえる。

「あ、あー、えーと、そ、そうでしょう? 実はわたし、街にいた頃女優にならないかって言われたこともあるんですからね。そのとき一緒にいた友達もみんな言われたんですけどね。結局お世辞だったともいえなくもないですが、言われたこと自体は本当なんですからね」

 自慢なのか笑い話なのかわからないような経験談をしてしまう。

「つ、つまり、とにかく」

 言っているうちに自分で恥ずかしくなってきたのか赤面しながら歩き出した。必要もないのに大声で言う。

「さっさと行きましょう。ぼやぼやしてたら日が暮れちゃいますよっ!」

「はい」

 ハンは真顔のまま頷いた。



*****

 崖沿いの道を下りた先の開けた場所。奥に見える低い山から幅広の滝となって流れ落ちた水が、そのまま広くて浅い川となって平地を流れていく。中州では草食の大型モンスター、アプトノスが数頭のんびりと水を飲んだり草を食べたりしていた。

「あ、アプトノスだ。ちょうどいいじゃないですか。料理人さんから肉を頼まれてましたよね。ここで調達しちゃってくださいよ」

 今日受けてきた依頼は水棲獣ルドロスが持つ海綿質の部位を獲ってくることである。本来の狩り対象とは違うが、アプトノスはギルドを通さず自由に狩ってもよいモンスターだ。

 自然界には様々な生き物がいる。モンスターの中には危険だったり、生息数が少なかったりするものも多い。ギルドでは狩りの危険を軽減するため、危険なモンスターはそれに見合った技量を持つハンターにだけ狩猟許可を出している。また、生息数が少なく、乱獲による減少が懸念されるモンスターに対しては許可制にして狩猟数を制限している。そういった管理モンスター以外の雑多なもの達は特に依頼や許可を得ることなく狩ることが許されているのだ。

 ハンター達はそれらを狩ることで、肉や皮を売って副収入としたり、自分の食料や狩りの道具としたりしている。アプトノスもハンターなら自由に狩ってよいモンスターである。

「それで狩るところを見せてもらえませんか? それだったら危なくないでしょう」

「はい」

 ハンは背負った戦斧の柄に手をかけ、深く息を吸うと、

「ここにいてください」

 言い置いてモンスター達がいる中州に向かってゆっくりと走り出した。

 その姿を見ながらカウカは数週間まえ、ハンが初めてこの場所で狩りをするところをギルドカウンターの中で見ていたことを思い出した。

 狭いカウンターの中で、カウカ、村長、それと通信員兼ハンの世話係でもあるアイルー族のルサ、三人でギルドが開発した『遠隔通信受信機・画像用』を通して村長の息子、シーガルに肉を届けにいくハンの様子を見ていたのだ。

 あの時とは武器が違うが、肩に力の入っていない、自然体の走り方は相変わらずだ。狩りをしているというより散歩でもしているかのようで全く殺気を感じさせない。アプトノスたちもハンの接近に気付いても特に慌てる様子はない。

 しかし、のどかだった雰囲気はハンが背中にしょっていた巨大な斧を抜いた瞬間に一変した。

 アプトノスとすれ違いざまに抜刀したハンは抜き出した勢いで斧を振りかぶり、峰の側を下にして振り下ろす。

 モンスターは頭部を強打され、朦朧となった。その首に今度は斧の刃が食い込む。

ぶしゅう。

 頚動脈を切られたモンスターの首から、噴水のように血が噴出した。

 大きな斧の重量を感じさせない滑らかな動きだった。抜きつけ時にのみ腕の力を使い、その後は柔軟な手首の返しで遠心力や慣性を利用している。

 無駄な傷を負わせず、苦痛も最小限に抑えて致命傷を与えられたアプトノスは、わずかな時間のうちに地面にその身を横たえていた。

 ハンは血と脂がついた斧を流れる水で軽く洗ってから背中に戻すと、腰から小刀を抜いた。小刀の柄は真新しいが刃の部分は使い込まれていることが見てとれる。

 手早くモンスターの腹を割く。中から血と共に鮮やかな色をした内臓がぶにゅり、とあふれ出てきた。

「うわぁ」

 それを見てカウカは数歩後ずさった。

 海の民として知られるモガの村では食卓に並ぶたんぱく質といえば魚が殆どだ。魚をさばくところは幼い頃から見慣れているし、自分自身もさばくことができる。それで血なまぐさい作業にもなれているつもりだったが、自分より大きなモンスターの解体となると流れる血の量も、においも魚とは別物だった。

「近くで見ると気持ち悪いー」

 へたるようにその場に腰を下ろす。それでも座り込んだまま作業を見ていた。ハンの手に握られた小刀は滑るようにモンスターの皮膚を裂き、その内側の脂肪や肉を露出させる。体内のどの位置にどんな臓器があるか知りつくしているのだろう、大腸を傷つけて中に詰まった排泄物のにおいを肉に移すこともなく、食用の部位を切り取っていく。

「少し焼きます。食べますか?」

 ハンが、料理人に渡す分を包みながら聞いてきた。アプトノスの身体には、必要な量をとってもまだかなりの肉がついていた。余った分を今焼こうというのだ。

「ううん、ええ、まあ」

 曖昧な返事をする。解体現場を見せられたすぐ後では食欲もわかない。

 と思っていたのだが、ハンが持ってきた肉焼き器を設置し、骨付きの肉に塩と香辛料をたっぷりまぶして焼き始めると、あたりに漂うおいしそうな匂いに負けてしまったようだ。立ち上がり、肉焼き器のそばに来る。そばにしゃがみこんでじっと肉を眺めはじめた。



「いただきまーす!」

 カウカは焼きあがった肉を渡されるとあっという間にかぶりついた。口をもごもごさせながら感想を言う。

「おいひい! 肉を熟成はへてないはらはな、ひょっと硬いですふぁ、香辛料ふぁ効いてておいひいです」

 そのままバクバクと食べていたのが、突然、

「ひゃっつ!」

 っと声を上げた。

 次の肉を焼いていたハンが振り向くと、解体で流れ出た血の匂いか肉の焼ける匂いを嗅ぎつけたのか、川原から奥につながる小道を小型の肉食モンスター、ジャギィが数頭こっちに向かってくるところだった。

「肉は渡しませんからね」

 カウカは立ち上がり、片手に焼けた骨付きの肉を握ったまま、まだ焼いていない生の肉をもう片方の手に持ち、さらにまだ肉の残っているアプトノスの死体に近づこうとする。

「逃げましょう」

 ハンは落ち着いた様子で立ち上がると、肉を持ったままのカウカの手首を引いて走り出した。

「あぁ、肉があ」

 カウカは片手を引かれて自分も駆け出しながら、アプトノスの残骸にジャギィたちが群がる様子を悔しそうに何度も振り返った。



*****

「なんで逃げるんですかあ。ジャギィの2、3頭、やっつけちゃえばいいのに」

 ここは、ベースキャンプ。

 ギルドから支給される道具や薬品、納品する素材などを一時的に保管するための頑丈な箱が設置されている。休憩用の寝台もあり、文字通り狩りの拠点となる場所である。

 ここモガの森にあるキャンプは元々村人が森で採取したものを運ぶための船を舫(もや)っていた小さな船着場だった。ギルドからハンターが派遣されることになってから、狩場には『ベースキャンプ』というものが必要だといわれて作ったものだ。あり合わせの材料で作った急ごしらえのキャンプだが、村人の心遣いがあちこちに見られる使い勝手のいい場所になっている。側面は岩場に囲まれた入り江、背後は巨大な岩で囲まれており、正面の小道も先にモンスター避けの柵を設けてあって安全だ。

 そのキャンプにたどり着いて、休憩用の寝台に腰を下ろしたカウカが不満そうに言ってきた。依頼を受けている狩りのために届いていた支給品を箱から取り出し、肉を置いて荷物を整理していたハンは、聞こえていないのか返事をしない。

「ハンさんってば」

 座り込んでいる正面に回り、顔を覗き込むようにして声をかけるとようやく顔を上げた。

「はい?」

「だからあ、あのくらいの数のジャギィだったらカンタンに狩れるんですよね。なんでやっつけちゃわなかったんですか? 肉も置いてきちゃうし、もったいないですよ」

「持ちきれません」

 ハンは準備の手を止めて応えた。

「うー。肉はそうかもしれないけど」

「殺生はいけません」

 ハンターは生き物の命を奪う仕事だ。ハンターであるハンの口から「殺生はいけない」という言葉がでたのが意外だった。

「でも、ハンターは、えーと、はっきり言うと生き物を殺す仕事ですよね」

「だからこそです」

 そう言ったきり黙っている。カウカは考えた。

 食料や素材の調達、人々の生活を脅かす固体の駆除。狩りをするのは目的あってのことである。人間の勝手な都合の場合もあるが、野生動物であっても自然の中で生きていく為には他者の都合など考えはしない。それでも、それだからこそ狩りもあくまでも自然の営みの中で行わなければならない。自分の方が強いからといって邪魔になるものを簡単に殺していいというわけではない。

「うーん、確かになんでも手当たり次第に殺してはいけないかも」

 しばらく考えて、カウカは最終的に納得した。そしてこのハンという男のことを少し見直した。ギルドに採用されてすぐの頃、本土のギルドカウンターではいろいろなハンターを見た。狩りをする目的も様々、生活のため、名誉のため、自分を鍛えるため、そして中には単純に強さを誇示したい、とか暴力的な衝動を発散したい、という欲求で狩りをする者もいた。

 目的と技量とは直接には関係はないが、自然の中での自分の立場をわきまえて狩りをするという姿勢の方がカウカには正しいものに思えた。実際、名人といわれるハンターの多くは自然に対し驕(おご)った態度に出ることはないとも聞く。

「ハンさん」

 カウカがもう一度ハンのほうを見ると、しばらく黙っていた間に会話が終わったと思ったのか、ハンの方はまた何事もなかったかのように準備をし始めていた。



*****

「…」

 海岸で狩りを終え、納品するための海綿質をルドロスから剥ぎ取る手を止めて、ハンは考え込んだ。

「どうかしたんですか?」

 ハンが突然動かなくなったのを見て、邪魔にならないように大きな岩によじ登り、上に乗っていたカウカが近づいてきながらたずねた。

「雌です」

 死体のそばにしゃがみこんでいるハンの横に来る。同じように見てみるが、ハンが何を問題にしているのかはわからない。

「雌ですね。それがどうかしましたか?」

「ルドロスを何回か狩りましたが、全て雌です」

「ルドロスってのは雌の名ですよ。この種の雄はたしかロアルドロスとかいうのがいるはずです。群れに一頭ずつしかいないとか」

「調べてみなくては」

「調べるって何を? あ、ちょっとハンさん、ハンさんってば。待ってくださいよ。これ持って行かないと」

 立ち上がってそのまま歩き出したハンを、剥ぎ取られたまま放置されてしまった素材を拾い集めながらカウカが追った。



*****

 村に帰るとハンの宿舎の前に人だかりがしていた。

 玄関の前に集まって家の中をのぞきこんでいる人々をかき分けて入っていくと、中には留守番をしていたキビトとルサの他にもう一人の人物がいた。

 ガイカンである。

 顔を真っ赤にして声高に話している。外に人が集まっていたのはただ事ではないこの大声のせいだろう。

「なんで帰らないんだ!?」

 両手を握りしめ、肩を震わせながら立って話している。一方、これを聞いているキビトのほうは全く動じず、平然と椅子に座ったまま、ルサにお茶を注いでいる。ガイカンの方は見もしない。

「わからないの?」

「理由を言ってくれよ」

「自分で考えたら?」

 男はキビトとルサが座る卓に歩み寄ると、大きな握りこぶしをその上に叩きつけた。卓の上の湯のみや皿が、がちゃんと音をたてる。

「だから、なんなんだよ!」

 キビトはゆっくりと立ち上がった。

「他の人が見てるわよ。みっともないから大声をだすのはやめたら?」

「・・・・・・」

「あと、乱暴もやめて頂戴。食器が割れたらどうするの」

 返す言葉が見つからず、顔を真っ赤にしたまま大柄な男は踵を返して宿舎から出て行った。

「お騒がせしてごめんなさいね」

 キビトは何事もなかったかのように再び卓に座った。ルサはその様子を感心した面持ちで眺めている。

「あら、ハンさん、カウちゃん、お疲れ様。お茶でもいかが?」

 顔をあげたキビトは、二人がいるのに気付くと声をかけた。




4.

―――― ルドロスとはこの種のメスにつけられた名であり、オスの個体はロアルドロスと呼ばれる。

 一説によると、ある言語には「王」を意味する「ロア」という言葉があり、この名前の由来であるとも言われているが詳細は不明である。生息地である南方諸島地域においてさえ、よく見られるルドロスと違って、ロアルドロスの個体数はかなり少ない。この種は一頭のオスを長とする一夫多妻制で、群れには通常20〜30頭の雌がおり、それに対して雄は一頭のみで構成されている。

 そもそもその雄、ロアルドロスに関してはこれまで成体しか確認されておらず、その成長の過程にはいまだ謎が多い。生息地や群れの中で時に見られる幼体は全て雌のルドロスである。雄の幼体はどこでどのようにして育つのか、今後の研究が待たれる―――――


 村長の家。公立の図書館など無いこの村で、モンスター図書館の様相を呈しているのが、この村長の書斎である。これまでにもハンは何度かここを訪れ、狩猟対象のモンスターについて資料を読ませてもらってきた。今日も狩猟で気になったことを調べにやってきたのだ。夜もとっぷりと暮れており、机の上に置かれたランプの光で本を読む。

 ロアルドロスと呼ばれるルドロスの雄をハンはまだ見たことがない。資料にもあるとおり、雌のルドロスなら何度も遭遇しているし、実際に狩ってもいる。同種なら雄でも雌でもたいした違いはないとも考えられるが、資料を見る限り、この種では大きさや体形もかなり違うようだ。

 資料につけられた絵や数字によると、ロアルドロスは雌のルドロスよりかなり大きく、頭部には角のような数本のトサカ、首の周りにはたてがみのように見える海綿質の大きな肉襞がついている。

 雄と雌で外見や呼び名が異なるモンスターには、『火竜』とも呼ばれる飛竜のリオレウスとリオレイア、他にそれぞれジャギィ、ジャギノスと呼ばれる鳥竜種がいる。ジャギィ、ジャギノスも群れで生活しているが、群れの長であるドスジャギィは先代がいなくなったとき同じ群れの中にいる若い雄が戦って一番強いものがなる。元々ジャギィの群れには雄も雌もいるのだ。

 一方ルドロスの雄は群れに一頭のみ。

 成体しか見つかっていない。

 ハンは他の資料も読んでみたが、結局この水棲獣についてそれ以上のことはわからなかった。



*****

 翌日は狩りに出る前に武具屋に寄った。前夜、宿舎の方にオヤジさんからの伝言が入っていたのだ。オヤジさんはハンの姿を見ると、奥から真新しい防具を出してきた。

「とりあえず今回はコレを試してみてくんねぃ」

 鮮やかな緑色をした、大きな鳥の羽を使った防具だった。襟飾りの先端、上着とズボンの裾などは元々の配色で紫色になっている。上着の前面と背面には幾何学的な模様が描かれ、全体としてはどこかの民族の伝統衣装といった印象を受ける。受け取ったハンは早速試着を始めた。

「クルペッコですね」

「おうよ。おまえさんがこないだ狩ってきたヤツを使った。鳥の羽は軽いがよ、こんくらいの大きさにもなると丈夫で衝撃をよく吸収してくれるんでぃ。更に水ん中ではペタンとなって抵抗も少なくなる」

 オヤジさんは身ぶりを交えながら説明をした。

「こいつをはぎあわせるときにな、こういうふうに、水がうまく通り抜けるような設計にしたんでぃ。もっともラギアクルスにこれでいけるかどうかはわかんねぇがな、今回はこれを使ってみてくれぃ。そのうち他の素材でもいろいろ作っていくからよ」

「わかりました」

 防具を試着し終わり、体を動かしながら、ハンがたずねた。

「この形でないといけないのですか?」

 頭部のことを言っている。頭周りにそってぐるりと羽飾りがついていて、帯状に肩にまで垂れ下がれる、かなり嵩張るものだ。オヤジさんはわが意を得たりという顔で頷き、

「それかぃ、そいつはまあわしの趣味だ。だが、こんだけ羽を並べてっからな、防御力も高いんでぃ。おふざけじゃあねぇんだ。そいからこれ」

 作業台の上に置いてあった、こちらも新しいスラッシュアックスを渡してきた。

「こいつも水の抵抗を少なくするようちっとばかし形に改良を加えたんでぃ、水流もうまく逃がせるようにあちこち溝をきっておいた。試してみてくんな。使う前と後には油をたっぷり塗っとけよ」

 ハンが代金を払おうとすると、

「まだ試作品だぁな。性能の保証ができねえもんに金は取れねぇ」

 と受け取らなかった。



 ギルド支所。カウンターではカウカが依頼書のつづりを前に困った顔をしていた。やってきたハンにも問題の依頼書を見せる。

「新しい依頼が入ったんですけど、これ、ガイカンさんからなんですよ。ロアルドロスを狩ってくれって」

 モンスターの名前を聞いて、ハンは即答した。

「やります」

「ええ、ハンさん最近ルドロスに興味あるみたいだったから、それはいいんですけど、この依頼、条件があるんです。ガイカンさんも同行することって」

「なぜですか?」

「詳しくは知らないけど、本当は自分で狩りたいんだとか。でも一人じゃ無理だからハンターさんに手伝ってほしいっていう寸法らしいです。依頼人が狩りについてくるなんて、初めて聞きましたよ」

「どういうことでしょう?」

 二人は顔を見合わせた。



*****

「これは一般にはあまり知られていないし、ハンターの正式な狩りの報酬にも入らないんだが」

 ガイカンの家。ハンが作った魚団子と汁物の夕食を食べた後、ガイカンはそのまま食卓で酒を飲みながら狩りについて詳しい話をし始めた。使い込まれた白木の卓上には夕食の残り物やつまみとしてガイカンが出してきた貝の干物などが載っている。干物を齧りながらガイカンが話す。

「ロアルドロスの体のな、ある部分は、強壮剤になるんだ。どこのことかは大体わかるだろ?」

 塩ミルクを飲みながらハンが答える。

「強走薬というと、長時間走り続けるためのスタミナをつける栄養薬ですね」

「バカ、『きょうそう』つってもそっちじゃねえ!」

 大男はハンの顔を覗き込んで聞いた。

「お前、幾つだ?」

「十九歳です」

「なんだ、その年で知らんのか?」

 今度は子どもの無邪気な質問に答える大人の顔になって答える。

「そりゃガキには分からんだろうな。俺が言ってるのは、まあその、なんだ、男が女と仲良くするのに役立つ薬のほうだ」

「そうですか」

「アイツがなんであんなに機嫌が悪いのか、俺にはさっぱりわからん。だがな、俺たちは夫婦だ。夫婦には夫婦の仲直りの仕方もあるってもんなのさ」

「……」

 同性の友人ですらこれまでほとんどいなかったハンである。まして男女のどうこうだの、夫婦のどうこうだのと聞いてもわかるわけがない。とりあえず頷いておく。

「表向きはロアルドロスのトサカであいつが喜びそうな装飾品を作るってことにする。他の石と組み合わせて腕輪や首飾りにしたものが都会じゃ人気だそうだ。とはいえそれはあくまで表向き、現場でこっそり材料を採るってわけだ」

「ギルドに依頼するだけでいいのではないですか?」

 依頼主がいつもモンスターの全身を欲しがるとは限らない。ギルドでは部位に応じて報酬の額を決めており、依頼主は狩るための最低必要額に足して、欲しい部位の分だけの金で狩りを依頼することもできる。そういう意味でハンが聞くと、ガイカンは頭をかいて、

「女房の姪っ子が受付してるトコだぞ、キ〇○○が欲しいとか言えるかよ」

と、答えた。それから照れくさそうに横を向いて言った。

「好きな女への贈り物は自分で調達したい。それが男の心意気ってもんだしな」

 少しの間そのまま黙っていたが、急に振り返り、

「頼む、俺も連れて行ってくれ。助手として届けを出せば、ハンターじゃないヤツでも狩りに参加できるって聞いたぞ」

 ハンの手を握って頭を下げた。ここまでされると、嫌とは言えない。



5.

