咎と裁き 第一章 【胎動編】 File.05 《神都炎上》
File.05 神都炎上

「そうですか、森田君……では、改めましてヨロシク。そしてさようなら」

 アサルトライフルの銃撃音が響き渡る中で、それを撃ち破りまるで自らの存在を誇示するように一発の発砲音が内宮に轟く。シモンが森田に向け愛用の銀色に輝くワルサーP38のトリガーを引いたのである。鉛の弾は森田の心臓めがけて一直線に飛んでくる。森田は霊子刀の切っ先だけをその弾道に運び、弾が切っ先に当たる瞬間に霊子刀を素早く振り上げる。スパンと空気と共に銃弾を斬り裂き、2つに分かれた銃弾は虚しく宙を舞う。シモンは一瞬驚いた様に目を見開くが、すぐに不気味な薄ら笑いを口元に湛えて、次弾を撃ってくる。

「良いセンスですよ森田君、流石はミストガンが目をつけるだけはありますネ」

 森田は霊子刀を構えなおすと、シモンへ向けて突進する。2発、3発とシモンは発砲するが、森田はその全てを霊子刀で斬って捨てながらシモンとの距離を詰める。霊子刀の届く距離まで肉薄しても尚シモンは銃撃を止めない。森田は体をかがめて銃撃をかわすと、霊子刀を下から逆薙ぎに斬り上げる。青白い光刃はワルサーのバレル部分を捉え、一刀の下に斬って捨てる。

「驚きましたネ……これほどとは」

 初めてシモンが焦りの表情を浮かべる。自分が過小評価していた相手が、まさか自分を窮地に陥れているとは思わなかったと言う風であろうか。しかし、その焦りすらシモンの遊び、余裕であるという事を森田は知ることになる。彼はコートの内ポケットから筒状の機械を取り出すと起動させる。ブゥンと言う霊子刀に似た起動音と共に、筒から黄色い光の柱が伸びる。シモンはそれを構えると、彼の命を刈り取るべく上段から振り下ろされていた森田の霊子刀を受け止める。

「何! 霊子刀か!」

 森田はシモンと鍔迫り合いながら一人ごちる。するとシモンは右手一本で森田の剣を押し返し、左手の人差し指を立てて、それを左右に振りながら言う。

「ん〜……ちょっと違いますネェ。これは《光子剣》、動力は電気です。白銀部隊が近接武器として使用しているものですよ。貴方達の霊子刀のように原子結合を解除すると言うものでなく、単純に目標を高熱で溶断する仕組みです。こうして打ち合えるのは、光粒子が結合しようとする力と、その粒子の結合を解除しようとする力が互いにせめぎ合っているからです」
「ご親切に……うぇあ!」

 森田は一端刃を離すと、右上段からシモンに斬りかかる。彼は同じく右上段に剣を構えてそれを受け止める。森田はすぐに手首を返して左上段から斬りつける。それもシモンは左上段に剣を構えて受け止める。今度は一歩足を踏み込んで右下段からシモンの脚を狙って斬りつけるが、シモンはそれを見て取るや一歩引いて右上段に剣を構えて防御する。更に手首を返して左下段から斬りつけるが、やはりこれも受け止められてしまう。森田は剣を弧を描くような軌道で切っ先を右に持ってくると、横薙ぎにシモンに斬りつける。シモンは慌てた様子も無く一歩跳び下がりながら刃が下に向くように光子剣を構えると片腕で易々と森田の一撃を防いでのける。

「射撃のセンスは中々ですが、剣の腕はまだまだ修行の余地がありますネェ」

 シモンは余裕を感じさせる口調で森田を嘲ると、今度は一歩踏み込んで攻勢に転じる。森田の太刀筋が日本の剣道に由来する型のものであるならば、シモンのそれは西洋のフェンシグを彷彿とさせる型である。シモンは小さな軌道で剣を左に振り、右に振り、引いた右腕を思い切り前に突き出して強烈な突きの一撃を繰り出してくる。森田は咄嗟にその剣を右に弾いて受け流す。しかし、シモンはその反動を利用して右から切りつけてくる。片腕で保持しているとは思えないほど重い斬撃で、森田の防御が一瞬解ける。シモンはそれを見逃さず森田の霊子刀を弾く。手放すことこそ堪えたものの片腕で万歳をするような格好になり、完全に体勢が崩された。

