暇を持て余す男についての考察
「ねぇ、暇ってのは何だと思う?」

隣に座っていた男は僕に向かってそう言った。しかし僕は最初それが誰に対して言ったのかわからなかった。僕と彼は初対面であり、そのような事を尋ねる要因が全く見当たらなかったからである。

しかし現実に彼は確かに僕に向かって暇という概念に対する問いをぶつけていて、彼は恐らく僕がその事について考えていると思っているのだろう。その事にようやく思い当たったのはぐるりとバーの辺りを見渡した瞬間に僕と彼しかいないと気付いた瞬間であった。

「暇?」

と僕が彼に初めて顔を向き直して問うた時にようやく彼は気付いたのだろう。少し顔を赤くしてから彼もまた椅子を僕のほうへと向き直してから言い直した。暇とは?

「そう、暇さ。君はどう思ってるんだ?」
「暇って言われたって…そうだな、中々幸運な事なのかもしれない」
「幸運?」

どうやら僕の言った事が上手くわからなかったようだった。丹念に頭の中からライ麦畑の中から小石を摘み出すように丁寧に言葉を探りつつ僕は答えた。

「だって暇なんて中々貰えるもんじゃないだろう。ここの店主だって毎朝毎晩働き詰めでその辺のレコード・ショップの店員だってうんざりするほど働いてるはずさ」
「だったら何故働くんだ?」
「金を貰うためさ」
「どうして金が必要なんだ?」
「生きていくためさ」

彼は僕の一つ一つの答えに対し少なからずと不満を持っていたようだった。でも僕にはそれ以上の言葉が見つからなかった。あったとしても五十歩百歩だろう。

「俺にはわからないね。働く事なんて無駄じゃないか。誰かに使われるなんて俺は御免だね」
「でもそれじゃ生きてけないだろう」
「親父が金をくれる」
「君はそうかもしれない。でも僕はそうじゃない。僕は生きていくために死んだような文章をうんざりするほど書かなきゃならない。暇なんて少しでも欲しいもんだ」
「メルドー(糞だ)」

ロシア語で答えた彼の眼には微かの涙が浮かんでるようだった。僕は僅か残っていたビールを口に含み、それから彼の言葉を待った。でも彼のライ麦畑には既に一つの小石も残っていないように思えた。僕は沈黙という錘を取り除くように言葉を続けた。

「それなら奴隷にでもなればいいだろう」

虚空を見ていた彼の瞳が再び僕を見たとき、僕は酷く驚いた。予想していたよりも彼は乗り気なような気がしたからだ。

「奴隷?」
「そう。昼も夜も僅かな賃金の飴で、鞭を打たれて働くのさ。そんなに金と暇が嫌いならそうすればいいだろう」僕は自棄に答えた。

彼は数秒再び虚空を仰いで考えていたのだが、それから微笑すらも浮かべて「悪くないな」と僕に対して言った。それから僅かに60年代初期の名残が残るバーの扉を背中で押してどこかへ行ってしまった。冗談では無いような声色だったせいか僕はどうしようかしばらく考えていたのだけど、それからビールの六杯目をマスターにねだった。60年代というのは全く良いものだ。

それから僕に届いたのは彼からの手紙で、僕は人生で一番驚いたといっても過言ではないほど驚いた。僕は彼の事などすっかり忘れていたし、第一僕は自宅の住所すら教えていないのだ。

便箋は全く飾り気が無く、彼の細かな字が並んでいるのみだった。彼の字には乱れというアナロジーが全く存在していないようにも思えた。それはある意味コロスと形容してもおかしくはなかった。

内容を見たときも僕は酷く驚いた。何と彼は本当に奴隷になったのだった。雇い主から思いっきり断られたのだが、それを振り切って奴隷の仲間入りをしたそうだった。世の中には様々な種類の人間がいるもんだ。

「俺は今とても暇というものから解放されたのだ」文末にはそう記されていた。「暇という奴隷の檻からついに俺は抜け出し、自由になったんだ。だから多分これが一番の幸運なんだろうな。あんたには感謝してるよ。大体の人間が俺を腫れ物かなんかだと思って相手にもしてこなかったのにあんたは鍵すらくれたんだ。言葉に出来ない程さ。いい文章を書けるといいね」と最後に彼の名前が書いてあった。何となく心もとない字だった。

それが1968年の夏で、僕は丁度39歳だった。


一年後、僕に来たのは彼が死んだという不幸なお知らせで、差出人は奴隷の“飼い主”だった。僕がその住所を辿っていくと、着いたのは何の変哲も無い工場のような場所だった。中に入っていくと奴隷達は忙しなく動き回って、一刻の休みも無いようだった。一人が倒れたが、誰も気にも留めなかった。だから僕も見ない振りをして通り過ぎていった。

奥の事務室のような場所に辿りつくと、“飼い主”は僕に対して軽く会釈をして、それからお茶を出してくれた。奴隷の飼い主とは思えないほど丁寧な人だった。

僕らはその後何でもない世間話をして、僕が時計を見たら飼い主はどれ、と腰を上げた。僕と飼い主は本当に何でもない関係だった。

そのようにして僕は1969年の夏の奇妙な思い出を飾った。


僕はたまに死んでしまった暇を持て余す男や暇の無い奴隷の事やそれらの飼い主の事を思い出す。そしてまるで僕の方が奴隷のような錯覚に襲われるのだ。勿論それは問題としては答える必要も無いようなものだ。僕は自由人とは言えないかも知れないが少なくともその気になればアフリカに行く事だって出来る。そのくらい自由なのだ。それらは暇を伴う自由で、あるいはデレク・ハートフィールドの言う所の「不毛さ」でもあった。

そんな途方も無い事を考えていくうちに1960年はとっくに過ぎ去っていって、70年になった。少なくともそういうところでこの世界というのは不毛ではなかった。
setsunaZERO
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2008年04月09日(水) 22時10分56秒 公開
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■作者からのメッセージ
小学六年生の頃に書いた小説が物置から出てきて、それがこれです。読んだときにまず俺は泣いた。俺何書きたいんだよ。

というわけで久々に帰ってきました刹那零です。また変な事を書いて舞い戻ってきた☆ZE
え?誰も待ってなかった?はははんなこと知ってますってば。

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人がいすぎるとコメントに困るんですけどね。
六年でこれは才能があるというかなんというかです。
50 フルフル男 ■2008-04-16 17:34 ID : H4RG9Ef2clI
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なかなか深みが……。六年でこれか、やりますね。
しかし、……なんだろう?なんて言えばいいのか……。まぁ、何か思いました。
しかし、ホントに此処は寂れてるな………。
40  凰雅沙雀 ■2008-04-14 22:52 ID : FZ8c8JjDD8U
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待ってたんだぜ・・・
なぜチャットに来ない!太鼓の達人なんてほっときなさい
30 mlk ■2008-04-11 01:49 ID : LcaT1Dw0IZw
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