 翌朝早く。

 ギルドのカウンターにはいつものようにハンが来ていた。ガイカンの依頼を受けてロアルドロスを狩るという。

「で、やっぱりガイカンさんも一緒に行くんですか?」

「はい」

「ちょっと心配ですね。でも、依頼人ですからねえ」

 同行する詳しい理由についてはガイカンから口止めされていて話せない。理由はともかくハンも心配は心配らしく、書類を書いていたのがちょっと顔を上げて頷いた。

「行き先は『水没林』。結構遠いですね。ご飯は・・・」

「昼と夜は弁当です。 後は支給品や現地調達です。」

「そ、それ! 私、ルサさんのお料理って食べたことないんですよ。すごくおいしいって話じゃないですか」

「おいしいです」

「あ、あのあの、これ、私も今日お弁当なんです。この私のお弁当と一食分とりかえっこしてもらえませんか?」

「なぜですか?」

「私、最近お弁当作るのにこってるんですよ。今日も作ってみたんだけど、まだあんまり作れるおかずの種類が多くなくて。ルサさんのお弁当を参考にさせてもらいたいなあ、なんて」

「わかりました」

 ハンは突然カウンターに背を向け走り出した。

「え、ちょっと、どこいくんですか、ハンさん?」

 宿舎に向かっているのが分かったので待っていると、また走って戻ってきた。

「許可を取ってきました」

「え、ルサさんに言っちゃったんですか? そんな大げさな」

「勝手なことはできません」

「はあ、そういうもんですか……。でも、とにかく今日は私のお弁当を食べてもらえる、じゃなかった、私がルサさんのお弁当を食べさせてもらえるんですね」

「はい」

「ありがとうございます。それで、後で私のお弁当の感想を聞かせてもらえませんか?」

「はい」

「よかったあ」

 やけに安心した様子のカウカを見て、ハンが頷く。

「研究熱心なのですね」

「え、あ、いやあ、そうなんですよ。 なんか凝り性って言うか、やりだすとハマっちゃうというか、あはは」

「がんばってください」

 言い置いて、ハンが去った後、大きく息を一つ吐き出して、

「わたし、何してんだろ。あんな早起きまでしちゃって」

 少女は天をあおぐ。



*****

 水没林。

 そう呼ばれる場所がある。この島がある海域一体は昔一つの大陸だったのではないかという学者もいる。狩場『砂原』のある島のように、本来砂漠などあるはずもない場所に乾燥した土地が広がっていたりするのがその根拠らしい。

 実際モガの村がある孤島にも、例えばハンター用ベースキャンプのすぐ横、階段状になった石を海中に下りていくと柱や土台のような、建造物の一部とも思える自然には見られない形の岩が沢山沈んでいる。

 この水没林も、土地の沈下により、もともとあった森林が水浸しになったのだろうと言われている。

 島の中央からやや南西よりにあり、モガの村、それから島にある他の村からも離れているためあまり人がくることはない。この場所は、川、池、湿地、とそのほとんどを水に覆われている。川の中では粒子の細かい泥や水に浸かった樹木の残骸が水底にたまり、中で生物が動くたびに水は茶色く濁る。それは生命に満ち溢れている証拠でもある。水中には沢山の水草が茂り、群れをなす魚体は大きく、それらを餌とする水棲のモンスターたちがときにゆったりと、ときに忙しく泳ぎまわっている。

 湿っぽい土地なので茸が沢山生える。それを採取しに来る人がたまにいる。

 そんな辺鄙な場所ではあるが、近年その生物の抱負さからギルドが狩場として認定した。

 認定されたばかりなのでベースキャンプはまだ新しいはずなのだが、常に湿気に満ちたこの場所ではあらゆるものがあっという間に濡れて苔むし、古寂びてしまう。

 山陰の、岩場の下に設置されているそのキャンプは、庇状になった上方から常に水が流れおちている。飛び散る雫で支給品が入る青い箱も、納品用の赤い箱も、天幕に覆われた寝台さえもしっとりと湿り、表面には黴や苔が生えている。なにもそんなところにキャンプを設置しなくてもよさそうなものだが、これでもこの土地としては地面がぬかるんでいない数少ない場所の一つなのだ。


 そこにハンとチャチャ、そしてガイカンが到着したのは夕方になってからだった。

 『孤島』は小さい島と言われてはいるが、それでもここ水没林まで歩いて来るのは一日がかりだ。荷物を運ぶため借りてきた飼い馴らされたアプトノスをキャンプ脇につなぎ、歩きどおしで疲れた足をキャンプ横の冷たい流れに浸して休んだ後、火をおこして夕食をとり、キャンプに泊まった。



6.

「行きましょう」

 のんびりとした足取りのアプトノスと違い、アイルー族の「ネコタク便」は速い。前日ハンたちがキャンプに着いたときにはもう支給品が届いていた。

 朝、三人は支給された携帯食料とお茶で朝食を済ませると、狩りの獲物、水棲獣の王ロアルドロスを求めて出発した。

 キャンプを出るとそこはもう水没した土地だった。

 低地は全て水に浸かっており、川とも沼ともいえない、ほとんど流れもない淀んだ水は泥の色をしている。膝まである水の中を狩りの道具を背負って進んでいく。ハンはクルペッコの素材を使った新しい装備。ガイカンはというと特別な防具は何も身につけていない。出発前ハンから防具の着用を勧められたのだが、

「着慣れていないのにそんな重っ苦しいカッコできるかよ。かえって足手まといになっちまう」

 と、頑として聞き入れなかった。得物も普段漁に使う銛である。手投げ用の、腕の長さより少し長いくらいの銛を何本かまとめて持ってきた。ハンは若干の不安を覚えたが、慣れない武器や防具を使う不自由さは自分も知っている。チャチャにしても、狩りに行くときに特別な格好はしていない。ガイカンにもいつもどおりにやってもらうことにした。

 出発前に地図を見る。ガイカンはこの島に生まれ育っているだけあってこの水没林のことも多少は知っていて、いくつかの場所について説明してくれた。

「ルドロスはそこら中にいるが、このあたりは特によく見るぞ」

「この水中洞穴は奥が陸になっててな、そこに巣があるっていう話だ」

 地図上でガイカンが見当をつけた場所を見ながら巣があるという水中洞穴に向かうことにする。途中の場所もほとんどが水没しており、時には泳がないと先に進めないところもあった。

「大丈夫か? ちゃんと泳げてるか?」

 水面近くを平泳ぎしながら、ガイカンが心配そうに聞いてきた。

「オレチャマは全然平気だっチャ」

「ちょっと泳ぎにくいです」

「このあたりは真水だ。海水ほど浮力がない。荷物もあるし、海で泳ぐのとは勝手が違うから早いとこ慣らしておけよ」

 そんな話をしながら進む。

 そして、

 とある開けた場所に出たときだった。

 深さのある淀んだ川の中央、水に覆われている面積と比べると心細いくらい小さな陸地に、ルドロスが数頭横たわっていた。と、それらが一斉に頭を上げて一方向を見る。その視線の先から、

ざばああっ。

 突然、何か大きな、黄色っぽいものが水中から飛び出してきた。

 流線型の体、短い四肢、先細りで角質化した灰色の尻尾。大体の形はルドロスと同じだが、大きさは二倍近くあり、頭部のトサカと首周りの発達した海綿質が外見を大きく異なって見せる。

 その黄色い巨体は雌たちをかき分けるようにして陸に上がって来ると、どっしりと体を伸ばした。

「あれだ!」

 とっさに身を隠した茂みの中で、ガイカンが力のこもった声を出した。

「気付かれないように近づいて攻撃を仕掛けます」

「俺はどうすればいい?」

「注意をひきつけますから、その間にこのシビレ罠を仕掛けておいてください。 あと、こっちの爆弾も」

「わかった。その後は?」

「任せます。が、できるだけロアルドロスには近づかないでください。」

 初動の打ち合わせを簡単にすませ、狩りを開始する。

 ハンは腰の物入れに入っている以外の荷物をその場に残し、滑るように水中に身を入れると、潜ってモンスターに接近していった。チャチャもすぐ後に続く。

 残されたガイカンは荷物の中からシビレ罠と爆弾を取り出す。ハンターが狩りに使う爆弾の中で一番大きなものに『大タル爆弾G』と呼ばれるものがあるが、あまりに嵩張るので、アプトノスが入れない湿地帯には持ち込めない。代わりに小型の樽に油紙で包んだ火薬草を詰め、接合部も油で防水した爆弾を持ってきていた。

 二人に遅れて、罠と爆弾を持って水に入ったガイカンは、適度な距離のところまで来るとそのまま水中で止まった。

 気配を絶つのがうまいハンと野生児のチャチャはうまくモンスターの近くまで気付かれずに近づけた。水中から飛び出しざまに抜刀し、渾身の第一刀を繰り出す。

どがっ。

 斧の刃は頚部に当たったが、海綿質の肉襞が緩衝材となり、期待したほどの傷は与えられなかった。そのまま攻撃を続けるが、二撃目からは相手も応戦してくるため、そう簡単には急所に当てられない。チャチャはハンに向かってくるルドロスたちを足止めしたり、隙を見てハンの反対側から棍棒を使って攻撃したり、と援護をする。

 モンスターが二人に気を取られている隙に、ガイカンは陸に上がってシビレ罠を張った。そのすぐわきに爆弾も2つ置いておく。モンスターが罠にかかったら、石を投げて起爆させる。ガイカンは手ごろな大きさの石を拾い上げると水中に身を隠した。

「いいぞ!」

 声を聞いてハンは一瞬あたりを見回し、罠とガイカンを認めると、戦いながら少しずつわなの方に近づいていった。

「!!!」

 大型のモンスターもしばらくは動けなくなる強力な電気を秘めた罠の上にロアルドロスの前足がのった。全身をしびれさせ、身動きがとれなくなる。さっき水中から上がったばかりで体が濡れていたのも罠の効果を高めているようだ。

おうううっ

 叫び声を上げる形に口を開きながらも声を上げることはできず、その場でびりびりと震え続ける。

「今だ!」

 ガイカンが投げた石が爆弾を直撃する。

ずがあああん

 爆発の衝撃と共に樽の破片が飛び散る。

「よしっ」

 ガイカンは一瞬喜んだが、罠の効果が切れ、再び動き出したロアルドロスを見るまでのことだった。

ぐぎゃああああおうううう

 咆哮をあげるモンスターは完全に怒り状態になっており、がむしゃらにそこらじゅうを動き回った。

 狭い陸地の上を狂ったように走り回りながら、ときどき口から水の塊をあたりに噴きつける。あまりの動きの激しさに対応しきれなくなったハンがこの水鉄砲を食らって弾き飛ばされた。

「ハン!」

 ガイカンは自分も水中から飛び出し、背負っていた銛を一本引き抜くとロアルドロスめがけて投げつけた。銛を背中に受け、態勢を崩したままのハンを今にも踏み潰そうとしていたモンスターが怯む。その隙にハンは一回転して立ち上がった。スラッシュアックスを握りなおして突進していく。ハンがロアルドロスに接近して武器を振るっている間、ガイカンもチャチャと同じように銛を使って援護した。


 しばらくそのまま陸上で一進一退を続けていたが、このままでは分が悪いと見たのか、ロアルドロスは体を反転させ、どぶんと水中に身を躍らせた。三人もすぐ後に続く。

 水中はやはり陸上とは勝手が違った。

 水中用に工夫を加えたクルペッコの装備は、なるほどリノプロス装備のときより数段動きやすかったが、それでも陸上と同じように動ける、というわけにはいかない。

 濁っていて透明度の低い水も問題だった。ある程度深さのある場所になると水も落ち着いて濁りが少なくなるが、見通せる距離にはやはり限りがある。モンスターが離れると、次に何をしようとしているのかわからなくなる。その隙を突かれ、近づいてもハンは攻撃するより相手の反撃をやり過ごすだけで精一杯になってしまっていた。

 陸上と同じような握りで攻撃をしようとして予想外に勢いが出ず、空振りをしてしまうこともあった。途中から柄を短く持ち、水の抵抗を少しでも減らすようにしてなんとか攻撃の態勢を作っていく。

 意外というか、やはりというか、活躍していたのはガイカンだった。島育ちの漁師だけに、水中での動きの滑らかさはハンとは比べものにならない。ロアルドロスがハンに狙いをつけて攻撃している間に後ろに回りこみ、威力はそれほどでもないが、銛での攻撃を何度も当てている。手数が積み重なって、少しずつではあるがモンスターの体力も削れてきている。

 さすがに三人を一度には攻撃できないロアルドロスは、大きな武器をもって目に付きやすいハンを集中して攻撃しようとする。一番強固な防具を身につけているハンが主に攻撃を受けることで、残りの二人は比較的安全に立ち回れていた。

 はずだった。

 ロアルドロスは顔ごと視線をハンに向けており、ガイカンとチャチャは完全に視界の外になっていた。それが、突然頭を持ち上げたかと思うと、その場で勢いよく体を回転させたのだ。一緒に頭も回しながら、ろくに狙いはつけていなかったが、当たるを幸いと口を開き、咬み付いてきた。

 尻尾に当たったチャチャがいち早く弾き飛ばされ、くるくると回りながら水中を遠ざかっていく。小さなチャチャの体にぶつかったくらいでは勢いが消えないロアルドロスの牙が、ガイカンの肩に当たった。ガイカンは銛を落として肩を押さえる。水中に血が広がった。

 ガイカンが怯んだのをみたモンスターは、好機とばかり更に攻撃を続けようと一旦体を引いて距離をとった。予備動作から、うねるように体を伸ばして突進してきた。

 動きが鈍くなっていたガイカンに、ロアルドロスが体当たりをしかけてくる。水流が変わったのを感じて顔を上げたガイカンが、事態を把握して避けようとしたとき、自分の前にハンが割り込んできたのが見えた。

ガッ

 一瞬なにがおこったのか、ガイカンはわからなかった。ロアルドロスの顔面に大きな刃がささっている。ハンがスラッシュアックスを変形させて剣とし、その先端を前方に突き出して突進してくるロアルドロスの勢いをそのまま受けたのだ。

 ガガガガガッ

 ロアルドロスの顔面に食い込んだ刃の部分全体が赤く輝いている。斧の刃に仕込んだビンから薬剤が刃を伝わり、攻撃力を上げているのだ。このスラッシュアックスだけにできる『属性開放突き』と呼ばれる技だった。陸上ならそのまま頭蓋骨まで割り通すこともできたかもしれないが、踏ん張る支点のない水中では深くは刺さらなかった。それでもビンの効果は数秒続き、その後先端が爆発したように見えたと思うとはじけるように刃が抜ける。モンスターにとってはかなりの深手となったはずだ。

 今度はロアルドロスが怯む番だった。時期を逃さず、チャチャが戻ってきて攻撃する。幸い利き手が無事だったガイカンも背中からもう一本銛を取り出すと鬼のような形相で突きかかった。

 三人はかわるがわる攻撃を続けた。ロアルドロスはその場でぐるぐると回転しながら三人に対峙しようとする。しかし、向きを変えるたびに後ろから攻撃されるので一人に集中することができない。顔面に受けた大きな傷の他にじわじわと傷や疲労が蓄積していく。

 
 どのくらい時がたっただろう。三人の疲労もそろそろ限界になろうかという頃。

 ひときわ大きく体を捻った後、モンスターは苦しそうにあえぎながら泳ぎ去っていった。

 後を追っていこうとしたガイカンの腕をハンが掴む。首を振り、一旦陸に上がろうと動作で示した。

 水底に沈む巨岩、その水面に出ているわずかな部分に手をかけ、三人は体を休ませた。ハンがチャチャとガイカンに言う。

「一旦キャンプに戻ります」

「何でだ? このまま追い討ちをかけようぜ」

 首を横に振ったハンは、ガイカンの肩を指差した。深くはないが大きな傷口が開いており、血が流れ続けている。

「水中では血が止まりにくい。ガイカンさんは一旦陸上に上がって止血しないと危険です」

「俺なら大丈夫だ。逃しちまったら元も子もない」

 ハンは腰の物入れから地図を出して岩の上に広げた。

「弱ったロアルドロスは必ず巣に戻るでしょう。巣があるという洞穴はキャンプから遠くありません。」

 ガイカンも地図を覗き込み、指差しながら、

「そうだな、確かにキャンプの場所から洞穴までの道がある。それにこっちから行ったほうが、巣がある陸側に近い」

「道具類も使ってしまった分を補充した方がいいです。態勢を整えてから巣で休んでいるところを叩きましょう。相手も深手を負っています。そうそうすぐには動き回らないでしょう」

「わかった。だが、俺はまだ大丈夫なんだからな」

「オレチャマは腹が減ったっチャ。キャンプに残してきた携帯食料でいいから腹いっぱい食べたいっチャ」

 チャチャの発言に、険しかったガイカンの表情も和らいだ。

 三人がベースキャンプのある岩場まで戻ってくると、あたり一体においしそうな匂いが漂っていた。

 茸採りの人が来ているのだろうか、といぶかしく思いながら近づく。キャンプに着き、遠目からみた体形から判断すると女性のようだ。一人でキャンプに設置してある煮炊き用の台の前に腰をかけていた。

 キビトだった。

「お帰りなさい」

 帰って来た三人のほうを見る。ガイカンの肩口から大量の血が流れているのを見て一瞬驚いたようだが、すぐに平静を取り戻して言った。

「あら、ケガをしているのね。手当てしましょう」

 置いてあった袋から薬や包帯を取り出し、ガイカンの方に歩み寄る。

「ハンさん、この人のことなら心配しなくてもいいですよ。この人けっこうおっちょこちょいなんです。漁でもしょっちゅう怪我しているんだから」

「そんなことより、お前、一人で来たのか? 危ないじゃないか」

 キビトが袋から薬を出しているのを見ながらガイカンはたずねた。キビトは平然と答える。

「ネコタクに決まっているじゃない。後で請求書が来るから払っておいてね。全くとんだ出費だわ」

 相手の返事を待たず、さらに話し続ける。

「おとといは実家に帰ってたの。昨日宿舎に戻ってみたらあなたがハンさんに依頼をして、一緒に狩りに行ったっていうじゃない。ハンターでもないのに狩りになんていって、迷惑かけてるんじゃないかと思って様子を見に来たのよ」

 それを聞くとガイカンはむっとした表情で言った。

「お前がでしゃばって来ることないだろう。お前のほうが邪魔だ」

 今度はキビトの表情が変わる。

「何ですって」

「やめるっチャー」

 ハンとチャチャは二人の間に割って入った。

「キビトさんはガイカンさんのことを心配してきてくださったのですね」
 
 ハンがキビトの方に向いて言う。

「心配なんて、そんなんじゃないんですよ。迷惑かけてるようだったら中止してもらって連れて帰ろうと思って」

 その返事を聞いてから、今度はチャチャがガイカンの方に向き直る。

「そして、この狩りはキビトに贈り物をするためだっチャな」

「こんなもんで許してもらえるとか思ってないけどな」

 ぶっきらぼうに言い放つ夫の言葉を聞き、キビトは言った。

「許すもなにも、あなた私が何で怒ってたのかわかったの?」

「いや。でもとにかく怒ってるんだろ」

 夫はしれっと答える。それから小さな声で付け足した。

「それじゃ困るんだ」

 キビトは一瞬ガイカンの顔をまじまじと見た。大男は顔を赤らめてそっぽを向く。キビトの口元に笑みが浮かんだ。

「理由は……」

 そう言って、中断する。男たちはこの女性をじっと見つめて続きを待った。

「……なんだったかしらね。忘れちゃったわ」

 ガイカンが吹き出した。

「お前はいつもそうだなあ」

「終わったことは早めに忘れて、蒸し返さないことも大切でしょう?」

 キビトは微笑みながら返す。知り合ってからこれまでの生活で得た経験からか、ここで理由を言うとそのことについてまたお互いが自分の意見を言い張り、新たないさかいを引き起こす可能性がある、と考えているようだ。怒った理由を「忘れた」というのも実は仲直りのための方便なのかもしれない。

「いつものことなのに、あなたもいつも大騒ぎするわよね」

 二人が穏やかに話し始めたのを見て、ハンとチャチャは頷いて二人のそばを離れた。

 手当てが済み、キビトが作っておいてくれた野菜の汁ものを急いで飲み込むと、ガイカンは立ち上がった。

「ここまで来たんだ。ロアルドロスは狩る」

 ハンも頷いて言う。

「あと少しです」

「絶対狩るっチャ!」

「よし、じゃあ行くか。 お前はここで待ってろ」

 三人が出発するのをキビトは落ち着いて見送った。



*****

 水棲獣の王はどうと音をたてて倒れた。

 巣で休んでいるところを襲われ、反撃するまもなく猛攻を受けての最後だった。そのまま動かなくなる。まわりにいたルドロスたちはそれを見て逃げていく。ハンとチャチャ、ガイカンはモンスターが本当にこときれているのを確認してから死体に駆け寄った。規定では狩ったハンターは報酬の他数品の部位をもらえることになっており、その後はネコタクが村に運ぶ。ハンが皮や爪などを剥ぎ取っている間に、ガイカンはネコタクのアイルーたちに見られないようこっそりと獣のある部位を切り取った。自分の物入れにしまうと満足そうに頷く。

「申し訳ありませんがチャチャを連れて村へ先に帰っておいていただけないでしょうか?」

 アイルーたちがロアルドロスの死体を荷車に載せているのを見ながら、ハンはガイカンに言った。

「なんだ、どうした?」

「ルドロスの長を倒しました。 これから群れがどうなるかを見たいのです」

「そうか。俺にはそんなことどうでも言いように思えるが、おまえも変なことに興味があるんだな。ギルドには狩りが成功したと俺から言っておく」

 ガイカンとチャチャはロアルドロスの体を運ぶネコタクに便乗させてもらって出発した。途中キビトも乗せるため、キャンプに寄ってから村へと向かう。



7.