「何度見てもゾクゾクしますネェ……若い才能が潰える光景と言うものは」
「南無三ッ!」

 シモンは体を一回転させると足を踏み変えながら森田の懐に飛び込む。そして、回転の反動を利用して光子剣を振りぬく。それは森田の右腕を正確に捉え、腕ごと霊子刀を斬り飛ばした。

「うわぁぁぁぁぁっ!」

 森田の右腕、肘から手首にかけての中ほどから先は宙を舞い、地面に鈍い音を立てて落ちる。シモンは止めを刺すべく光子剣を自分の顔の前に掲げると、思い切り右腕を引き強烈な突きを森田の心臓目掛けて繰り出す。「殺られる」……と森田が思った時。シモンと森田の間に一人の人間が割って入る。白銀の女性隊員である。

「やらせないっ!」

 彼女はシモンと同じ仕組みであろう機械の筒を取り出すと起動させ、光刃を光刃で受け止める。

「お止しなさいお嬢さん……それとも、貴女もその美しい腕を失いたいのですかな?」
「減らず口を」

 シモンは相変わらずの余裕溢れる口調で女性隊員に語りかける。彼女はそのプレッシャーを跳ね除けるように強い口調で反抗する。彼女の剣の腕前がどの程度かは分からないが、あのシモン相当腕が立つ。正直不安要素の方が多い。しかし、森田の危惧した闘いが起こる事は無かった。

「うぐ……」

 突如アサルトライフルとは違うタイプの音の銃声が2、3発轟いたかと思うと、シモンが剣を取りこぼす。見れば深々と銃弾が彼の腕にめり込んでいる。それも、よく見れば1発ではない……肘から先の中頃、肘、肩と肘の間の部分にそれぞれ1発ずつめり込んでいるのだ。森田は激痛を堪えながら後ろを振り返る。すると、フクスの天井に誰かが立っているのが見えた。一瞬石田かとも思ったが、その人影は石田にしては少々小柄である。そして、手に持っているのは骨董品のようなリボルバー拳銃だと分かった。

「森田、酷いモンだなぁ……しかしまぁ、そのオカマ野郎相手に良くやった」

 聞きなれた声が降って来る。もう聞き飽きた声である。芝居がかった口調も、リロードの際にいちいちシリンダーから空薬莢を抜く音も。彼以外の誰であろう……自分をこの世界に引きずり込んだ張本人、齋藤である。

「ククク……ミストガン。意外に遅かったじゃないですか、私の影武者にてこずったようですね」
「ふんっ……道が込んでてな」
「いやいや……貴方が戻られたということは、《鬼人》もご一緒ですかな?」
「お前の部下は、もう殆どスクラップにされてるよ」

 《鬼人》とは木村の通り名である。彼は優れた運転手であると同時に優秀な兵士でもある。右手に霊子刀を持ち、左手にMP5を持って戦場を縦横に駆け巡り、文字通り三面六臂の働きをする彼を、知能が発達し身体能力の低下した機人達は恐れ、《鬼人》と呼んだ。

「これは手厳しい……本日はこの辺でお暇させて頂きましょう」
「連れない事は言いっこなしだ、今日は逃がさねぇよ……」

 齋藤はそう言うとリロードの終わったSAAを右手に持ち、更に右手の親指でハンマーを起こす。左手を構えると、シモンに向けてトリガーを引く。銃声が轟き、鉛の弾が吐き出される。そればかりか齋藤はトリガーを引いたまま左手を銃と平行にスライドさせて、左手の親指で更にハンマーを起こす。トリガーを引いたままなので、起きたハンマーがすぐに薬室を叩いてまた鉛弾が吐き出される。齋藤は更に左手の薬指でハンマーを起こす、同じくトリガーは引きっぱなしであるため、起きたハンマーがすぐに薬室を叩き鉛弾が吐き出される。