 それから四日めの朝。

 ギルド支所にハンが戻ってきた。湿った土地にずっといたせいで全身が汚れ、無精ひげも生えている。疲労の色を見せてはいるが目は輝いており、興奮した様子だ。カウンターに駆け寄ってくると珍しく大きな声を出した。

「わかりました! 群れの長であるロアルドロスがいなくなると、ルドロスが性転換してロアルドロスになるのです! すごい発見です!」

 新発見に喜んでいるハンとは逆にカウカはしかめっ面をしている。

「ハンさん!」

 両手の握りこぶしをカウンターに打ち付け、いきなりどやしつけた。

「?」

「ハンさんだけが帰ってこないから心配していたんですよ。困るじゃないですか、また勝手なことして。村のハンターはハンさん一人なんだから、そうそう留守にしないでくださいって前にも言ったでしょう!」

 カウカの剣幕に驚いていたハンだが、話を聞くうちにまた自分がやらかしてしまったことに気がついた。しおらしく頭を下げる。

「すみません」

 カウカはそれを聞いてもう一度言った。

「通信機も使ったんだけど全然返事しないし。もう、心配したんですよ」

「湿気のせいでしょうか」

 ハンは言いながらもおとなしく頭を下げた。

「…まあ、今回は狩猟船団の団員さんたちがいましたから、大丈夫といえば大丈夫だったんですが、それでもジャギィが畑に入ってきたりして大変だったんですからね」

 文句を言いながらカウカは日報を広げる。

「依頼は無事達成しましたね。ガイカンさんから話は聞いて本部に報告書は出していますが、何か特に記録しておくことありますか? ルドロスの性転換ってやつ以外で。」

「ありません」

 言いながら、ハンは空になった弁当の容器をカウンターに置いた。

「ご馳走様でした」

「あ、食べてくれ…、じゃなかった。食べましたか、どうでした?」

「ゆで卵はいいゆで具合でした」

「他は?」

「魚団子は揚げるときの温度が高すぎたのではないでしょうか、表面が焦げている割に中心部は少し生っぽさが残っていました」

「あちゃあ、そうでしたか」

 はずした。

 カウカはそう思った。

 魚団子はこの男の大好物だ。弁当にも入れておけば喜ぶだろう、と思っていた。しかし、失念していた。この男はただでさえ生真面目で、狩りに使う薬品類もきっちり調合法を研究していたではないか。まして、好物については一家言あって当たり前だ。やめておけばよかった。好物のはずができの悪いものを食べさせられたのではいい印象など残るわけがない。

「しかし、味付けはとても良かったです」

「へ?」

「塩と香料の配分が絶妙でした」

「ほ、ホントですか?」

「はい」

「やったー! ……コホン。褒めていただけてうれしいです。ところで」

「はい」

「ハンさん、ものすごく汚いです。クサイし。今日はもう狩りはしなくていいですから、今すぐ宿に帰ってください」

「まだ朝ですが」

「知りませんよ。後はご勝手に、お好きなようにすごしたらいいです。その代わり、明日はわたしの仕事を手伝ってもらいますよ。例の視察ってヤツで」

 そういうとカウンターに載った日報の綴りを乱暴に開いた。

「ほらっ、邪魔です。私は忙しいんだから、とっとと帰ってくださいよ」

 言いながらも綴りを開いただけで何をするわけでもない。その様子を見て、ハンの口元は少し緩んだ。

「ありがとうございます」

 再び頭を下げると、背を向けて去っていく。

「もう、世話が焼けるんだから。この三日で使ったとは別のいいわけを考えなくちゃ。ホントにもう、今日の日報にはなんて書けばいいのよ」

 ふとカウンターを見るとハンが置いていった弁当の容器がある。何気なく開けて見てみると、丁寧に水洗いしてあり、中にロアルドロスの黒い爪を削って作った小さな花が入っていた。

「観察をしながら彫ってたのかな? それとも帰り道で? どっちにしても、どれだけ器用なんですか」 

 カウカは花を取り出すと、手のひらに載せた。



8.

――――お父さん、お母さん、お元気ですか。

    こちらは特に変わりなく、毎日狩りをしております。先日はロアルドロスを狩りました。
 
 ロアルドロスというのはルドロスの雄であり群れの長でもあります。このロアルドロスはジャギィのドス化とは違った過程を経て変化した個体がなるものです。この種では生まれる固体はみなルドロス、つまり雌なのです。今回の狩りで、唯一の雄ロアルドロスに何かがあって群れから長がいなくなると、雌の一頭が雄に変化することがわかりました。

 雌であるルドロスにはもともと未熟な海綿質の部位があり、雄になるとこれが発達して首周りの肉襞となります。鳥竜種のドス化と同じように、雄に変化する個体は体もふた周りほど大きくなります。興味深いことです。

 この発見について、簡単にですが文にまとめましたので同封します。

一緒に狩りに行った知り合いの漁師さんにこの話をしたところ、「女にはかなわんな」と言っていました。

ポッケ村にももう春がきたでしょうか。こちらは一年中ずっと同じ気候だそうで、時々雪が懐かしくなります。

それでは。

                     ハンメルダクムセスダート 拝



 午後遅い穏やかな光が、窓枠に積もった雪を通して射し込んでくる。冬の間は窓一面が隠れるほど積もっていた雪も、ここ数日でいくらか量が減ったようだ。暖炉の薪がはぜる音が時折している。外の寒さを感じさせない暖かな室内。部屋の中央に置かれた大きめの卓の前に一人の女性が座って手紙を読んでいた。扉が開き、そこに別の人物が入ってくる。大きな体に温厚そうな目をした中年の男性だ。

「ハン君からの手紙ですか」

「ええ、最近狩ったモンスターが性転換をするんですって。あの地域はいろいろと面白いものがいるのねえ」

「それは面白いですね。ぜひこの目で見てみたいものだ」

「そうね。あの子がいるうちに一度行ってみない?」

 男性が卓を挟んだ反対側に座り、二人は微笑を交わす。

 雪国にも、春が近づいてきていた。





第八話 母と子の絆

「行きますか」

 ハンターズギルドの制服に身を包んだ少女が、いつものひょうきんな物言いではなく、珍しく緊張した表情で言った。カウンターを隔てて立つ若い男はいつもと同じ顔だが、これも真顔で大きく頷いて言う。

「ラギアクルスを、狩ってきます」

 この狩りの結果が、村の運命を握っている。



1.

ごっ。

ごっ。

どごん。

 塩気の混じる白いしぶきが散る。波の上下動で桟橋に二、三度側面をぶつけるようにしてから貨客船が接岸した。
 
 甲板から降ろされた二本の渡り板の上を、積荷を抱えた船員や、鞄を持った船客が行き来し始める。
小さな島の小さな港、乗り降りする客の数はそう多くない。今日の便で降り立った客もほんの数人。

 その中に一人、小柄な中年の女性がいた。ふっくらとした頬、長い茶色の髪を二本の三つ編みにして頭の両側から垂らしている。

 一枚仕立てで、本人としては薄着のつもりなのかもしれないがこの島の住民たちと比べるとまだまだ暑苦しそうな長袖、長ズボンを身につけている。生活の中で野外での活動が多いことを物語る日に焼けた顔に生き生きとした表情をたたえ、緑色の瞳を好奇心いっぱいにあちこち動かしているところはまるで子どものようだ。陸地に足がついたところで立ち止まって大きく伸びをすると、一旦下ろしていた大きな鞄を持ち上げなおし、大またで桟橋から広場へと進んでいった。

どんっ。

「わっ、ごめんなさい」

 突然誰かが横からぶつかってきた。見ると、まっくろに日焼けした子どもだ。袖のない前開きの薄い服に下穿きだけを身につけている。いつでも気が向いたときにそのままドボンと海に飛び込んで遊んでいそうな、いかにも海辺の子といった印象だ。ぶつかった衝撃で二、三歩後ずさりながら軽く頭を下げて謝った。その後ろから来たもう一人の子どもが、鼻の下をこすりながらぶつかった少年に話しかける。

「シイン、何やってんだ、落ち着けヨ」

「だって」

「アイツならピンピンしてるって、カウカねーちゃん言ってたじゃン」

「だけど、相手はラギアクルスだよ。ハンさんだってケガとか――」

 二人のやり取りを微笑みながら見ていた女性は、子どもが口にした名前を聞いて表情が変わった。

「あの」

「あ、ごめんナ、おばちゃん。弟がぶつかっちゃってヨ」

「いえ、それはいいんだけど」

「ほんとにごめんね、でも急いでるんだ」

 ぶつかってきたほうの子が今にも走り出そうとするのを、手を掴んで引き止める。

「待って! さっき言った『ハン』って名前・・・・・・」

「うん、友達なの。ハンターなんだ」

「なにかあったの?」

「ラギアクルスを狩りに行ってたんだヨ。さっき帰って来たんだってサ」

 兄らしい子どもが説明する。

「ラギアクルスって、海竜よね?」

 女性は詳しく聞こうとしていたようだが、ぶつかった少年はよほど気になるのか、

「様子を見に行こうと思って、だから急いでるの。ぶつかってごめんね」

 と言って走り出した。

「おーい、待てってばヨ〜」

 もう一人が追いかける。その二人を大きな鞄を抱えて遅れながら女性が追いかけた。



*****

 ハンターズギルドがここモガの村に駐在中のハンターに提供している宿舎は、台所と浴室、それと寝室兼居間の広めの部屋だけの小さな家である。

 その寝室兼居間の部屋は、海に面した側は簡単な手すりがついている以外に壁もなく、天気が悪いときには雨戸を閉めるが、普段は常に開けっ放しだ。

 今その開けた一面からはおだやかな潮風が吹き込んでいた。その若干粘りを感じさせる風を受けながら、手すりの内側に置かれた道具入れの大きな箱を前に若い男が立っている。この宿舎で寝起きしている村付きのハンターで名をハンという。本名は別にあるが、長すぎるので普段はこう呼ばれている。内陸の雪深い村にある訓練所を卒業してまもない十九歳。中肉中背、右眉から頬にかけて二本の傷跡がある以外はなんの特徴もない平凡な外見である。今はインナーと呼ばれる部屋着だけになっており、狩りで着用したらしい装備は部屋の中央にある大きな寝台の上に置いてあった。狩りの際腰につける物入れから道具類を箱の中に戻しながら、中身をあれこれといじくっている。

「お疲れ様ですニャ、温かいお茶をどうぞ」

 一人のアイルーが、台所から盆を手に持って歩いてきた。アイルー族はハンたちニンゲン族の腰くらいまでの背の高さで、猫が立ち上がったような姿をしている。体は小さいがニンゲン族と同じ言葉も話し、指は短いながら手先も器用で、同じ社会の一員として様々な職業についている。

 このアイルー、薄い黄土色にほんの少し黒っぽい模様の入った毛皮を持つルサも、普段は宿舎でハンの世話係としての仕事をする他、外にある風車の維持管理、更にはアイルー族特有の能力を使って通信員として働くこともある、有能なギルドの職員なのだった。

「ありがとうございます、ルサさん」

 ハンが振り返り、盆から湯のみを持ち上げたそのとき、

「っチャー!」

 甲高い大きな声がして、玄関から勢いよく小さな緑色のモノが飛び込んできた。

「報告してきたっチャ。カウカが今日はゆっくり休んでくれって言ってたっチャ」

 大きな、いや巨大と言った方がいい、どんぐりのような形の面を頭全体が隠れるくらいまですっぽりとかぶった子どもである。面や腰ミノの一部を除き、濃淡の差はあるが全身が緑色だ。

 この子ども、チャチャは、ニンゲン族と姿は似ているが全体的に小柄な奇面族という別の種族に属している。奇面族は通常自分たちだけで本土の森などに住んでおり、他の種族と交流することもほとんどなく謎が多い。チャチャは一族のしきたりに従って自分だけの面を作るために出た旅の途中、立ち寄ったこの島でハンと出会い、今は助手となって一緒に狩りに行っている。面を作るための素材を狩りの報酬として手に入れるというのが一応の目的なのだが、なによりハンと一緒にいることが気に入っているようだ。

 鳥のクチバシを思わせる形の大きな飾りがついた、棍棒というか杖というかを振り回しながらトコトコと部屋に入ってくると、ハンの手から茶を横取りしてゴクリと飲んだ。

「一仕事した後の茶はうまいっチャな」

「とらないでください」

 不満を訴えるハンの言葉にチャチャは平然と返す。

「何を言う。オマエはオレチャマの子分。子分のものはオレチャマのものだっチャ」

 ハンは軽く肩をすくめると横に立っていたルサの方を向いた。

「はいはい。今すぐ新しいのを入れてきますニャ」

 ルサは心得た様子でちょこちょこと台所に走っていく。それと入れ違いに、玄関から子どもたちの声が聞こえてきた。

「おーい」

「ハンさーん」

 ハンは道具箱から入り口の方に向き直る。

「ラギアクルスはどうなったんダー?」

 兄弟の兄、ワズーが部屋に駆け込んで来るなり勢い込んで聞く。

「逃げて行ったっチャ」

「じゃあまた戻ってくるかもしれないの?」

「狩りは失敗したってことカ?」

 兄弟から矢継ぎ早に質問されるが、ハンは順番に答えた。

「わかりません。依頼は撃退です」

「じゃあ、依頼は達成できたってことなんだね?」

 シインが安心したように言う。

「でもよゥ、オマエたちに攻撃されて逃げていったんだロ? ラギアクルスのヤツ今頃怒ってるんじゃないのか。 村にしかえしに来たりしたら大変だゾ」

 そのワズーの言葉に対する返事は、意外な方向から聞こえてきた。
 
「野生生物は普通『しかえし』なんてこと考えませんよ」

 その場にいた全員が振り向いて入り口へ視線を向ける。外からの土埃を避けるため、扉代わりに入り口に下げてある長い暖簾を潜り抜けて、大きな鞄を抱えた女性が入ってきた。その顔を見るとさっきシインとぶつかった旅行者である。部屋に入ってくると、鞄を足元に置き、ハンたちの方に近寄ってきながら、なおも話し続けている。

「まあ全部が全部というわけ・・・・・・」

 言い終わる前にハンが声をあげた。

「お母さん!」

 子供たちとチャチャは、ハンがこれほどはっきりと驚いた顔をするのを初めて見た。しかしこの女性は相手の驚きなど意にも介さない風でにっこりと微笑んだ。

「やっぱりここだったわ。さっき坊や達が名前を言っていたから。ついてきて正解だった」

「どうしたのですか?」

「あら、手紙に書いておいたでしょ? あなたがいる間にこのあたりの生物をちょっと見ようと思って来たのよ」

「知りません」

「へ、手紙、来てない? あらあら、私ったら手紙を追い越しちゃったのかしら。ギルドの連絡便に載せたのだけれど……。きっとどこで止まっているのね」

 ハンの母親は一人で納得している。続けて、

「それより、ラギアクルスを狩りに行っていたのですって? 話を聞かせてちょうだいよ」



2.

 ここは『モガの村』。

 この国の南のはずれにある諸島地域の、そのまた端っこにポツリとある島『孤島』。その島にいくつかある小さな村の一つである。

 人口は千人に満たない。主な産業は漁業及び魚介の加工業。島の中央にある森からも茸や良質のハチミツなどが得られる。人々は豊かな自然の恵みを本土に運んで売り、毎日を平和に過ごしていた。少し前までは。

 数ヶ月前からこの島を中心に大きな地震が頻発するようになった。辺鄙な場所にある小さな島ではあるが、住民達にとっては生活の場であり、ふるさとである大切な場所だ。

 この島に何が起こっているのか。

 いつからか、地震はモンスターと関係があるのではと言われ始めた。

 島にある村々の長が集まって話し合いをした結果、島を代表してモガの村からハンターズギルドに調査と、場合によっては原因となるモンスターの討伐を依頼することとなった。

 モガの村長は元優秀なハンターであった、それで今でもハンターズギルドの本部に顔がきく、という噂がある。ハンターだったのかどうかはともかく、ギルド本部に顔かきくというのは本当だったようだ。

 依頼を出すと驚くほど早く、一人のハンターが派遣されてきたのである。



*****

 モガの村ハンター宿舎でハンと母親が再会する一日前の朝。

「ハンさん! 何度言ったらわかるんですか!」

 村の中心部、港に近い広場の一角で、一人の男が小柄な少女に叱られていた。少女は村にできて間もないハンターズギルドモガ支所唯一の常駐職員カウカである。元々この村の出身ではあるが、ギルドで働き始める前は本土の学校に行っていた。他の村人とは見るからに異なった、ギルドの制服を着ている。黒と白、それと赤を使ったブラウスとスカート、頭には小さな丸い帽子。そして、叱られているのは当然、ハンだ。

「すみません」

 ハンは自分の体ほどもある大きな斧の刃の側を足元の地面につき、その柄を握って立っていた。地面と言ってもこの広場は海の上に浮きを並べ、更にその上に板を敷いた人工の土地である。板と板の間には隙間があいている。

 今日は風のせいで波がやや高く、隙間からはときおり海水のしぶきが上がってきていた。それに気がついて、ハンは金属の大敵である塩水が刃につかないうちに斧を持ち上げ、くるりと向きを変えると柄の側を下にした。

「この間も言ったでしょう。広場で素振りはしないでくださいって」

 そんなハンの動きを見ながらもカウカは説教を続ける。

「誰かに当たったら危ないじゃないですか。大体ハンさんはなんかやりだすと周りのことがわかんなくなるんだから、始める前によく考えないと・・・・・・」

「まあまあ、そう怒るもんじゃないっチャ」

 横にいたチャチャが間に入ろうとする。が、このギルド仲介人にとりなしの効果はない。

「チャチャ、あんたもあんたよ。なんでやめさせないの?」

 結局チャチャまでとばっちりを食っている。

 ハンターとその助手の二人はギルドの仲介人に散々叱られたあと、やっと開放され、その日の狩りに向かった。ハンは狩りの前に準備を周到に行う。最近ハンが使っている武器『スラッシュアックス』は構造が複雑で、使うたびに分解し、細かいところまで掃除をした上で組み立てなおす。それから特殊な機構がちゃんと作動するか確認も行う必要があるのだ。

「素振りは森で」

 とカウカからは言われているが、一旦森に出るという手間をつい惜しんでしまうのである。そのため、しょっちゅう叱られているというわけである。



*****

 夕方、その日も狩りを終えたハンは、ギルドカウンターに報告に来た。

「お疲れ様でーす」

 朝の剣幕はどこへやら、カウンターで言葉だけは朗らかに出迎えたカウカだが、その後が続かない。いつもなら、

「モンスターに踏まれませんでしたか?」
「ヘンな報酬は出ましたか?」

 などとニヤニヤしながら軽口を叩くのだが。今は片手に小さな一枚の紙を握り、カウンターの上で力なく上下させている。午後に本部からの緊急連絡が伝書鳩で届いたのだろう。

「どうかしたのですか?」

 いつもと様子が違うことに気付き、ハンがたずねる。仲介人の少女は顔を上げ、正面からハンターの顔を見て言った。

「観測気球からの報告があったそうです。ラギアクルスがまたこの島の近くまで来ていると」

 それを聞いて、普段でも真面目な顔をしているハンが、さらに表情を硬くした。

「進行方向から見てやはり今回もこの島に来ると見られています。明日か明後日には島に到着するだろうとのことですが、それまでに準備できそうですか?」

「できます」

「成功の見込みは?」

「・・・・・・」

 返事はない。黙ったまま立っている。ただ、その顔に不安や恐怖は表れていなかった。しばらくその顔を見つめていたカウカだが、やがて、ふっと一息ついた。

「そうですね。 どうなるかはやってみないとわかんないですよね」

 そう言ってから、この少女らしくいたずらっぽい目をしてニヤリと笑う。

「いやあ、ハンさんもずいぶんとたくましくなったもんじゃないですか。前は『勝てるとは思えません』なーんて泣きついてきたこともあったのに」

 ハンはそう言われても悪びれる様子なく、静かに頷いた。

「カウカさんのおかげです」

 社交辞令ではない。およそ一ヶ月前、初めてラギアクルスを見たハンは、その威容に圧倒され、何もできずに逃げ帰ってきたのだった。そのとき、やがてはこなさなくてはならない任務の重圧から開放してくれたのが、他でもないこの少女の軽口だったのだ。

「もしハンさんがやられちゃっても、ギルドにはまだまだ優秀なハンターさんがたくさんいるんですから、村は大丈夫です!」

 というカウカの言葉は、それまでまるで自分一人がギルドを代表し、村の運命を背おっているかのように感じていたハンの心を軽くしてくれた。

 とにかく今の自分にできることをするだけ。

 それ以来、一つ一つ、目の前の課題を乗り越えてきた。その結果、ハンは一ヶ月の間にハンターとしての技量も上がり、結果として狩った大型モンスターの素材から良質な武器や防具を作ることもできた。これらが通用するかどうかはやってみなければわからない。

 わけもなく恐ろしいという気持ちはもうない。

 ないはずだ。

「私のおかげですか。うんうん。確かにこの有能な仲介人の私あってのモガ支所ですからね。ひいては私あってのハンさんって寸法ですね」

 自分が具体的にどう貢献しているのか、わかっているのかいないのか、満足そうに頷きながら少女は胸を反らせた。

「あ、でも今回くる依頼はちょっと変則的なものになりそうですよ」

 いい気分から突然我に返る。

「ラギアクルスはまだ生態や個体数なんかもよくわからないし、地震と本当に関係があるのかどうかもはっきりとはしていません。殺してしまうのは本部としてはできれば避けたいそうなんです」

 ハンターとはモンスターを狩る者であり、ギルドはそのハンターを束ねる組織だ。とはいえ、というかそれだからこそギルドは生物の研究や保護にも力を入れている。危険だとはっきりわかったわけでもないうちから討伐するような乱暴なまねをするよりまずは情報収集、ということなのだろう。攻撃して回遊する道筋を変えられるのであればとりあえず『孤島』とその村々は安全になる。

 今回の依頼は「狩猟」「討伐」ではなく、「撃退」、つまり追い払えないかやってみてくれ、という依頼になるだろうということだった。



3.
 
 『孤島』は比較的小さい島ながら、真水は抱負である。中心部にある山が雨水を蓄え、地中にしみこんだ水は川となって流れ落ちる。いくつかの流れは平地で合流し、幅広くゆったりとした浅い川となる。

 ここは海岸近くにある、そんな平地のひとつ。壁のように切り立った崖に周りを囲まれている。

 平地の約半分は浅い川であり、残りの半分は大雨のときには完全に水没してしまう低い陸地である。川と海が交わるこのあたりでは、水に塩気があるためか平地にも草はほとんど生えない。上流から流されてきてすっかり丸くなった小さな石ころが一面に広がる陸地の端からは山に向かって細い獣道が一本通っている。その先にある棲み処からは肉食の鳥竜種ジャギィが下りてくる。川の下流側、海の方からときどきここまで遡ってくる水棲獣のルドロスを獲物とするためだ。

 今もこの平地には数頭のジャギィがいた。ただ、今は警戒心をあらわに全員が同じ方向を向いている。

アウッ。

オウッ。オウッ。オウッ。オウッ。

 そのうちの一頭が思い切ったように吠え声をあげると、他の者達もつられるように声をあげ始めた。

 ジャギィたちの前方には丸まる蒼い巨体。

 そのモンスターの群青色をした背中の鱗には古傷で表面の色が落ち、白っぽくなっているところがいくつもあった。背の中央には鱗が変質したものか、棍棒ほどの太さの長さの違う突起が左右に数本ずつ並んでいる。首の太さの割に大きな頭部にも同じような太さの一対の角があり、さらに両目の下側からも先の尖った二本の「とげ」が後ろ向きに生えている。

 魚ではないそのモンスターはときどきこうして陸に上がり、陽に体を当てて乾かしながら休息する必要があるのだろう。今はどうした気まぐれか、海岸から少し離れたこんなところまで来て丸くなっていた。

 盛んに吠えかかるジャギィたちをまるでいないかのように無視しながら、目を閉じてゆったりと休息している。肉食で獰猛といえどもモンスターとしては比較的小型にあたるジャギィたちは、その体格差から自分たちに勝ち目はない、とわかっているのだろう。吠えてはいるが攻撃を仕掛ける様子はない。

 『青藍の雷公』ラギアクルス。

 一ヶ月前海中で初めてその姿を垣間見たとき、ハンは何もできなかった。その大きさ、強さ、威厳すら備えたその姿に圧倒された。

 今は?

 初めて見たときほどの威圧感は感じられない。陸上で見るせいか、相棒がいるからか、自分が成長したからか。

 その姿は、ただ、一体のモンスターだ。

 ハンはためらうことなく海竜に近づいていく。チャチャも後に続く。

 と、海竜は急に目を開けた。吠え続けるジャギィたちがいい加減疎ましくなってきたのか、鎌首をもたげ、体を伸ばすと、あくびというにはあまりにも獰猛に、鳥竜種たちに向き直って一声吠えた。蛇のようにうねる長い首、先細りの長い尾、細身の体には短い四肢。陸上で生活するようにはできていないその体だが、それでも並の陸上生物を怯ませるには十分すぎるほどの迫力を備えている。ジャギィたちはラギアクルスの吠え声に、一瞬体を硬直させる。

 ラギアクルスが鳥竜種に気を取られているこの隙に、距離をつめられれば。

 最初の一刀を無防備な部位に入れることができれば、狩りの流れはまずハンターに向く。強大なモンスターも不意を突かれると動転する。これはどんな大型モンスターを狩るときでも同じだ。

 ハンとチャチャが近づくまで、海竜はその存在に気付いていないようだった。間合いに入り、いよいよ第一刀を、と背中の巨大斧に手をかけたとき、

ガチャン。

 金属音が響いた。

 左手で、背中に斧を止めていた金具をはずすのが、柄を持った右手の動きとあっていなかったのだ。柄の補強のために貼り付けてある板金が当たった金具の音は、それまで吠え続けていたジャギィたちが鳴き止んだ一瞬の静寂に偶然重なり、不自然なほど大きく響いた。

 ラギアクルスがその長い首をぐるりと動かす。

 ふり向いた海竜とハンターは一瞬お互いの目を見つめあった。

ぐごおおおおう

 大きく開いた口から、威嚇の雄叫びがほとばしる。

 自分たちの方に向けて発せられた吠え声。あまりの迫力に、それは音だけでなく衝撃波としても感じられた。ハンとチャチャはとっさに耳を押さえてうずくまる。モンスターの真正面で立ち止まるのは危険だ、と頭でわかってはいるが、体は一瞬凍りついたように動けなくなる。

 その間にラギアクルスは完全に向き直り、迎撃態勢を整えた。

 ハンは体が動かせるようになると同時に、攻撃が来るかどうか、来るとしたらどのようなものなのか、そんなことも何も考えず、前転しながら右に大きく避ける。とにかく狙いを定められたら終わりだ。チャチャも既に走って距離をとっている。

 一回転して立ち上がり、すぐさま斧を抜刀しながら海竜へ駆け寄る。

 どこでもいい、とにかく攻撃を当てる。

 直に見るのは二回目だが、初めての邂逅の時は遠目に見ただけ、どんな動きをするのかさえわからない。

 斧の間合いに入ったと見てすばやく前に繰り出し刃の先端を当てる。大きく振りかぶる時間の余裕などない。幸い刃先が胴体にあたり、とりあえず距離感をつかんだ。と思ったが、続けて出した二刀目は見事に空振りする。海竜の反応は思ったよりすばやい。わずかな時間で体の向きを変えてきた。

 巨体を持つラギアクルスからは、ハンもチャチャも人間からみた鼠のように見えるだろう。ちょこまかと動いていれば狙いをつけにくいはずだ。その代わり、一箇所に立ち止まっていると一撃で叩き潰される恐れがある。

 ラギアクルスは自分の周りをぐるぐると移動しながら攻撃してくる小さな生き物に対して、人がハエでも追い払うかのように軽々と、全身を回し、あたりをなぎ払う。

 攻撃というほどでもないような動きだったのだが、尾の先に当たってハンは弾き飛ばされた。受身を取って着地し、いそいで起き上がるとまた駆け寄る。

 移動をしながらあちこちに切りつけ、弱点を探っていった。

 ラギアクルスの四肢は海中での移動を前提とした短いもので、陸上で体を支えて走り回るようにはできていない。攻撃は主にその場での全身の回転、噛み付き、それから浅い川の水に覆われた地面という利を生かして、全身を滑らせての突進である。

 頭から尾の先まで、人の七、八倍はあろうかという巨体。

 水を潤滑油がわりに砂利の上で体を滑らせるとあっという間にかなりの距離を移動する。

 狙いをつけて体当たりをしてこられたときは、全力で走って攻撃範囲から出なくてはならない。そうしてやり過ごすと今度は滑りながらはるか遠くまで行ってしまう海竜をまた走って追いかけるハメになる。

 ハンターとその助手は短時間の手合わせで、みるみるうちに消耗していった。

 ハンは腰の物入れから閃光玉を取り出した。ラギアクルスがこちらを向き、上体を大きくのけぞらせたその瞬間をねらって玉を投げる。が、ハンが投げた玉は一瞬遅かった。海竜はそらせた上体を前に倒すようにして伸ばし、既にその勢いでこちらに滑ってきていた。

カッ

 ラギアクルスが通り過ぎた後の空間で、まばゆい閃光が虚しくはじける。閃光玉を一つ無駄にしてしまった。

 広い空き地の端から端までを一気に滑りぬけたラギアクルスは、勢いがなくなったところで止まり、振り向きざまに大きく鎌首をもたげる。その口の辺りがかすかに白く光ったように見えた。ハンたちとの距離は少し離れている。回転しての尻尾攻撃ではない。体当たりか、と走り出そうとした途端。

ずじゃっ。

 大きく開いたラギアクルスの口から、青白く輝く光球が飛び出してきた。光球は白い閃光をまき散らしながら前方に飛んでいく。

ばちばちばちっ。

 全力で走って逃げたハンがさっきまで立っていたあたりにはちょうどジャギィがいた。光球はそのジャギィにぶつかると一瞬さらに青白く光って消える。

 ジャギィはと見るとその場に倒れている。死んではいないが、その体は小刻みに痙攣し、起き上がれなくなっていた。

 雷球とでもいえばいいだろうか。それは電気の塊であった。

 どれほどの威力なのか、はっきりとはわからないが、衝撃と電気による麻痺でくらったらしばらく身動きできない。そうなったら致命的な危険に陥ることは確実だ。

 避ける。避ける。避ける。

 走る。走る。走る。

 近づいては攻撃、避ける。走る、攻撃を繰り返す。

 お互いに相手に決定的な一撃を加えることができないまま、小競り合いが続く。

 ハンの腕は大型の斧を振り回し続けることで疲労が蓄積している。走り続けてきた足もこれ以上の長丁場はきつい。

 隙を見てもう一度閃光玉を投げる。

 分に距離が開いていたおかげで、モンスターと行き違いになることも無く、炸裂した光に目をやられたラギアクルスはしばらくハンにもチャチャにも狙いをつけられなくなったようだった。

 大きく移動することなく、その場でやみくもに暴れ続ける。

 その隙に、ハンは近くの地面に落とし穴を設置した。

バンッ。

 湿った土地に、丈夫な網が弾けるように広がった。この網はニンゲンの顔ほどもある大型の昆虫を捕らえるこれもまた大きなクモの糸を素に加工した綱で作られている。植物繊維を寄り合わせただけの普通の綱よりずっと耐久力があるのだ。大型のモンスターも絡まるとかなりの時間身動きが取れない。

 網の下では強力なゼンマイの力を利用した小型の掘削機が働いて穴を掘り始めた。表面の小石の層を弾き飛ばすと、その下は幸い粘つく粘土質ではなく粒子の結合がない砂地だった。網の上からでは見えないが、穴はどんどん大きくなっているはずだ。

 しばらく経って目が元に戻った海竜は、またハンとチャチャに狙いを定めて攻撃をしてくる。それを避けながら掘削機が十分な大きさの穴を掘るまで時間を稼ぐ。程よい大きさになったと見たところでラギアクルスと自分の線上に穴が来るように位置取りした。首をもたげたラギアクルスがこちらに突進してくる。

ドァンッ!

 鈍い音と共に巨体の一部が穴に沈んだ。あれほどの巨体である、全部はもちろん、半分も入るほどの穴ではなかったが、不安定な態勢になり網に絡まったせいで海竜はまともに動けない。

 ハンとチャチャは駆け寄って一斉攻撃を始める。ハンは狙いをつけてスラッシュアックス特有の技、属性開放突きをわき腹に突きこんだ。刃と柄の境目に仕込まれたビンから薬剤が刃先を伝わってモンスターの体に流れ込む。最後には剣先が弾けるような衝撃。相手が動いていると出しにくい技だが、上手く決まると通常の何倍もの攻撃力になる。

 ラギアクルスがようやく網を振り切って自由になる頃にはかなりの手数を出すことができた。海竜はまだ倒れるほどにはなっていないが、疲労の色を濃く見せ始めてきている。勢いをつけて穴から抜け出したが、その後は一箇所にとどまっている。呼吸も荒い。

 二人から距離をとると、くるりと向きを変え移動し始めた。

 川下、より海岸に近い方角に向かっていく。

 追いかける前、ハンは砥石を出して川の水に浸し、アックスの刃を砥いだ。それから自分とチャチャのケガを確認し応急薬をつける。チャチャは腰の瓢箪から水を飲み、支給されていた携帯食料を少し食べた。この支給品は味に関してはかなり評判が悪い。チャチャの食べ方もバクバクと言うよりモソモソといった感じで嬉しそうではない。それでも、食べ物を口にすることで一時的な疲労感の軽減と少しばかりの気分転換が図れたようだ。

 二人は態勢を整え終わるとラギアクルスを追って走り出す。


 両側を岸壁に挟まれた狭い場所。地面はふくらはぎまでの深さに水が流れており、陸地はほとんど水中に没している。その場所で先行していた海竜は一度振り返ったが、追ってきたハンとチャチャの姿を認めると、また海に向かって進み始めた。

 追いかけて走り続けると急に視界が開け、正面に海があった。乳白色や深緑の小石を敷き詰めたような海岸の先に入り江が広がっている。その海岸で、蒼い巨体は川上に向き直っていた。
 
 足元に水をはね散らしながら、ハンとチャチャはラギアクルスに向かって走る。場所が変わっても、やることは同じ、攻撃をしながら様子を見る。そう簡単に倒すことはありえない。手加減無用で攻撃をし続けた。

 モンスターとハンターたち、お互いに攻撃をしたり、相手の攻撃をよけたり、を繰り返す。

 長い間、ただ同じことが繰り返されていた。

 そして、

 海竜が一際苦しそうに首を伸ばして声をあげた。

 数歩移動し、波打ち際まで来ると、大きく飛び上がるようにして海中にその身を没する。

 ハンとチャチャはその場に立ち止まったまま。息もあがっていて、追えといわれてもこれ以上追うこともできない。ハンはその場にへたり込むように腰を下ろす。上空にギルドの観測気球が見えた。手を振って合図をする。気球で光が点滅し、こちらを認識したことがわかった。とりあえず、今回はここまで。

 ハンは座ったまま今の狩りを思い返していた。撃退は一応成功した。しかし……。これが討伐や捕獲だったら、果たして最後までこちらの優勢を保つことはできただろうか。海の中で戦っていたら、どうなっていただろう。もしもう一度戦うようなことになったら。もっと……。

「なんだボンヤリして。ほら、帰るっチャ」

 しばらくぼんやりと考えていると、チャチャに促された。頷いて立ち上がる。二人は村へと帰る道をたどった。



4.

「ということは?」

「今はどうなってんダ?」

 ハンの宿舎。ハンとチャチャの話を聞き終わった少年たちがほぼ同時にたずねた。

「見ています」

「ラギアクルスを? 誰が?」

「監視員です」

「ああ、ギルドの? 気球から見張ってるってことカ」

 ワズーが頭の後ろで両手を組みながら言った。母親は顎に手を当て、少し考えてから口を開いた。

「ラギアクルスは今まで、この島を回遊の順路にいれているらしいってことだったわね。それがこの攻撃でどう変わるか、確認するにはしばらくかかるかもしれない」

「どうして?」

 シインの疑問に、そちらを向いて説明する

「もし一旦島から離れたとしても、通常より早く回遊路に戻っただけだったら、また一回りして戻ってくるでしょ」

「ふーん。でもまあ、とりあえず今すぐ村が襲われるってことはないんだロ」

 少年たちは安心したらしく、ルサが出した茶菓子を食べると帰っていった。遊びに誘われたチャチャも少年たちについていく。モンスターとやりあったばかりなのに、さすがは奇面族、恐るべき体力である。

残されたハンは狩りで使った武器や道具の確認や補充・収納を再開し、母親はその後ろから、自分たちの近況について話したり、この島での暮らしについてハンに質問したりしていた。

「おーい、いるかあ?」

 入り口で声がして、背の高い、がっしりとした体つきの青年が入ってきた。
村長の息子、シーガルである。ハンは母親を紹介した。

「いや、寄ったのは他でもない、母上さんのことなんだよ」

 あいさつした後、シーガルはこう切り出した。小さな村のこと、人の出入りはすぐに知れ渡る。村長が「ハンの母親が来た」という話を耳にしたのも少年たちが帰ってすぐのことだった。話を聞いて村長はことのほか喜んだという。

「この宿舎じゃ窮屈だろう。親父がぜひうちに泊まってもらえ、と言うんだよ」

「あら、そんなの悪いわ。寝台なんてこの子と一緒でもいいですよ」

 笑って言う母親の言葉に、聞いていたハンは少しだけ眉を顰める。

 シーガルは笑って言った。

「親父は素人ですがモンスター研究の真似事をするのが趣味でして。ぶっちゃけると、ぜひ有名な学者さんとお近づきになりたいってのが本心なんですよ。どうです、年寄りの趣味に付き合っちゃもらえませんか?」



*****

「田舎料理ばかりお出ししてしまって、申し訳ありませんな」

 村長の家。中央に囲炉裏がきってあるやや広い板張りの部屋に座布団が並び、それらの上に、村長、シーガル、ハンそしてハンの母親が座っている。食事が終わり、茶を飲みながら話しをしているところだ。

「とんでもない、新鮮なお魚はそれだけでご馳走ですよ。うちは山の中なので、海の魚なんて干物でしか食べられなくて。それも行商さんが来たときくらいしか手に入らないくらいですからね。」

「では、お口に合いましたかな?」

「ええ! 特にあのお魚の団子! 息子もよく手紙に書いてきますけれど、おいしいものですねえ。やっぱり新鮮なうちにたたくのがコツなのかしら。作り方がわかってもポッケ村では作れないのが本当に残念」

 母親は料理の味を思い出すように、うっとりして言った。その様子を見て村長は満足そうに頷いた。

「さっきも言いましたが、有名な学者先生を我が家にお泊めできるとは本当に光栄です。こんな粗末な家でなにかとご不便かと思いますが、どうかゆっくりなさってくだされ、アツマフヨグカムナ博士」

 村長の家は村の広場を見下ろせる小高い土地にある。

 村を管理するものとして、敷地内に村の行事で使う道具類を保管する倉庫があったり、寄り合いの際に酔いつぶれた村人を泊めるための部屋があったりするため他の家よりも大きいが、家財調度はそれほど違わない。この村の村長はあくまでも代表者であって権力者ではないのだ。毎日の生活も、たまに近所の女性に手伝いに来てもらうくらいで、使用人などを使わず村長と息子のシーガル二人で切り盛りしている。

「あらあら、有名だなんてお恥ずかしい。山に引きこもってモンスターばっかり追いかけている変人夫婦だって笑いものにされているだけですよ。それに、こんな立派なお家のことを粗末だなんて。うちなんて山の中の掘っ立て小屋です」

 母親は笑いながら村長の謙遜に返した。さらに、

「私や夫が有名だとしたら、多分うちの苗字のせいですね。長い上に言いにくいって、周りからいつも文句を言われています。村長さんも呼びにくいでしょうから、よろしかったら私のことはハナエとお呼びくださいな」

「博士を名前でなど」

「息子がお世話になっているそうじゃありませんか。いつも手紙に書いてあります。息子の恩人なら私にとっても恩人です。どうかご遠慮なく」

「そうですか、ではお言葉に甘えましょうかな」

 母親ハナエはその言葉を聞いて嬉しそうに頷いた。

「ところで、ハナエ、さん。苗字といえば、確かに珍しいですなあ。さっそく個人的なことをお聞きするようですが」

 と村長。

「ええ、よく言われます」

「ご一族は元々どちらです?」

「よく知りませんの。私の両親はドンドルマですが、何代か前に越してきたんだとか。その前はどこにいたのか……」

「ほお、そうですか」

「なんですか、村長さん。何か心当たりでも?」

「いや……まあ、あるといえばある、が、ないといえばない。思いつきだけでいい加減なことはいいますまい」

 村長は湯のみを口に運びながら、言葉を濁した。ハンと母親は一瞬顔を見合わせたが、何も言わなかった。

「おいおい親父、自分で話題を振っておいてなんだよ、それ。二人とも困ってるじゃないか」

 見かねてシーガルが話しに入る。村長は息子には応えず、真面目な顔で言った。

「今少々確認しようとしておることがありましてな。ちょうどここ数日のうちにははっきりすると思うておりました。その際にはちょっとお耳に入れておきたいことになるやもしれません」

 名前の話はそこで終わった。その夜、ハンが宿舎に帰ってからも、ハナエは、村長に請われるまま、自分が住んでいる雪山地方に生息するモンスターの生態について遅くまで語って聞かせた。



5.