「や、やりますね……更に腕を磨かれたようで。う、嬉しいですよミストガン」

 1秒間の内に3発の弾を齋藤は放った。その弾は全弾シモンの脇腹に突き刺さり、シモンは苦痛に表情をゆがめる。そして、小さくしゃがむと、後ろへと跳び下がる。先ほどの機人の比ではない。15mはゆうに越えるジャンプ力で内宮の林に消えていった。

「逃げ足だけは超一流だな、あの野郎……」

 齋藤は苦々しげにそう言うと、SAAを手元で4回転、逆方向に3回転させ、腰のホルスターの近くで4回転させると、突き刺すようにSAAをホルスターにしまう。相変わらずイタリア西部劇のような無駄な演出である。森田がハッと我に返ると辺りの銃声が止んでいた。代わりに駐車場の方が騒がしい、白銀の増援に加えて、木村、齋藤も到着した事で、内宮を襲撃していた機人は殲滅されたようだ。一先ず危機が去ったと言う安心感で、全身の力が抜ける。

「右腕が……」右腕のあった所に目を向けるが、そこに在るべき先端は無い。

 森田は右肘の傷を庇いながらフクスにすがる様にしてかろうじて立つ。高熱で目標を溶断すると言う光子剣の原理に偽りは無いようで、傷口が焼けて出血は無いが火傷の激痛で意識が飛びそうになる。

「駄目か」足を支える気力も尽きかけていた、もう意識もそう長くは保たないだろう。

 駄目か……それが、その日の仕事で森田が放った最後の言葉であった。その言葉を搾り出すように発した所で、疲労と痛みに耐えかねて精神と肉体を繋ぐ意識の糸が切り離された。



 次に森田が目を覚ましたのは、SSSの事務所のソファの上であった。

「ここは……」
「目が覚めたか森田、気分はどうだ?」意識が徐々に冴えてくる。

 首を巡らせて辺りを見ると、そこには石田を始め木村、齋藤、竹藤、藤原の姿があった。

「立てるか」気遣わしげな顔で石田が聞いてくる。

 森田はよろよろとソファから起き上がる。右腕には包帯が巻かれてはいるが、肘の真ん中から先が無い。陰鬱な気分になる、一人前の戦いが出来る様になったと思ったらこれだ。自らの慢心で商売道具でもある腕を失った。

「すいません、自分は……」森田の言葉を遮って石田が言う。
「話は後だ、そこに立て……じゃあ藤原さん、お願い」
「ええ、任せて」石田に促されるままソファの横に森田は立つ。

 藤原はおもむろに立ち上がるとこちらに歩み寄る。その後を齋藤が付いて歩く、その手には三方が抱えられている。三方とは神道の祭祀、神事において、神饌などを置くものである。そして、その上には「腕」が置かれている。恐らく自分の。よく見れば藤原は神道祭祀に使われる装束を、齋藤もまた正装である。

「動くなよ……それと、寿命を先払いしているようなものだからな」

 齋藤が腕を持って来て傷口を合わせる。それを確認した後、藤原は両の掌をを合わせる。すると青白い暖かな光が合わせた掌の間からほとばしる。徐々に藤原が掌を離してゆくと、その光は大きな球状の塊になる。彼女はそれを圧縮するかのように掌を丸めて互いに近づけ、光の球を押し縮めてゆく。すると光はより色を濃くし、小さなソフトボール大の球になった。そして、その光の珠を森田の腕の付け根に押し当てる。ピリピリと痺れるような感覚が森田を襲うが不思議と恐怖は無い……そして痛みさえも。体組織が活性化され細胞の分裂が急速に行われているのだろうか、腕の切り口が不気味に蠢く。それは自分の体とは言え、余り診ていて気分の良い物では無い。そして徐々に切り離されていた腕同士が、天の川を隔てて別離させられた安寿と厨子王が再会するかの如く再び結ばれてゆく。