 海竜の動向がわかったのは、三日後だった。そのとき、ギルドカウンターにはカウカとハナエがいた。

 ラギアクルスが戻ってくるかもしれないというので、現在モガの森は一般人立ち入り禁止となっている。ハンターであるハンとチャチャは森の様子見も兼ねて依頼のあった狩りに行っていた。

 ハナエも一緒に森に出て地元ポッケ村付近にはいない鳥竜種のジャギィや水棲獣のルドロスを見たい、と言いつのったが、今は危険だからと要望は却下されてしまった。

「もう。ラギアクルスの件が片付いたら絶対行くから」

 と、子供のように悔しがる。

 二人が出発した後は暇つぶしに朝のうち宿舎で世話係のルサを手伝ったりしていたが、せっかく遠くから来たのにこもってばかりじゃもったいない、と勧められ一人で出かけた。村の中をぶらぶらし、魚市場や武具屋、農場を見学したり、船着場でばったり会った村長とおしゃべりしたりしてそれなりに楽しんでいた。

「ハンさんのお母さん!」

 ギルドカウンターの前を通りかかったとき、声をかけられた。振り返るとカウカがカウンターから身を乗り出して手を振っている。到着した翌日、簡単にではあったがハンに村を案内してもらったハナエはカウカとも面識があった。

「お茶でも飲んでいきませんか?」

 カウカが隣の食堂に茶うけを注文し、ドテカボチャの餡をいれた蒸し饅頭を届けてもらった。

「お一人で長旅は大変だったでしょう?」

 饅頭をさっそくもぐもぐやりながらカウカが聞く。

「昔からモンスターを追いかけてあちこち行っているから、旅には慣れてるの。でもお父さんが来られなかったのは残念だったわ。来たがっていたのだけれど、留守中ププの世話を頼もうと思っていたタンドさんが、足を捻挫してしまって……」

「ププ?」

「うちで今世話をしているドドブランゴの子供よ」

「ドドブランゴって、見たことないけどたしか『雪獅子』って呼ばれてる、アレ?」

「そう」

「そんなの飼ってて、危なくないんですか?」

「一般的に牙獣種は、たとえば鳥竜種とかよりも知能が高いの。同じように群れを作るけど、その群れはもっと社会的で、協力して獲物を狩ったり、採取をしたり。子育ても共同でするから、親以外でも世話をしてくれる相手には懐くのよ」

 そこでお茶を一口すすり、

「それに、飼っているってわけじゃないの。一時的に保護しているだけ」

「?」

「ププは生まれてすぐに密猟者にさらわれて、街で売られていたの。ひどいでしょ、まだ乳離れもしていなかったのよ。あやうく栄養失調で死ぬところだったんだから。私たちで買い戻して、今は野生に戻れるように慣らしているところ」

「へえ、そういうことよくあるんですか?」

「うん、密猟者に捕まって、見世物とか愛玩用として売られるモンスターの子供はときどきいる。それこそ簡単に飼えるものでもないのにねえ。全部は救えないんだけど、たまたまそういう子を見つけたときは買い取って自然に帰してあげるの。そんなだからハンはいろんなモンスターの子供と一緒に育ったようなものだったわ。山奥だったし、学校に入るまではニンゲンの友達がいなくて」

「ああ、なんか子どもの頃は骨で遊んでたとか言ってましたねえ」

 カウカが納得したように言うと、母親も頷いて

「小さい頃からよく世話を手伝ってくれたけれど、一度イャンクックに蹴られて大怪我をしたこともあったのよ」

「それって、もしかしてあの顔の傷?」

「そう、ニンゲンに捕まって怖い思いをしているから近づくと興奮してしまって」

「ひゃあ、怖いですねぇ。そんな目にあったらモンスター嫌いになりそう」

「そうねえ、でもあの子はモンスターを嫌いになったりはしなかったのよねえ」

ばさばさっ。

 ギルド本部との連絡用伝書鳩だった。

 白い羽をばたつかせながらカウンターに降り立つ。カウカはその足首につけられた管をはずし、中に入っていた小さな紙片を取り出して読み始めた。読み進むうちに表情が硬くなっていく。

「どうもよろしくないようです」

「ラギアクルス?」

 頷く。

「ラギアクルスは一日入り江の洞窟で休んだ後、一旦入り江からは出ましたが、遠くには行っていないそうです」

「近くの海にいて、エピオスや魚を大量に捕食しているとか。そして休憩するときは島に戻ってきている。これって怪我のせいで遠くまで行けないというより島から出て行く気はないってことですよね」

「うーん。そうかもね」

「今度はやはり狩猟か捕獲をしてもらうことになりそうです」

 二人は黙って顔を見合わせた。



6.

 モガの森。その一角。

 入り江に面した岩場に、波による侵食で大きくくりぬかれた一枚岩があり、その下に天幕を張った休憩用の寝台がある。その前には支給品を入れる青い箱と納品用の品を入れる赤い箱もある。ハンが派遣されることになってから村人たちによって準備されたハンターが狩りをするときの拠点、ベースキャンプである。

 村人にとってハンターは自分たちの生活を守ってくれる恩人だ。感謝の気持ちからか、このキャンプの支給品入れには、ときどきギルドの支給品以外の品も入っていることがある。村の誰かが職員のカウカを通じ配達のアイルーに託すのだろう。

 ハンは狩りの最終準備をしていた。応急薬、携帯食料、携帯砥石、それらを青い箱から取り出し、腰の物入れに入れていく。ふと見ると、箱の中にはハンの好物、魚団子が入った容器もあった。容器には誰からとも書いていなかったが、取り出して一つを口に入れたハンは、その味付けからそれがいつも魚を買っている港の女主人からの差し入れであることを知った。チャチャにも勧め、出発前に二人で平らげる。

「よーし、今度こそアイツを狩るっチャな」

 魚団子を食べ終えたチャチャは張り切ったようすで踊りだした。

「オマエも踊るっチャ」

 呼びかけられたが、ハンは

「いいえ」

 と答えて準備を続けた。

「体を温めておいたほうがいいっチャよ」

 チャチャは不満そうだったが強くは言わなかった。ラギアクルス討伐。二人はそれぞれに普段の狩りとは違う緊張感を抱いていた。口数もいつもより少ない。


 観測気球からの情報によると、ラギアクルスは前回逃げた海岸がある入り江のどこかにいるはずだ。

ばっしゃああん。

 ハンとチャチャはキャンプのすぐ前から海に飛び込んだ。ここから水中を進むと海岸まで近道ができるのである。


 入り江の中も岩壁に囲まれており、狭くなったり広くなったりする壁の幅によって、おおまかにいくつかの空間に仕切られている。

 一番陸に近いあたりはまだ浅い。日の光は水底まで届き、沈んでいる白っぽい石や貝殻が光を反射して光っている。水中ではエピオスが数頭泳いでいた。

 いつもはのんびりと水中を漂うように水草を食べているモンスターだが、ここ数日はラギアクルスに仲間が襲われ続けているせいだろう。落ち着かない様子で水中を行ったりきたりしている。普段なら人を見ても近くに来るまで平然としているのに、今日はハンとチャチャの姿を見るなり距離をとろうとするものもいた。その間をぬうようにしてさらに沖へと進む。

 通路のように細くなったところを抜けると急に深くなった。

 空間全体の明るさが変わる。水中には大型の魚類やクラゲが泳いでいる。時折それらの鱗が光って見える以外は全体に薄暗い。

 中央に柱のようにそびえる石柱があった。人が両手を回しても抱えきれないほどの太さで、海底から水面近くまでの高さがある。ハンとチャチャはその柱を回りこんだ。

 いた。

 ハンはとっさに腰の物入れからペイントボールを出した。ラギアクルスに地被いたところで投げつけたが、玉は海竜の体に当たるどころか、自分の体とモンスターのちょうど中間あたりまで進んだところで失速し、水面に向かって浮かんでいった。

 水中では陸上と同じようにモノを投げるなんてできるはずがない。そんなあたりまえなことを忘れていた。

 続けて物入れからシビレ罠を取り出す。広げているところにラギアクルスが突進してきた。ギリギリで当たらなかったが、水流に巻き込まれ、罠ともども流される。水中で位置を固定するためにつけておいた錘を先に垂らしておくべきだった。

 人間では対応できない速さで移動してくる海竜を前に、海中で悠長に罠を仕掛けている暇はない。仕掛けるのならちゃんと機を見なくてはならないはずなのに。

 気を取り直し、ラギアクルスに近づくとスラッシュアックスを抜刀し振りかぶる、わずかのところで海竜の体には届かない。水の抵抗は考えに入れて攻撃をしているはずなのに。空振りをして態勢を崩したところに相手の攻撃が来た。
 
 間一髪のところで体をねじってよける。巻き起こる水流に弾かれ、体は必要以上に遠くに流される。

 陸上で戦ったときとは速さも動きも全く違う。これが『青藍の雷公』の真の力。

 水中でのラギアクルスは確かに強い。

 だがそれだけではない。

 体が思うように動かない。

 恐怖、ではない。

 不安、でもない。

 何が原因かわからないが、ハンは自分の動きが重い、と感じた。

 数日前とは比べ物にならない。

 一つがずれた歯車の、噛み合わせが合わないまま急いで回そうとしているかのように、動いても、動いても、いや動けば動くほど、狩りの情勢は音をたてて軋み、よくないほうへと転がっていくようだった。

ばしゅっ。

 ラギアクルスの長い尾が、回転した本体に遅れて水を切る。鰭の先がハンに当たった。弾き飛ばされたその体は水中をくるくると回り、海竜から遠ざかっていく。

 移動が止まってもハンの体に力は戻らない。

 防具に守られた部位だったので大きな怪我はしていない。かろうじて態勢を立て直したかのように見える。しかし衝撃と回転でまだ目が回っているのだろう。立ち泳ぎの姿勢のまま、ふらふらと水中を漂う。

 敵の動きが鈍ったと見たラギアクルスは、体を引き、突進のための予備動作に入った。そのとき、

ぼん。

 水中を伝わる小さく鈍い爆発音。

 それと同時に、海竜とハンの間にまばゆい光が満ちた。

 チャチャが閃光玉を使ったのだった。

 一瞬ラギアクルスの視界を奪った隙に、チャチャはハンの首根っこを掴むと全速力でその場から離れ始める。

 岩陰や海底に身を潜めながら少しずつ海岸を目指す。途中で意識がはっきりしてきたハンも自力で泳ぎ始めた。

 撤退だ。



 命からがら海岸にたどり着いた二人は、見守り係であるアイルーの通信員に合図をし、狩りをリタイアした。

 重たい足を引きずりながら、村へと戻る。



*****

 ギルドカウンターでは、狩りの様子を検分する「見守りアイルー」からの通信を受けるためにルサが詰めていた。ルサから狩りが失敗に終わったと聞き、カウカはやきもきしながら待っていた。戻ってきた二人をカウンターから身を乗り出して迎える。

「大丈夫ですか?」

「だいじょうぶ、です」

 ハンはそういったきり黙ってしまう。チャチャが後を引き継いだ。

「水中のラギアクルスは陸上よりずっと強かったっチャ。罠や道具を無駄にしてしまったし、危なくなってきたから戻ってきたのチャ」

 狩りはまだ始まったばかりだった。大怪我をしたわけでも、疲労が蓄積したわけでも、道具類を全て使い果たしてしまったわけでもない。それなのにチャチャがとっさにハンをつれて逃げようと判断したのは、現場の空気に努力だけでは巻き返せない悪い流れが出来てしまっているのを感じたということなのだろう。

「そうですか……」

 カウカには何も言うことができなかった。まともに戦うこともできず逃げ帰ってきた、と責めることも、よく頑張った、と褒めることも、そして、次がある、と励ますことも、どれもはばかられた。一体どうしたというのだ? 前回は撃退だけとはいえあんなにうまくいったのに。しかし、今のハンがその質問に答えられるとは思えない。

「とりあえず……一旦宿舎に帰って休んでください。再挑戦するにしても準備が要るでしょう」



 宿舎にはハナエがいた。二人の顔を見ただけで何が起こったのか大体のところは察したのだろう。黙って台所に行き、まだギルドカウンターにいるルサの代わりに茶を入れて戻ってきた。

 居間兼寝室にある大きな卓の上に盆を置き、椅子に腰掛けて二人を見た。チャチャは黙ったまま卓によじ登ってくると盆から茶をとって一口飲み、添えてあった菓子を食べ始める。ハンはというと防具も脱がずに奥の道具箱に歩み寄り、口の中でぶつぶつ言いながら上蓋を開けて中からいろいろなものを取り出している。

「一休みしてからにすれば?」

 ハナエが二、三度声をかけるが、聞こえていないかのように道具や素材を出し続けている。いくつかのものを取り出すと、さすがに動きづらかったらしく頭の防具だけを脱ぎ、今度は床に座り込んで調合を始めた。

「ハン!」

 立ち上がったハナエはハンの背後に行き、急に後ろから頭を押さえつけた。薬草とアオキノコを潰すため前後に転がしていた押し輪が勢い余って薬研から飛び出す。ハンは怒るでもなくおっくうそうに振り返った。

「今はやめなさい!」

 両手を腰にあて、威厳を持って声高に命じる母親の姿を見て、ハンは首をうなだれて動かなくなった。

「……狩りを続けないといけません」

 しばらくしてから、ポツリという。

「落ち着きなさいよ。ラギアクルスは逃げないから」

 母親は意図的にだろう、笑顔を浮かべてそう言った。それから卓に戻って椅子に座るとハンにも身ぶりで座るよう促した。ハンは立ち上がって移動すると自分の寝台に腰を下ろす。チャチャが卓の上から手を伸ばして茶を渡してきた。

「ほれ、これでも飲め。母上様の言うとおり、ちょっと落ち着いたほうがいいっチャ」

 受け取ったハンが茶を口に運び始めたのを見て、安心したように話し始める。

「私にはラギアクルスのことはよくわからないけど、カウカさんに資料は見せてもらったわ」

 そういうと、情報を整理するように、顔を上げ、考えながら言った。

「回遊の途中で休憩のためによっているだけなら、ハンターに攻撃されて逃げた時点でとりあえず島からも離れるはず。どうもラギアクルスは何か意図があってこの島に来ているように思える」

「意図?」

「まだなんともいえないけど、簡単には島から出て行ってくれないだろうってこと。だからそんなに急いでいかなくてもまだ狩りはできるわよ」

 少しの間沈黙があった。やがて口を開いたハナエはハンに質問してきた。

「ハン、あなた、ラギアクルスが怖い?」 

「初めて見たときは、怖かったです」

「この間、陸で戦ったとき、何か感じた?」

「特に何も感じませんでした」

「今は?」

「怖くはない、と思っていました。いや、怖いとは思っていなかった、です」

「怖くないはずなのに、今回に限って体が思うように動かなかった?」

「そうです」

 そこまで聞くと、ハナエは立ち上がり、ハンの隣に来た。うなだれている肩に手をかける。

「ちょっと広場を一回りしてきなさいよ」

 唐突な提案に首を振り、ハンは答えた。

「狩りに行かないといけません」

 にっこりと笑みを浮かべたハナエが言う。

「いいから、適当にそこらを歩き回って、村の人たちに会ってきなさい。そうすれば、きっといいことがあるから」

 ハンはよくわからないまま立ち上がった。



*****

 ハンが暮らす宿舎がある広場は村の心臓部とも言うべき場所である。広場中央の地面には、敷物を敷いて朝早くに水揚げされた魚介類が並べられており、漁には出ない村人が自宅の小さな作業場で干物や加工品を作るためにそれらを買っていた。村人とやり取りしていた、よく日に焼けた大柄な女性がハンに気付いて声をかけてきた。

「おやハン、お母さんが来てるってのに一人で散歩かい?」

「ごちそうさまでした」

 かみ合っていない返事だったが、港の女主人は気にする様子もなく話し続ける。

「おや、魚団子がアタシからだって、味でわかったのかい? さすがだね。 ところで、アンタがこの間狩ったロアルドロス、あれの素材を使って狩猟船団の船が一艘直ったそうだよ。これで赤槍も漁に出られるって大喜びさ」

 ハンの返事は力ない。

「よかったです」

「団長がアンタに会いたがってた。暇なら船渠に顔をだしてやっとくれ」



*****

「団長さん」

「お、来たか。ほら」

 船渠にはまだ修理中の船があった。狩猟船団の一員、黒槍の持ち船だ。その横で団長はハンに新品の漁獲銛を数本手渡した。いい材料を使った丈夫そうな銛だ。

「オマエが使ってるでっかい武器じゃあ、水の中ではかえって扱いにくいこともあるだろ。そんな銛でもなあ、使い方次第でデカイモンスターにだって役に立つもんだぜ。おっと、先には触るなよ。毒を塗ってあるからな」

 ジャギィと同じ鳥竜種、この島では水没林にいるフロギィの毒だという。食用にする魚や水棲モンスターのエピオスには使わないが、ルドロスなどを素材のために狩るときに使うのだ、と団長は言った。

「いいのですか?」

 ハンが聞くと、団長はニコリともせずに答える。

「ふん、モンスターを狩るのはおまえの仕事だ。仕事はできてあたりまえ。こんなことでイチイチ感謝なんかせん。とはいえ、船が直ったのはお前のおかげと言えんこともないからな。海の男ってのはな、受けた恩は必ず返すんだ」

「ありがとうございます」

 目をあわさないようにして言う団長に、ハンは頭を下げた。

「それにまだ黒槍の船がなおっとらん。オマエにはもっと働いてもらわんと」

「はい」

「黒槍のヤツ自分だけ漁に出られなくて退屈してる。村の英雄の座を狙うお前に頼むのもなんだが、アイツはオマエが気に入ってるようだ。俺らがいない間、歌でも踊りでもアイツの気晴らしに付き合ってやってくれ」



*****

「ハンさん!」

 船渠を出て帰ろうと歩いていると、宿舎の近くにワズーとシインがいた。少年たちはハンを見つけると嬉しそうに駆け寄ってくる。シインが持っていた袋に手を入れ、何かを取り出した。

「これ、あげる」

 酸素玉。ネンチャク草を石ころに巻きつけ、乾燥させたところで石を抜き空洞を作る。そこに、茎に空気を溜めるふくらみを持つイキツギ藻を入れたもので、このあたりの島々では海中作業の際に酸素を補給するために使われる。

「オイラたちで作ったんだ。ギリギリまでいっぱいイキツギ藻を入れてあるから、普通のより長く保つんだゼ」

 ワズーが得意そうに胸を張って言う。ハンは礼を言って酸素玉を受け取った。



*****

「おかえり」

 宿舎に戻ったハンをハナエは何気ない様子で出迎えた。特に何を尋ねてくるわけでもなく、寝台横の卓の上で取り込んだ洗濯物をたたんでいる。ハンは寝台に腰を下ろした。

「この村、みんないい人ねえ」

 しばらくして、洗濯物をたたむ手を休めたハナエがのんびりとハンに話しかけた。

「はい」

「ハン、あなたにもお友達が沢山できたのね」

「はい」

「村のみんなが、また安心して暮らせるようになるといいわね」

「はい」

 そこで、ハナエは立ち上がるとハンの正面に回りこみ、その顔を見つめて言った。

「村を守るのは、あなたの仕事よ」

 ハンは返事をしなかった。そんなことは十分わかっている。それなのにさっきはあんな不甲斐ないことになってしまった。一体自分はどうなってしまったのか。再度挑戦するにしても、今のままでは勝ち目などない。どう答えていいのかわからないまま、黙って母親のほうを見た。

「気がついた? この村の人たちはみんな今日も普段どおりだったでしょう。ラギアクルスが来ているのに、だれも怯えたりしていない」

「あ」

「みんな、あなたのことを信じてるのね」

 ハンは黙ってうつむいた。

「今日も、みんなのために頑張ろう、と思ったのでしょう」

「……はい」

「それはいいこと。ね、ちょっと聞いて?」

「?」

「あなたは子どもの頃からあんまり感情の起伏がなくて、よく言えば落ち着いていたんだけど、言い方を変えるとあまり周りのことを考えてないようなところがあった」

 ハナエはハンの前に立ったまま話し続ける。

「ここに来るまでは自分一人のために狩りをしていたでしょう? 成功しても失敗しても、それは自分だけのこと。ただ、これが仕事なのだからって、そう思ってなかった?
でも今のあなたはこの村を愛している。村の人たちを守りたいと考えている。 そして自分の狩りの結果が、みんなの生活に影響を与える、そのことを自覚した。それ自体はいいことだと思う。でもそれが、同時に今回動きが硬くなった原因でもあると思うのね」

 そこで一息つき、

「失敗したくない、と考えているのではない?」

 そう言ってハンの顔を見た。

「それは……」

 ハンは言いよどんだまま黙り込んでしまった。少し待ってから、その後を引き継ぐようにハナエはまた話し始めた。

「……たとえ自分が失敗しても代わりがいる。村は多分大丈夫。そう言われても、やっぱり自分が守りたいのよね。
他の人との関係、周りの人のためになりたいと思う気持ち、あなたにそんな人間らしい感情が生まれたのはこの村の人たちのおかげね」

 ハンの目に光が灯った。ゆっくりと、頷く。

「今回はまだそんな気持ち、気負いといえばいいかな、それに慣れていなかったから。でも気持ちを整理すれば大丈夫。誰かを思う気持ちは強い力になって味方してくれるはず。自分の、みんなに対する気持ちをゆっくり考えてごらんなさい。きっと大丈夫」

 ハナエがそう言って微笑んだとき、

「っチャー!」

 玄関で大きな声がした。



7.

 時間はちょうど昼を過ぎたばかり。日はまだ高い。

 ハンは準備をしなおすともう一度ギルドカウンターに向かった。カウンターではカウカが書類を書いているところだった。ハンとチャチャが来たのをみて、ニヤリと笑う。

「もう来る頃だと思っていましたよ」

 カウンターに出してあった一枚の書類を持ち上げてみせる。狩りの依頼書だった。それにさっきまで書いていた書類、依頼を受けて狩りに出るという報告書だ。

「行きますか」

「はい」



*****

 ラギアクルスは水中で休んでいた。傷が痛んだ。少し前から断続的に自分の前に現れ、攻撃を仕掛けてくる小さな生き物たち。あれはなんだろう。あいつらに邪魔をされてはいけない。この島で成し遂げることのために、あいつらは排除しておかなければ。もしまた現れるようなら……。

 人間のようにはっきりとした思考ではなかったが、海竜は鈍く残る体の痛みに耐えながらそんなことを思っていた。


 そこに突然、来た。

 あの小さな生き物たちが。

ぐおあおううっ。

 ラギアクルスは海中で吠えた。

 もう許さない。今度こそ、こいつらを。


 今度こそ。

 同じことを、ハンとチャチャも考えていた。海竜と、ハンター。お互い相手の心の中を知るすべはなかったが、同じことを考えていた。

(ロアルドロスのときを思い出せ)

 ラギアクルスから目を離さず、スラッシュアックスを抜刀しながらハンは自分自身に語りかけていた。

(水棲生物と海中で互角に渡り合おうなどと考えても無理だ)

(むしろ相手の力、速さを利用しろ)

 こちらからヘタな泳ぎでちんたら向かっていく必要はない。交戦状態にある以上、じっとしていても向こうからこちらに突進してくる。ギリギリでそれらを避ける、それだけでこちらの攻撃範囲に敵が来ることになるのだ。

 ハンは力を温存し、無駄な突撃はやめた。

 スラッシュアックスを体の前に構えて水中で待つ。

 体をくねらせた海竜が、こちらに向かってその長い体を伸ばしてくる。アックスを変形し、剣の形になった刃先を使って先行してくる水流をいなし、その勢いで自分の体を動かす。

 ついさっきまで自分がいた位置を大きな頭部が通り過ぎていく。

 今だ。

 首の付け根が眼前に来たときを見計らって刃を前方に突き出す。

 属性開放突き。

 余力で動き続ける海竜の首に刺さったままの剣先に引きずられるように、ハンの体も移動していく。

 移動しながらも刃先から薬剤を注入し続ける。

 ビンが空になったところで爆発のような反発が刃先から腕に伝わってくる。

 アックスもろとも反動ではじき飛ぶ。

 この反動を生かしてラギアクルスとの間に少し距離をとる。

 上手くいった。

 自分の消耗を最小限にしながら相手に効果的な攻撃をすることができた。

 まだそれほど離れていない海竜の体に、斧の形に戻した刃先で攻撃を繰り出す。柄は短く持ち、大振りはしない。

 鱗が硬化したトゲに覆われている背中は避け、比較的肉質の柔らかい腹部を狙う。

 チャチャはラギアクルスの前方で注意をひきつける。

ざっ。
じゃっ。

 刃先が腹部の肉に筋を入れる。

 一刀一刀はそれほど深くないが、手数で少しずつ鱗を、肉を削っていく。

(攻撃に夢中になりすぎるな)

 また、心の中の自分が語りかけてきた。それは、これまでの戦いで積み重ねてきた経験による判断。

 ラギアクルスの動きが変化したのを見落とさず納刀し、全速力で逃げる。間一髪。ラギアクルスの背中のとげが光り始める頃にはハンとチャチャは安全な距離をとっていた。背を丸めた海竜の全身が青く輝く。あのまま攻撃を続けていたら、今頃電撃をまともにくらっていた。

 ラギアクルスが全身から発電している間に水面に顔を出して息継ぎをする。同じように顔を出したチャチャと目があった。

「イケる、これならイケるっチャ」

 いつもの狩りで調子がいいときに発する言葉だった。ハンも頷いて見せるとすぐに海中に潜る。

 ハンとチャチャが息継ぎをして気力を回復したように、ラギアクルスもまた、放電することで気力を充実させたようだった。

 見違えるほどの俊敏さで泳ぎ、突進してくる。さっきまでの攻撃がまるでなかったかのようだ。一転して二人は劣勢に立たされた。

 回転、噛み付き、突進、矢継ぎ早に繰り出される攻撃に翻弄される。

 それでも、こちらも負けるわけにはいかない。

 任務だからではない、自分だけのためではない、みんなのために。今回ハンが持っている信念は、何ものにも屈しない強さになった。

 ギリギリでの回避を繰り返し、わずかな隙を逃さず攻撃を続ける。多少外れても気にしない。ただ、攻撃をし続ける。

 海底での戦いは長引いたが、少年たちにもらった酸素玉のおかげで息継ぎのために浮上する必要はほとんどなかった。


 それでも。

ガッ。

 徐々に疲労が蓄積していたのだろう。気がつくとハンは海竜に押され、体を岩壁に押し付けられていた。

 岩壁と海竜の体の間に挟まれ、アックスを振りかぶることができない。それどころか場所を移動することも。このままでは、至近距離から次の攻撃をまともにくらってしまう。その考えが伝わったかのように、ラギアクルスが大きく鎌首をもたげた。

 咬みつかれる!

 とっさにハンは背中のアックス用止め具に一緒に挟んであった銛を手に持った。

 ラギアクルスの顔が近づいてくる。

 海竜の、大きく開いた口が目の前に来たその瞬間。

 銛をその口に突っ込み、上あごの内側につき立てた。

ぎゃあああおおおう。

 海竜は苦しそうにあえぎながらのけぞる。狂ったように頭を振り続けるが、返しのついた銛の先は喉に刺さったまま、かみ合わされた歯で柄の先端が折れる。

 しばらくのたうち回っていたが、やがて沖に向かって泳ぎ始めた。この入り江の端には海に面した洞窟があるという。そこに逃げ込むつもりなのだろう。

 ラギアクルスは体をくねらせながら進んでいく。時々あえぐように口を開ける。喉には銛の先が刺さったまま。魚類ではないこの海竜は水中では呼吸できない。治りきっていない傷、積み重なった疲労、極限まで削られた体力、状態がかなり悪くなっている。口を開けるのは少しでも苦しさを逃すため。

 ハンとチャチャもその後姿を追って薄暗い海中を進んでいった。

 洞窟の入り口は完全に水中に没している。細くなった水中の通路を通っていくと徐々に水深が浅くなり、更に進んでいくとそこは陸地になっていた。

 中はそれほど広くはない。周りを岩壁に囲まれた部屋、といった感じだ。一面の壁を水が流れ落ちている。その上方、岩の天井の切れ目から水は流れ込んでいるようだ。その切れ目は大きなもので水だけでなく日の光も差し込んでいた。暗い水中から上がってきた二人の目には、それほど強くもないこの明かりでも十分まぶしく感じられた。一瞬目を閉じる。

 目が慣れると見えてきた。

 岩室の中央、なんのものともわからない骨が散乱している地面に海竜が体を丸めて横たわっていた。その体はピクリとも動かない。警戒しながら近づいて行く。

 気のせいか、蒼い鱗は輝きを失っているように見えた。やはり全く動かない。
 
 回り込んでいくと、丸めた体の陰になっていた頭部が見えた。

 ラギアクルスは、死んでいた。

 先ほどまで死闘を繰り広げていた海竜は、この場で息絶えていた。喉に打ち込んだ銛の先に塗ってあった毒。その毒が、弱った体に回り、ついにこの場で息絶えたものらしい。

 ハンは構えていたスラッシュアックスを背中に納刀し、改めて海竜の姿を間近に見た。

 生きていた頃全身から発散されていた輝きのようなものが感じられない。全体的にくすんだような色だ。ハンの体ほどもある大きな頭部にある目は閉じられていた。その両目から涙の筋が延びていることに気がついた。涙? 竜が涙を流すなどということがあるのか。

 不思議に思いながら更に全身をよく見ようと、海竜の周りを回る。

 なんだろう、あれは。

 丸くなった体の中心部に、何か青い塊が数個見える。よく見ると、それは卵だった。

 ラギアクルスの卵。

 この個体は雌だったのか。

 妊娠期間はどのくらいかわらないが。先月この島に来たときは既にその体内に新たな命を抱えていたに違いない。一般に妊娠中の雌は気性が荒くなることも多い。前回突然狩猟船団の船を襲ったのも、積んであった大量の魚を食べた後、さらに海岸近くでエピオスを襲って食べていたのも、これで納得できた。

「死んでいますニャ」

 後ろでアイルー族独特の甲高い声がした。振り返ると狩りの検分をする『見守りアイルー』が来ていた。

「これは、どうなりますか?」

「とどめはさしていませんが、ここまで追い込んだのはハンさターさん、アンタですニャ。アンタが狩ったと言ってもいいでしょうニャ」



*****

 ネコタクの車夫たちは、巨大なラギアクルスの体を洞窟から運び出すのに四苦八苦している。さらに今回発見されたラギアクルスの卵も割らないようにギルドに届けなくてはならない。ネコタクからはもう一斑出動してくるという。ハンとチャチャは報酬の一部としてラギアクルスの素材をもらった後、もうすることもないのになんとなく立ち去りがたくてその場に座り込み、働くアイルーたちをぼんやりと眺めていた。

「あのラギアクルス、お母さんだったんだっチャな」

「そうですね」

「なんだか、かわいそうだっチャ」

「……」

 ハンはなにも言うことができなかった。自分たちが殺したのだ。今さら「かわいそう」などとは言えない。だが、悪いことをしたわけでもない。自然の中で異種の生物同士が衝突した場合、どちらかが命を落とすことは珍しいことではない。野生の世界で、怪我をしているから、妊娠中だから、などと相手の都合や事情を斟酌する必要などない。そういうものだ。

 今回自分は、村の、みんなの生活を守るためにラギアクルスと戦ったのだ。決して個人的な欲のためではない。やましいことなどない。後悔などしていない。

 頭ではそう考える。

 考えはするのだが、だからと言って心地よい達成感は得られなかった。



*****

「ラギアクルスは多分子育てをしない種だろうと思う。でも生まれてくる子どものために少しでも条件のいい場所を確保して卵を産もうとしていたのでしょうね。出産にあるのは種の存続という本能だけだっていう人もいるけど、私にはそうは思えない。親の愛というのはどんな種にもあるのではないかしら」

 帰還後、話を聞いたハナエは淡々とそう言った。

「とにかくあのラギアクルスは無事産卵した。そしてあなたは任務を遂行できた。今日のところはそれでいいとしなさい」



8.

「かつてわしの一族は、代々この遺跡を守り、遺跡の上に村を作って生きておったという」

 次の日、呼ばれて母親と共に家に行くと、村長は二人に話し始めた。ハンたちの一族についてわかったことがあるという。

 「遺跡」とはモガの村周辺の海底に今も残る石柱や階段など建造物の残骸のことだ。言い伝えによると、このあたりの島々は昔一つの大きな島だったという。それが地盤の沈下によって、当時そこに繁栄していた文明も陸地とともに海に沈んでしまったらしい。

「それよりさらに昔、わしらの先祖は沈没する前のこの遺跡に住んでおったのかもしれん」

 村長は話し続ける。

「元あった大陸の住人としてな。そして陸地が沈んだ後も先祖代々の遺跡を守りながら残ったわずかな土地に住み続けておったのだろう。
しかし、遺跡の守り人たちの村は、あるとき相次ぐ地震によってことごとく滅んでしまったらしい。生き残った住人たちもそのときはさすがに逃げ出すしかなかった。その中にわしの一族もおったというわけだ。
以来わしの一族はいつの日かこの地に再び守り人の村を築くことを夢見てきた。今この村に住む者の幾人かはわし同様何代も前からこの地に戻ることを夢見て生きてきた人間なのだ。農場長や工房のじいさんもその一人。他にも何人かおるかの」

 そこまで言って、村長はハンとハナエの顔を順に見た。

「しかし、村から非難した者のなかには、そのままよその土地に根付いてしまった者もおるのだ。その後何代も経つうちに自分たちの出自がわからなくなってしまった。
それでも手がかりはある。
遺跡の守り人たちは長くて独特の苗字を持っておった。子孫の中には、由来は忘れてしまっても、今でもその名を一族の苗字として名乗っている者がいる」

 一息つく。

「アツマフヨグカムナという名を本で見たとき、わしは考えた。この名を持つのは遺跡の守り人の末裔ではないかとな。とはいえ確信はなかったし、当時博士たちは遠く離れた地に住む別世界の住人としか思えなかった。しかし、お前さんが村に来たのをきっかけに、農場にある古い祠にしまわれている古文書を農場長に調べてもらっておったのだ。そういう苗字がなかったか、とな」

 ハンとハナエは顔を見合わせた。その様子を見ながら、

「今朝農場長が言いに来た。確かにその苗字を名乗るものが遺跡の守り人の中におった、と」

 村長はそこで笑顔を見せた。

「これも何かのめぐり合わせというものだろう。運命なんてものをわしは信じてはおらんが、それでもお前さんが今このときにここモガの村に来てくれたことは、我々にとっていい兆候と思えてならんのだ」

 自分に言い聞かせるように、力強く頷く。

「お前さんなら、きっと村を守ってくれる。特にお前さん自身の力量を見てきた今、わしは心からそう思う。
ラギアクルスは倒したが、これで地震が収まるのかどうか、まだわからん。だが、お前さんがいてくれれば村は大丈夫、そう思うのだ。まずは礼を言わせてくれ。そして、これからも村を頼んだぞ」

 村長はハンの目を見つめ、その手を握って頭を下げた。ハンはといえば村長に礼を言われたことよりも、予期していなかった自分と母親の一族に関する話の方に驚き、何と答えていいのかわからない。手を握られたまま、その場に突っ立っていた。

 ラギアクルスは倒した。あの海竜は本当に村に地震を起こしていた元凶だったのか。

 討伐された今、これで地震は収まるのか。

 島の未来、それはまだ村の誰にもわからなかった。

 海では、波が徐々に高くなってきていた。





最終話 村の英雄

1.

 蒼い。

 上下左右どこを見ても蒼い。

 視界のすべてが蒼く、ぼんやりとしか見えない。
 うっかりすると、どちらが上でどちらが下なのかもわからなくなりそうな、

 それほどの蒼。


*****

 ラギアクルスが倒されたのは十日前だった。

 海竜は、最近この島に頻発している地震と関係があると思われていた。地震が起きはじめた頃から島を定期的に訪れるようになっていたこのモンスターが倒され、モガの村をはじめとするこの島の住人たちも一時は胸をなでおろしたものだった。

 しかしその数日後、

 また大きな地震が村を襲ったのである。

 そして、

 ハンターズギルドの観測気球がそれまで知られていなかった未知のモンスターの存在を確認した。

 島に地震を起こしていたのはラギアクルスではなかった。この巨大なモンスターが原因だったのだ。

 厳密に言うと、この怪物の存在は全く知られていなかったわけではない。だが、ラギアクルスとちがって陸に上がることがない完全な水棲生物であるこのモンスターは、百年以上もの間目撃されていなかったのである。その存在の記録は、大陸が沈下し、今の『孤島』ができるときに崩壊したといわれる古代文明の遺跡に、また、何世代か前の地震でこの島を追われた民が残した文書に、かろうじて断片的に遺されていただけだった。

 遺跡には極端に簡略化された図案として、人間の何倍もある長い体を持った水棲のモンスターを描いた壁画が遺されており、また古文書には、「島大きく揺れ、人皆逃げざるを得ず。其れ強大なる海の怪物が仕業なり」という一節があった。村人は最初、これらが大型の海竜ラギアクルスを指していると解釈していたのだが、実は別のモンスターを表していたのである。

 それは、伝説でのみ知られていたモンスター、『大海龍』。

 ギルドではこのモンスターを『ナバルデウス』と名づけている。

 ナバルデウスが島の地下にある海底洞窟に巣くうと、活動のたびに地は揺れ、揺れが激しいときには建物すら壊れると言う。大昔にもナバルデウスはこの『孤島』地下に住み着いていたものらしい。そのときもあまりの揺れの大きさに当時住んでいた人々は最終的に島を捨てて逃げ出すしかなかった。

 その後、ナバルデウスはこの海域を去り、それからずっとこの島の周りは平穏だった。だが、どうしたことか、また戻ってきたのである。「戻ってきた」という言い方が正しいのかどうかは誰にもわからない。このモンスターの寿命は不明であるし、今島の海底に住み着いているのが前と同一の個体なのかも定かではない。わかっているのは、数ヶ月前どこからかまたナバルデウスがやってきて、『孤島』に住み着いた、そしてそれは島にある村々にとって非常に危険である、ということだけだ。

 『孤島』の住人たちには避難勧告が出された。



*****

『孤島』を含む南海地域の島々を回る交易船の船長:
「ワシの船でも避難する連中を運んでやるゼヨ」

モガの村食堂店主、「さすらいの料理人」:
「交易船に乗ってこの島に来たとき、船酔いがひどくて死ぬかと思いましたニャ。ミーはあれ以来、二度と船には乗らないと決めているんですニャ」



2.

 泳ぐ。

 海中の巨大通路、そこをうねりうねりと進んでいる白い巨体。
 その生き物としては特に急いでいるというでもなく、遠目に見るとゆったりとしている。
 それでも、あまりにも巨大なその体。尾の一振りでぐんと遠くまで進んでしまう。

 その大きな生き物の近くを、比べるといかにもちっぽけな生き物が泳ぐ。
 離れないように、遅れないように、必死で泳いでいる。



*****

 人々があわただしく行き交う村の広場。その一角に、村にハンターを呼ぶため急遽用意されたハンターズギルドのモガ支所がある。

 元々は、前の持ち主が隠居してから何年もの間使われていなかった古い商店である。それは潮風にさらされて白っぽくなった木のカウンターと、奥に少しばかりの空間があるだけの粗末な建物だった。

 よその大きな支所には集会所としての機能を持つ食堂や居酒屋、温泉までついているところもあるというが、ここは、国家運営にも影響を与えると言われる組織、ハンターズギルドの事務所と呼ぶのが気の毒なほど何もない。

 支所の前、カウンターの横には背もたれのない小さな木の椅子が一脚置かれている。その椅子に、いつものようにこの『モガの村』の長が腰掛けていた。

 白髪を頭頂部で小さな髷に結った初老の男。多少衰えてはいるが以前は海の男らしく引き締まっていたのであろう体つき。日に焼けた肩にゆったりした薄い生地の長上着をはおり、下半身は下穿き一つで裸足にぞうり履き。首からは何かのモンスター素材で作られているらしい素朴な飾りを提げている。いつもと変わらず、キセルを手に温和な微笑をたたえてはいるが、よく見るとその目はいつになく真剣で、緊迫した光を帯びている。

「避難する者を乗せる船は足りそうか? 一度に全員はムリであろう? 年寄りと子供を先に乗せ、とりあえず手近な島までできる限り往復してくれ」

「あせらずともよい。まだ便はある。落ち着いて準備をするがいい」

 時折やってくる村人から避難の進み具合を聞く。荷物を持って通り過ぎる村人たちと、言葉を交わす。村長は村人たちの避難を最後まで見届けようとしているようだった。避難勧告が出て以来ずっとこの椅子に座ったまま、自分の避難準備をしている様子はない。

 そこに、一人の若い男がやってきた。

 中肉中背、片方の眉から頬にかけて二本の傷跡が走る以外はこれといった特徴のない地味な外見の男。村人の簡素なものとは違って、くすんだ緑色の布に要所を皮革で補強した服を着、皮の手袋と皮の長靴を身につけている。自然の中で危険にその身をさらす者として、動きやすさと同時に身を守ることも考えた服装だ。

 この男が、要請に応えてハンターズギルドからモガの村に派遣されてきたハンターである。ハンメルダクムセスダート・アツマフヨグカムナ、十九歳。名前が長すぎて呼びにくいため、周りからはハンと呼ばれている。

 先日村の古老が古文書を確認し、ハンの先祖はこの村の出身であったことがわかったのだが、それとても何世代も前のこと。本人はたまたま派遣されてこの島に来ただけであり、本来この村と運命を共にする義務はない。むしろ避難する村人と一緒に逃げるべきである。それなのに、今頃こんなところで何をしているのだろう。いぶかしみながらも、ことさらに穏やかな表情を作って村長はたずねた。

「一体どうした? 避難の船ならすぐに準備出来るぞ。もちろんおまえさんの席も…」

 しかし、老人の言葉を遮り、ハンの口から出たのは次の言葉だった。

「狩ります」

「何?」

 村長は一瞬何のことかわからなかった。若いハンターはいつもと同じ、淡々とした表情でもう一度言った。

「大海龍を狩ります」

 思わず聞き返す。

「お前さん、今何と言った?」

「ナバルデウスを狩ります」

「あの大海龍を狩りに行くだと?」

「はい」

 何度聞き返しても、返事は同じだった。ハンは落ち着いた様子で、静かに、しかしはっきりと答えた。



*****

港の女主人:
「アタシの旦那はもうとっくにこの世にいないし、子供もいない。この島以外に大切なものなんかないからね、アタシは残るよ。危険? アンタがいれば島は大丈夫。そうだろ?」



3.