「これは、一体……」森田は驚きに、それ以上の言葉が出ないで居た。
「黙ってろ、すぐに済む」齋藤にたしなめられて森田は口を閉ざす。
 彼の言葉に偽りは無く、その儀式とも言える治療はすぐに済んだ。

 やがて森田の右腕は元通りに繋がったが、若干薄い糸ほどの細さの桃色の線は残った。しかし違和感など無く、指を動かそうと思えばそれは命令通り自由自在に動いた。青白い光は徐々に消えてゆき、藤原もその手をどける。張り詰めていた場の空気が解放されるが、それと同時に藤原がその場に倒れそうになる。齋藤は三方を投げ捨てて藤原を抱きとめる。彼女は気を失っているようだ。宙を舞った三方は地面に落ちる寸前で木村によって受け止められ、無残に落下する事はなかった。

「齋藤、頼む」石田が齋藤を向いて言う、恐らく藤原の介抱をであろう。

 齋藤は何も言わずに頷くと、藤原を抱きかかえて事務所二階の仮眠室へと上がって行った。

「何とかなったか……いやいや、かすり傷とは訳が違うからな。正直どうなるかと思ったんだがぁ……無事に治ったようで何より」

 そう言って石田はバシバシと肩を叩いてくる。傷に痛みは無かったが、元々力の強い石田である。叩かれればそれなりに痛い。叩くだけ叩いた後、彼は真面目な顔に切り替って言う。

「昨日の一戦の後、厄介な事になった。キム」
「うい」石田は木村にテレビをつけるよう促す。
 それを受けた彼はリモコンを手に取り、テレビの電源をつける。

 丁度ニュース番組を放送していたが、何かおかしい。通常やっているようなニュースではなく、軍事評論家や防衛庁関係者などが招かれ、キャスター達にコメントを求められている。また、中継の映像やインタビューのVTRも政府関係者、特に防衛庁や警察庁の関係者に集中している。

「何があったんです」森田は石田に問う。

 彼はやや間を置いて森田の問いに答える。

「先日の内宮襲撃においてシモンを取り逃した。しかし、奴は内宮領内に逃走し、あろう事か御神体であり三種の神器の一つである《ヤタノカガミ》を盗み出した。盗んでどうしようと言うのかは分からないが……良い企みでない事は確かなだな」

「白銀も追撃したんだが、シモンは機人の兵士を捨て駒に自分だけ逃走した」最後にそう木村が付け加える。

 なるほど、内宮方面はだいぶ荒れたらしい。それは相手もハインドを持ち出すほどであるから、騒ぎにもなる。しかし、そう考えると昨日の一件は妙である。今までの破壊と混乱を目的とする活動とは一線を画す、《ヤタノカガミ》の奪取が目的の行動だった様に思える。いや、あるいは今までの破壊活動は全てその伏線であり、初めから《ヤタノカガミ》の奪取が目的だったとも考えられる。だが、とにかく今は情報が少なすぎる、推論を立てるには素材が足りない。

「すいませんでした……自分がもっと上手くやっていれば」

 森田が自分の不甲斐なさを悔いると、それまで沈黙を保っていた竹藤が反論する。

「それは違うぞ森田。もはやこれは戦争だ、一人がいくら英雄的な行動を取った所で大勢に影響は無いんだ。お前が上手くやっていればシモンを取り逃さなかったと言うのはお前の驕りだ。現に奴は今までも俺達や他のPMCの追撃をことごとく振り切っているんだ。お前一人でどうこう出来た相手じゃない」