 深い蒼が満ちる海中回廊の天井にはところどころ亀裂がある。そこから淡い光が、筋になって差し込んでいた。亀裂の上には川か、それほど深くない池でもあるのだろう。水を通して光が入ってくるのだ。

 蒼い世界では光も蒼みがかって見える。いや、違う。光が蒼いから、そのせいで周りじゅうが蒼く見えるのか。
静寂の中を進む巨体。

 外光の中でみたときは乳白色に見えたそれも、今ここではやはり薄蒼く見える。


*****

「この島の地下は、実はほとんどがデカい洞窟なんだ」

 夜。

 こう切り出したのは、村長の息子であり村の実務を担当している青年、シーガルだ。場所は広場にある村で一軒だけの食堂。ギルド支所とは柱を一本隔てただけで屋根や外壁は共有、実質同じ建物になる。こちらもギルド支所と似たような作りになっており、カウンターの内側では鮮やかな色の異国風装束を身につけたアイルー族の料理人が忙しく立ち働いていた。今この食堂にいるのはハンとシーガルの他に、村の漁師ガイカンとオト、それから狩猟船団の団長以下黒槍、赤槍という面々だ。

 食堂のカウンターでは狭くて全員が座れないので、一同はその前にどこからか丸い食卓を持ってきて置き、その周りに座っている。昼間は大勢の人間があわただしく行きかっていた広場だが、今日の避難船はすでに出港しており、今は歩いている者もいない。


*****

 ギルドカウンター前で話をした後、すぐにでも狩りに出ようとするハンを、村長が引きとめた。

「わかった、わかったから待て! 一口に狩るといっても、ラギアクルスのようにはいかんぞ」

 カウンター内にいたギルド仲介人の少女、カウカに話しかけようとしていたハンは、振り向いて村長のほうを見た。カウカも、カウンターの中から身を乗り出して言う。

「それに依頼書も来ていませんよ。本部に黙って勝手に行くって寸法にはいきませんからね」

 それを聞いて村長は大きく頷く。

「おまえさんがどうしてもナバルデウスを狩るというのなら、村から正式な依頼を出そう。しかし、今すぐというわけにはいかぬ。なんの策もなく闇雲に戦いを挑んだとてあれだけのモンスター、せいぜいかすり傷を負わせる程度だろう。それでおまえさんが返り討ちにあっても、村が助かるわけでもない。はっきり言ってそれでは無駄死にだ」

「……」

 返す言葉のないハンの目を見ながら、村長が続ける。

「おまえさんの気持ちはありがたい。村人は子供や年寄りを中心に本土に避難することにしているが、若い者の中にはここに残るという者もおる。なんといってもここはわしらの村。村を見捨てたくはないという点ではみな同じ気持ちだ。おまえさんがあれを狩るというなら協力を惜しむものはおるまい。わしらにできることは限られておるが、皆で力を合わせてあの大海龍に立ち向かおうではないか」


*****

 というわけで、村長の指示で集まった者達が対ナバルデウスの作戦について話し合っているのだった。

 シーガルはまず、島の構造について話した。

「言い伝えでは、元々このあたりの陸地がもっと高かった頃はその洞窟も当然ながら陸上にあって、そいつを利用した神殿が内部に作られていた。それが千年ほど前から急激な地盤沈下が起こって、最終的に神殿もろとも海に沈んじまったんだそうだ」

 卓の上ではふたごキノコと大巻貝の炒め物、ポポノタンの煮込み、オンプウオの苔チーズのせ焼きなどの料理が松明の明かりに照らされている。集まった男たちは料理をつまんだり、泥芋酒やホピ酒の杯を口元に運んだりしながら、静かに話を聞いていた。

「この洞窟は相当な広さで、実際この島の面積とほぼ同じくらいあるらしい。いわば、『孤島』は半分空洞の上に乗っかってるようなもんなんだな。だから地盤が弱い。ナバルデウスがいくら大きなモンスターといっても、島ひとつを振動させることなんて普通ならできるもんじゃない。だが、この島独特の構造が、ナバルデウスの動きを島全体の振動へと増幅しちまってるってわけだ」

 話し終わった青年は一同の顔を見る。温厚そうな顔をした中年の漁師、オトが口を開いた。

「まず、そのだだっ広い海底洞窟のどこにナバルデウスがいるのかが問題だな」

 シーガルが頷き、答える。
 
「古文書を調べてるオヤジや農場長の考えでは、ヤツは神殿の大広間に当たる場所に巣くってるんじゃないかということだ。神殿部分なら古文書に地図が載っている。ちょっと奥まったところだ」

 オトと同じ漁師のガイカンも考えを口にした。

「移動の手段は泳ぐしかねぇんだろ? だいぶ上達はしたが、コイツはまだまだ水中の活動は達者じゃねぇ。息継ぎも、酸素玉を持っていくにしたって限りがある。途中までだけでもなんか別に空気補給の方法を考えといたほうがよくねぇか?」

 男たちは皆ハンのほうを見た。泳ぎに関してのガイカンの指摘はもっともであり、洞窟の様子もよくわからないハンとしては、何も言うことはない。全員を見返し、黙ったまま口に入っていた魚団子を飲み込み、塩ミルクを一口飲む。

「そうだねえ」

 口を開いたのは狩猟船団の一員、黒槍。

「できるだけ遠くまで海底に竹の管を敷いておく、とか? 入り口近くにポンプを置いて、ハンが潜ってる間それで空気を送り込む。どう?」

 それを聞いてもう一人の団員、赤槍も自分の意見を言う。

「そりゃあ手間がかかりすぎんじゃねぇかなあ? 団長、空気を入れた樽におもりをつけてをあちこちに沈めとくってのはどっすかね?」

 後半は彼らが所属する狩猟船団の団長に向けて発せられた。二人の話を聞き、団長が口を開く。

「まず俺たちで一度神殿跡まで行って様子を見てこよう」

「危険です」

 ハンが割って入る。団長はハッと一声笑って返した。

「おいおい、俺たち狩猟船団をなめんなよ」

 だが、苦笑いをしながらすぐに言い足す。

「まあ、オマエと違って戦いを挑みに行くわけじゃねえけどな」

 シーガルも情報を追加し、賛同する。

「ナバルデウスは肉食じゃないらしい。少なくとも大海龍に人間が食べられたという記録はないみたいだ」

「記録がないからと言って……」

 反論しようとするハンの言葉を遮るように、男たちが口々に話し出す。

「なら大丈夫っすね」

「もし見つかってもこちらが何もしなければ多分襲ってきたりはしないよ」

「ついでに竹筒でも樽でも思いつくもんなんでも持ってって置いて来ちまおうぜ」

「ハンさん、途中に酸素玉の予備も置いてきてあげよう」

 そのまま、漁師たちが偵察兼事前準備のために二日後洞窟に潜ることは決まってしまい、詳細を、ああでもないこうでもないと話し合って夜は更けていった。


*****

道具屋店主、「おねえさん」:
「この村に泥棒はいないけど、店をほったらかしにはできないわ。ハンさんや島に残る村のみんなだって、今こそいろいろと必要なものがあるでしょ? 商売には絶好の機会ってわけじゃない? 逃す手はないわよね」



4.

 蒼い世界に、時折大小の気泡が浮かび上がる。

 海に棲むもの、ナバルデウス。とはいえそれは魚ではない。神とも称されこともあるが、やはりただの生物である。何時間か、かなり長い間潜ることはできる。それでもそれは、一定時間ごとに浮かび上がり、外気をその肺に溜めておかなくてはならない。

 溜め込まれた空気は、少しずつ、少しずつ、吐き出される。

 むき出しになった歯が並ぶその口から吐き出された呼気は、透明な球となって揺れながら水面へと昇っていく。


*****

 モガの村には住民共同の農場がある。塩気を避けるため高台に作ってあり、村の広場からは海上に渡した木製の通路で繋がっている。農場の端には小さな滝があり、その裏側の岩壁には小部屋ほどの空洞があった。

 そこには何を祀っているのか小さな祠が設置され、不思議な形の面をかぶった像が置かれている。像が乗っている壇の後ろには物入れがあり、村に伝わる古文書が、水気を吸わないよう何重にも密封されて収納されているという。

 男たちが食堂で作戦会議をした翌日、ハンとチャチャは農場長を訪ねていた。農場長は足元まである長い胴衣を着た、小柄な竜人族の老人である。

「アイルーたちは今日も元気に働いておるのう」

 老人はのんびりと農場を見渡しながら話し始めた。それほど広くはない農場だが、畑、キノコの培地、蜂の巣箱、と様々なものがある。

「お前さんが島に来るちょっと前、大きな地震があったときは三人とも逃げ出してしまって、どっか森の奥に隠れたまま長いこと出てこんかったんじゃが」

 今、そろいの黄色い耳出し笠をかぶった三人のアイルー族農夫たちは畑で鍬をふったり、培地に生えたキノコを収穫したり、蜂の巣箱を掃除したり、と忙しく働いている。

「だけどのう、今こやつらはだあれも逃げん。お前さんの働きぶりを見るうちに、自分らも勇気と責任をもって自分の仕事をしようと思うようになったのじゃろうかなあ」

 三人の足元に、農場で飼われているプーギー種の子豚が寄ってきた。このプーギーの名前「ユズ」は農場長に頼まれてハンがつけたものだ。まだ二ヶ月も経っていないのに、ずいぶん時間が経ったように感じながら、ハンはしゃがみこんでユズの背や首をなでた。チャチャは農場長にもらってかじっていたスモモをゆずの口元に差し出す。その様子を見ながら農場長は話を続けた。ハンもそのままの姿勢で顔を農場長の方に向け、耳をかたむける。

「古文書によると、あの怪物にも弱点はあるというのう。といっても特別珍しい部位ではないがの。まず大抵のモンスターと同じく頭じゃなあ。あとは胸じゃ。胸は保護のために髭状の鱗で覆われておるが、その下の皮膚は薄い、と書いてあったのう」

 そこまで言うと農場長は、二人にもついてくるよう頷きかけながら、滝の裏側にある祠の方に歩き出した。ハンとチャチャも立ち上がって後を追う。洞窟の中、祠の前で立ち止まった老人は、像の頭部に乗っている面を手に取った。麦藁帽子に眼鏡をつけたような不思議な形だ。

「最近わかったんじゃが、この面は水から空気を作ることができるそうな。チャチャ、ちょうどお前さんに合いそうな大きさじゃのう。ナバルデウスを狩りに行くときはこれをかぶっていくかの? じゃが、使えるようにするには必要なものがある。お前さんたち、用意してくれるかの?」

「なんでしょう?」

「まず、海竜の鱗が二枚いる。普段はなかなか手に入らん物じゃが、お前さん、この間ラギアクルスを狩ったときに手に入っておらんかの?」

「あります」

「おお、それなら話は早い。あとはありふれたものじゃ。古代鮫の皮が一枚とシーブライト鉱石を四個だの」

「わかりました」

 あいさつをして、ハンとチャチャは農場を後にした。


*****

武具工房の主人、「おやじさん」:
「ワシがいねぇとオメェの武器や防具が傷んだときに修理できねぇだろぅが」

おやじさんの孫娘、グノサ:
「アタシは一旦避難するわ。別に残ってもいいんだけど、おじいちゃんがどうしても行けって言うしね。もしものことがあったとき、武具屋と工房をアタシに継がせるためらしいわ。まあ、そんなことにはならないでしょうけど。おじいちゃんの武具を使ってアンタが狩るんだから」



5.

 怪物の頭部には二本の角があった。

 一旦左右に水平に伸びた後、先端近くで垂直に上に向いて曲がっている。この一対の角はしかし、完全に対称というわけではなかった。

 この種の特徴なのか。

 この個体だけの変異なのか。

 片方の角は根元がいびつにふくらみ、片目のすぐ上の肉を突き破るようにして生えている。そのせいで、遠目には神々しくも見えたこのモンスターも、近くで見るその顔は禍々しさを感じさせた。とはいえ、神々しさも禍々しさも、すべて見る者が勝手に抱く印象である。

 自然の中に生きる物に善悪の区別などはない。



*****

 漁師たちは偵察のため海底洞窟に潜っていった。

 海底洞窟の入り口近くにある岩場に臨時のベースキャンプを設営することも決まり、残ったハンとチャチャは運んできた資材を整理していた。

「この村のことをどう思っていますか?」

 荷運び用の草食竜アプトノスにつないだ荷車から天幕を降ろしながら、ふとハンはチャチャにたずねた。

「いいところだっチャ」

「はい」

「みんなイイヤツだし」

「そうです」

 そこまで言って、チャチャは荷車から大きな青い箱を持ち上げた。中は空とはいえ、小さな体のどこにこんな力が、と驚くほど大きな箱である。それを持ったまま軽がると歩いている。

「村のみんなには世話になってる。みんなが困るのはイヤだっチャ」

 ハンもそのすぐ後ろを、畳まれた天幕を持って歩いた。

「はい」

 天幕を立てる予定の場所に下ろす。

「オレチャマたちで村を守るっチャ」

 手が空いたチャチャは、体を伸ばすと海を見つめて言った。その横顔を見ながら、ハンはまたたずねる。

「怖くはないのですか?」

「……」

 チャチャはしばらく黙っていたが、最終的に口を開いてこう言った。

「オレチャマは子供だから難しいことはわからない。それに奇面族はあんまり考えたりしないのチャ」



 ベースキャンプ設営の資材を降ろすと、他にすることもなくぼんやりと海を眺めて待っていた。漁師たちが戻ってきたのはチャチャが座ったまま居眠りをし始めた頃だった。男たちは水から上がってくると、興奮した様子でしゃべりだした。

「やっぱり神殿跡にいやがったぜ」

 と、団長。

「農場長が話していた古代の対巨龍武器が見つかったぞ」

 と、シーガル。

「修理すればまだ使えそうだ」

 と、オト。
 
「あれがあれば、ナバルデウスとも互角に戦えると思うよ」

 と、黒槍。

「俺たちで整備してみるっすよ」

 と、赤槍。

「整備が終わるまでお前は武器や防具の手入れでもしてろ」

 と、ガイカン。



*****

 その日の夕方、チャチャが姿を消した。

 そのとき、ハンは一人で武具屋に行っていた。ナバルデウスに挑むため、武器や防具について武具屋の「おやじさん」と相談をするためだ。防具を身につけず、いつも同じ棍棒やブーメランを武器として使っているチャチャは武具屋に用はない、と同行せず、宿舎で待っているはずだった。ところが、ハンが帰宅してみるといなくなっていたのである。

 あんな話をしていても、やはり子供、今になって命の危険を冒すのが恐ろしくなったのかもしれない。それも当然の感情だ。むしろ今まで助手としてよくやってくれた。ハンはそう思い、捜さなかった。それでも、内陸の村から遊びに来たまま帰りそびれている母親が、一緒に夕食をとって宿泊先である村長の家に帰った後、一人宿舎で回復薬を調合していたとき、急に手が止まった。そしてそのまま、ハンはしばらくじっと座っていた。

*****

ハンター宿舎の世話係ルサ:
「ハンさんが安心して狩りできるようにお手伝いするのがアタシのお仕事ですのニャ。ハンさんが狩りに行くというのなら、アタシはお弁当を作りますニャ」

ガイカンの妻、キビト:
「うちのひとはおっちょこちょいだから、また怪我でもするんじゃないかしら。危なっかしくて一人で置いてはいけませんよ」



6.

 先を行く怪物が、大きく体をねじり、左に曲がる。

 回廊の先を目指して。

 この奥にあるという神殿。そこには古代の人々が巨龍を撃退するために作った大型武器が残っているという。漁師たちは、その武器を整備し、また使えるようにしてくれた。

 神殿がどんなところなのか、武器がどんなものなのか、ハンターは話に聞いているがまだ実際に見てはいない。



*****

 ラギアクルスを倒した直後、ハンは村長から自分と母親の一族が、もともとはこの村の出身だったことを聞かされた。この意外な知らせに二人ともさぞかし驚くだろうと予想していた村長は、帰って来た返事に逆に驚いた。

「大変な偶然です」

「そうね。おもしろいわねえ」

 母子は最初驚いたようだったが、単なる偶然だと、きっぱり言い切った。村長は、この島に住んでいた住人の子孫が何世代もの時を経て帰って来たことを、運命、天の配剤に違いない、そう感じていたのだが、当の二人はこのことに特別な意味づけをすることはしなかった。ハンの母親はモンスターを研究する学者である。科学的思考の持ち主とはこういうものなのか、と感心しながら村長は笑った。

「かっはっは。お前さん方がそういうのならそうなのだろう。いや、むしろ、偶然に運命じみたものを見てしまうような弱気ではいかんということかな」

 言い終わると、村長は真顔でハンに向き直った。

「ハン、確かに、お前さんがどこの誰であれ、今ここにいて、この村のハンターであるということに変わりはない。これからも村を守ってくれ。頼んだぞ」

 ハンはいつものように生真面目な顔をして頷いた。

「はい」

 このやり取りからわずか数日後、ナバルデウスの存在が明らかになったのだった。


*****

ハンの母親、ハナエ:
「え? まだ帰らないわよ。ジャギィもルドロスもまだ見ていないし。あ、クルペッコも見たい。次に来られるのはいつになるかわからないのよ、見たかったものを全部見るまでは帰りません。……でもハン、危なくなったらすぐ逃げなさいね」


7.

 ただ近くを泳いでいるわけはない。ハンターは巨大な海のモンスターに攻撃を当て続けていた。

 胸元の髭に切りつける。

 背中に回り、さらに攻撃する。

 斧の刃先が当たった場所からは血が出る。

 それは、この世界にいる他の生物と同じく、赤い。煙のように水中をひろがり、あっというまに水に紛れて見えなくなってしまう。出血と言っても巨大なその体からしたら、本当にわずかな量なのだろう。

 巨大な海の龍は、ハンターの攻撃に時折うるさそうに頭を振るが、それ以外特に反応することもなく、ただ進み続ける。


*****

 神殿にある古代武器の整備がほぼ終わり、ナバルデウス討伐の目処が立ち始めたその日、村長から正式に狩りの依頼が出された。

 カウカに呼ばれ、ハンはギルドカウンターに来た。ハンからチャチャがいなくなったと聞いたカウカは心配そうにたずねる。

「どうするんですか? 一人で大丈夫ですか? 狩猟船団の人たちにでも助手としてついて行ってもらいましょうか?」

「いりません」

 訓練所にいた頃、ハンは他人と協調するのが苦手だったらしい。同期生と班を組んで狩る課題で、うまく連携できず、失敗した責任を問われて以来、友達もほとんどいなかったという。今はチャチャと一緒に狩りに行っているが、他人と狩るのは未だになじめないのだろうか。カウカはそうも思ったが追求はせず、黙って書類を作り始めた。

「ハンさん、絶対帰ってきてくださいよ」

 しばらくして、書類に向かって俯いたままのカウカが突然言った。

「もし失敗しても……、あ、すみません。失敗とか成功とかは考えなくていいです。とにかく何があっても絶対帰ってきてください」

 ハンがどう答えたものかと考えていると、顔を上げ、ハンの目を見ながら言う。

「私は待ってますからね、ここで。成功でも失敗でも報告書を書かないといけないんですから」

「はい」

 ハンが返事をした。

「大丈夫です。おれが、いえ、おれたちがこの村を守ります」

 それを聞いてカウカは小首をかしげた。

「あれ、ハンさん、自分のこと『おれ』って言うんですか? そういえば、ハンさんが自分のこと呼ぶの始めて聞きましたねえ。なんとなく、『私』とかって言うんだろうと思ってましたよ」

「この島の男で、自分のことを『私』と言う人はいますか?」

 ハンは真面目な顔で言う。少女はニヤリと笑った。

「そういわれりゃそうだわ。この村の人はみんな『おれ』とか『わし』とか言ってますね」

 ハンは黙って頷いた。

「今ではハンさんもモガの村の一員、って寸法ですね」

「はい」

 それを聞いて、カウカは珍しく真面目な顔になる。

「ハンさん、これからも、ずっと村にいてくれるんですよね?」

「はい」

「これが終わっても、ずっとここで、狩りをするんですよね?」

「はい」

「それならいいです」

 二人はそのまましばらく黙っていた。何を言うでもなく、ただ、相手を見ていた。

 急に、

「っチャー!」

 聞きなれた声が二人の間に響いた。見ると、ハンの横にいつの間にか緑色の子供が立っている。

「チャチャ!」

 カウカが驚いて叫ぶ。続いてハンもたずねた。

「どこに行っていたのですか?」

「農場長の話を忘れたっチャか? 祠の面を使えるようにするために取ってこないといけないものがあったっチャ」

「古代鮫の皮とシーブライト鉱石、です」

 チャチャは大きく頷くと自慢げに胸をそらした。

「オマエは忙しいだろうから、オレチャマが一人で行ってきてやったっチャ」

 いつもは瓢箪がぶら下がっている腰に、今日は袋が下がっており、チャチャはそこから鮫の皮と鉱石を取り出した。

「子分のためにできることをしてやるのは親分のつとめ、オマエもせいぜい感謝するがいいっチャ」

 ハンは差し出された品を受け取り、じっと見つめていたが、急にチャチャに向かって頭を下げた。

「もうしわけありません」

「何だ?」

「逃げたのかと思っていました」

 それを聞いて、チャチャはカウンターによじ登ると、いつも持っている棍棒で下げられたハンの頭をゴン、と叩いた。ハンは顔を上げ、痛そうに頭に手をやる。

「誇り高い奇面族であるこのオレチャマが、そんな臆病だと思っていたのか? 失礼なヤツだっチャ」

 カウカが割ってはいる。

「チャチャ、ハンさん心配してたんだよ。だいたいどうして黙って行ってしまったりしたの?」

「ハンが武具屋に行っている間に突然思いついたのチャ。それでシーブライト鉱石が取れる水没林は遠いからすぐ出発することにしたんだっチャ。オマエに書きおきをしておこうと思ったけど、オレチャマ、字が書けなかった。今度の狩りが終わったら、学校に行くことにするっチャ」

 あっけらかんと言う。

「もう、心配かけないでよ。大体アンタまだ子供なんだから、一人であんな遠く行っちゃダメでしょ」

 カウカのお説教が始まりかけたそのとき、

「それより、オマエたち、一体何をしてたっチャ? 二人とも黙って突っ立ってたけど」

 急にカウカの顔が真っ赤になった。

「何も! 何もしてない! 本当に何もしてないんだから!」

「うん、確かに何もしていなかったっチャな。なんでチャ?」

「どうでもいいでしょ、そんなこと!」

 ハンは二人のやり取りを、ポカンとした表情で見ていた。



*****

漁師オトの子供たち、ワズーとシイン兄弟:
「ハンさん、にいちゃんとぼくとで酸素玉たくさん作ってきたよ」

「オイラたちにできることったらコレくらいしかないからサ」

「ぼくたちも島に残りたかったんだけど、とーちゃんが、お前らはいても邪魔になるだけだから、赤島のおばさんのところに行っとけって」

「でも、すぐ戻れるんだよナ」

「ハンさんが、村を守ってくれるんだよね」



8.