 穏やかだが重みのある言葉で竹藤は森田を嗜める。少しではあるが、心の重荷が降りた気がして気分が晴れる。

「これからどうするのです」森田は石田に問う。
「連中の目標が何であるかは分からんからな、しばらくはこちらも動きが取れんと思う」

 石田はそう言うと首をすくめて両手を左右に広げてみせる。

「とにかく今日は休め、俺も連戦で少し疲れた。家に帰らせてもらう」

 木村はそう言うと事務所のドアを開けて出て行った、彼の家はここからそう遠くは無い。齋藤も藤原も竹藤も、そして森田自身もこの事務所の半径1km以内に住んでいる。それは有事の際に事務所に駆けつけやすいと言う事もあるし、皆神宮館の卒業生なので学生時代から使っていた部屋にそのまま住んでいると言うのもある。石田だけは実家通いだったので、事務所に居住スペースを持っている。それなりに快適な生活を送っているようであった。

「俺もしばらく休むよ……」石田は疲れた顔でそう言うと自分の執務室へと消えていった。

「俺はしばらく溜まってる事務処理をする。森田は家に戻っても良いし、ここでくつろいでいても良いぞ」

 竹藤はそう言って自分のデスクの上にラップトップを展開すると、また何かの資料と格闘し始めた。森田はそれを見届けると、再びソファに横になる。そして何故機人は、シモンは《ヤタノカガミ》を奪取したのだろうと考え始めた。機人にとって神器の価値はなんだろうか、人間世界への政治的な介入が目的ではない機人にとって、皇室の権威の象徴をかざす事に意味は無い。強いて意味があるとすれば1000年を越える悠久の年月の間、日本の神道祭祀の頂点として国の平和と繁栄を祈り続けてきた天皇の《思念》が封じ込められていると言う事だろうか。

「まずい……」森田は思わず呟く。
「どうした? 森田……」竹藤は森田の呟きを受け、モニターから眼を離さずに訊いて来る。
「先輩、連中の……機人の目的が分かりました!」
「何だと?」竹藤は今度はモニターから眼を離してこちらを見る。

 森田は、今自分が考え至った結果を竹藤に伝える。それを受けた竹藤は「ふむ」と言って腕を組み、座り心地の良い椅子に全身を預けると考え込む。

「考えられなくも無いな……だが、あれだけの思念を受け入れる素体が無い」

 竹藤は腕組みしたまま言う。人間も動物も機人も、物質的な体である《肉体》と非物質的な体である《精神》が結びついてその個体を形成する。そして《肉体》とは言わば《精神》の受け皿である。小さな皿にそれ以上体積の大きな物質が入らないように、強大な精神を受け止めるにはそれ相応に巨大な肉体がいる。勿論肉体の大きさが全てではないが、総じて単純で大きな精神ほど大きな受け皿……つまり肉体を要求する。

「万が一あれば……?」

 森田は尚も竹藤に言う。すると竹藤は顎に手を遣り、多くの人間が考え事をする時そうするように顎を撫でると答える。

「俺達ではどうにもならん相手が生まれるかも知れんな……」

 竹藤はそう言うとモニターに目を戻した。

「少し寝かせてもらいます」話が済んだことを確認すると森田は寝心地の悪いソファで、尻や背中の角度を調整して最良の体勢を探す。

「ああ、そうしろ。お前の言うように……いつ、恐ろしい敵が生まれるかも知れんからな」

 竹藤は冗談では言っていない、可能性として今自分の言った事を考慮して言っている。ソファの上に安息の地を見つけた森田は両手を組んで頭の後ろに回す。手を頭の後ろに回すと言う事は、戦場では余り取りたくない格好だが、寝る分には丁度良い。疲労が溜まっていたのだろうか、すぐに心地良い倦怠感が襲ってきて、すぐに森田は深いまどろみの海へと落ちて行った。



「森田、起きろ! 森田!」目覚めの悪い目覚ましだと思いながらも森田は重いまぶたを開く。
「誰……竹藤先輩……? 何ですか……そんな大声を出して」

 惜しかった、自分はもう少しで最高級松阪牛の厚切りステーキを口にする事ができたのに。かぶりつく寸前でこの融通の聞かない先輩の絶叫で現実に引き戻されてしまった。眠い目を擦りながらソファに腰掛けると、竹藤の方に目を遣る。

「テレビを見ろ、こいつは……前代未聞のテロだ!」

 竹藤の言葉に従い、今度はテレビに目を移す。この時間帯はバラエティをやっているはずだが、そこに映し出されているのは映画であった。日本の街中が紅蓮の炎に包まれている、人々の悲鳴や火が何かに燃え移って誘爆する音がスピーカーを通して聞こえる。リポーターも相当興奮しているようで……。

「リポーター……? 先輩、こいつは映画じゃないんですか?」
「いつまで寝ぼけてる気だ! これはリアルだ! 現実なんだよ! 現実に今、伊勢市駅周辺が燃えてるんだ、この火の勢いならいつこの辺まで届くか分かったもんじゃない」

 森田の眠気は幼子によってケーキの上の蝋燭に灯る火が吹き消されるが如く、意識の彼方へと吹き飛んだ。目の前の受像機の中で映されている映像が途端現実味を帯びる。恐怖が、動揺が全身を貫く。

「何故です! 何でこんな事に」森田が問うと、竹藤は落ち着いた様子で答える。
「テロだ、いや……正確には機人達の攻撃と言うべきか」

 森田は時計に目を遣る、自分が眠りこけていたのはせいぜい4時間。時刻も21時に指しかかろうと言う所であった。今まで機人が活動してきた時刻よりも随分早い、完全なる奇襲である。もしかすれば、今まで深夜に活動してきたのは「この時」のためだったのかもしれない。

「出ます」森田は竹藤に言う。
「駄目だ……依頼を受けていない。この場合の優先権は陸自と総務省にある」

 竹藤はそう言って苦々しげに爪を噛む。

「石田!」大きな音を立てて事務所のドアが開かれる。

 見れば息を切らせて木村が事務所に飛び込んでくる。彼もニュースを見てか実際に騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。彼はこちらを認めると、簡単に挨拶を済ませ、慌しく石田の執務室へと飛び込んで行った。

「先輩!」森田は竹藤の方をむいて言う。何を言わんとしたのか察知したように彼は答える。
「大丈夫だ、社長も既に心得ている。今シシオの所にも連絡した、もうすぐ来るだろう」

 竹藤の言葉通り、その20分後に齋藤は藤原を伴って現れた。森田の回復に霊力を注ぎ込んだ彼女は、幾分回復したようである。それでもどこかその顔には覇気がない。

「竹藤!」齋藤が事務室に入るなり竹藤を呼ぶ。竹藤は最後まで言わせずに答える。
「待機だ……依頼がない以上、交戦権は陸自と総務省にあるんだ」

 興奮する齋藤を竹藤はそう言ってなだめる。隣の藤原も齋藤の興奮を抑えるように彼の腕を抱く。齋藤は多少落ち着いたようで、深く息を吐くとゆっくりとした足取りで森田の対面のソファに腰を下ろす。藤原もその横に座る。その時、事務所内の電話が甲高い音を立てて鳴り響く。竹藤はそれを取ろうとするが、手を伸ばした時には電話は鳴り止んでいた。

「社長か……」

 電話は事務所のオフィスと石田の執務室に一つずつある。恐らくは石田が取ったのであろう。

「このタイミングな……依頼だと良いな」
「ああ、依頼がなけりゃ交戦権を得られないだけじゃない。金も入らんから企業としては動く事は出来ない」

 森田は竹藤の発言に言葉を失う。結局は彼らも金のために働いていたのか。

「先輩! 報酬金が入らなければ俺達は動かないんですか!?」森田は竹藤に食って掛かる。

 竹藤は、眉をひそめると答える。

「そうだ、俺達はサラリーマンなんだ……ヒーローじゃない。機人のテロ行為を食い物にするグリーンカラー(戦争生活者)なんだ」
「社長と言ってたじゃないですか! 人を助けるのに理由は要らないって!」