 外海に面した入り江。崖の中腹に張り出した岩場に急ごしらえのベースキャンプが出来上がった。

 奥の岩壁に寄り添うように、モガの森ベースキャンプにあるものの半分ほどの大きさの、小さな三角錘型の天幕が張られている。支給品を入れる青い箱、納品用の赤い箱は他のベースキャンプにあるものと同じ、ギルドの規格品である。岩棚はそれだけでほぼいっぱいになった。

 そこから見える入り江の、細い岩柱が海中から数本延びているあたり、おそらく急激に深く落ち込んでいるのであろうあたりの海面が突然波うった。続いて白い角が一本、水中から生えるかのように伸びてくる。角の先は大きく湾曲していた。付け根あたりが水面近くを横切る。水面が白く泡立ち、その頭部ははっきりとは確認できない。続く胴体の脇腹部分から尾へと、白く長い巨体が海面でぐるりと半回転しながらまた海中へと沈んでいく。最後に海面に現れた尾は、大型の海生哺乳類のそれを思わせた。

 一旦全身を海中に沈めた後、怪物の上半身だけが海面に伸び上がった。青い海の上で陽光を浴びるその白い姿はまるで立ち上がる巨人のようだ。その場でぐるりと回り、また海中へと沈んでいく。さっきははっきりと見えなかった頭部が見えた。顎から胸までを覆う、ふさふさとした髭状のものが目を引く。このモンスターにラギアクルスのような足はなく、代わりに鰭がついていた。上半身が水中に沈むにつれ、入れかわるように尾を高く上げ、方向を変えるとベースキャンプのある崖の切れ目から水中洞窟へと潜っていった。



「行きます」

 ハンは張り出した岩の端に立ち、背負ったスラッシュアックスの柄を握りなおして言った。ドスジャギィ、クルペッコ、ロアルドロス、そしてラギアクルス、これまで狩ってきたモンスターたちの素材を使った装備を、組み合わせて身につけている。

「老骨には厳しいですヂャが、がんばりますヂャ」

 チャチャは農場の祠にあった面をかぶっていた。ふざけているのか、かぶった面に人格まで影響を受けるのか、『古代の面』と名づけられたそれに似つかわしい話し方だった。ハンはチャチャの方を見て頷くと、水に飛び込んだ。続いてチャチャも岩の端を蹴る。

さっぱああん。

 飛び込んだ勢いで一旦深く沈んだ体が、海水の浮力によってゆっくりと上昇していく。

 視界が白で満たされた。

 すぐそばにナバルデウスがいる。

 これほどの巨体も楽に通行できる海中の回廊。洞窟の入り口は広かった。
その奥へ、暗い奥へ、どこまで続くのか入り口からは見えない奥へと、巨大なモンスターが進んでいく。二人もすぐに後を追い、その頭部めざして泳いだ。

 こちらに気付いていないのか、それとも気付いているが魚と同程度にしか思っていないのか、ナバルデウスはまったく注意を向けることはない。

 ハンはモンスターの胸部に回り込み、スラッシュアックスを抜いた。人の体ほどもある大きな刃が、このモンスターの前では髭剃りの小刀にしか見えない。

 ゆっくりと振りかぶり「髭」に斬りつけた。

ざしゅっ。

 切り取られた髭が数本、ゆらりと浮かび上がりながら流されていく。

 こんな攻撃をいくら繰り返せば、本体を傷つけることができるのだろう。しかし、今ここで出来ることはこれしかないのだ。奥の神殿に行けば古代の武器があるという。その威力を最大限に引き出すために、移動の間にモンスターの体力を少しでも削っておく。後にどれほどの違いが出るかわからないが。

ざっ。
ざしゅっ。

 二度三度、同じところを狙って斬りつける。

 まだ髭はかなりの厚さで胸部を覆っており、比較的柔らかいといわれるその胸の肉には刃先が当たってもいないのか、大海龍は全く気にする様子もなく、ゆっくりと奥へと進み続ける。

 反撃をされないのは助かるが、それだけ手ごわいということなのだ。空気不足、体力の消耗、この怪物を倒す前に自滅してしまわぬように気をつけながら、ハンも進んだ。チャチャはといえば、特に何かを考えている様子もなく、いつものように泳いでいる。



*****

 斬る。

 泳ぐ。

 斬りつける。

 泳ぐ。

 繰り返しながら、モンスターとハンターはさらに奥へと進んでいく。


 角をまがり、いくらか細くなっている通路に入る。

 水中では体が固定できないため、正確に一箇所を集中的に攻撃するのは難しい。それでも、ナバルデウスの胸部は、少しずつ髭を失っていった。

 ここだ!

 やっと現れた胸部を狙って斬りつける。

ぐおうううう。

 初めて、ナバルデウスが前進を止めた。

 初めて、ナバルデウスに苦痛を与えることができた。

 怪物は頭を若干あげ、体を回転させながら前方にかみつくような動作をしてから尾を振った。狙いを定めての攻撃というより、苦しまぎれに暴れた、という感じだ。回転で起きた水流に体を押されていたハンは、運よくそのままナバルデウスから距離をとることができ、かみつきにも尾の一振りにも当たらずにすんだ。

 その後、怪物はまた何事もなかったかのようにゆったりと前進を再開した。



*****

 水中回廊の天井にある亀裂から、光が差し込んでいる。この島の基盤は、どのくらい脆いのだろう。

 ワズーとシインからもらった特製の酸素玉を取り出して口に含む。舌で圧迫すると中から空気が出てきた。鼻を押さえ、肺へと飲み込む。

 その間にも巨体はゆっくりと移動し続けている。ハンは遅れないようについていった。


 通路の細くなったところに差し掛かると、ナバルデウスは急に速度を上げた。あっという間に引き離される。とはいえこの先は神殿、見失う心配はない。ハンは携帯砥石を使い、チャチャは携帯食料を何とか口に入れようと悪戦苦闘している。体勢を整え終わると、二人はモンスターを追った。

 薄暗い洞窟のそこは、ひときわ広い部屋のようになっていた。内部は昔、高い天井まで届く建造物があったらしい。周りの壁に沿って、都会にある高層建築の柱や床、壁を思わせる石造りの骨組みが残っている。古代の神殿跡。どれほどの人数が収容され、どれほどの規模の祭事が執り行われたものか。その中央に今、当時の人々が祈りをささげた神のように、それは鎮座していた。

 とぐろを巻いて中央に浮かんでいる。侵入者を待ちかまえているのか。

 ハンターたちの姿を認めると、モンスターは丸めていた体をほどき、威嚇するような体勢をとって大きく咆哮した。

 いや、それは咆哮などではなかった。

 大きく開いた口は、音声を発する代わりに大量の水をその中に取り込み始めたのだった。存分に水を吸い込んだ後、前方に向けて吐き出してきた。

 それはまるで水の大砲。

 吐き出された水流は渦巻きながら伸びていく。その進路上にあるものは全てなぎ払われる。

 避けきれず、水流に巻き込まれたハンは勢いのまま、岩壁に叩きつけられた。水の抵抗が勢いを殺しているはずなのだが、それでも衝突の激しさに一瞬意識が朦朧とする。全身に痺れるような痛みがひろがる。チャチャが近寄ってきて面が作り出す空気を吸うよう身ぶりで促した。

 ハンは面の上部にあいた空気穴に口をつけ、空気を吸う。なぜか花の香りがした。

 頭を軽く振り、気を取り直して再度ナバルデウスに向かう。

 巨体に近づいていきながら、頭に入れておいた見取り図をたよりに古代の武器がある場所を目で探す。

 この大海龍を、人間ごときの攻撃では倒すのは無理。

 それでも、村のみんなが、この巨大なモンスターに見つからないよう決死の覚悟でここまで来て、整備をしてくれたあれを使えば。

 古代の対巨龍武器。大型弩砲バリスタと撃龍槍。

 どこだ? どこにある?

 あった。

 古代武器の砲台を確認したと思ったとき、室内に満ちる水が、激しく振動した。

 ハンは思わず両手で耳を押さえる。

 今度は本当の咆哮だった。ただし、陸上で聞くモンスターの咆哮とは違っていた。

 それは水中を伝わり、鼓膜に衝撃を与え、聞いたものの体を縛って動けなくする音。物理的な力を持つに至る音。

 これまで陸上で戦ってきたモンスターたちも、思わず身がすくむほどの咆哮を発していた。このナバルデウスの咆哮は、一瞬にして周囲の水を激しく揺らし、衝撃の波となって聞く者の体にうちつける。

 長く感じられた一瞬の硬直がとけると、全身に残る痺れを振り払うようにしてハンはまた全力で泳ぎだした。


 砲台にとりつき、用意されていた弾をバリスタに装填する。

 頭部を狙って打ち出す。

ごごん。

 頭部に弾が当たる。ここまで来る間の攻撃で、特に狙ったわけではなかったが何度か角に刃が当たっていた。ヒビでも入っていたのだろうか、角の片方が根元から折れた。白い角はゆらめきながら水中深く沈んでいく。

 さらに、一発。

 もう一発。

 さすがに人間が手で持つ武器よりもずっと強力な弩の弾、一発当たるごとに、ナバルデウスは怯み、のけぞる。弾を全て撃ちつくすと、ハンは砲台から離れた。


 あと少し。

 こいつを怒らせるのだ。

 興奮して追いかけて来たら、撃龍槍の砲台におびき寄せる。

 大海龍に再び近寄りその腹に、背に、攻撃を加えた。バリスタが当たって鱗がはげている部分を狙って斬りつける。チャチャもハンから離れないようにしながら、攻撃をしたり時間を見計らって空気を供給したりと援護を続けた。

 大海龍がむき出しになった身を傷つけられるたび、海中に赤黒いしぶきが広がる。

 身をよじるナバルデウスの鰭や尾にはじかれながらもすぐに戻って攻撃をし続けた。

 やはり肉食ではないのか、それともたまたまか、今のところナバルデウスはラギアクルスのように牙や爪での攻撃はしてこなかった。そのおかげで出血するような大きな傷を負うことはなかったが、先の水大砲をくらったときから、何度もはじかれ、時に体当たりをくらい、全身がひどい打撲の症状を示している。だが今は、不思議と痛みを感じなくなっていた。


 そして、

ぐおおおおおうっ。

 ハンの渾身の一撃に、モンスターはのけぞり、再び大咆哮を発した。

 全てが乳白色だった体の一部が桃色に変わった。

 ついに、ナバルデウスが怒りを表した。

 最初はハンたちを虫ででもあるかのようにまったく意に介さなかったこの巨大なモンスターが、ようやく小さな人間たちの存在を認め、それらに対して敵意を抱いたのだ。

 しかし、ハンの心に湧いてきたのは認められという喜びなどではなかった。

 恐怖。

 その大きさだけでも、相手に畏怖を抱かせるに足るモンスターが、今や本気で怒っている。

 その威圧感。

 その怒りは、激しい波となって物理的に水中を伝わってくるかのようだった。怒りの波動に押されるように、ハンは体をねじると全力でやや上向きに泳ぎ始める。ナバルデウスがその後を追う。

 前方の壁から張り出した崖にあるもう一つの砲台。

 橙色を帯びた石造りのその砲台にたどり着く。

 中心に大きな丸い押しボタンを配置した、直方体の岩を積み上げたような砲台にとりついて構えた。後はできるだけ近くに来るのを待って、発射するだけ。

 人間よりずっと長く生きるのであろうナバルデウス、その知性も、人間のそれを上回っているのだろうか。

 ハンの意図するところに気付いているのかいないのか、ナバルデウスは、砲台のある壁面の前まで近づいて来ると、一旦深いところまで沈み、ゆらりと体をひねってゆっくりと浮かび上がってきた。

 怖い。

 じわじわと自分に向けてせまってくる大海龍を見据えながら、ハンは体の芯から湧き上がってくる本能的な恐怖と戦っていた。

 古代の対巨龍兵器、撃龍槍は、急ごしらえの整備でなんとか駆動するようにはできたが、老朽化が激しい。おそらく、今撃てるのは一発だけだろうということだった。

 一撃。どうしてもこれを当てなければ。

 確実に当てるために、ギリギリまでひきつける。

 流されないよう砲台の縁を握り、その場にじっとして、相手の接近を待つ。それは捨て身の攻撃をすることよりも勇気がいることだった。心で押さえようとしても、体は機械から手を放し、背を向けて全力で逃げ出しそうになる。

 ダメだ。

 膝に力が入らない。

 発射ボタンにかけた手が震える。

 このままでは、大海龍が十分に近づく前に、手が勝手にボタンを押してしまいそうだ。

 ハンは唇を咬んだ。

 赤い血が少量、口元から細い煙のように立ち昇り、水にまぎれていった。

 痛みを堪えることで、かろうじて理性をたもつ。

 まだだ。

 まだ。

 もう少し。

 そうだ。

 ここだ。

 ここにいるぞ。

 お前の平安を乱す者が。

 さあ、
 
 来い!

 ナバルデウスは、砲台の正面、間近まで来ると、大きく体をのけぞらせた。一枚一枚が、大剣の刃のような歯が並んだ口を大きく開き、頭を振って前につき出してくる。

「うぉおおおおおおっ」

 陸上のような鬨の声をあげることはできなかったが、その頭部が近づいてくる勢いに合わせて、ハンは肺から大きく息を吐き出しながらボタンを押した。

ぐごしゅんっ。

 壁面から、人間が通常手持ちで使う槍の十倍はあるかという太く長い杭が数本、勢いよく突き出される。保護の役割を担っていた髭を失った胸部に、杭の先端が激しくぶつかり、肉に突き刺さる。

ぐぁああああおおおっ。

 水中に怪物の絶叫が響いた。




 その瞬間。

 島は、

 ひときわ大きく揺れ、そしてまた、静かになった。




 空から『孤島』付近を警戒していたハンターズギルドの観測気球は、巨大な白いモンスターがのたうちながら島の海中洞窟から出て、沖へと泳ぎ去っていくのを見た。

 ベースキャンプで待機していた島の漁師たちもまた、崖下の入り江から泳ぎ出る巨体を確認した。上空の気球から明かりの信号を受け、モンスターが完全に外海に出たことを確認し、ハンターを出迎えるため、次々に海へと飛び込み、洞窟の奥へと泳いでいった。

 基本的に水が苦手なアイルー族の見守り係は、長い水中洞窟の奥にある神殿跡までは入れなかった。戦闘の様子がわからないままカウンターで祈りながら待っていたギルド仲介人の少女は、伝書バトで「ナバルデウス撃退成功」の報告を受けて人知れずほっと胸をなでおろし、ハンターたちの帰りを待った。

 しかし、数時間後、村に戻ってきたのは、漁師たちだけだった。

「洞窟が途中で崩れている。神殿への入り口がふさがってしまった」

 漁師の一人が疲れた様子で言う。

 どこかに通り抜けられる隙間でもないか、と周囲を探索したらしい。だが、洞窟の細くなっていた部分で完全にふさがっていたという。

「ナバルデウスはかなり苦しそうな様子だった、洞窟から泳ぎ出るときにあちこちにぶつかったんだろう。それで、ゆるんでいた壁面が崩れてしまったんだ」

「そんな! じゃあハンさんは?」

「わからん。 洞窟から出てきていないことは確かだ」

「奥に閉じ込められたままってことですか!?」

 いつもふざけているこの少女にしては珍しいほど取り乱している。

「生きているかもしれないが、空気がいつまでもつか」

「あるいは、戦いで……」

 漁師たちの言葉は悲観的なものばかりだった。



*****

 翌日、ラギアクルスもナバルデウスもいなくなった孤島で、モガの村の住人たちは早くも日常生活を再開しようとしていた。避難していた人々も、近くの島にいた者は朝一の船で戻ってきている。報告がいきわたるにつれて他の者達も順次戻ってくるはずだ。村では地震で倒れたり壊れたりした物の片付けが始まっていた。しかし、村人たちの表情に喜びや活気は見られない。

 モンスターを撃退してくれたハンターが、まだ戻ってきていない。

 生きているのか、死んでいるのかも不明。

 それでも、嘆いてばかりいるわけにもいかない。

 ハンターが命がけで守ってくれたこの島を、村を、早く元通りにしなくては。

 人々は黙々と作業に励んだ。


 ハンターズギルドのカウンターでは、仲介人のカウカとハンの母親、ハナエが並んで座っていた。カウカは時折思い出したように事務仕事をしたりしていたが、二人とも一言も口をきかず、何時間もずっと黙って座っていた。


*****

 さらに翌日。

 モガの森に、二人の子供がいた。

 村に戻れたのはいいが、大人たちは後片付けで忙しい。自分たちも手伝いたいが、大きな瓦礫は危ないからとなかなかできる仕事がない。

 それで、せめて洞窟で神殿に入る方法を模索している漁師たちのために酸素玉を作ろうと、材料になる「イキツギ藻」を取りにきたのだった。

 森も地面がひび割れたり、崖が崩れて大きな岩が落ちていたりしている。普段ならあちこちにいる草食のアプトノスやケルビ、肉食のジャギィといったモンスターも、おびえて棲み処に潜んでいるのか、崩落で道がふさがっているのか、まったく見かけなかった。

 岩を乗り越えたり、地面にあいた亀裂を飛び越えたりしながら進んでいくと、以前は浅い川があったところに大きな池ができている。

「みて、兄ちゃん、あそこ池になってる」

「ああそうだナ」

「行ってみようよ」

 兄弟が近づいていくと、池の岸に何か塊のようなものが見える。

 更に近づいていくと、それは二人の人間、大人と子供が倒れているようだった。

 その二人が誰なのか、確かめるまでもなく兄弟は走り出す。

「ハンさん!」
「チャチャ!」

 池の岸に倒れている二人の顔を覗き込み、声をかける。

 目を閉じていた二人だが、声をかけ続けるとまずチャチャが寝転がったまま力なく言葉を発した。

「ぐええええっ、まだ寝かせてくれえ。体が動かないっチャ〜」

 ハンは上体を起こし、ゆっくりと、頭部の防具をはずした。兜の下から現れたのはあちこちが青黒く内出血した顔だった。一言も発しない。ぼんやりとした目で兄弟を見る。

「大丈夫?」

 と聞かれて頷きかけたが、すぐに顔をしかめて胸を押さえた。

「待ってて! 今誰か呼んでくる」

 兄弟は全力で村に駆け戻った。



 子供たちに呼ばれ、シーガルとネコタクがやってきた。道が悪くて車が走れないため、二人は担架に載せられ御輿のように担がれて帰路に着く。担架の横を並んで歩きながら、シーガルはハンに声をかけた。

「具合はどうだ?」

「大丈夫です」

 気丈に答えるが、ハンの顔色は蒼白であり、声も弱々しい。それでも、シーガルがざっと見たところでは、ハンもチャチャも命に関わる大怪我をしているというわけでもないようだ。どこか骨くらいは折れているのかもしれないが、なによりも精魂尽き果てている、といったところなのだろう。シーガルはハンの頭にそっと手を置いて言った。

「ハン、お前さんとチャチャが村を守ってくれたんだな。やっぱりお前さんたちはたいしたヤツだ」

 ハンターは答えた。

「……いいえ、村を守ったのはみんなです。みんながバリスタや撃龍槍を整備してくれなかったら、ナバルデウスを撃退できませんでした。おれは、普通です。普通の、島のハンターです」

 それだけ言うと、ハンは目を閉じる。あまりに静かになったので不安になったシーガルがハンの顔に耳を近づけると、すうすうと規則正しい寝息が聞こえてきた。

 シーガルは頷きながら、静かに声をかけた。

「ゆっくり休め。村でみんなが待ってる」

 今日も空は青く、島には塩気を帯びた風が吹いている。

 海は、おだやかに凪いでいた。


―完―
月猫
2012年01月21日(土) 10時01分46秒 公開
■この作品の著作権は月猫さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
月猫です。

これまで書いてきたものを改めて読み直し、少々手直しをいれました。
第一話などはヤマもオチもなくて、今となっては何がいいたかったのか全くわかりません(笑)。
それでも、全体をとおして読んでいただければ、なんかそれなりの位置づけができるかもしれません。

はあ、長かったです。

今後モンハンの話を書くかどうかはまだ分かりませんが、読むほうは引き続きさせていただきます。

読んでくださった方、どうもありがとうございました。

この作品の感想をお寄せください。
すっげー感動しました!今度またモンハンの小説を書くのでならばもう少し長くても良いと思われます!お疲れ様でした♪ 40 大海龍 ■2012-07-26 22:06 ID : cd/0XU3pEYo
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とても面白かったです。
トライをやってる気になれました。
是非、続編や別の話を書いて下さい。
50 どいっち ■2012-07-12 11:02 ID : NI4dz.x7Pd.
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すげー感動したわ
G級へんもかいとくれ
0点 ごんじり ■2012-05-24 17:37 ID : rHZMdEP2I..
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