 尚も食い下がる森田に、竹藤は深いため息をつくと言う。

「現実を見ろ森田! シシオには藤原さんがいる。木村先輩にも石田先輩にも守るべき伴侶がある。俺だってこれから家族になるだろう人がいる! 守るべき平和の前に守るべき人がいるんだよ!」

 竹藤はそう言って拳を机に叩きつける。普段冷静な彼からは想像が付かない光景だった。藤原が止めようと立ち上がるが、齋藤は厳しい目つきのまま腕でそれを制する。森田は言葉が出なかった。ここ2ヶ月、人類の敵と称される機人との戦いを経る中で森田は自分が子供の頃憧れたヒーローになれたと思っていた、だからこそ認めたくなかったのかもしれない。自分がその実、悲劇しか生まない戦争を食い扶持とするグリーンカラーであると言う事を。心のどこかで戦争を食い物にすると言う行為に後ろめたさを感じていたのかもしれない。
 気まずい沈黙が事務所の中を漂っていた所で、その空気を引き裂くように執務室の扉を開けて石田が事務所のオフィスに入ってくる。勿論木村を伴ってである。

「仕事だ! 伊勢市駅周辺で破壊活動を行っている機人を掃討するぞ」

 石田は威勢よく事務所の壁を蹴りつける。普段は腕で押し込むものだが、壁が一部分ごと沈むと、次の瞬間棚がせり出してくる。その中にはもう見慣れた銃火器が満載されている。石田はその中から愛用のM14を引っ張り出すと肩に担ぐ。ベストや予備弾倉や治療道具など、1人分が満載されたボックスを担ぐと、足早に地下室への階段を下りていった。

「森田、日本のサラリーマンは仕事となると全力を尽くすもんだ」

 竹藤はそう言うと、銃器の掛かっている棚からステアーAUGを取り出す。石田と同じようにボックスを担いで地下室への階段を駆け抜けるように下りて行った。森田が立ち尽くしていると誰かに肩を叩かれる。その方向に目を遣ると齋藤が自分の肩に手を置いているのが見える。

「先輩……」森田は何を言えば良いか分からず、ただ齋藤を見るしか出来なかった。
「竹藤もお前と同じだよ、ただ……ちっとばかし立場が違うだけだ」

 齋藤はそう言い残すと自分と藤原の分のボックスを抱えて地下室への階段を下りていった。藤原はFAMASを両手で抱えてその後を着いて行く。何かを察したのだろう、最後に木村がMP7と自分のボックスを抱えたまま、森田に行くよう促す。それに背中を押されて森田は足を踏み出すことができた。



 本来は兵員輸送車であり、体格の良い白人の兵士が10人は乗れるフクスだが、SSS仕様のそれは電子機器に後部の半分を占領されているので案外狭い。居心地の悪い装甲兵員輸送車に揺られ伊勢市駅方面へ向かう。宇治山田駅から伊勢市駅までは最短距離で1kmも無い、車道を通れば最短距離ではないにしろそう時間は掛からなかった。
 フクスの天井を開いて炎の上がる方向を見るが、伊勢市駅を含め、周辺の建造物が紅蓮の炎に包まれている。夜も深まりつつあると言うのに下手をすれば昼間よりも明るいかもしれない。それほどに凄まじい炎である。住民は既に避難しているのだろう、姿が見当たらない。そこにいるのは地獄の業火を思わせる炎に真っ向から勇敢に立ち向かう消防士や警官隊であった。
 フクスはここで待機するしかないだろう、伊勢市駅口のほうは消防車や警察関係車両で埋め尽くされており、とても割り込んでいける状況ではなかった。フクスに残る側と前線に出る側に分かれる事で皆の意見が一致する。そして、石田はブリーフィングの最後を飾るように口を開く。

「タッグネームはこの前と同じだ、俺がプレジデント、森田はパトリオット、竹藤はソーテック、藤原さんはエヴァ。齋藤と木村は普段使ってる奴でいいな?」

 石田の問いに、齋藤と木村は無言で頷く。それを受けた石田は続けて言う。

「では齋藤がリンクス、木村はソードマンだ……木村をポイントマン(隊長)として、左翼に竹藤、右翼に森田。齋藤は別働隊だ、こちらで支援する。俺がその都度指揮を取る、フクスの防衛も俺が引き受けよう。藤原さんは普段どおり前線組の後方支援を頼む」

 石田はフクス後部に集まった一同を見渡して言う。皆一様に頷き、親指を立てる。それを確認した後、石田はスイッチを押して後部ハッチを開くと、自らも天窓を開いて銃座に腰掛ける。隣には伊勢市駅の半径2km内の地図が描かれたマップと、生体反応、そして機人の身体を構成する金属の反応を探知するレーダーの情報が映し出されるラップトップが据えつけられている。

「では諸君、出勤だ……」

 木村が先頭に立って、フクスを飛び出す。その後に続いて竹藤が齋藤が飛び出す。最後に森田は右足でフクスの床を蹴って外に飛び出した。
アダムスカ
2008年09月17日(水) 18時49分44秒 公開
■この作品の著作権はアダムスカさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 早いもので、もう5話目に突入してしまいました……実際にはもう8話まで書きあがっているのですが。大学生は良い、時間がありますから。それを有効に使うか浪費するかは個人の生き方次第ですが。

>ケルベロス様
 いゃあ、そんなお気になさらず。テキトーに書いて上げておきますので、時間があればお読みください。

 勿論、私もケルベロス様の作品を拝読させて頂きますので。

 比喩表現なんて言うのは、最早いかに多くのものを見るかです。日本は幸いにも季節によって見える物が大きく違ってきます。その季節ごとに美しいものや醜いものがありますが、それを見ることですね。
 部屋に篭って書やパソコンと格闘しているだけでは、良い物語は生まれないと思います。目で見たものや耳で聞いたものは表現の助けになるだけではなく、物語を生むという捜索活動にも大きなメリットになります。

 ありがとうございます、頑張ってください。


>生徒会長7様
 話の大筋は出来ているのですが、リアル思考なミリタリーものになるか、ミリタリーとファンタジーが同居するSFになるか……そう言う路線はまだ決まっていません。
 今、最終決戦の部分を書いているのですが……ここの結末次第でどちらに転ぶか、変わるでしょう。まぁ、大きなポイントは変わらないので。



 そう言えば、確か羅王氏の作品にコメントをした覚えがありますが……私の見る限り消えているように見えます。
 いや、私の画面では映っていないのです。
 何かあったのでしょうか?

 題名に誤表記がありましたので、再UPです。

この作品の感想をお寄せください。
 追いついた……。今までのにもコメント付けておいたので、気になったら見てみてくださいね。
 さて、この話で印象的だったのは、やっぱり「俺たちはヒーローじゃない」ってやつですね。うぅん、英雄とは何なんでしょうね。切ない(?)ながらも良い科白だと思いました。
 切断された腕が繋がったら……。良いでしょうね。ただ、寿命とか何とかが気になるのです。現在の義手技術はどの程度なのでしょうか、合わないとかなり痛いとか聞きましたが。
 光子刀が、この前いっていた武器ですかね。
 なんか大事件、一体どうなるのか。神器を? 着々と進んでいっているようで楽しみです。

 所で質問なのですが、モンスターハンターの世界での移動手段って何があるんですかね? 調べる手段が無い(わからない)ので困っているのですよ。知っていたら教えて欲しいのですが良いでしょうか。
30 風斬疾風 ■2008-09-22 22:53 ID : FZ8c8JjDD8U
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はい、適当に来て一度に見てコメントします、よろしくお願いします。

一瞬森田がかわいそうに思えましたね。森田だけじゃなくて全員に言えることかもしれませんけどね。

扶持←すいません、これなんて読んでなんていう意味ですか?
30 ケルベロス ■2008-09-19 21:46 ID : If3qiekeSNg
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